旧式Mono | ナノ

(20/63)

父に似たのか、母に似たのか。どちらの遺伝子は分からないが、私は相当図太い性格に生まれてきているらしい。
チュンチュンと可愛らしい雀の声で目覚めれば、目の前は銀色と雲雀恭弥が、重なった状態で視界に入った。
寝起き一番、男が自分に馬乗りになってトンファーを突きつけている光景なんて初めての経験だ。凍るような恐怖に、私は一瞬で目が覚めた。


「お……おはよう、ございます。雲雀恭弥さん」
「あと一秒でも、遅かったら。右目、失明だろうね」


彼は何故だか途切れ途切れにそう呟き、目前に差し迫らせたトンファーをどける。皮肉げに微笑んだ彼に私は引きつった笑みしか返せない。
二度目はないって、言ったでしょ。やけに赤い顔をして平然とそういう彼に、私は朝一番から泣きたくなった。



昨日の夜、私と雲雀恭弥は一度も口を利かなかった。
彼は彼なりに考えるところがあるらしく、自室にこもって何かを調べているようだった。只寝る間際になると昨日のように和室に来て、携帯を渡してくれたけれど。口を開くことなく、前日のような挨拶もなく、乱暴に自室へ戻ってしまった。
明日こそ早く起きようとすぐに寝たのだけど――また、寝坊したらしい。視線で時計を確認すると、時刻は7時半。――この連日時間にいるということは、今日はどうやら日曜日らしい。



雲雀恭弥は今日もいるのか。

居候の身で文句が言える立場じゃないのは分かっている。
だけど私は出来れば、雲雀恭弥とは同じ空間で時間を共有したくない。というか、一緒に居たくない。衣食住頼りっぱなしの身で言えることじゃないけど、彼が恐怖対象だという事は紛れもない事実だった。現に今、普通に挨拶をしたのはいいけど恐怖はごまかせそうになかった。
向こうが『私が戻ること』を望んだのなら、普通に生活する中で怖い目にあわせなくていいじゃないかと思うんだけど。やはり私の常識は彼には彼には通じないらしい。


「…すみません」
「朝食、とっくに出来てるんだけど」


彼はそう吐き捨てると、両手に構えたトンファーを部屋の隅に投げ捨てる。ゴッという鈍い音が、床から伝わった。……また朝食を作って、しかも待っていてくれたらしい。

私は呆然と彼を見る。低血圧で朝機嫌が悪い人間は幾度もなく見てきたけれど、朝のみ機嫌がいい人なんて初めてお目にかかった気がする。どう反応したらいいかわからず、とりあえず彼を見上げる。その瞬間彼は何を思ったのか、急に私の頭を動かす余地が無いほどスレスレの両サイドに手を付いて、上半身を僅かに倒す。少しだけ赤く上気した頬、虚ろな瞳が私を見下ろし、少しだけ乱れた呼吸音は私の前髪を揺らす。少しだけ、表情が歪んでいた。


「あ、の。雲雀恭弥さん」と私が言葉を発しようとした瞬間、彼は「黙って」と乱れた呼吸の間に言葉を滑り込ませる。
唐突過ぎて理解できない私を置き去りにして、彼は熱っぽい瞳で私を見下ろす。一瞬姿勢を躊躇ったように低くしては、すぐに戻しての繰り返し。彼のフルネームを呼んでも、まるで私の声など聞こえていないようだった。



ぐ、と近づけられた顔に、私は反射的に目を瞑る。その瞬間重いものが勢いをつけて私の顔面にクリーンヒットし、私の目の前が真っ暗になる。思わぬ重量感に、思わず「うえ」と喉が鳴った。
ツキンとする鼻の痛みに涙目になりながら、私はのしかかり攻撃をかましてきた雲雀恭弥の体をどける。どかすために触れた腕はやけに熱く、汗ばんでいる。……?と、クエスチョンマークを頭の中に浮かべながら彼の頬に触れてみると、それは腕同様に熱を孕んでいる。…嫌な、予感がした。



私は言いようのない抵抗感を感じながら、彼の額と自分の手のひらを合わせる。――じわりと、熱が滲むように私の手へと移った。


「雲雀恭弥さん……あの、」
「なに」
「……熱、」


私の呟きに、雲雀恭弥は憎々しげな表情で私を見上げる。「だから何?」と強がる彼は何時もよりも迫力がなく、恐怖も余り感じなかった。

「寝ていた方が…」と口ごもる私を他所にふらふらと立ち上がると、支えようとした私に「うるさいよ」とトンファーを打ちつける。瞬間、横に吹っ飛んだ私に彼は目を細めると、自室に向かってよろけながら向かう。
私は痛みによろけながらも何とか立ち上がると、雲雀恭弥の後を追う。自室のドアを背に座り込んでしまった彼に、私はどうしたら言いか分からなくなった。


「…雲雀恭弥、さん」
「うるさい……静かにしてよ」

力なくそう呟いた彼に、私は死ぬ覚悟を一息のうちに決めた。そして彼の肩を支えると、その扉を開く。
恐怖がなかったわけじゃないし、また殴られることも予想はついた。だけど、デス・ヒーターを注射されても動けた彼がこんなにも動けないとなると、もう其れは生命の危機だ。



雲雀恭弥を死なせるわけには行かない。その思いで行った行為だけど、不思議と後悔はしていなかった。

雲雀恭弥は少し驚いたように息を飲んだが、すぐに振り払おうと抵抗する。私は大きくよろけながら、初めて入る彼の自室のベットを目指す。だんだんと抵抗が強くなって、私はとうとう近くの棚の方に投げ出され、後頭部を強く打ち付けた。だけど彼は運よくベットの上に落ちたようで、ベットに沈み込んでいる。少しだけ意識が飛びかけたし、足の上にバサバサと何冊かの分厚い本が落ちたけど、何とか立ち上がってベットに近づく。



私は拒む彼の上に布団をかけた。非難がましい彼の視線と目があって、思わず体が恐怖に震えたけど。今の彼は制裁する力がない、と自分に言い聞かせる。
放っておいてもいいのに。いや、寧ろこの人の熱が長引いてくれれば私の毎日は俄仕込みの平穏にはなるから万々歳のはずなのに。どうしてだか、それができない。…まあ、今までなんだかんだ色々お世話になった手前、放っておけないというのもあるのだけど。


猛毒であるらしいデス・ヒーター注射より酷い症状なんて、日常生活では出ないはずなんだけど……新型の菌か何かかもしれない。私は慌てて救急車、と呟くと、彼の熱っぽい手が私の手首を掴む。あ、というまもなく引き寄せられ、いつの間にか私の目の前は肌色に染まっていた。


「呼んだら、殺す、よ」


熱っぽく、まるで搾り出すような小さい声が、私の耳元でささやかれる。生暖かいものが言葉が紡がれる度に当たり、私は思わず彼の手を振りほどいていた。


「薬とおかゆ、持って、きます……っ」

私は蹴り破るかのように乱暴にドアを開けて、急いで閉める。
瞬間、私はバランス感覚を失って、ぺたりとドアの壁に背をつける。何故だか息切れしている自分を押さえ込みつつ、耳を手のひらで包む。

熱い。

なんだか立っていることができなくなって、私は壁の直線を背でなぞるように、ずるずると床にへたり込む。いつの間にか涙目になっていた視界では、様々なものがゆがんで見えた。


「……なに、今の」

彼の唇が触れた部分を押さえて、私は思わず呟く。
ああ、知ってる。これが思わぬアクシデントだったということも、彼が大きな声を出すのが億劫だからこそ私を引き寄せたのも。

――でも、だからなんだ。

彼が唇が触れた相手、つまり私がどう思おうと気にも留めないように、私だって彼の真意などどうでもいい。双方見えるのは、事実と主観のみ。
ガチガチと、歯が小刻みに震える。耐え難い熱と同時に言いようの無い寒さが、顔だけを残して、体中に走った。――唇が自分に触れた。……触れられた。男に。…男に?


「うぇ……」

気持ち悪い。気持ち悪い。耳や頬に孕んだ熱も、触れたときの感触も、背筋に寒気が走るほど、涙が滲むほど、気持ち悪い。
金髪不良にされたことが一瞬でフラッシュバックする。刃物。痛み。銀色の刃に移る私。痛い。怖い。――どうしよう、怖い。



気にしないはずだった。別に処女というわけではないのだから、野良犬にかまれた程度に思えばいいと思っていた。なのにいざああいう風に触れられると、気持ち悪くて仕方がなくなる。何時もの雲雀恭弥に対しての恐怖とは、違う種類の怖さ。

これじゃあ、私の嫌いな夢見がちなヒロインになってしまう。弱い弱い、守られることしか能のない男が苦手の脆弱ヒロイン。大嫌いな、ヒロイン。そんなのは嫌だと思うのに、思えるのに、誤魔化せないほどに怖いと思う。ああ、なんだこれ。本当に、私か?
私はひざを抱えたまま、まるで体の中に虫が這っているような気持ち悪い錯覚に耐える。唇を引き結べば、いつの間にか血の味がしていた。くすぐったいような、ソレでいて痛いような。わけの分からない感覚に私は囚われて、私は嗚咽を零した。



早くおかゆ、作らなきゃ。
そう思うのに私のひざは、笑ったまま動かなった。
(08/10/04)


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