旧式Mono | ナノ

(19/63)

沈黙の隙間に、冷え切ったドアの向こうから車などの町の音が滑り込む。
ゆっくりと刻んでいく秒針が、鈍く大きく、いつもの数倍の存在感を孕んで音を立てていた。

雲雀恭弥は、その沈黙と同じような静けさの含んだ目線で私を見下ろす。怒っているわけでもなく、何の感情も移しちゃいない。しいて言うのなら、がらんどうの瞳だ。その瞳には何の感情も宿っていなくて、まるでガラス玉を見ているような気分にさせた。


『10年前に失踪した』


幸か不幸か。どうやら彼は、この世界の苗字 ナマエという名前の人物と勘違いしてくれているらしい。……でも、いくらなんでもこれはおかしい。私と同じ名前の人物が、都合よく失踪しているなんてあるはずがない。あまりにも、出来過ぎている。……じゃあ、どうして?

私はふとこの世界にくることになった発端の人物を思い出して、表情をゆがめる。――白蘭が、何か手回しをしたのだろうか。まあ過去に10年バズーカーを当てられるなら、もう何だってできるような気がするけれど。彼はどうやら、私がこの世界にいてもおかしくないように、根回しをしていたらしい。準備がいいね、と私は自嘲する。


そういえば、私に初めて会ったとき、あの人は私の『名前』を呼んだ。……名前を当てた、というよりも最初から標的を決めていた、という可能性のほうが高い。…何故私なのかは、偶然だったのだろうけど。彼らが私を駒として決めた時点で、根回しをして置いたのかも知れない。…じゃなきゃ、こんな偶然有り得ない。



私は彼を見据えて、言いかけた言葉を押しとどめる。心の中の恐怖云々の感情は温度を失い、珍しく冷静になった私の中からすんなりと出て行く。そんな私に、彼は訝しげに首を捻る。それは、そうだ。私は彼を前にすると恐怖が先立つから、普段は冷静になんてなれない。

……だけど、どうか、今だけは。
再び恐怖に色がつかないことを祈りつつ、私は目を閉じる。ごめんなさい。心の中で呟いた。



「……私、よく覚えてなくて…気がついたら、ここにいて」


驚くようにすんなりと出た言葉(ウソ)に、私は内心驚いていた。そもそも雲雀恭弥に対して普通に声が出たのは、これが初めてかもしれない。

我ながら、なんて馬鹿みたいな設定なんだろうと自嘲しながら目を伏せる。その私の変化に驚いたように、彼は視界の端で細い目蓋を目一杯見開いた。
自嘲するように微笑んだ私を、彼は拒否するように突き放す。綺麗にしていても舞い上がるソファーに薄く溜まった埃が、ふわりと空を横切った。


「神隠しとか記憶喪失だとでも言いたいの。僕を馬鹿にしてる?」


疑うくらいなら何故最初に『私=死んだ子』を結びつけたんだろう。私は人事のようにそう思いつつ、深く息を吸って感じそうになる恐怖を押し込める。動揺したら、本当に殺されるかもしれない。警戒心を露にした雲雀恭弥を見て、私は改めて自分の立場の危うさを知った。
怖くない怖くないと何度も自分に言い聞かせる。深呼吸すると、吐く息が少しだけ震えた。



「…本当に、覚えていないんです」


出来るだけ淡白に聞こえる声音ですんなり出てきた声は、雲雀恭弥を欺く色に染まっていく。だって、覚えていないはずがない。忘れたくても思い出してしまうぐらい、私は前の世界に戻りたいのだから。だけどそんな事勿論言えないから(言っても信じてもらえないから)、私はひたすら知らないを突き通すしかない。



決定的な『昔』の話はしないし、調べれば嘘だと見破られる証拠を提示されるような核心部分に触れ話もしない。私だって、そこまで馬鹿じゃない。失踪して10年という月日が流れているという『設定』上、信憑性は損なわれるだろうけど苗字ナマエという情報は絶対に存在する。だから下手に弁解すれば、すぐに嘘だとばれてしまう。

逆に私が失言さえしなければ、恐らくばれないだろうと思っていた。いくら情報があるにしても、それは10年前だ。曖昧な部分を多く含んでいるはず。『失踪』という不可思議現象なら、尚更だ。


――ただひとつ。私の失策だといえるのは、彼の持っている携帯電話に何度も過剰に反応してしまったこと。……恐らく彼も、次はそこに突っ込んでくる。
唯一メールの送受信履歴だけが言い訳できない不安要素だったけど、『覚えていない』という時点でそこに突っ込んでこないところを見ると、見ていないのかもしれない。確かにパスワードはつけてあったけど、セキュリティーロックが破れる位なら、そのぐらいは簡単そうなのに。…只単に、興味がなかっただけかもしれないけど。




「ふうん。じゃあ、この携帯は何?さっきも欲しがってたみたいだし。覚えていないのなら欲しがる理由もないでしょ」
「…だってそれは、私が唯一持っていたもの、だから」


…これは、嘘では無い。
あの携帯は私がこの世界の人間じゃないことを唯一表してくれているもので、私はソレを消したくないと思っているのだから。
なくなってしまったら、私はこの世界の住人になってしまうような、そんな予感がしていた。顔も漫画のような顔変わり、服だってこの世界のものを身に着けているし、私を取り巻く人間も漫画の世界の住人だ。



事実、私はこの世界に染まってしまいそうだった。


物理的に危ない状況があまりにも多く、死という言葉が常に付きまとう、あちらの世界ではありえない日本の一画。
私は実際には見たこと無いけど、商店街や学校で爆弾が爆発したり、銃で撃たれても『後悔』すれば復活して、死ぬ事のない世界。


爆発物が手の中で爆発しても、黒焦げになって気絶で終わり。入院描写はあっても、火傷の治療じゃない骨折の治療をされている人間。
そんなものが当たり前になってしまいそうで、正直怖い。そしてそれらに染まってしまえば、私は帰り道を失ってしまいそうだった。いるべき世界を忘れて、ここの生活に甘えてしまう。だけどそれは―――


嫌、だ。


「……信じると思ってるの」

金属音がして、私の喉に冷たい金属の温度がぴたりと当てられる。私は目で追うと、彼はトンファーを私の首筋に突きつけていた。瞬間、背筋に戦慄にも似た恐怖が走るけど、私はすんでのところで悲鳴をこらえて彼を見つめる。


反撃するような力は私には無い。だって私は一般的な人間なんだから、当たり前だ。人間がいくら他の世界――漫画の世界などにトリップしたって、最強夢といわれる戦えるヒロインになれるはずも無い。
一般人の私に出来る事といえば、震えそうになる体を必死に抑える事くらい。私は彼を震える心で静かに見つめ返すと、彼はつまらなそうに表情をゆがめた。恐怖に歪んだ顔を、期待してたというように。



「殺さないんですか」と、私は訊く。
「今はね」と、彼は零した。


取り外されたトンファーに、私は思わず安堵の息をつく。
彼はそんな私をしばらく見下ろしていたけれど、すぐに自分の席に戻り、すっかり冷めてしまった味噌汁の残りをすする。
苦虫を噛み潰したような彼の表情に、だったら食べなきゃいいのに。と思わずにはいられない。意外と、律儀な性格なのかもしれない。A型、なんだろうか。知らないけれど。

私は食事を放置して、風呂場に行く。昼間に暇すぎて綺麗に洗ったお風呂はとても綺麗で、気持ちがいい。
震える指で給湯ボタンを押すと、『お湯はりをします』という機械の女性の声とともに、浴槽の栓が自動で持ち上がり、そして勢い欲で続ける水が床部分を洗い流すと、自動でしまる。少しずつ溜まっていく暖かいお湯の熱気に、私はへたり込んだ。



恐怖。たったそんなもので、ひざが笑って立てなくなるなんて、全く私はどうかしている。
そう思うのにこぼれるのはため息と涙ばかり。叶わないと分かっていても、家に帰りたいと願わずにはいられなかった。

家に帰ればこんな怖い思いをしなくてすむし、こんな風に命の危険に毎日晒されることもない。――ああ、本当に。私はなんて無知だったんだろう。守られていたのに。警察や秩序という普段微塵も感じないものに守られて、周りの人に愛されていたのに。ほかならぬ家族に、友達に。



優しい雲雀夢なんて、一体誰が書き始めたんだろう。と、私は自嘲を零す。
脳裏に浮かんだのは、雲雀夢ランキングサイトを転々と回っている時に見た、やさしい優しい彼の姿。咬み殺すといいつつ咬み殺さない。優しくヒロインの弱さを包み、子どものようなわがままさでヒロインを翻弄する、そんな甘い夢。


「……甘い、か」

これが夢小説の中身だったとしても、先ほどに挙げた例は全て当てはまっていて、私は思わず自嘲を漏らす。
咬み殺すといいつつ、私は手当てをされ、また恐怖を植えつけられ…の繰り返し。弱い私を純粋な恐怖で包み込み、優しくしたと思えば殺そうとする。子どものような勝手さを持ち合わせた人間…雲雀恭弥。

もしこれを誰かが甘いというのなら、随分と痛々しい趣味をしてると思う。変わってあげたい、切実に。そう思っていたら、二粒目の涙が零れ落ちた。



夢を見ていたから、辛くなるんだと思う。
期待しなければ傷つくこともないし、傷つけられることも無い。物理的に攻撃されても、『ああこんなもんか』と諦めて、精神的ダメージは無くすことができる。…だけどもうそう思えないほど甘い夢を見すぎてきてしまったのはごまかせない事実で。
私は着崩れたセーラー服をぎゅっとにぎる。


服を買ってくれたのは、部屋が汚くなるなどの、衛生的な問題を考慮して出し、シャンプーやリンスだって自分のを使われたくないだけ。

――そんなこと、分かってるけど。

私を殺さないのは興味の対象であるオモチャでしかないし、殺さないのは壊したくないだけだ。
まるで、子どもが踏みつけて遊んでいるぬいぐるみなのに、捨てようとすればかたくなに嫌がるように。――そう、分かってる。

だけど、普段甘い夢を読みすぎた私には正直息苦しいことこの上ない。体もきついけど、精神的にも痛いのだと気づいた。


台所から追い出された時。私の作った料理を食べずに捨てられると感じた時、私はほんの少しだけだけど『その行為に対して』痛みを感じた。
恋愛感情を抱くほど楽観的には成れない。だけど少なくとも、無条件で食べてくれるという一抹の期待を感じていたことは確かだ。


「馬鹿みたい」

私は、呟く。どこまでも自嘲的な響きを孕んだその声に、私は思わず嗤ってしまった。期待したって何もないのにと呟くと、今更のように体が震え始めた。
(08/10/03)


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