旧式Mono | ナノ

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 如何して彼がここにいるのだとか、如何してベランダから急に入ってきたかだとか、気にすべき点はもっといろいろあるはずなのに。私は何故、彼に。よりにもよって『彼』なんかに縋ってしまったのだろう。頼るべき人は確かに思い浮かんだはずなのに、私は何故、当たり前のように……彼の白い服のすそを、つかんでしまっているのだろう。

 正気に戻った私がおずおずと服の裾を離すと、彼は苦笑しながら「もう大丈夫?」と問う。かあ、と顔に熱が上り、私はおおきく首を縦に振って恥ずかしさにゆがむ顔を見られないようにする。何をしたんだろう私。というか、何で今私はこんなに怯えていたのだろう。そんなことさえ、今となっては分からない。ただ思い出せるのは、死にたくないのだと、馬鹿の一つ覚えのように思っていたことぐらいだ。冷静に考えれば、あそこまであわてる必要も恐怖を感じる必要もなかったはずだ。自分が死ぬべきだと、本気で思っていさえすれば。



「ごめん…なさい」
「ん、」


 そんなに変わらない、それでもやっぱり私よりも高い位置にある目線から目を逸らして、私は蚊の鳴くような声で彼にお礼を言う。其れに対して彼はにっこりと笑って、よく分からない頷きを返した。
 そして私に何の言葉らしい言葉もかけないまま、急に腕を鷲掴みにする。ビクリ、と大人の白蘭に出会ったときの恐怖に体が震える。だけど私の腕をつかむ手はその時よりもぜんぜん小さくて、私は小さく安堵の息を零す。もし仮に、これが大人のものだったとしたら…なんて、考えたくもなかった。


「にしてもビックリしたよ。ナマエちゃんに伝えたいことがあったからここに忍び込んだのに。その様子じゃあ相当怖い思いしたんだね」


 彼はそういいながら私を上に引き上げると、玄関のタイル部分ではなくフローリングの部分へと持ち上げてくれた。「ありがとう」とつっかえつっかえにいうと、彼は少しだけ嬉しそうに笑った。「やっぱりお礼の方がうれしいね」という彼に、少しだけ面食らった。未来で「怯えた姿がいいね」とニコニコ笑いながら言う彼と同一人物なんて、到底思えない雰囲気だった。
 だけど、その雰囲気は、すぐに影を潜める。私の頬に手をやると、「青あざ…」と小さくつぶやく。ああそういえば、そんなものもあったっけと患部に手を当てる。顔にあざができたのは初めてだけど、殴られることは大して珍しくはない。そもそもチェルベッロへの、死への恐怖を前にしたら、こんな小さなあざは些細なものだった。
 大したことはないです、というと、彼は少しだけ眉をひそめた。以前、路地裏に引き込まれたときにも思ったけれど、この時代の白蘭の表情は、変化に富んでいる。ニヤニヤと喰えない笑みだけではなく、不快感をすぐに露にするなんて。未来じゃ、想像もつかない。


「…痛くない?」そうポツリとつぶやいて、私の頬に手を当てる彼に、私は少なからず驚いていた。というよりも、懐かしさを覚えていた。
 この世界に来てからというもの、『死なないように』はされてきたけれど、『怪我を心配』されたことなんて一度だってなかった。だから、懐かしくなってしまう。学校に通っていた、ひざに擦り傷を作って登校しただけでも「大丈夫?」と心配されていたあの頃が。


「痛く、ない…です」とつぶやくと、彼はそう、とだけつぶやく。だけど浮かべている表情はまだ、不快そうに歪められていた。


「フーキイーン、だっけ?本当に酷いね」


 ポツリと吐き出した言葉は余りにも小さい音量で、思わず聞き逃してしまいそうな呟きだった。
 「え…」と思わず言葉を返すと、彼は少しだけ眉をひそめて「君がそんなに怯えた理由。フーキイーンでしょ?」とまじめに問う。その表情は真剣で、ふざけている雰囲気は微塵も感じさせず、むしろ妙な緊張感を漂わせていた。


「それは…」
「え、何。違うの?」

「……違い、ます」


 大きく深呼吸してから、ゆっくりと吐き出す。そう、私がこんなに怯えているのは、風紀委員のせいじゃない。
 あざを付けられても、殺されそうになっても、それでも今では朝食を用意してくれるほど、私は彼に存在を認められている。痛いけど、正直本当にトンファーは痛いけれど、所有物に対する独占欲だろうけれど、私を迎えに来てくれた、雲雀恭弥。短い黒髪を思い出して、私も大概この世界に耐性がついてきたなと思う。こんな四方八方敵だらけな世界でなければ、自分に暴力を振ってくる人間にそんなこと思えなかっただろうから。


 ハッキリと言い切った私に、彼は少しだけ沈黙した。「じゃあ、僕のせい?」とまっすぐに問われ、私は少しだけ目を見開く。何とか表情の変化を悟られないように、胸の中にしまいこんだ。大元は10年後の白蘭のせいではあっても、今目の前にいる白蘭には関係のない話だ。
 …でも、何で急に自分のせいだというのだろう。そう疑問を持ちながらも「違い、ます」と言うと、彼は少しだけ目を細める。怒っているのか、笑っているのかよく分からない表情に、私は一抹の不安感を抱く。



「…じゃっ、あの肌の色が濃い女の人たち…で決まりかな」


 ビクリ。先ほどの恐怖もあってか、今度こそ私の体は其れと分かるほど反応してしまう。彼はあらかたの予想は付いていたのか、「やっぱり」と息をついた。風紀委員、白蘭、チェルベッロ。この人は、いったいどこまで私の事を把握しているんだろう。少しだけ恐怖を感じる私に、何を思ったのか彼はにっこりと笑う。怖い。少しだけ身構えた私とは反対に、彼は私の頭をなでる。年下のような、年上のような。よく分からない彼は、「大丈夫だよ」と、笑う。

 そしてまっすぐに私を見ると。「守ってあげるよ」と。…そう、静かに宣言した。


「…え?」


 守る。静かに私の中に落ちてきた言葉に、私は思わず六道骸を思い出す。あの人も、守るとは直接的に入ってないけど、助けるといっていた。私は助ける価値があるのだと、そんなことを言っていた。…私が彼の牢獄行きを止められたという事を、知りながら。それでも、助けるといった。救ってもいないのに『仲間を救った』といって。ありもしない理由を作って。


「…なん、で」


 震える言葉はぽつりと、だけどはっきりと零れ落ちた。私が知るよりも10年程前の白蘭は、少しだけ表情を曇らせる。守ってくれるという人に対し「なんで」、なんて、余りにも失礼な言葉だ。…だけどわたしはそもそもこの物語の中での「生」が認められる身分ではないし、むしろ死ぬべき人間だ。しかも、彼は私と、私を感じする10年後の白蘭のせいでかなりの迷惑をこうむっているはずだ。気づけば知らない場所にいたり、そもそも日本に来た事だって覚えていないなんて、不気味な思いをしているはず。なのに何故私を守ってくれようとしているのか。理由が、全く見えない。


「私のせいで、白蘭…さんは、迷惑、してるのに」という私に、彼は「僕も、そう思ってたよ」と苦々しい表情を浮かべた。


「全部君のせいだと思ってた。道に倒れていた君を病院に運んだのだって、君が昔、僕を助けてくれた日本人の子に似ていたから。本人か確かめたかったから、それだけだったよ」


 違ったけど。と呟いて、彼は少しだけ寂しそうな笑みを浮かべる。確かに最初、私は白蘭に『昔どこかであったことある?』と聞かれた。だけど終始笑みを浮かべていて、そのときから『私のせい』と憎しみ対象だったなんて、思いもしなかった。言葉を失う私に、彼は寂しそうな表情から一変し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。そしてその表情を浮かべたまま、彼は私の頭に載せていた手を首筋に這わす。ビクリと震える私に、彼は「でも」と、言葉を続けた。


「…でも、僕のせいでもあるのかもしれないって、気づいちゃったんだよね」
「…え?」

「僕だって、記憶が飛ぶのをただ指をくわえて悔しがってるような馬鹿じゃないんだよ、ナマエちゃん」


 彼はそういって自嘲するかのように嗤って見せると、私から目を逸らした。何かを隠していると言うことが、雰囲気で伝わる。だけど其れを聞くことができなかった。…怖かった、のかもしれない。物語の狂ってしまった部分に、直接触れることが。

 10年後の白蘭がこっちの白蘭と入れ替わるときに、10年前の白蘭は10年後の世界でいったいどうしているのか。考えてみれば、確かに疑問は浮かぶ。…というか、如何してそんなことにも気づけなかったんだろう?雲雀恭弥の変化ばかりに目を奪われ、大筋のストーリーの変化ばかりを悔やんで、そんな方面考えても見なかった。――そもそも、この時代に『白蘭』が日本にいること自体、既に原作からかけ離れているかもしれないのに。



「……びゃく、らん…さん」
「ナマエちゃんに似た人に会ったよ。真っ暗でよく見えなかったけど、今のナマエちゃんよりも、ずっと大人っぽくて、綺麗だった。……でも」

「…」
「生きているのに、死んでるみたいだった。繋がれていて、ただ首の傷に触れたときに……今みたいに、震えただけ」


 そういって苦笑すると、私がその言葉の意味を理解する前に、不意に立ち上がった。
 繋がれる。死んでいるみたいに。今の私よりも大人。3つの言葉がぐるぐると回り、理解しようと頭は回転するのだけど、まるで理解することを恐れるように頭がぐちゃぐちゃに空回りした。簡単なことなことは分かるのに、うまく考えれないのは。『私に用意された未来』が、余りにも私がひそかに胸に抱く『元の世界に帰れる』とはかけ離れているせいかもしれない。


「…じゃあ、もう僕は行くよ。いつまた記憶が飛ぶかも分からないしさ。それにもうじき、フーキイーンが来るだろうし」
「…あ…」

「またね、ナマエちゃん」


 そういって立ち上がると、私に触れていた手を離して、すっときびすを返す。何か言うべき言葉があるはずなのに、わたしは其れを彼に伝えることができない。
 リビングの奥に消えたかとおもうと、カラカラと扉が閉まる音がした。そしてとてもいいタイミングで、気の抜けたようなベルの音が鳴る。だけど私はリビングの方を向いたまま、身動き一つできなかった。


『ナマエちゃんに似た人に会ったよ。真っ暗でよく見えなかったけど、今のナマエちゃんよりも、ずっと大人っぽくて、綺麗だった』

『生きているのに、死んでるみたいだった。繋がれていて、ただ首の傷に触れたときに……今みたいに、震えただけ』


 白蘭の言葉が、脳裏によぎる。
 大人っぽかったって言うのはつまり…10年後の世界の、10年後の私ということだ。つまり、10年たっても、私はこの世界にいることになる。しかも暗闇に繋がれているという、最悪の状態で。
 ということは……10年後は、私は雲雀恭弥ではなく、白蘭と共にいることになる。10年前の白蘭がいた場所に私がいたというのなら、つまりそういうことだ。…でも其れは、私にとっては余りにも――絶望的な、未来だった。


「…きゃ」


 繋がれて、自由を奪われて、生気まで失って。死ぬことすら許されず、そんな状態で生かされるというのなら、いっそ、私は。


「…死な、なきゃ」


 物語のためなんて、今更偽善を言うつもりはない。私は只、そんな状態で生きたくないだけ。怖いだけ。生気を失うまでの絶望が、一体どれほどのものかを知るのが怖い。暗闇の中で、自由を奪われるのが怖い。何もかもが、怖かった。
 ふらつく足で立ち上がって、台所へ向かう。そして私は、思いつく限り私にでもできる死――包丁に触れる、その一瞬前。

 玄関から何かが壊れるような激しい音がして、慌しい靴音が響く。ダイニングになだれ込んできた複数の足音は、私と目が合うことでとまった。


「…ロマーリオさ…ん」

 私は彼の名をぼんやりと呟くと、彼は「迎えに来たぜ」と、柔らかい笑みを浮かべた。
(09/11/16)


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