それはありきたりな人魚の話。海の中しか知らなかった人魚はたまたま見かけた王子様に恋をしてしまう。途中、王子様は難破してしまうがそれを人魚は懸命に助けた。人魚は王子様に出会うために、声を犠牲にして足を手に入れた。ところが王子様は別の女性と結婚を約束していて、彼女は王子様を殺さなければ泡になってしまう。人魚は王子様の寝込みを襲い殺そうとするが出来ず、彼女は泡沫に消えてしまった。





「もしこれが私たちだったら条介は王子様だね」
「じゃあ四季が人魚か?」
「うん」





夜の海辺はやっぱり少し寒い。明るい月の光と海を眺めながら、わたしたちはただぼうっと時間を過ごしている。わたしは条介の隣で足を投げ出して、つま先で砂と遊んでいた。時折妙に大きな波の音が聞こえて、けれどそれだけしか聞こえなくて、わたしたちは世界に二人きりなのかもしれないと錯覚してしまうほどだ。条介は空を仰いで、軽く伸びをしながら砂浜に寝転がった。




「でもよ、四季は人魚ってガラじゃねえよな」
「む、そのくらい自覚してるもん。ていうか少しくらい肯定してくれても」




いいじゃない、そう言おうと思ったのに。突然条介が飛び起きた。あまりにも真剣な眼差しでわたしを見つめるから、わたしは呼吸さえ忘れていた気がする。条介は言った。




「だって俺は他の女を好きになったり、お前を泡になんかさせたりしねぇもん」




月光のせいだろうか、条介がとても真剣な顔をしていたからなのか。普段はあまり見ない表情にドキリとしてしまって、条介から視線を逸らす。けれど条介はわたしの頬に手を添え、それからゆっくり顔が近づいて、四季と名前を呼んで、そして口唇を重ねた。本当は数秒だったのかもしれないが、わたしにはもっと長い時間に感じた。口唇を離すと条介はコツンと額をくっつけて笑う。





「やべぇ、お前のこと、ちょう好き」
「……馬鹿」






人魚は王子様を殺せず、泡になりました。彼女とわたしが決定的に違ったのは、わたしにもともと足があったことでも、海と陸の遠距離じゃなかったことでも、わたしに声があったことでもなくて、お互いが好きであることだ。これはもうお伽話ではないけれど、わたしはこんな物語もありだと思う。