旧式Mono | ナノ

(17/63)

よく、雲雀恭弥が歩くと人が端によっていくことをモーセの奇跡に例える夢小説がある。


奴隷の如く働かされていたイスラエル人を率いて楽園を目指す際に、逃げ道として海を切り開き、その間を通って逃げた、という伝説の一説で。私はその話を詳しくは知らないけれど、専攻していた世界史で見せられたビデオでは、そんな感じで描かれていた。
そしてそれ以後、一つのものが通る際に他のものがザアア、と退く様のことを例えるようになったんだと思うけど、私の目の前はまさにソレ。


いや、むしろモーセの奇跡というよりは寧ろ砂鉄と磁石みたいと思う。砂鉄が入ったプラスチックに磁石をくっつけると、気持ち悪い速度でくっついたり離れたりするあれの、離れる方。まあ例えなんて何でもいいけど。とにかくそんな感じで、彼は町の人から避けられていた。それが私の後方十数メートル先で起こっている事だとしても気になる位、彼は露骨に避けられていた。


群れるのは嫌いだから先にいきなよ。と、金色のカードを渡された後私はマンションから締め出され、途方にくれていた。何をしろというのだろう、この金色のカードで。
彼の意図が読めずにいっそ泣きたくなっていると、それを予想していたように現れた草壁さんの親切な案内のもとで、並盛商店街へと連れてこられた。



どうやらここで服やその他(と濁されたがおそらく下着のことだ)の生活品を揃えろ、という事らしい。私はそこで初めて、渡されたカードの意味を理解する。分かりにくいにも程があると思ったけど、口が裂けても声にはできなかった。
並盛商店街までは草壁さんと歩いてきたけど、その後電話がかかって(恐らく)雲雀恭弥の指示の元でサヨウナラをした。

そしてすぐに雲雀恭弥が私の後方に現れ、まるで私を監視するように見張っている。……ランジェリーショップに、とてつもなく入りにくい。
時折彼は姿を消しては、何やら満足げな顔をして帰ってくるのでなおのこと怖い。中は赤く、外は黒い学ランじゃあ返り血は見えないから、私の予想が当たっているかも分からないのだけど。


とりあえず、自分のサイズに合ったカーディガンと、その他パーカー等のシンプルな服。あと3個セットとかの安い下着を買わせて頂いた。

見返りがとてつもなく怖いけれど、いつまでも彼の洋服を借りるのも同じぐらい怖い。下は安いシーパンで、室内でも動けるようにジャージの模造品みたいなのも買わせていただいた。スカートもよかったんだけど、シーパンよりも耐久性が無く、もちが悪いから止めた。衣食住を供給してもらってる分際で、洋服面でも迷惑かけるのはさすがに気が咎める。
草壁さんが別れる前に勧めてくれた化粧品も同じ理由で却下したけれど、安い肌水だけ買わせていただいた。混合肌にはつらい乾燥の季節だし、二次元の世界とはいえニキビまみれになれば血も出やすくなるし布団や枕を汚しかねない。



もういいか、と辺りを見回すと、不意に背後に人の気配を感じる。人の邪魔になってしまったのだろうかと避けようとすると、鋭い視線が突き刺さった。


「ねえ」
「っ、!」


あまりの唐突さに、私は弾かれた様に彼と距離をとる。雲雀恭弥は少し不愉快そうな表情を浮かべたけど、幸い制裁を加えるつもりは無いらしかった。
彼は私の持ち物を見ると訝しげに表情をゆがめ、ふうん、と何かを納得したように呟く。……全く理解できない私に、彼は僅かに目を細めた。


「僕は今から学校に行くけど、風紀委員が見張ってるから。逃げたら、すぐに殺すからね」


彼は小さくそう言葉を残すとすぐに踵を返し、学ランを堂々と翻しながらドラッグストアから出て行った。
代わりに入ってくるのは、黒い学ラン。私より大きいその体は不自然に折れ曲がっており、さっきまで居た雲雀恭弥と比べると堂々さのかけらも無い。
松葉杖をついたその男は、私を目を合わせると気まずそうに目を伏せる。彼の心境を表すように、彼らのトレードマークであるリーゼントは乱れていた。

私はその顔に小さく会釈を返す。彼は少し面食らったように目を見開いたが、松葉杖を使い、私の元にたどり着く。足音とは違う軽い音が、店内にかかった安っぽい曲に沿うように、寂しげに響いた。



「もう、怪我は大丈夫なんです…か?」

見覚えのある顔。それは、昨日私に刃物を向けてきた、風紀委員の人だ。
私の問いかけに彼はああともうんともつかない、曖昧な声を出すと、少し困惑したように私を見下ろす。表情こそ穏やかでいられるものの、正直私も困惑していた。――昨日あんなことをされたのに。何故、私はこの人に対して恐怖を感じないのだろうかと。
彼は私の大量の荷物を見ると、松葉杖を持っていない片手でひったくり、肩にかける。

大丈夫なんですか?と僅かに声を荒げてしまった私に、彼はようやくはっきりとした声で、「ああ」と返す。――ちゃんと答えてくれるところを見ると、どうやら根はいい人らしい。



そういえば、私を殺そうとしていたくせに。金髪男を私の背後に見たとき、彼は『逃げろ』と言ってくれたし、助けようとしてくれたっけ。
そう思うと、悲しげな彼の表情を見て心が痛む。彼にはなれないけれど、彼に似た痛みを、私は知っているような気がした。多分、悔しかったんだろう。一生懸命がんばっているのに認められもせずに、縁の下の力持ちをやって。――でもそれを、無関係な誰かに一瞬でさらわれてしまって。

そりゃあ、怒るだろう。私だってナイフは使わないだろうけど、多分憎悪と嫉妬に囚われてしまうと思う。尽くしてきたことが無意味だと分かったら、其れはきっと誰だって悲しいから。



―ああそうか。共感を得られるから、私はこの人を怖く思えないんだ。そう思ったら何だか気が楽になって、私は少しだけ笑ってみせる。彼は驚いたように目を見開いて、気まずそうに目を逸らした。



「どこか行く場所はあるのか」
「いえ…もう、大丈夫です」
「…これだけじゃ少ないだろう。まだお前は解放されない」
「…これ以上の我侭、いえません」


私は苦笑しながらそういうと、彼は逸らしていた目を再び私に戻す。
少しだけ同情が入ったような色をにじませて、口を開きかけて、止めてしまう。そしてふと私の頭に目を留めて、手を差し出す。
ずりおちそうな荷物がひじでとまり、筋肉がついた太く大きい手が私の髪の襟足をなでる。私は呆然と彼を見ると、彼は少しだけつらそうな顔をした。其れは私に刃物を向けたときと同じような色をしていて、私は何故だか悲しくなった。


「不ぞろいだな。それに傷もある。何で切ったんだ」
「…カミソリ、で」
「馬鹿だな」
「……後悔は、してません」


首の傷は剃刀だけではなくて、白蘭から受けた銃のかすり傷だとかもあるんだけど。そんなことを言ったらややっこしくなってしまいそうだから、私は苦笑いを浮かべて見せた。彼はしばらく私の不ぞろいな髪を触っていると、ふと思い立ったように手を離し、松葉杖を前についた。

マンションとは反対の方角に、私は戸惑いながら彼の横に並ぶ。方向が違うことは、私が指摘するまでもないだろう。だって彼は、ここ並盛で育ってきたんだから。



「どこへ行くんですか」と聞く私に、彼は私に目を合わせないまま短く「床屋だ」と呟く。
呆気にとられる私に、彼は申し訳なさそうに表情をゆがめる。「そんなんじゃあ、女として格好がつかんだろう」とぽつりといわれ、私は慌てて松葉杖の柄を握った。


「だ、大丈夫ですよ。どうせ伸びれば不ぞろいですし、気になりません」
「…気にするな」
「いやでも、私カードしか持ってないですし…これも雲雀さんので…それに、床屋って現金だし…」
「安心しろ。俺が出す」
「本当に、いいんです!」


思わず声を荒げる私に彼は苦笑を零す。少しだけ優しげな表情は、昨日と同じ人とは思えないほどに穏やかで胸が痛んだ。思わず、柄から手を離してしまう。

彼は私を宥める様に、松葉杖を脇にはさんで空いたほうの手を私の頭に載せる。余りの暖かさに、私は泣きそうだった。忌み嫌う存在でしかなかったのに、こんなにも優しくしてもらうなんて可笑しい。私は、雲雀恭弥に認められたいという彼の努力を踏みにじってしまったんだ。それに加えて、私は彼が暴力を振られている最中ずっと知らん振りをしていた。出て行けば助かったかもしれないのに、私は見てみぬ振りをした。だから私は彼に責められるべきであって、優しくされるのは間違っている。


表情を歪めた私に、彼は「俺の気がすまないんだ」と小さく零すと、松葉杖をついて私を誘導するように前を歩く。
『わるかった』と。小さく聞こえた気がして、私はぎゅうと左腕を握った。――まだ、痛い左腕。だけど彼を恨む気なんかなくて、むしろ痛みを感じていればその間だけは少しだけ安心できた。罪を報いているような、そんな錯覚がする。


「ごめん…なさい」


彼は、私のほうを見なかった。ただ私と目を合わせないように反対方向を見ながら、すまん、と、今度ははっきりと言葉にした。
なんとなく、仲良くできるのかもしれない。そう思って私は、追いつかれまいと必死に前に進む彼の横に並ぶ。素直になったせいか、彼の顔が赤い。中学生だと思うと、自分より大きいのになんだか可愛く思えるから不思議だ。

「ありがとう、ございます」

私が彼に言うと、彼は「馬鹿だな」と小さく呟いただけで、それ以外は何も言わない。だけどその表情は少しだけ緩やかになっていて、少しだけ嬉しくなった。


「…あ、れ?」


思わず立ち止まった私に、風紀委員の彼はどうかしたのか、と問いかける。だけど私はうまく返事ができず、首をかしげた。


何か今、とても冷たい視線を感じたような気がした。どれが何処から、とは分からなかったけど。何となく、白蘭が出していたような静かな殺気に似ていたような。

しばらくきょろきょろしていると、ふと白いニット帽を目深にかぶった私と同じ年か、少し年上くらいの少年に目が留まる。彼はこちらの方を見て、何やら険しい表情をしていた。……過去に、風紀委員に嫌な思い出でもあるんだろうか。
思わず目が合ってしまい、私はビクッと後退する。その瞳は青色で、怖いぐらい威圧感を含んでいたからだ。何だあの人、と思うと同時に彼は顔を俯けて走り去ってしまった。風紀委員にでも思われてしまったんだろうか。


まあ、私には関係のないか。そう決めて、私は訝る風紀委員の人に「なんでもないです」と告げて再び歩き出す。
走り去っていたはずの少年がこちらを振り返っていたこと。そして、その他にも見覚えのある緑の制服が真横を横切ったことも。私は少しだって、気にもかけていなかった。
(08/09/30)


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