旧式Mono | ナノ

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「お嬢ちゃん…よかった、無事だったか」


 もう昔のことのように思える、優しい、でも重みのあるしっかりとした声が響く。いつの間に泣いていたのだろう。気づけば視界は涙でぐしゃぐしゃになって、彼らがうまく見えなくなっていた。でも、こんなに優しい彼らが迎えに来てくれたところで、私が望む未来になるわけじゃない。自分のことしか考えれていないじゃないかと思う反面、これだけ耐えたんだからわがままを言ったっていいじゃないかと言う気にさえなってくる。元の世界に返れず10年、下手したら一生過ごす羽目になるのなら、私はやっぱり、死を選びたい。


 瞬きをすると、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。視線を下に落とし、彼の視線から逃れ、「何か御用ですか」と誤魔化しつつ……指先を、包丁向けて伸ばす。柄に触れる……と同時に、何の足音もしないのに、私の手は緑色の何かによって拘束されていた。いや…なにか、なんて、白々しい。何度もこれに拘束されたことのある私には、すでに『何か』なんて考えなくても分かることだ。キョロリ、と黄色い目が私を見据えて、私を視線からはずさない。アルコバレーノのこのペットが何を指すのかは知らないけど、彼は彼で私の価値を見出しているみたいだった。



「何考えてやがんだ、テメエ」


 苛立ちを感じたような、威圧感のある声が私のすぐ傍から響く。
 ぐり、と強く右手をひねり上げられ、その拍子にゴトリと包丁が落ちる。気づいていなかったのか、気づいていながらも笑顔で安心させようと思っていたのか。どちらにしても私に包丁を触れさせないよう、すばやい動きでロマーリオさんはそれを拾ってもとの場所に戻すと、自由なままの左手を優しい力で拘束した。涙が浮かぶ。
 「離して」と、マフィア相手にという意味では信じられないほど乱暴な言葉が口をついた。「重症だな」とアルコバレーノ…リボーンは言うと、「レオン」と短く私の腕を拘束する彼のペットの名を呼ぶ。とたんにレオンの体は二つになると、前向きに両足を、そして後ろ向きに両腕を同時に拘束した。バランスを崩し床に倒れそうになる私を、ロマーリオさんが支える。かみ締めた歯が、ギリッと音を立てた。憎々しげに見上げると、リボーンは読めない表情で、台所の台の上から私を見下ろした。


「殺して…くだ、さい」
「…前と人が違うみてえだな、雲雀の猫」


 リボーンはそういって台から飛び降りると、私のあごをつかみ、乱暴に持ち上げる。マフィアは女を大事にする、と言う言葉が浮かんだけれど、其れがこの漫画ないだったのか別の漫画だったのか、もううまく思い出せなかった。どちらにしても私は『猫』と呼ばれてるのだから、“メス”…つまり女の区分には入れないし。そもそも彼が私に対する態度は、最初から大体こんな感じだった。私が、この物語の中心を担う、可愛いヒロインさん達と同じ扱いをされないことは、もう分かりきっているじゃないか。
 殺して、といった私の言葉に、ロマーリオさんは同情するような目を向けていた。そんなのいらない。死にたい。死ななきゃいけない。怖いものを見る前に、死ぬことさえ許されなくなる前に。
 私の表情を読み取ったのか、リボーンは顔をゆがめて舌打ちをした。不機嫌そうな表情に、条件反射的に怯える私が嫌になる。死を覚悟しているのに舌打ちだけでびくびくしているなんて、おかしい話だ。


「なんにしても、いい兆候とはいえねーな。お前にはマフィアの自覚ってもんが足りねぇ」
「…自覚…なんて…」


 ある訳ない。そういおうとした私の言葉をさえぎるようにしたうちをする。「一度しかいわねぇから、よく聞け」と、乱暴に吐き捨てる。イライラとした語調に、私は彼が怒っていることにようやく気づく。綱吉が何をしてもこんな風に分かりやすく怒ったりはしなかったのに。彼は今、すごく怒っていた。


「お前はもうボンゴレのファミリーの一員だ。仲間の命だろうと、自分自身の命だろうと、そんなことは関係ねぇ。ファミリーの命を守れねーやつは、屑中の屑だ」


 バチン、と大きい音がして、一瞬遅れて私の頬に熱が走る。ヒリヒリと遅れてくる痛みに、私の視界は涙でゆがむ。ロマーリオさんも彼の言うことに異論は無いのか、「そのとおりだぜ、嬢ちゃん」と優しく言い聞かせるように言う。悔しいと思った。其れは最近、恐怖で押しつぶされてしまっていた、私の中の密やかな反抗心だった。悔しい、悔しい、悔しい。こんなに優しい言葉を言うくせに、私は沢田綱吉の愛するヒロインたちのように優遇されたファミリー扱いはされない。
 …もう、夢小説のような展開は期待しないと思いながらも、こんなにはっきりと『ファミリー』と呼ぶ彼らを見ていると、虚しさを感じずにはいられなかった。如何して苦しいのだろう。私も同じファミリーだというのなら、如何して私は彼らのように笑えないんだろう。如何して私は、あんな未来があるというのだろう?



「…う、あ」


 堰を切ったようにあふれる涙は、もう如何して泣いているのかさえ分からなくなっていた。只虚しくて、只寂しかった。今までの不満が、ここに来て――未来に一寸の希望もないと知って、――はじめて爆発した、というのは何となく理解できた。けれど結局のところ私はもう、死ぬことが許されない場所にまで足を踏み入れているということが、安心感にもなり、同時に絶望にもなった。だから、チェルベッロに殺されずに10年後にもいた、という裏づけにもなる。つまり、私は彼らが言うようにファミリーとして命は守られるんだ。そして、私は。



「雲雀の下からお前が狙われたって聞いてな。ロータスイーターの存在が、ほかのマフィアに知られたとなっちゃ、大問題なんだ」


 叱られて泣いているとでも思っているのか。ロマーリオさんはやけに優しい声音で、まるで子供に言い聞かせるような口調で言う。いや、彼にとっては、私は子供以外何者でもないんだろうけど。


「だから、迎えに来たんだ。リボーンさんは忙しいし、雲雀は修行でしばらく帰ってこれないんでな。お前は雲雀とボスについていく、俺らキャバッローネファミリーに同行してもらう」


 優しく。でも有無を言わせない口調でそういうと、ロマーリオさんはふと気づいたように私の首にかけられたリングに触れる。
 ビクッと思わず身を引こうとした私は、縛られていたことを忘れてがん、と頭を打ち付ける。「暴れんな、猫」とリボーンの諌めるような声がしたかと思えば、あっさりとチェーンごとはずされる。をしてリボーンはそのチェーンからリングをはずすと、自身のポケットから一見同じに見えるリングを取り出して、チェーンに通した。


「安心しろ。雲雀には、黙っておけばばれねぇぐらい精巧な模造品だ。独立暗殺部隊を足止めすんのにもつかってるぐれぇだからな」
「…独立…暗殺…部隊」

「ロータスイーターなら名前ぐらいは知っているはずだ」
「……ヴァリアー…です、か」


 慎重に、名前だけを言うと、彼は「そうだ」とにこりともせずに呟く。切羽詰っている状況と言うのは、嫌でも分かった。私にとっては勝つことが約束されている勝負だとしても、彼らにとっては生きるか死ぬかの正真正銘本気のバトルなのだ。ピリピリするのも頷ける。
 幸いリボーンは未来には興味が無いのか、秩序を壊すという意味を分かっているのか、未来のことについては聞かれなかった。ただ、一言。「おめぇの命はもう自分だけのものじゃねえってことを自覚しろ」と、其れだけ言って、レオンを解放させた。
 自由になった手はやけに軽く感じ、私はぼんやりとその部分を見つめた。死にたい。あれだけ思っていたのに、何の嫌がらせか、包丁に触れる勇気さえ彼らによって綺麗にこそげ落とされていた。生きるのと同じぐらい、死ぬことが怖い。例え絶望的な未来が待っていようと、それから開放されるには目先の絶望的な痛みを感じないといけないのだ。


「ほらよ、指輪だ」


 ロマーリオさんから渡された指輪は、確かに私の目じゃあさっきつけていたのとの違いを見出すことはできないほど精巧だった。只首につけると、さっきまで私の温度になっていた指輪はやけに冷たく、その事実が何となく『さっきの指輪とは違う』という事を訴えているだけだった。ばれたら、十中八九殴られるだろう。意識がなくなるまで、殴られ続けるのかもしれない。でも多分、死なないだろう。何となく、そんな風に思う。



「…すみません、でした」


 今更のように、前にロマーリオ、リボーンに銃を向けられたことを思い出し、自分の言った無礼とも取れる態度を謝る。二人とも何のことか一瞬で判断できたのか、呆れたように息をつかれた。怖い。殴られるのだろうか。


「んなこと気にしてねぇよ。お前もちっこいのに、大きなもんしょいこんで辛ぇだろ。もっと不満を吐き出していいんだぜ」
「チッ。そんなことしてる時間はねぇぞ。俺は綱の様子を見てくる。お前と猫はすぐにディーノと合流しろ」

「ああ、了解だ。…じゃあお嬢ちゃん、下に車が置いてあるんだが、歩けるか?」
「…は、い。…あ、着替えて…いい…ですか?」


 そういえば、私はまだパジャマにカーディガンを羽織ったままだったのを思い出して、おずおずと申し出る。リボーンは少しだけ目を細めてから「急げよ」、というと、百蘭が使ったベランダから、ぴょんと飛び降りた。
 原作に描かれていたレオンのパラーシュートを思い出して、何となくおかしさを感じる。そうだ、ここは、家庭教師ヒットマンREBORNの世界なんだ。と認識する。私がどれほど悩もうと、痛がろうと、あちらの舞台では血のにじむような修行と、努力と、挫折と……そして暖かい仲間のストーリーが、展開されているのだ。


 ここで待ってるぜ。と言うロマーリオさんに一礼して、私は普段使っている和室に移動する。
 壁にかけた並盛中の昔の制服を着て、リボンを結ぶ。紺色のハイソックスをはいて、偽物だというのに首にかけられたチェーンを胸当ての下にしまってから、私は小さく息を吸った。……分からない。けれど何となく、ここに戻ってこれる日は近くないような気がする。何故だかは、分からないけれど。


 私は和室の匂いで自分の中をいっぱいにして、大きく息を吐き出す。そして覚悟を決めて、大き目の、雲雀恭弥から実質貰ってしまったカーディガンを着る。和室から出るとロマーリオさんがにっこりと笑って、「もういいのか?」と問う。私は小さく頷くと、ロマーリオさんは手を差し出す。そして私はまるで迷子の子供のように大きな手に引かれながら、雲雀恭弥の家を後にした。
(09/11/16)


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