旧式Mono | ナノ

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駐輪所にバイクを止めると、雲雀恭弥は再び私の手首を鷲掴みにすると、まるで引きずるように部屋へと連れて行かれる。
人がいないがらんどうのロビーを通り抜けて、私がついた先はやはりあの時と何も変わっていない簡素な部屋。恐怖対象。怖い。

彼は部屋に着くなり私の手を離すと、乱暴に戸を閉める。激しい音に、私は反射的に肩をすくませた。怖い。とりあえず、彼が怒っていることは明白だった。私は何を言ったらいいかを少し考えたけど、鋭い視線に制され其れも叶わなかった。どんな言い訳も通用しないらしい。



怯えきった私を尻目に、彼は私が一度も入ったことのない彼の自室の中へ姿を消す。取り残された私はどうしたらいいか分からず、ただ立っていることしかできない。


とりあえず、あの部屋に戻るのだろうか。そう思いながら泥だらけの靴を脱ぐと、泥だらけの靴下が顔を覗かせる。そのまま上がったらら殺されそうだと思った。あわてて靴下を脱ぐと、ちょうど雲雀恭弥が黒いものを抱えて部屋から出てきた。泥だらけの靴下を持つ私を見て、細めていた目を上げる。

「ふうん、学習能力はあるんだ」と彼は呟くと、「来なよ」と促され問答無用で風呂場に押し込まれる。風呂場は私が最初にぼろ雑巾のようにされた場所で、思わず身をすくませる。恐怖にひざが笑い出して、私は脱衣所のふかふかした足拭きマットの上にへたり込んでしまった。逃げ場を失ったことへの恐怖より、マットを汚してしまったことへの制裁への恐怖が上回る。ごめんなさいっていわなきゃと思うが、彼は意に介さないというように何の感情もこもっていない目で見下ろしていた。


「汚い」
「…すみま、せ……」

「今草壁哲也から報告が来たけど。土の中で生活してたんだってね」
「ご、ごめんなさ…」

「勝手に家に侵入して。勝手に逃げ出して。僕を馬鹿にしてるのかい?」
「違っ、いま……!」

「どうでもいいよ。とにかく汚れ落としてくれる。汚れる」


返事を聞く気がないのかことごとく私の声を遮り、持ってきた黒い塊を私に投げつける。恐る恐る広げてみると、それはどこかで見たことあるパジャマだった。
どこで、と考えたが、すぐに分かった。雲雀恭弥が風邪で入院するシーン中、彼が着ていた服だ。何気ないシンプルな寝巻きの癖に、何処となく高級感を感じさせる。間違いなく、これは雲雀恭弥のものだった。

其れを何故、このタイミングで。私は戸惑った表情を隠せずに、とりあえず彼を見上げて次の言葉を仰ぐ。彼は相変わらず感情の読めない表情をしていたが、私の視線の意味に気づいて僅かに目を伏せた。再び見開かれた其れは不機嫌そのもの。『そんなこと聞くな』ということがニュアンスで分かった。


「あ、の…」
「お風呂入った後にもソレを着る気?」


それ、と指差されたのは彼の一張羅である、風紀委員の腕章のついた学ラン。私はそこで初めて、お風呂場に押し込まれたその意味とパジャマの意味を理解する。其れと同時に、驚く。困惑した、といってもいいかもしれない。

私にとって雲雀恭弥は恐怖の対象であり、彼が自ら私に与えるものは死なない程度の食料と水、居住場所。そして痛みだ。…其れに伴った治療道具もくれるがその程度。彼が私に自らお風呂をくれることなんてなくて、あまりの心境の変化に私は言葉を失う。何が裏がありそうで、むしろ怖くなってしまう。


動こうとしない私にイラついたのか、彼は不機嫌そうな顔で私との距離をつめる。あまりの至近距離に思わず後退すると、すぐに壁にぶつかった。うつむいた私の表情を確認するように彼は私の顎を持ち上げると、そのまま学ランの詰襟部分に触れる。

ピリッとした痛みが首に走り、私は思わず表情をゆがめた。
彼が指を離すと、そこは赤色に染まっていた。…どうやら、ナイフを当てられた時に、銃弾が掠めたときのかさぶたが剥けてしまっていたらしい。



血がついた指を気にする訳でもなく、彼は今度は私からみての左袖をたくしあげる。すでに血は止まっているものの、かすり傷ともいえないナイフの切り傷。彼はそれを固まっているか確認するように触れる。

ズキン、という鋭い痛みに、私の体は大きく跳ね上がる。これはかなり痛い。暴れる私を彼は腕一本で押さえつけて、私と視線を合わせる。つりあがった瞳は、この世界に来る前なら「キュン」としていたかもしれないが、今は恐怖の対象でしかない。
明らかに怯えた様子の私に、彼は何も言わない。ただ私を見据え、様子を伺うように見ているだけだ。だけど其れも飽きたようで、すぐに体を離した。


「左手、湯船につけ無いほうがいいよ」

彼は小さくそういうと、立ち上がる。そして私ともう一度だけ視線を絡ませると、すぐに踵を返して脱衣所から出て行った。
取り残された私はと言えば。彼の言葉の意味を理解するために、しばらく乱暴に閉められた扉とにらめっこをしていた。…湯船につけて血でお風呂を汚したら殺す、ということなんだろうか。それとも私が4日もお風呂に入ってなくて汚いから?それはそれで、納得が行くけれど……だったら自分が先に入ればいいのに。


彼が去ると、途端にふっと体が軽くなるのを感じた。足に力が戻って、何とかへたり込んでいた足を立たせて学ランを脱ぐ。
見るも無残なほどに引き裂かれ、風紀委員を介抱することで血まみれになったワイシャツ。同じく血まみれのスカート。まともなのは、下の下着だけだ。


まさに、不幸中の幸い。ブラジャーは身に着けなくてもぺったんこになるだけで指して問題はないけど、下はなければ困る。だから引き千切れられなくて、本当によかった。
まあ其れは無残なほどに汚れていたけど。前にも下着を神社で洗ったから、手荒いは慣れている。洗っていまうと後に穿くものがなくなってしまうのが、難点だけど。…まあ、バスタオルで究極まで水気を吸い取れば大丈夫だろう。


そんなことを思いながら、私は下着を片手に、風呂場に入る。途端に暖かい蒸気が体にあたり、じんわりと温め、思わず吐息が漏れる。

そんな感覚は久しぶりで、あったかいと思った事が素直に口から零れた。こんな暖かさ、久しぶりすぎる。
僅かにほてった顔を冷ますために、シャワーの取っ手を捻ってすぐに頭からかぶる。まだ温まりきっていないシャワーの水は冷たかったけど、神社で体を拭いていた私にはどうってことない温度だった。

次第に温まっていく水をかぶりながら、私は腕についた泥の固まったもの等の汚れを爪でこそげ落としていく。



シャンプーとか、借りちゃっていいのかな。と目をやれば、そこには何故だか見たことはない、女性をターゲットにしたようなかわいらしい入れ物のシャンプーとコンディショナーがあった。時がとまった様な気がした。


一瞬彼が使っているのかと疑ったけれど、その横にはそれと分かる男用のセットが置いてある。……まさか、わざわざ用意してくれたんだろうか。雲雀恭弥が?草壁さんが?
俄かには信じがたいことだけど、恐る恐るシャンプーのほうをプッシュしてみれば、スカッと空気だけが出てくる。使っていないという印に、私はさらに混乱した。



誰のものかもわからない優しさにいっそ恐怖を感じつつ、それでも有り難く使わせてもらう。雲雀恭弥のを使えば殴られる自信が合った。
数回プッシュしてでたそれを両手につけ、しばらくぶりに頭皮を洗う。久しぶりすぎて泡があまり出ないのに苦笑しながら、私は彼の『湯船につけるな』という言葉の意味を取り違えていたことに、まだ気づけていなかった。


寒いのに慣れていたせいか、あたたかさがやけに身に沁みて心地いい。でも何故だかそれはそれで、辛いもののように感じた。
(08/09/26)


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