旧式Mono | ナノ

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白、真っ白、白。

きっと夢だったんだ。きっとアレはひと時の狂いに過ぎなかったんだ。
そう思い込んで、胸の奥にしまっていた最大の物語の歪(ひずみ)。それを前に、私はかけるべき言葉を完全に見失っていた。
もし仮に彼がこの時代に居ることが『原作通り』であったとしても、私は彼のあるべきポジションが分からない。歪なのか居てもいいのかわからないその存在に、私はどのように対応すべきなのだろう。
邪気のない笑みを浮かべるこの時代の彼を、「よくも私をこんな目に」と責める気にはなれないけれど…でも。…この人は今の私には危険な存在。それだけは、何となく分かる。


狭い路地の端っこで、しかも彼と壁に挟まれているこの状態で暴れても、逃げ切れるとは思えない。
彼がどういう意味で私にこうやって接しているのかも、全く分からない。混乱、混乱、動揺。必死に口を開こうとしても、上手く言葉に出来ない。彼は、そんな私をただ、笑顔で見つめていた。


『畜生、何処行きやがった…!』

と、悪態をつく声が、比較的近くから聞こえる。…恐らく、さっきまで私と一緒にいた風紀委員なのだろう。
それは、どうやら彼…白蘭にもわかっているらしかった。私の口に細い人差し指を乗せ、悪戯に笑う。



「声出しちゃ駄目だよ、ナマエちゃん」

私の耳に唇を寄せ、私だけに聞こえるように小さい声でささやく。
彼の息が私の耳にかかり、私の背筋に言いようの無い悪寒が背筋を這い上がり、私は悲鳴を堪えるのが必死だった。今の彼が、初めて会ったときの彼のように銃を持っていないとも限らないのだ。
もう傷みの無いはずの首筋に、ムズムズするような違和感を感じる。銃弾が掠めた傷は恐怖と共に、未だそこに刻まれていた。


彼は背後を確認するように振り向き、もう風紀委員の気配がなくなったと感じたのか、ゆっくりと私との距離を離す。
しかし、それは私に逃げ道を与えず、尚且つ直ぐに取り押さえれるような間隔を維持したままの距離でしかなく。逃げられないと、そう思った。彼は、今の私を逃がす気なんてないのだから。


「さてと、もういいよナマエちゃん。ごめんね、こんな乱暴にして」


彼はそういいながら私をなだめるように頭を撫でる。どうやら、逃がさないだけで危害を加えるつもりは無いらしかった。
確信はなかったけれど、それでもこの世界に来る前に感じた白蘭が出していた背筋が冷たくなる感覚は、彼からは感じない。私は、ゆっくりと深呼吸して、声が震えないように呼吸を整える。怖くない。大丈夫だ。



「何か、用……ですか、白蘭さん」
「敬語になってるね。まあ、ちょっと吃驚させちゃったけど。でも僕は君に乱暴したりしないよ?あの人たちみたいにはね」

「あの人…たち?」
「うん。フーキイーン…だっけ?ナマエちゃん目立つから、直ぐに分かるよ」


彼はそう言うと、何かを思い出したように疎ましげな表情を浮かべる。だけど私は、その表情に好いて深く追求する余裕は無かった。
見られていた。監視されていた?…いやでも、この白蘭は私をこの世界にトリップさせた張本人であることを、知らないはずなのに。
一体、何がどうなっているのだろう。今の彼が、いくら目立つとは言え、私に目をかける理由なんて無いのに。

どうかしたの?と問う彼に、私は慎重に首を横に振る。分からない。でも、聞くのが、少しだけ怖かった。
以前助けてもらったのになんだけど、彼は信用できないのだ。…いや、頼ると言う意味では、この世界の誰にも信用できないのだけど。
誰かを頼るというのは、その人と深く関わるということで。所詮、私はこの世界にとって消えなくてはならない汚れに過ぎないから、すべきじゃないというほうが正しいかもしれない。でもその中でも、彼は特に関わってはいけない気がした。


…ああそうだ。
関わっちゃ、いけない。


「まあ、そんなことは良いや。それよりナマエ、ちゃんと聞いて欲しいんだけど」

「あの、私」

「…ナマエちゃん?」

「わた、私…帰、」


でも、なんと言ったらいいのだろう。
貴方と関わりたくないだなんてそんなはっきりと、私には言えない。生来からの気の小ささもあるけれど、何より人として良心の呵責に押しつぶされる。
私は…いや、私の世界における大体の人間は、漫画の世界の人とは違い基本的に良心の呵責を感じやすいのだと思う。気に入らないから殺したり半殺しにするなんて、漫画の世界じゃよくある話だけれど。実際に、そんなことは無い。行為に伴う自己への精神的苦痛。私は、雲雀恭弥のように自由奔放には生きられない。


帰りたい。そうはっきり言う前に、彼は一歩踏み出して私の体を引き寄せる。
私よりはるかに高い身長のせいか、私は彼の着ている簡素なトレーナーの胸辺りに、少しだけ額をぶつけた。
彼は私の背中に手を回し、なだめるようにポンポン、と背中をたたく。まるで私がそれ以上距離を縮められると恐怖を感じるのを分かっているように、完全には密着しないまま。
彼は「落ち着いて聞いてね」と彼は小さく前置きすると、まるで子どもに言い聞かせるように、優しい口調に切り替えた。



「ナマエちゃんが何をしたか、僕は知らないけど。君はずっと、監視されてるよ」


一語一句ゆっくりと、しかしはっきりと吐き出された言葉が私のなかに、ゆっくりと染み渡っていく。理解したとたん思わず「え」と声を零した私に、彼はゆっくりと体を離した。
呆然と見上げた彼の表情は、今までの飄々とした笑みを浮かべておらず。今までに見たことが無いほど、真剣な表情をしていた。


「黒いスーツの銃を持った人たち。あと、別で黒い女の人も居た。……それから、」


彼はそこまで言うと、不意に声のトーンを落として言葉を切って、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて顔をそらす。
彼がこんな苦悶の表情を浮かべたのも、そして、私から顔をそらしたのも、初めてのこと。「それから…?」と私が先を促すと、彼は無言でした唇を噛み締めた。
その姿は最早私の知っている『白蘭』ではなく、一瞬だけこの人は10年後の私の知る『白蘭』ではないのかと、そんなことを思う。だけど、そう片付けるには余りにも彼は『彼』に似すぎていて、私はいまいち目の前の彼という存在を受け入れられずに居た。
ミステリーでは使うのも恥ずかしいとされる双子っていう可能性は?…まさかね。そんなの、ちっとも笑えない。


彼はしばらく黙っていたけれど、ふと何かの気配を感じたように顔を上げて、その表情を空に向ける。その行動に私は、見覚えがあった。
それは…そう。彼とはじめてあった時に、雲雀さんが病室に入ってくる直前。まるで来るのが分かった様に、彼が逃げた、その時だ。


「…僕なんだ」


ポツリと彼が零した言葉に、私はどんな表情が出来ただろうか。
一体何の会話をしていたか忘れるほどの沈黙と、彼の反応。その二つに気を取られていた私は、彼の言葉が何を指すのか完璧に見失っていた。彼は表情をゆがめて、私を拒絶するように一歩後退する。彼の表情を見ようと思ったけど、白く長い前髪に、その表情は隠されていた。



「君は僕に…監視されてる」


搾り出すように、彼はそう、言葉を繰り返した。
(08/12/30)


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