旧式Mono | ナノ

(32/63)

訳が、分からない。


私は目の前でニッコリと微笑む少年にかけるべき言葉を、完全に見失っていた。

白いニット帽の下の、白く細い髪。整った、狐のような顔立ち。飄々とした笑み。そして、言葉遣い。
どれをとっても其れは、『白蘭』と同一のものなのに、私はその事実をうまく受け入れることが出来なかった。


だって、そうでしょう?


確かに10年前の白蘭なんて漫画でも知られてないし、『謎に包まれている人物』として、その全貌は明かされていない。
だけどまさか、10年前の世界に……いや、10年前の並盛に、白蘭が居るはずがない。
あからさまな私の態度の変化に、彼は僅かに戸惑ったような表情を浮かべる。「ナマエちゃん…?」と、捨てられた子犬のような目をされてしまえば、私は拒否することも出来ず、なんでもないよと取り繕ってしまう。


――これも、私がこの世界に来た影響なんだろうか。それとも、原作どおり?

『家庭教師ヒットマンREBORN』の結末なんて、私は知らない。
いや、結末は“綱、若しくはボンゴレが勝つ”ということは、本誌の『友情・努力・勝利』から察することは出来る。というか、最後に勝たないのは少年誌にはあまり無い。だけど、だけど。私はその、いわゆる『過程』を全て知っているわけじゃない。
私がこの世界に来たのは丁度21巻が出た時だから、未来編のガンマと獄寺の戦いの最終的行方すら、私は分かっていないのだ。白蘭の能力も、入江正一の力も、私は知らない。だから、分からない。

これが、『原作に組み込まれた話』なのか、『変化した結果』なのか、が。



「ナマエちゃん?どうかしたの?」
「……なんでも、ない…」

「顔色、凄く悪そうだよ?横になったほうがいいんじゃない?」
「いい……大丈夫。ちょっと、考え事してただけだから…」


私は彼に笑ってみせると、彼は心配そうに表情をゆがめた。
口調からじゃ全く判断はつかないけど、彼は私より年上なのだ。私より、嘘を見抜く術には、長けているようだった。
彼は「無理しちゃ駄目だよ、ナマエちゃん」と言って笑うと、すっかり冷めてしまったココアが乗った机を下げ、私を寝かせてくれた。未来の彼の様子からは全く想像がつかなくて、私はうまくお礼が言えない。ようやく言えたありがとうも、蚊の鳴くような、小さな絞り出すような声。それでも白蘭は、笑って返してくれた。


「ナマエちゃんさ、俺に昔あったことある?」

いすに戻った白蘭は、唐突に、そんな言葉を切り出した。
だけど、私は『未来の白蘭』には会っているけど、この本物かどうかすら分からない、10年前の白蘭には会っていない筈だ。
それに私がここに来のは1ヶ月くらい前で、ずっと前、というには少し御幣がある。「ないと思うよ」と曖昧に返すと、彼は「そっか。そうだよね」とニッコリと笑っていい、おもむろに立ち上がった。

まるで、草食動物が危険を察知したように、ピクンと顔を上げた彼の目は、もう笑っていない。どうかしたの?という前に、彼は私に背を向けると、カラカラと病室の窓を開けた。そして振り返って、笑う。



「じゃあ、またね」


彼はその言葉を残して、ひらりとその体を、宙に投げる。…とめる間も、なかった。
私は痛む体も忘れて窓に駆け寄ると、窓の下で、白蘭はひらひらと手を振り、一目散に病院を出て行ってしまう。……さようならを、言い損ねちゃったな。私はそんなことを思いながら、温かい日差しに目を閉じる。
カツンカツン。廊下で足音がするのが聞こえ、病室の前で止まったような、そんな気がした。ゆっくりと目を開くと同時に、ドアが開く音が、重々しく病室内に響いた。

振り返らなくても、空気が重くなるのが分かる。
そうか、もう『黒曜編』は、無事に終わったんだ。……よかった。足取りからは、元気そう。
ドアが閉まる音がして、足音は更に私のそばへとよる。風紀委員の人の、重量感のある足音じゃない。優雅、という言葉がぴったりな、綺麗な足音。私が目を閉じると、甲高い声が、私の耳に届いた。


「ナマエ、カエル!ナマエ、カエル!」

……そっか。あの黄色い鳥も、ヒバードも、一緒だったっけ。私はそんなことを考えながら、暖かい空気を運ぶ風を遮断するように、窓を閉めた。
暖かいのも、程々がいい。期待をしないように。希望を持たないように。いつ暗闇の中に行っても、寂しくないように。


「帰るよ、苗字 ナマエ」


拘束するように、私の手首に、暖かい手が絡みつく。
強引に振り向かされたその先には、さっきの白蘭とは対照的な色をした、綺麗な黒髪。


「……はい」


私の返事に、雲雀恭弥は歪ませるように、笑う。
この人は、この時代の白蘭みたいに普通に笑うことは出来ないんだろうか。彼の睨んでいない顔なんて寝顔しか思いつかなくて、私はその表情からそっと、目をそらす。
私のその様子に彼は私の手を掴む力を、僅かに強めた。包帯の巻かれている程の傷だけに、痛みが回るのが早い。


「突き飛ばしたこと、根に持ってるの?」

疑問形にしては、やけに怒気を含んでいる。まるで、独り言みたいだ。

「そんなこと、ないですけど……あのっ、痛…」
「…こんなのも痛いなんて。君って本当に弱いね」


パッと手を離され、私は掴まれた手首を守るように、胸へと持っていく。
彼は私の手の甲に巻かれた包帯に目をとめて、「ああ…それもあったね」と、悪びれもなく呟く。彼が手を伸ばすから、私は条件反射で後退する。背にしたガラス窓に背中を強く打ちつけて、私は全身に走る痛みに息をつめた。
痛みに顔を歪ませる私に、彼は淡々と「何もしないよ」と吐き捨てると、私の手を先ほどとは打って変わって優しくとると、包帯を解いていく。


包帯がパサリと床に落ちた時、その端には押し当てられたガーゼを通り越して、黄色い膿が固まったようなものが付着していた。
彼はくっついたガーゼを、丁寧にはがしていく。私が顔をゆがめると、彼は更に、捲くる速度を落とす。


黄色く染まったガーゼが落ちると、そこには痛々しい程の傷が残っていた。だけど、其れは彼の満足するところだったらしく、ふっと、安堵したように笑う。
僅かに優しさを帯びていたような錯覚に陥ったけど、状況が状況だけに、違うと心の中で否定した。私を傷つけることに快感でも覚えているんだろうか。と、そんな気さえ起こさせる程の、綺麗な笑みだった。



「楽しい…ですか?」

気が付けば、私は震えるような声で、私は彼に聞いていた。


「何のこと?」

彼は私の問いに、眉をひそめながら顔を上げた。


「……どうして、貴方が笑ったのか。分からなかったので」

反抗するような態度を取ってはいけないことは分かっていたのに、私の言葉は止まらなかった。どうしてだろう。何だか、もう私が私でないような、そんな錯覚さえする。

――優しくされたからかもしれない。
あの婦長さんのような看護婦に。そして、ここまで運んでくれた…飲まなかったけど、ココアを持ってきてくれた白蘭に。


私の言い方に、彼は不機嫌そうに顔を歪ませる。その顔は、もう笑ってなど居なかった。



「笑った…?僕がいつ、笑ったの」

不機嫌そうな声音に、私は少しだけ目を見開く。見上げたその顔は、本当に分からないというように、怪訝そうに眉をひそめている。
笑ったことに、気づいていなかった?…だとしたら、素で傷ついていているという状態を楽しんでいる、ということなんだろうか。傷を見て笑うなんて、この人は何処まで……雲雀恭弥、らしいのだろう。人を傷つくことをなんとも思わない。まるで黒い悪魔のような、絶対的な冷酷さ。

何も答えなくなった私に、彼は自嘲げに鼻で嗤った。


「……ふうん。じゃあ君は、あの男の名前が入っていたほうがよかったんだ」


私を窓に押し付けるように詰め寄ると、雲雀恭弥は皮肉げにそう呟きながら、私の傷ついた左手を捻り上げるように、私の目前に晒す。
私が痛みを痛みと理解する前に、ふと彼の言葉の意味に疑問を感じる。

――いまこのひとは、なんていったんだろう。



「…なまえ…?」
「骸っていうんでしょ、あの男。咬み殺さなきゃいけない相手だから、嫌だけど、覚えた」

「……」
「何なの、君」


もしかして、今確認したのは、名前がきちんと消えてるかって言うことを確認するため、だったんだろうか?
もし、そうだとしたら。それは、なんて歪んでいるんだと、思う。歪んで歪んで、歪みきっている。……歪みきって原形をとどめていない―――けど。彼なりの…優、しさ。だったのだろう、か?ゆがみすぎて、分からない。分からないけ、どもし優しさなのだとしたら、あの時見せた綺麗な笑みは…。


「…ありがとう、ございます」

私は彼にそういうと、彼は驚いたように目を見開いた。私の声の調子から、この言葉は意外だったんだろう。
彼は私を押さえつけていた手を離すと、ふっと顔を背けた。そして後を追うように、踵を返す。


「つまらないこと言ってないで、帰るよ」
「カエル、カエル!ナマエ、ノロマ!」

「……え?」
「いいこというね、この鳥。気に入ったよ」



彼は、彼の肩を離れて宙を飛ぶ鳥に、不敵に笑いかける。
鳥……つまり、ヒバードは、彼の肩を離れると、私の頭に勢いよくダイブした。


「痛っ……!?」
「ノロマ、ノロマ!ハヤク、アルケ!」


私を急かすようにジャンプしながら爪を食い込ませるヒバードに、私は溜まらずに走り出す。
大きくよろけた私の襟首を、雲雀恭弥の腕がつかんでとめる。その腕には痛々しいほどの包帯が巻かれていて、私は少しだけ、罪悪感を感じた。
(08/10/26)


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