旧式Mono | ナノ

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私はどくどく流れる血をパジャマに触れさせないようにして脱衣所を出ると、雲雀恭弥は私の様子を見て僅かに目を細めた。

咎める様な視線に、私は申し訳ない気持ちと恐怖がどういう表情をしていいか分からなくなって。ごめんなさい、とうわごとの様に繰り返してしまう。
蚊の鳴くような声だったにもかかわらず、彼は私の声を拾えたらしい。台所にいた彼はマグカップを一つ、湯飲みを一つをもって、それをリビングのローテーブルに置くと、私の傷を見た。


警告のような『湯船に左腕をつけ無いほうがいいよ』という彼の言葉は『お湯につけたら完璧に乾ききっていない血が溶けて出血する』という意味だったらしい。
私がソレに気づいたのは二回目のシャンプーをしている時。
お湯ではない生暖かいものが腕を伝う気持ち悪さに気づいた時には、もう遅かった。

『浸けない方がいい』というのはてっきり『浸けたら殺す』の意味だと思っていた私にとって、発覚した事実はあまりにも信じがたいものだった。あの雲雀恭弥が、私の身を案じるようなことを言うなんて思ってもいなかった。まあ、彼からしたらパジャマの汚れを案じて警告しただけなのだろうとは思うけど。


汚してしまうという恐怖に怯えながら、私はとりあえずバスタオルに血をつけないように元々来ていたワイシャツで拭いてはみた。だけど傷口からは当たり前のように血が流れはじめ、中々塞がってくれなかった。
水ですすいだだけのワイシャツだったものを傷に当てて呆然とする私に、雲雀恭弥は不機嫌そうに立ち上がって、私の腕を引っ張る。


血がある程度は固まり、あの白いものはもう見えなくなっていたけれど、まだ乾ききってはいない。其れを触って調べた彼は、至極面倒くさそうに眉根を寄せて、「座りなよ」とぶっきらぼうにつぶやいた。
……ここで、『しらないよ。自業自得でしょ』って突き放すのがこの世界の雲雀恭弥じゃないのか?と少し焦って彼を見るけど、彼は私の傷口に目を落とし、ローテーブルの両脇に設置されたソファーに座るように目で促されるだけだ。

私がおとなしく座ったのを確認した後、近くの棚に引き出しを引く。しばらくまさぐった後に取り出したのは、青いキャップの白いボトル。私はソレに見覚えがあった。


「あ、あの……っ」
「うるさいよ」


彼は私を冷たい視線で黙らせるとローテーブルの上に置かれたティッシュ箱から3枚取り出し、クシュっとまとめて私の左腕の下側に当てる。

私は恐怖に涙目になりながら、その白いボトルの商品名を追う。消毒液、という字が見えた瞬間、彼は其れを躊躇いなく私の左腕に注ぐ。瞬間、張り裂けるような、なんとも形容しがたい痛みが私の左腕から、全身に走る。



左腕は彼に掴まれているため身動きは出来ないが、私は上半身を折り曲げて、痛みに耐える。擦り傷にもとんでもない痛みを感じたが、切り傷はまたさらに格別だった。あまりの痛さに悶絶していると、彼は私の左腕の上に黄色い液が染みたガーゼを当て、その上に白いガーゼを乗せ、とりだした包帯は私のひざに投げた。あまりのことで理解が遅れたけれど、傷の手当をしてくれたらしい。

どう反応したらいいか分からない私を他所に、雲雀恭弥は「巻きなよ。汚されると迷惑だ」と淡白にいって、救急箱のようなものを片付け始めた。


「ありがと、う……ござい、ます」


私はようやくそれだけ搾り出して、慣れない手つきで包帯を巻く。随分と不恰好になったけれど、何とか巻くことはできた。…けど端の処理が分からなくて、とりあえず撒いた包帯の隙間にねじ込んでみた。

向かいに座った雲雀恭弥は私の方法を見て一言、「下手だね」と零す。確かに見れば見るほど其れは不恰好で、ただ血がにじまないように。パジャマにつかないようにガードしてあるだけのように見える。「ごめんなさい」と条件反射で零す私に彼は目を細めると、「貸しなよ」といって私の腕を無理やりに取った。

ある程度の場所まで解いて、引っ張りながらたわむことなく包帯を巻いていく。…何時も怪我をしたら自分でやっているんだろうか。彼は慣れた手つきで端を半分に噛み切ると、交差させて簡単に結んでしまった。



先ほど消毒液による猛烈な痛みを感じたせいか手当てのおかげか、あまり痛みを感じない。包帯なんてあまりしたことがなくて、興味本位で突っついていると彼に睨まれた。触るな、ということが何となく伝わって、私は包帯から手を離す。

私は素直に両手を膝に置いてソファーに座っていると、彼は先ほどローテーブルに置いた2つのコップのうち一つを、私の前に置いた。ふわり、と広がる甘い香りに、私は好奇心から中を覗く。マグカップの中身はホットミルクらしく、美味しそうなにおいを漂わせていた。
彼は2つのうち残った湯飲みのほうを手に取ると静かにすする。抹茶なら分かるけど、緑茶にミルクって、どんな組み合わせなんだろう。



手持ち無沙汰になってしまい、ぼんやりとマグカップを見つめる私に、雲雀恭弥は「ねえ」と小さく声をかける。
ビクッと体を震わせながら雲雀恭弥を見れば、彼は本当に不機嫌そうな顔をしていた。逃亡に関する追求をされるのか。しゃべれるようになったから侵入方法を詰問する気なのか。逃げたくなる恐怖に震えそうになるのを堪えながら彼を見ると、彼は「君のだよ」と無機質な声を出し、自分の湯飲みを置く。


どれだけ見渡しても君の、といえる対象は私しかいない。呆気にとられてマグカップを見下ろす私に、彼は「飲まないなら捨てるけど」と脅すようにつぶやく。慌ててマグカップを持ち上げると、彼は私から興味を失ったように視線を逸らした。
鼻をコップに近づけると、甘いいいにおいが強くなった。それをゆっくりと口に含むと、ふわり、と口いっぱいにほのかな甘みが広がる。ソレは決してしつこい甘さではなく、後味に影響が出る乳製品とは思えないほど軽い飲み物になっていた。


「おい、しい…」

ため息とともに零れ落ちた言葉に彼が少し表情を緩めた気がして、私は慌てて彼をみる。
だけど気のせいだったのか、私が彼の表情を捉えた時にはもうそのた形跡は何処にもなかった。気のせいらしい。当たり前か。
久々に味わう糖分に感動しながらちびちび飲み進めていると、不意に彼の視線を感じて顔を上げる。かれは、いつの間にかこっちを見ていた。


「君は猫か何かなの」
ぽつり。と小さく零した言葉に、おもわず目を見開く。

「え」
「早く飲みなよ。そんなに少しずつ飲むものでもないでしょ」

「……」
「まあ、関係ないけどね」


ふい、と視線をそらされて、私は途方にくれてしまう。
猫、といわれると、出されたミルクまで、まるで拾ってきた猫に与えるような意味に見えてきてしまいそうだけど、私は耳なんか生やしてないし四速歩行でもない。猫なんて、初めて言われた。
…いや、でも雲雀恭弥からしたら、今の私は捨て猫を拾ってきたようなものなんだろうと思い、妙に納得してしまう。
雲雀恭弥は草食動物は嫌い、と公言しておきながらヒバードみたいな小動物には優しいという節がある。そして、私を人間と思っていなくて小動物みたいに思っているんだとしたら……さっきの手当ても、お風呂も、納得がいく。猫と同じシャンプーを使おう何て、雲雀恭弥なら考えないだろうし。


「す…すみません…」

急いでミルクを飲み干すと、意外なほどに満腹感が来て、今度は急激に眠気が襲ってくる。いや、いつもならミルクだけでお腹が一杯になるはずないんだけど、少し安心したせいだろうか。体が重く、ひどく眠たい。
ここ最近ちゃんとした格好で寝ていなかったせいか、体のあちこちが疲れたままだし。しかも今日は色々あったから、尚の事疲れた。金髪不良の事とか思い出したくないということもあるのだけど、早く寝てしまいたい。
あくびを噛み殺せなかった私に彼は一瞥をくれると、ズズ、と一気にお茶を飲み干してしまう。そして彼は私の飲み干したマグカップの上に湯飲みを載せると、マグカップごと奪い取った。

「あ、」

彼は私の腕を掴むとキッチンの流し台にマグカップを置いて、私を今まで過ごしてきた和室に放り込む。
ピシャ、と閉められた和室は暗くて、余りよく見えなかったけど。手探りでカーテンを開けると、月明かりのおかげで何とか中を見渡すことができた。
私の数日に渡る逃亡劇の前と何も変わっていない、和室。真ん中に布団が敷いてあって、そのほかには何もない。


だけどその中で一つだけ違うものがあって、私はゆっくりと其れに近づいて拾い上げる。
もう二度と手にしないと思っていた携帯が、布団の上に無造作に放り投げられていた。あの時光っていた新着メールを知らせるランプは、もう光っていなかった。…充電が、切れたんだ。そう思いながら、ゆっくりと開く。電源ボタンを何度長押ししてもディスプレイに光はともらなかったけど、何故だか安心できて、其れを握り締める。
――返してくれた。その事実が信じられないけど、少しだけ嬉しかった。ここでは私自身の顔すらアニメ調になってしまって、私は元の世界にいたという証明するものが何もない。この携帯がなくなってしまえば、完全にその痕跡を失ってしまうのだ。それだけは、怖かった。


ぎゅう、と握り締めていると、暗かった和室にいきなり明かりがともった。
光の方に目をやれば、雲雀恭弥がリビングの光を背にこちらを見下ろしている。何か用なのか、殴るつもりなのか。逆光になって彼の表情が見えない私は身構えることしかできず、携帯胸に抱く。「そんなに大切なんだ」と彼は小さく零すと、開いた襖から一歩身を乗り出す。だけどそれ以上は進もうとせずに、只見えない表情で私を見下ろしていた。


「ねえ」
「は、はい……」

「一歩でも部屋を出たら、咬み殺すから」
「…っ、はい」

「……言っておくけど、僕は君の足音で起きるからね。リビングの窓を開ける音も、ドアの音も」

「……逃げ、ません」
「そう。おやすみ」


彼はそれだけいうと、後退して襖を閉じた。再び訪れる暗闇の中で、私は驚きで声が出なかった。
『おやすみ』と、確かに彼は言った。普通の人からしたら其れは当たり前なんだけど、あの雲雀恭弥がということを考えると驚かずにはいられない。
今まで、声をかけられたこともなかったのに。


呆然としていた私は考えていてもしょうがないとあきらめて、布団に潜り込む。奇怪な行動を取る雲雀恭弥の行動なんて、私が分かるはずない。分かるのはきっと、彼をうまく操れるリボーンとかディーノさんくらいだろう。
潜り込んだ布団はふわりと太陽の匂いがして、干されたんだなということがすぐに分かるほど気持ちよかった。ふんわりと香る洗剤に、太陽の匂い。其れは余りにも久々すぎて、思わず涙がにじんだ。
今日は、いい夢が見れそうだ。そう思いながら、そっと目を閉じる。意識が途切れる直前、携帯が小さく光ったような気がしたけど、其れはきっと夢だったんだろう。


あしたはもっと、いい日になあれ。

薄れ行く意識の中で、せめてこの先の未来。痛みが続かないことを、ただただ、祈った。
(08/09/26)


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