旧式Mono | ナノ

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 寝ても覚めても、やはり現実は一ミリも変わってくれはしない。
 気だるげに体を動かすと、いついなくなったのか雲雀恭弥の姿はもう私の上には無かった。
 あれは夢だったんじゃないかとさえ思いながら部屋にある鏡を覗き込むけど、残念ながら夢ではないことは私の頬のあざが証明していた。青いあざ。殴られるたびに増えていく其れは、体の至る場所に点在する。冷たい人差し指で軽く押すと、鈍い痛みが頬に広がった。我慢できない範囲じゃない。私はそう判断して、部屋を出る。
 和室を出ても未だにしんとした室内は、人の気配を微塵も感じさせない。時刻は7時半なのに、洗い棚には水滴のついた雲雀恭弥専用の茶碗が置いてあった。……どうやら、もう既に家を出た後らしい。何時もは叩き起こされても可笑しくないはずなのに、珍しい。


 顔を洗って、パジャマの上に大き目のカーディガンを羽織って、ソファーの上に横になる。何となく体が重いのは、昨日チェルベッロと会い殺される宣言をされたからだろうか。机の上に残された一人分のおかずに目を向けながらも、私は其れに手を伸ばすことができない。何かを考えようとしても頭が重く、寝起きのせいかうまく頭が回転しなかった。ぼんやりと電気に向けて手をかざす。思い出した夕べの雲雀恭弥の重みに、表情がゆがむ。



「…なんだったんだろ…昨日の…」


 雲雀恭弥の、不可解な行動は。そうポツリと呟くと不明瞭だった意識が覚醒し、頭の回転が少しだけよくなる。部屋の寒さを今更のように感じて、思わず身を縮めた。
 少なくとも私の記憶の中になる、初めて会った頃の雲雀恭弥はあんな行動はしなかったはずだ。触れることさえ疎ましいみたいに、嫌そうに表情をゆがめていたのを覚えている。

 ――だけど、今は。
 私から寄っていったわけでもないのに、知らないうちに私の上に乗っていたり。全力で殴らなくなったり。この世界に来た頃には考えられないほど、彼は力を『加減』してくれるようになった。…だからこそ、私は殺されることになったんだと思う。チェルベッロに、物語に、雲雀恭弥に何らかの変化をもたらす存在として。



 こうしている間にも命を狙われているかと思うと、正直ぞっとしないわけではない。今日はリングを渡されて3日目。正確な日付は覚えていないけど、もうそろそろヴァリアーの人がこっちに来ても可笑しくない。ということは本格的に雲雀恭弥の修行も始まっているはずで…ということは、家に帰ってこない可能性も大いにある。雲雀恭弥が傍にいない私なんて、動けなくなった芋虫を踏みつけるよりも容易い。だから私は今、とても殺されやすいはずだ。



「……死ぬ、か」


 この世界に来て、私は何度も苦しい思いをしてきた。でも、当たり前だけど死んだことは無い。
 死にたいと思う痛みはあっても、殺してと懇願するほどの痛みを味わったことは無い。…ということは、私が感じてきたどんな痛みより、恐怖より、もっと大きいものを与えられることになる。一瞬で終わるのか、じわじわ死ぬのか分からない。でも確かなことは、私に痛みを感じないように殺すメリットも、それだけの優しさを与える理由も、彼女たちには無いと言うことだ。


 数ヶ月前までは、私は普通に受験生だったはずなのに。白蘭がなぜか私の元に来て、それから私の全てが崩壊した。生きている心地なんてしない。楽しいと感じたことも無い。あるのは只、恐怖と苦しみと、絶望。そして時折感じるほんの少しの暖かさへの期待。そして何より大きいのは…普段は意識したことも無かった、自分自身の生への執着。



「……痛みなく死ねたとしても、きっと…怖いんだろうな」

 安らぎなんて生きているからこそ感じることであり、死んだもの自身はきっとそんな感情ありはしない。死への恐怖。心臓が止まった次の瞬間、どんな風景が待ち受けているのか分からない不安。只其れだけを抱えて死んでいく。きっと、そういう感じなんだろう。怖い。


 


 その時、不意に窓からドン、という音がして、私は反射的に身をすくませる。「ひぃっ」と出た情けない悲鳴に自分自身嫌悪しつつ、それでも迫り来るかもしれない危機に身を縮め、私はソファーの上のクッションにしがみついた。怖い、怖い、怖い。言葉にするとやはり体が震え、歯がガチガチと音を立てる。


 カチャカチャと音が響いた後、ガチャリ、と。かかっていた筈のベランダに通じる窓の鍵が開いて、コツ、という靴の音が室内に響く。何か入ってきた。そう思ったけれど、私は動くことも悲鳴を上げることも出来なかった。
 チェルベッロなのか、はたまたボンゴレなのか。後者なら殺されることは無いけれど、そうであったら其れはそれでやっかいだった。なぜなら、ボンゴレは今、修行の真っ最中のはず。なのにもし、こんな場所にいたとしたら。それこそ私がこの世界を変えてしまった何よりの証拠になってしまう。其れは嫌だった。でも、前者はもっと嫌だった。怖い。恐い。


 生理的な恐怖に体が震えて、私の目からは涙が零れ落ちる。
 大きな存在感が私の真横に立ったのを感じる。何かが動く気配がして、私は全身に力をこめた。死に対し何の足しにもならない、体の自己防衛反応。「いや、」と小さく声が出て、吐く息すら震えだした。はあ、と小さなため息が聞こえたと同時に、何かが肩に触れる。瞬間的に私の意識は白くなり、気がつけばその手を押しのけ、震えた悲鳴を上げながらソファーから転がり落ちた。

 脳が理解するより先に、体が動く。
 力の入らないひざを引きずって、私は床にはいつくばりながらほふく前進で玄関まで向かう。「ナマエちゃん」という声が聞こえても、私は誰の声なのか理解することが出来なかった。

 ようやくたどり着いた玄関のノブを回そうとするけれど、上手く開かない。鍵に手を伸ばすけれど、力の抜けたひざじゃあ到底届きそうになった。


「ナマエちゃ」
「ヒっ」

 うずくまる私に、その声は控えめにかけられた。だけど死を感じきった体は、無様に逃げることしか出来ない。整頓された靴をぐちゃぐちゃに押し潰しながら、私はその場にうずくまる。声が聞こえたような気がしたけれど、自分の悲鳴で上手く聴くことができなかった。恐い恐い。殺されるかもしれない。死ぬかもしれない。怖い、コワイ。


「…ナマエちゃん」

 肩に人の手のようなものが当たり、私の体は意思とは関係なく恐怖に跳ねる。どうしよう、どうしよう。僧考えていると、体を起こされた。不意に体を包む、温度。人の体の、感触。



「――ひ、」
「聞こえる?ナマエちゃん」

 とっさに振り払おうとした瞬間、至近距離からどこか温かみのある声が響く。涙でぐちゃぐちゃになった視界の端は、気がつけば白で覆われていた。
 私の身動きを拘束するかのように両腕ごと一束にまとめられたせいで、涙をぬぐうことが出来ない。だけどどこかで感じたことのある匂いに、私は緊張させていた全身の力が抜ける。「おっと」と“彼”によって受け止められた体は、ゆっくりと拘束を解かれていく。ようやくはっきりとしたその表情に、私は情けなくもまた泣いてしまう。恐怖の対象でしかなかった白は、今はなぜか安堵に変わっていた。


 「…びゃく、ら」と、思わず彼の名前が口から零れ落ちる。気づけば、私は縋る様に彼の服のすそをつかんでした。怖いくせに、怖かったくせに、関わりを持たないと決めたくせに。私は自分自身をそう罵倒しながら、それでも彼のすそを話すことが出来なかった。
 彼は私のそんな行動に少しだけ驚いたような表情をすると、少しだけ笑って、私の其れに手を重ねた。
(09/10/29)


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