旧式Mono | ナノ

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再び閃いた銀色に、今度こそ完璧に私は死を覚悟した。

しかしその刹那。
突然白いものが私の目前を通り過ぎ、ソレは黒いリーゼントに当たって二つに割れる。
思わぬ衝撃に風紀委員は面食らったのか、一瞬手が緩む。続いてべしゃと音がしたかと思うと、彼の顔が赤く染まった。血かと思って一瞬身をすくめたが、その中にすぐに緑のドロドロとしたものが混じっていることに気づいて、唖然とする。それは血ではなく、トマトだった。

彼は私を放り投げるように突き放すと、トマトの汁が目にしみたのか、野太い悲鳴をあげながらうずくまった。
状況が把握できない私は下に落ちた大根とトマトを呆気にとられながらも見つめていた。しかし、そんな私を正気に戻さんがごとく、悲痛な叫びにも似た声が降り注いだ。


「アンタ、逃げな!」

声をしたほうを振り向けば、それはいつだったか、『風紀委員には気をつけなさいね』と教えてくれたおばちゃんだった。
震える手で卵のパックをあけながら、大きくソレを振りかぶる。ソレは見事に風紀委員に当たって、割れた。
どうやら、この町最強と言われる風紀委員に、名も身元も知らないおばちゃんが身を呈して戦ってくれているらしい。彼女の周りのおばさんたちも驚いているようで、彼女の無謀とも言うべき行動を見つめている。足元で、風紀委員が蠢く。頭より先に、体が動いた。


私は彼が取り落としたナイフを掴むと、落ちた大根で殴ってから全速力で駆け出した。待てと手を伸ばされるが、私は其れを振り払う。待てと言われて待つ奴はいない。それに、おばちゃんの行為だって無駄にはしたくない。
ちなみに大根で殴ったのは、彼の目線が私に向くようにするためのとっさの判断だった。もしあのまま完璧に姿をくらませば、風紀委員は確実にあの人がよすぎるおばさんを殴るだろう。それは避けたい。
私は彼に追いつかれない、だけど見失わないような距離で走る。後ろから憎しみに満ちた声が響くが、私の足は止まらなかった。




神社の階段を駆け上がり、彼が階段を上りきる前に境内の下に隠れる。彼の身長なら、屈んだとしても境内の奥のほうに掘った穴の中までは見えないだろう。

私は震える手でナイフを穴の底に押し付けて、腕の傷の状況を確認する。
思ったより深くはないが、止血が必要なほどぱっくりといかれている。傷口は白いものが顔を覗かせていて、私は今更のように強い痛みを感じた。長袖の部分をナイフで引き裂くと、ソレを口と傷のない左手で結ぶ。布はすぐに赤く染まったけど、この状態なら死ぬことはなさそうだ。多分。
失血のためか、意識は徐々にまどろんでいく。だけど不思議と、死ぬ気は起きなかった。

次に目がさめたときには、風紀委員がいなくなっていますように。私はそう思いながら、目を閉じて、意識を手放した。




『い、――たか?』
『いや――み……い』


「ん、」

小さく声を出しながら目を覚ますと、複数の男の声が私の耳に届いた。
彼らの声に完全に覚醒した私は、いつもの癖で穴から出ようとした体をぎりぎりでとめて息を潜める。どうやら時刻は夕方を越えて夜に差し掛かっているらしく、あたりは暗い。寒さが厳しくなり始める時間だった。どうやら境内の中まで調べているのか、すぐ上で足音と声が響く。私は身を硬くして、彼らの言葉に聞き耳を立てた。


「畜生何でいねぇんだ。だがここから出てはいないはずだ!」
「お前が手を出したなら、委員長や副委員長に知られる前に始末しなければ」
「エモノはどうしたんだ?」
「とられた!くそ、あのクソババア、明日になったら…!」
「今はそんなババアどうでもいい」
「そうだ、今は女だ」


状況悪化。
しかも、どうやら私を殺すという同じ意思を持った総勢(声を出して把握できた人間は)3人がここに来ているらしかった。
今日はここから出ないほうがいいな、と心の中だけで思うと、ふと遠くから足音が聞こえてきた。
しばらく気の張った生活を続けていたせいか、私の聴覚は格段によくなっている。しかも時々笑い声が聞こえてきて――私は、息を呑む。

神社。それは、不良が深夜にたむろする絶好の場所だ。ゲーセンのように補導も去れないし、まず警察官はここには来ない。
ここ3日の間の1回だけだけど、夜になるとどうやら風紀委員ではないらしい不良集団がたむろしたことがあった。リーダー格らしい人間の声が男とは思えないほど高いから、よく覚えてる。まさかな、と抱いた私の嫌な予感は一瞬で的中した。



「ああ?お前ら誰よ?」とヤンキー漫画お決まりの言葉で始まった喧嘩は、どうやら喧嘩といえないほどのヒートアップしているらしい。私はその中で響く悲鳴や怒号から耳をふさいで、早く彼らが去ってくれないかと言うのを願う。

一昨日、彼らはここで一人の少年に暴行を加えていた。カツアゲ、というやつなのだろう。彼はボコボコにされた挙句、身ぐるみまではがされていた。
だけど私は何もしなかった。助けもしなかったし、警察を呼んだわけでもない。耳をふさいで、早く去っていかないかと息を潜めていただけだ。

だからこそ、私が暴行されていたときに見てみぬ振りをした彼らの気持ちがよく分かった。行動しないんじゃなくて、できないという言い訳が。怖くて、すごく怖くて体が動かないことへの言い訳が、痛いほど分かる。

その無関心さが人を傷つけるとも分かっているのに、自分の無力さをここぞとばかりに振りかざす、卑怯な弱者だ。ただ弱いだけじゃない、卑怯者。



ドン、という音が頭上から響き、板の隙間から何か生暖かいものが滴って、私の頬に落ちた。
なんだろう、と手でなぞって前に出すと、そこには黒い液体。くろ?違う。これは赤だ。




ギャハハハハ、という笑い声が遠のくのを確認すると、私は恐る恐る穴から出て、境内の下から這い上がる。そこはまさに、地獄絵図だった。
3人中2人は人相が変わるほど殴られていて、境内の上にいる1人…私にナイフを振りかざした風紀委員は血まみれで倒れていた。
私は少し迷って、境内の上の人間に駆け寄る。わき腹を刺されているのか、右手で腹を押さえていた。私はとっさにベストを脱ぐと、彼の傷口にぐ、と押し当てる。彼は小さくくぐもった声を出して、私をうつろな瞳で見上げた。


「おま……え、は」


私は彼の言葉を無視して、自分の右腕に巻いていた包帯代わりにしていたワイシャツの袖をはずす。傷口は、強い力で縛っていたおかげか大量の血で固まっていた。
何をしているんだろうと、思った。馬鹿じゃないかと思った。自分を殺そうとした人間を助けるなんて、狂気の沙汰にしか思えない。だけど、人が死ぬのは嫌だった。…それだけだ。
私はその包帯で彼の腹にまわして、縛る。彼は一瞬苦痛に顔をゆがめたが、憎憎しげに私を見上げた。


「テメェ……何を今更ッ!」
「ごめん…なさ、い」


私のせいで、こんな目にあってしまって。
私は彼の腹に巻きながら、他に目だった失血はないか調べる。彼は何かを言おうとしたが、口をつぐんだ。
しかし、突然慌てた顔つきになると、私の体を押しのけようとする。何、と言おうとした私に、彼の声が重なった。


「逃げ……っ」
「おー、女の子はっけーん!」


聞き覚えのある、男とは思えない甲高い声が響いたかと思うと、グッと後ろに引っ張られる。
私は首根っこを引っ張られるように風紀委員の男から離されると、後ろから抱きしめられるように私の腹部に腕が回った。

「とどめさそうと思って戻ってきたら、いいもん見っけちゃった。こりゃあもう、食うしかないよな?」


彼はそういうと、腹に回していた手を上に持ってくる。
そして私のワイシャツの真ん中あたりを掴むと、思いっきり引いた。

ブチッという音とともに、私のワイシャツのボタンはあっけなく弾けとんで、風紀委員の人の上に降り注ぐ。
あまりの唐突さに考える能力を失った私の首筋に、生暖かい息が、規則的な息遣いで降り注ぐ。



悲鳴すら、上回る恐怖に掻き消された。
(08/09/24)


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