旧式Mono | ナノ

(37/63)

「クフフ…放心状態、ですかね?」


涙を流し続ける私を解放した雲雀恭弥…の体をした、六道骸はそう言って、さも愉快そうに笑う。
私は触れた唇を必死に袖でふき取りながら、彼を睨む。雲雀恭弥と六道骸。この場合どちらに口付けられたことになるのだろうか、私は。――なんて、どっちでもいい。どっちにしたって、嫌なことには相違ないのだ。
ベットから降りた彼は、パチンと消してあった部屋の明かりをつける。薄暗い明度になれていた私にはあまりにもまぶしく。思わず両目をぎゅっと瞑る。カタカタと動く体の震えを必死に押さえながら、ベットの隅に縮こまるように足を三角に折って座る。彼は、やはり笑っていた。


「貴女を驚かせるつもりが……全く、驚きました。まあ主にあんなことを言っておきながら、抱きしめながら寝ている…雲雀恭弥に、ですが」


笑っているのにどこか軽蔑するような声音で、骸は呟くように言葉を紡いでいく。
なんていうか、雲雀恭弥の顔で微笑まれると、いつもの彼との落差に別人なのではないかと錯覚してしまう。いや、中身は別人なのだけど。にっこりと微笑まれたそれに威厳なんてものは無く。寧ろ寝ている彼の無邪気そうなあの寝顔の部類に入りそうな位だ。
はじめてみた雲雀恭弥の表情に目を見開くと、六道骸は笑う。そしてベットを軋ませながら再び私に詰め寄ると…両手を、片手一本で拘束される。


「…抵抗、しないんですね?あの時のように」

まるであざ笑うように、彼は言う。
黙りきった私に彼はふっと頬を緩めると、ギリッと手首を握る力を強くする。熱にも似た痛みが、じわりと広がった。何も言わない私に、彼はイラついたように微笑んだ瞳の色を変えていく。もどかしげに浮かべられた怒りの灯火が、赤い彼の右目に映った。


「僕はあの時のように貴女を攫うことだって出来るのに。何故抵抗しないんです?」
いらだったように、骸は言う。

「…無理だ、よ」


今が脱走後のあの酷い牢屋に閉じ込められているのか。はたまた脱走前の少しは軽い牢屋に居るのか。そんなこと、分からないけど。あの黒曜編の後からリング編終盤まではずっと、彼は幽閉されているはずなのだ。暗く冷たい、牢屋の中に。
ぎゅうと胸の奥が痛くなって、私は表情をゆがめる。六道骸は驚いたように目を見開き、ゆっくりと私の手首を開放する。
彼ではなく、雲雀恭弥の手の形に添って赤く腫れる手首。鈍い痛みは直ぐに消えるのに、その腫れは一向に消える気配を見せなかった。


「…貴方の知る予定通り、というわけですか。ロータスイーター?」
「……」

「確かに、無理でしょうねえ。僕は今、貴女から遠い場所に…捕えられているのだから」


彼はそういうと、自嘲げに笑う。私は彼の眼をしっかりと見ることができずに、目をそらした。
その瞬間、顎に強い力を感じたかと思えば、私は強制的に上を向かされていた。骸の顔が、一杯に広がる。


「さぞ、愉快でしょうねえロータスイーター?貴女の知り得る未来になって」
「…そんなこと、ない」

「詭弁はいりませんよ。そんなの、何の役にも立ちはしない」


ぴしゃりと投げつけられた言葉に、私はうつむく。
当たり前、だ。私が彼の手を逃れることで『復讐者に捕まる』という未来を描いてしまったのなら、其れは私のせい。例え元々、決められていることだったとしても。救えたのにあえてそうしなかった私が、完全な無罪な訳が無い。

寂しげな、其れで居て疲労を滲ませた表情を浮かべている彼を見ていると、胸の奥が僅かに痛む。
罪悪感。……私はこのまま、私の知る世界を描いていくとして。その度に傷ついている人たちを見ることに、耐えていけるのだろうか?
その重圧に、耐えていけるのだろうか。そんなことを考えていたら、いつの間にか視界が歪んだ。

六道骸は驚いたように目を見開いて、言葉を出しかねるように音にならない空っぽの言葉を、息と一緒に吐き出す。
知らず知らずのうちに、また泣いていたらしい。……ああ、何で私はこんなに涙もろくなっちゃったのだろう。私は、こんなに泣く子じゃなかったのに。
ごしごしとこすると、その腕を六道骸に掴まれた。その視線は僅かに戸惑っているように揺れていて、様子を伺うように私に注がれている。「何故、貴女がなくのです?」と聞かれてしまい、私は言葉を詰まらせた。だって、私の理由はあまりにも陳腐で、あまりにも幼稚で。そして偽善染みた、詭弁でしかないのだから。


だけど、守りたい。と思う私もいる。
偽善だといわれても、何を言われても、それでも。この人の悲しい顔は、紙面でもう見飽きてしまったんだ。そう思う、私もいて。


「……脱走、しないで」

ふいについて出た言葉に、彼はゆっくりと、目を細めた。その瞬間、私は自分が何を言ってしまったかを理解し、驚きに目を見開いた。いうつもりなんてなかったのに。私は今何故この言葉を吐き出してしまったんだろう。痛い思いをして、気持ち悪い思いをさせられたのに。
彼は目を細めたまま、「何故それを…」と低い声で呟きながら、ゆっくりと私の肩から手を離す。私は縮こまるようにして身を寄せると、三角に折ったひざに顔を押し付けた。生暖かい水滴がはたはたと流れ落ちる。否定をすればいいのに、冗談だといえばいいのに。私の口はそんな言葉を紡がない。


「……脱走、しないで」
「まるで失敗するとでもいいたげな口調ですね。…ああ、でも君は見えているのですから、その結末のほうが確かですか、ね」

「……お願い、六道骸」
「…解せないですね。貴女は一度、僕たちの手を拒んでいる。なのに何故今更」


やっぱり、手放しでは信じてくれないらしい。当たり前だ。私は彼が言うように、彼と一緒にいることを拒んでいるんだ。彼に利用されることを嫌がりながら、今はわざと利用されるように言葉を紡いでいる。すごい矛盾だな、と私は心の中で嘲笑う。都合のいいときだけいい人ぶって、本当に偽善者だ。自分のせいで傷ついた人への僅かな救済。完全な助けにはならないくせに。うわべだけの救済。そんなことしても、誰も救われないのに。自己満足のために、悪者にならないように、私は彼を助けようとしている。


「…失敗、するよ。それで骸さんは、もっと酷い場所に閉じ込められる。視界さえ奪われ、呼吸さえ自由に出来ない…光も音も届かない場所。……だから、やめて」
「クフフ…では、犬と千種はどうなるのです?貴女の妄想話の、中では」

「……逃げれるよ。あなたが、囮となって。……だから、あなただけ一人で閉じ込められる。ずっと、ずっと。…だから、」


私は膝に顔をうずめながら、震えそうになる言葉を必死に紡ぐ。
長い長い沈黙が雲雀恭弥の寝室に充満し、私の嗚咽の音、時計の音、空を飛び交う飛行機のエンジン音がやたら大きく響く。口を開いたのは、彼だった。


「……馬鹿なことを。何故今更、そんな事をいうのですか」

その声にもう穏やかな雰囲気は含まれては居ない。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げれば、真剣な彼の表情があった。言葉が無くても、分かる。逃げたのに、何故今更と、詰る視線。
私は涙をぬぐって、彼を見上げる。俄仕込みの真剣な表情も、直ぐに押し寄せる罪悪感に歪んでしまう。ああ、どうしたらいいというの。



「…守りたい、の」

ぽつり。と、零した言葉に、彼の予想とは違うようだった。
「あなたが守りたいものは雲雀恭弥では?」という冷静な彼の言葉に、私は頭を横に振る。別に私は、雲雀恭弥だけが好きなわけじゃない。…いや、そもそも雲雀恭弥自体、好きという言葉を言うほどの愛情も好意も感じていない。
只私は、決められたストーリーに沿って、私が来る前と同じであって欲しいだけ。原作者が描くボンゴレが勝つストーリーを描きたいだけ。そして、全てを戻して帰りたい。私の好きな漫画を、キャラを、そして誰よりも“私”を…守りたい、それだけ。

嗤われると思っていた私の願いを、彼は吟味するように瞼を伏せた。
瞼の奥の赤い瞳に描かれた数字は、今は何であるのかは分からない。だけど、私の内心を知られたって、今の私の言葉しかない。
長い沈黙の後、彼は雲雀恭弥の表情でふと微笑むと、私の正面に片膝をついた格好で座った。まるで英国の紳士のようにゆっくりとした動作で私の包帯を巻いた左手のひらをとると、掌に軽く唇をつける。そして、長いまつげを上に押し上げ、私を見上げた。


「…貴女は、何処までも愚かな人だ。傷つけた人間を手放しで守りたいなど、馬鹿げてます。いや、甘いというべきか」
「……それ、は」

言いよどむ私を制して、彼はふと私の手を持ち上げる。包帯にぐるぐるに巻かれたそれはすえたような臭いがするのに、彼は構うことなく自信の顔の前に引き寄せた。


「痛みますか?…まあ、ほとんどは雲雀恭弥のつけた痛みでしょうけど」
「もう、大丈夫です…」

「そう…です、か」


よかったです。と、そう言って微笑む彼に、私は胸の奥が痛くなる。例えこの人が利用したくて私にこんな風に優しくしているのだとしても。
でも、雲雀恭弥が私にこの傷をつけたときに、彼は何だか怒ってくれている様に見えた。殺したくないからだとしても、それは私にとっては、暖かすぎたからよく覚えてる。
未来編ではボンゴレに加担しているし、確かリング編ではあえて憎まれるような口をたたいていたのに。綱に有難うって言われたら嬉しそうにしていたし。……悪い人では、無いんだ。この人も。ただ、彼が今まで見てきたものが、彼をそうさせているだけで。

彼に倣って少しだけ微笑んでみせると、彼はクシャリと私の頭を撫でた。
その言動がまるで雲雀恭弥にそっくりで、正気に戻ったのかと思ったけど。相変わらず右目の色は赤色に染まっていて、私は僅かに安堵する。



え……安、堵?


「…先ほどは、乱暴をして恐がらせてすみませんでした。あなたの気持ちも知らず」
「……え?あ、いいですよ、ぜんぜん!気にしてませんし…その、少し怖かっただけですから」


何故自分が雲雀恭弥ではなく、骸が中身のほうがホッとするのか。その理由が、分からなくて。
ちゃんと聞いていたと誤魔化すように声を荒げると、彼はふっと表情を緩ませる。不敵な笑みなどではなく、優しい笑みだ。…雲雀恭弥の。


「おっと、もう時間が来たようですね。彼が起きてしまう」
「……六道、骸さん」


「骸と呼んでください。…もうすぐ、僕たちは脱獄の計画を実行に移すので、しばらくは来れないでしょうね」
「…え?や、あの…そ、それはさっき…!」


「寧ろ、先ほどのあなたの言葉で決心がつきました。犬と千種は、僕のように出て来れません。だからあの二人だけは、逃がしてやりたい」


「……ろく…骸、さん、もしかして」
この脱獄計画、最初から自分は逃げるつもりなんて、無いんじゃ…。そういいかけた私の口を彼は雲雀恭弥の手のひらを使って抑える。そしていたずらっ子のような笑みを浮かべて、少しだけ眉尻を下げた。

「貴方の名前、教えていただけますか?ロータスイーター」


優しげな表情に、私はすこしだけ口ごもる。重たげな瞳を必死に押し上げている彼は、もう既に限界なのだろう。そこまでして名前を聞くなんて、馬鹿げてる。


「苗字……苗字、ナマエ、です」

「…また、会える日を楽しみにしていますよ、ナマエ」


彼はそういうと、ゆっくりと瞼を閉じる。
横倒れになった雲雀恭弥の体を支え損ねて、小さくバウンドする。長いまつげが少し揺らいで見えたのは、茶色の瞳。

「……何…?」

鬱陶しげにひそめられた眉に、私は思わず後退して、彼との距離をとる。
彼は大きなあくびを一つすると眠たげな目をこすり……そして、化け物でも見るかのような眼で、私を見た。


「…如何して、泣いてるの」

彼の言葉と同時に、私の頬に、真新しい涙が伝った。
何でか分からない。でも、なんだかすごく、痛かった。
(08/11/30)


戻る?進む
目次



--------
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -