旧式Mono | ナノ

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かなり、驚いた。

何がって、僅かでも迷った自分に。



私の視界一杯に広がった骸は、唇が触れ合うか触れ合わないかというところまで迫っていて、その表情の全貌は分からない。
私の視界に写るのは、彼の一見真剣そうな瞳。……ああでも、口では私のことを嵌めようとする企みに歪んでいるに決まっているんだ。私は自分にそう、言い聞かせた。
揺らいだ自分に何度も『嘘だ』と言い聞かせるものの、彼の言葉が抜けることは無い。その言葉はまるで一縷の鎖のように、私から完全に彼を放してはくれない。
完全に彼の手中にはまったという自覚はあるのに。それなのに、如何してこんなにも思いどうりに思考を停止させられないのだろう。考えるのは、綱たちばかりのことではない。――現に、今居る骸だって、私の大好きな世界観にいる、大切な人間だ。

もし仮に。彼が私をこの世界から隠してくれるなら。
もし仮に。彼が私の望む世界を描いてくれるというのなら。最終的に綱が勝つ物語を描いてくれるなら。私は―――わたし、は。


「…っ、や…」

消える、死ぬ。そんな言葉ばかりが頭の中を駆け巡り、私は耐え切れずに顔をうつむける。ゴツッと鈍い音を立てて、私の額に彼の顎が当たる。
おやおや。と呆れるような骸の声なんか聞きたくないのに。手が縛られているせいで、耳すらもふさげない。
縛られている腕を上に上げて、二の腕で耳をふさごうと試みたけれど、きちんとふさげていないせいか、彼の声はすこしくぐもった程度にしかならなかった。


「何故僕を恐れるのですか?僕は真実しか言っていない。僕が言おうと言うまいと、所詮貴女に降りかかる事象(コト)だ」
「…やめ、」

「クフフ、逃げても同じですよ。貴女はこの世界から逃げられない。この世界から戻れたロータスイーターは、居ないのだから」
「…嫌」

「貴女たちが思う以上に、この世界は貴方達には不向きですよ。無理に戻ろうとした人間は、次元の狭間で半分になってしまったそうですし」
「もういい、やめて……っ!」


「なら、世界を壊してしまえばいい」


唐突に強みを増した六道骸の言葉に、はたりと落ちた涙が重なる。
ぽつりと、まるで頬に伝った涙が私の中に滲んで溶けるように、徐々にその言葉は私のなかに染み込み、魔法のように私のものになっていく。
顔を上げれば、骸の六の文字が私の瞳に焼きつく。先ほどより更に色身を増したソレは、瞬きすら忘れさせるほどの威圧感。ヤバイと思ったときには、すでに遅い。私は彼から目を離せなくなっていて、眉間一つ、動かすことは出来ない。


「な、何…言って……」

「貴女がそんな絶望の表情をするのは、このままではこの世界で過ごす未来に帰る術がないと知っているから、なのでしょう?――だから、壊してしまえばいいといったんですよ。今を壊せば、未来は変わります。貴女も――そして、僕も」


彼はそういうと、見開いていた瞳を閉じて、ゆっくりと目を見開く。
右目の赤色が先ほどのような爛々とした強い色はなく、比較的穏やかな色が、月の光を受けてきらめく。金縛りのような状態が解けた私を彼は自信の胸で受け止めて、私の背中に手を回す。力の入らない私の体は、抵抗する術さえなかった。


「――僕と一緒に、来ませんか?」


呪文のように繰り返す彼の言葉に、自分の中の意思が侵されていくのを、私は自分自身で気づいていた。
だけどそれは彼の能力ではなく、話術によるもので。そして、それに加え自分の意志の弱さが招いている…それも、分かっていた。
私にとっての最善の策は。彼にも、そして雲雀恭弥にも。――私の知るこの世界の人間に、関わらないことだ。
大衆に混じり、一般市民として暮らしていくことが、私に出来る唯一のこと。だから私は――この誘いに、乗るべきなのだ。どうせ数日後に、復讐者に連れて行かれる彼らを横目に、逃げてしまうのが一番。それも、分かっている。……分かっているつもりだったのに。



如何して、私は。


「行け、な…い」


否定の言葉を、口にした?



約束を、してしまった。逃げないと。供に居るのだと。――なんて、都合のいい言い訳で。
私はただ、怖かった。一人で生きる難しさは、あの数日間で身をもって知っている。この世界の厳しさは、体に染み付いている。
一人立ちするという計画を立てていたのに、いざこうやって目の前に差し出されると、如何してこうも揺らいでしまうのだろう。
まるでバンジージャンプの飛び台にでも立っているような気分だった。自分でやると決めたのに、いざ高さを目の当たりにすれば、怖くて足がすくんでしまう。怯えるように震える体に、六道骸はそっと抱きしめるように包み込む。そして、ゆっくりとした動作で私の手のひらを掴むと――鋭い、痛みが走った。


「、なっ…?!」

顔を上げようとしたが、すぐに頭を押さえつけられる。ギギギギギ、と皮が引っ張られながら切れていく、引きつるような痛みが、手の甲を蝕む。
悲鳴を漏らさないように唇を噛み締めるけど、あまりにも唐突な痛覚に、思わず涙腺が揺るんだ。


「こうするつもりはありませんでした。貴方たちの運命は、僕らですら同情します。だからせめて―――貴女の意思で着いて来て欲しかった。少しでも、救われるように」


悲しそうな声に、視界が揺らぐ。
首を上げると、目の前に三叉槍が月光に煌いて、私の手の甲には歪んでいるものの、まるでアルファベットの――エムのような、刻印がしてあった。
骸。まるで自分のものを表すようなその刻印に、思わず眩暈がする。脳裏に焼きついた赤く瞬く六の文字が思考能力を多い尽くすように、頭の中で広がる。痛みは無い。ただ、体が重かった。
グラグラとする体は彼が抑えてくれて居るため転ぶことは無いが、意識が揺れている様な感覚は収まらない。目が回った時に目を瞑った感覚に酷似している其れは、簡単に収まってくれそうに無い。


「なにを、したの」
「…おや、貴女には僕の能力は聞かないみたいですね」

「……何言って、」
「天道界。あなたがご存知かは知りませんが、本来は相手を操るスキルですよ。――なのに、何故」

「私たちの世界では、そんなの、空想だよ…骸、さん」
「……概念上でしかないから、その体には僕の能力は効かない、と?」

「分からな、い。私…っ、何も、知らな…」
「世話が焼けますね。まるで、赤ん坊のようだ」


彼はそういって困ったように微笑むと、私の頭の上に手をかざす。すう、と熱が引くような感覚が下かと思えば、うそのように世界のぐらつきは収まっていた。
パッチリと開いた目で彼を見ると、今度は私の手の甲にキスを落とす。ピリとした痛みが走り、其れと同時に彼の唇を紅く染める。唇に付いたそれを、彼は舌先で突くように舐め取ると、ふと、再び微笑んだ。


「そういえば赤ん坊が何故あのような可愛らしい姿をしているか、ご存知ですか?」
「…なぜ…って、言われ、ても…」

「赤ん坊は無力のまま生まれます。だから、愛されるような姿で生まれてくるのです。――全ては生まれつきの能力。覗き込むと笑うのも、指を絡めれば拙く握るのも――全て、意思とは無関係な反射反応なんです」

「……」

「それは、貴女に似ている。脆弱で儚く、絶対的な美しさがあるわけでもないのに、興味を引かされる」


彼はそういうと、顔を上げて、私の頬に唇を落とす。
反射的に身をすくめた私に、彼は私を抱きしめにかかる。私には理解できないことが多すぎて、ただただ彼に抱きしめられるだけだ。まず感じるのは、彼から感じる違和感だった。
愛しむ様な動作の合間に彼が見せる、あいまいで、どこか飄々とした大げさな表情。私は其れを、なんと呼んでいただろう。

――ああそうだ。私は、知っている。この彼の表情の名前を。彼の吐く言葉の名前を。

其れは――嘯(ウソブ)き、だ。


「……利用価値のあるものとして?」


私の言葉に、彼は少し驚いたような表情をして――あっさりと、表情を消した。
顔に熱が孕み、其れと同時に怒りの感情が湧き起こる。やっぱり、とは思っていたし、覚悟はしていたのだけど。こうもあっさり引き下がられるとは思ってなかった。
悲しげな、懇願するような…愛しいものをめでるような表情を消した彼の表情は、何時もの胡散臭い笑みだけ。仮面をはがせば、不気味なだけの男。

雲雀恭弥と生活していてよかったと、こんなに深く思ったことが無かった。
彼と生活するうえで一番難航するのは、表情がない彼の表情から、その感情を察するということだ。
しかし其れを怠ればかみ殺されるため、私は少しの反応も見逃さないように練習し、努力した。――其の結果が、今だった。
この世界に来る前はこんなこと出来なかっただろう。彼の嘯きに気づくことなく、着いていったに違いない。なんて、馬鹿なんだ、私は。


「男性に免疫がなさそうだったので、この手が通用すると思ったんですが……意外と、強情な方だ」
「人を何だと思ってるんですか、六道骸」

「玩具、ですかねえ……ですが、あなたに僕のスキルが効かないのは本当ですよ。こうなったら、引きずってでも来ていただくしかありません」
「行かない……行きたくない」

「あなたに拒否権などありませんよ」


彼はそういうと、私の腕を捻り上げる。痛みに顔をゆがめる私に、彼は恍惚とした笑みを浮かべると、エムの文字の傷に爪を立てた。
小さな悲鳴を上げて息をつめる私に、彼はさも嬉しそうに見下ろしていた。まるで……白蘭のようなそんな笑みに、私は恐怖を覚える。
暴れようとした瞬間、遠くのほうから切羽詰ったような足音が聞こえる。六道骸にもきこえたのか、私を地面に投げ出した。

「骸様!」

べしゃ、と私が地面に這い蹲ると同時に、空ろな瞳の黒曜生が入ってきて、骸に向かって跪く。操られている人間の、中身の無い瞳だった。


「どうかしたのですか?」

「並盛の人間が一人、乗り込んできました。武器から、雲雀恭弥かと」


「――…え?」


思わず声を上げた私を、六道骸は一瞥して……ふと、笑う。
六道骸は黒曜生に「総員でかかってください」と一言でいい、下がるように命を下す。彼は一礼すると、すぐに部屋の奥へと消えた。
動揺した私に、六道骸はクフフ、と不敵に微笑む。まるで全てお見通しといった表情で、私を見下すように――嗤った。



「早速、貴女の予想外のことが起きたようですね?」


彼は楽しげにそういうと、踵を返して部屋を出て行く。
私は震える体を何とか押さえつけて、ゆっくりと背後にある窓を見ると、そこには先ほどと変わらない、満天の星。


紛れも無い夜空に、私は出すべき言葉が見当たらず、何で?と、ここにいない彼に問いかけるように、心の中でそっと呟く。…彼がここを見つけだすのは、明日の朝じゃなかったの?


寒さに息が震え、かけられたままの黒曜中の制服を握り締めてみる。だけどそれは、いつか彼に借りた黒い学ランほど暖かくは無く。
何故だか分からないけれど、何故か寂しさがこみ上げてきて――私は思わず、嗚咽を零した。
(08/10/14)


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