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 体が重い。いつの間に寝てしまっていたんだろうか。気づけば私はベットの中にいて、柔らかい体温に体をゆだねていた。重たい目を必死で開くと、そこにはまるで旅に出る前と同じようにデンジさんがいて、私は昨日のことが夢ではなかったと思い知る。彼の問いに答えられなかった私は何が悲しかったのかとうとう泣き出してしまって、彼に慰められていた気がする。結局あのまま寝てしまったのか。ため息をつきながらデンジさんの表情をうかがうけれど、起きる様子は少しもない。初めて彼に見せた自分の弱い部分は、結局すべて彼によって引き抜かれてしまったらしい。ここ数年ずっと抱えてきたような悶々とした不安がいくらか軽くなったように思えて、ありがとうと心の中だけで呟く。

 旅をしている時は随分成長したと思っていたけれど、デンジさんの前に戻ればそんな強さは井の中の蛙だと思い知らされる。彼は、ジムリーダーというのはそれほどまでに大きな存在だ。バトルとは関係ない私の強さも弱さも、まるで紙に水を垂らしたようにジワリと滲んでふやけてしまう。下手をしたら、昔のほうが大人だったかもしれない。そんなことを思ってついため息をつくと、目の前のデンジさんがわずかに身じろぎした。弱さを隠せていた昔の私も今の私も、彼の優しさに甘えっぱなしだ。肩に添えられた手をそっと彼の方に押し戻す。私は強くなんてなっていなかった。



 なんとか起こさないようにベットを抜け出すと、そこには黒い大きな塊が二つ丸くなって寝ていた。一つはデンジさんのレントラー。そしてもう一つは、人型になった私のレントラーだ。いつの間にこの部屋に入って来たんだろう。私は何度も寝返りを打ったのか寝ぐせだらけになった固い黒髪に指を絡める。ぱちり、と大きな鋭い瞳が開き、人間ではまず見たことのない程綺麗な黄色の双眼と目があう。ゆっくりとのばされた大きな手が、まるで昨日のデンジさんとのやり取りを見ていたように人間らしく引き寄せる。拒むことも受け入れることもできないまま、私は彼の腕の中に納まる。「レントラー」その名前を呼ぶと彼は顔を近づけ…そして何かを我慢するように唇を引き結ぶと、再び顔を離した。

 どうしたらいいかわからず頭をなでるとくすぐったそうに身をよじる。ここまでしても、やっぱり私の中でこの外見のレントラーを受け入れられない事を痛感するだけだ。昨日まで彼と過ごすことで感じていた安心感や安堵感は、今では感じることができなかった。



「…ねえレントラー。レントラーは、人間になりたかったの?」


 心の中の疑問がつい零れ落ちてしまう。彼は私の言葉を聞き、困ったように表情をゆがませる。ポケモンであった時と変わらない。彼の表情だけで彼の考えていることを模索する。不便だなと思う事はあったけれど、今だけはこのままでいいような気がした。ちゃんとした言葉を聞いてしまえば、私はきっとレントラーを人として認識してしまう。そうなったらきっと、もう二度とポケモンだった時のレントラーと同じように接することはできなくなるような気がした。


「ぐぅ…」

 低く唸った彼は、私の首筋に顔を寄せた。息が熱い。鼻先をこすりよせるその仕草から肯定の二文字が頭によぎり、目頭がジワリと熱くなるのを感じた。とっさに押しのけられた彼はやや不満そうにこちらを見たが、すぐに困ったように表情をゆがませる。長い舌が一瞬口の端からのぞく。昨夜に感じた舌の温かさを思い出したように、びくりと肩が上がる。そんな私を引き戻すように、ぎこちなく動く指先がいつの間にか出ていた私の涙を不器用にからめとった。


「…ごめんね、まだ眠いのかなあ」
「がっ、がぁっ…」

「大丈夫だよ。…ちょっとお水飲んでこようかな、のど乾いちゃった」


 そういってレントラーの体から出ると、彼も私と同じように立ち上がる。そして当たり前のように私の後をついて、寝室を後にした。随分と大きい彼はしっかりとした歩き方で私から離れない。水道の前に来た時も同様、触れ合いそうなほど近くに身を寄せて、私の行動をまじまじと見つめていた。


「水、飲む?」

 何の気なしに聞いてみると、「があ」と嬉しそうに表情をほころばせる。私はコップに水を入れて彼に渡すと、彼は長い舌を使って器用に飲んでいた。…本当に、レントラーなんだ。嬉しいとも悲しいともつかない悶々とした感情が、彼に飲み方を教えようとした言葉を飲み込んだ。
 自分の分も注ぎ一気に飲み干す間も、レントラーは私から視線を外さない。どうしたの?と聞くと、彼は私の目と手元を見比べ、真似をするようにコップの端に口をつける。しかし傾けるのが早かったのか、体や顔に水がかかってしまう。驚いたように目を見開いた彼に、思わず手が伸びていた。

 水滴をふいてやると、彼は悔しそうに表情をゆがめてコップを見つめていた。「…飲みたいの?」という問いに彼は小さくうめいて肯定した。まるで赤ん坊のように何も知らない彼は、まるでやってやってとせがむ様に私にコップを握らせた。小さなコップに手が四つ。二つは私の手で、もう一つはわずかに青い体毛が残った大きな手。無防備な両手は大きな手に誘導されるように彼の口元へコップを運ぶ。一瞬遅れて、早すぎる傾きを慌てて力を入れて抑えた。

 ゴクゴクと嚥下の音がまだ登り切っていない優しい太陽の光が降り注ぐキッチンにこだまする。こうやって男の人にコップで水を飲ませた経験なんて当たり前のようにない私は、あまりの事に彼から目をそむけることができない。けれど一生懸命コップの水面を見ながら水を飲もうとする彼を見ると何だかおかしく、ため息とは別の息がこぼれた。私の表情が変わったことに機嫌を良くした彼は、ときどき私の顔を見上げては嬉しそうに目を細めた。



 長い時間をかけてコップ一杯の水を飲みほした彼は、ゆっくりと立ち上がり私の手からコップを奪う。そしてさっき私がしていたように水を出すと、洗うようなまねごとをして私のほうを振り返った。どうだと言わんばかりの表情に、堪え切れずに笑ってしまう。思えばレントラーは昔から、新しい技を覚えるたびにこうして振り返って「褒めて褒めて」とせがむことがあった。無邪気な面はやっぱり変わってないんだなあと思う。そしてそれはどこか、昔のデンジさんにも似ているような気がした。

 『今度の照明は凄いんだ!ほら、名前も来てくれ!』深夜の三時くらいに帰ってきたかと思えば外に引っ張られたことを思い出して、つい笑ってしまう。レントラーはそんな私を一瞥し、水を止めることもせず濡れた手のまま乱暴な手つきで私の頭をなでまわした。昨日私がデンジさんにされていたのを見ていたのかもしれない。多少ぎこちなさを感じるけれど、彼のそれはデンジさんの仕草そのものだった。



「レントラーは本当にすごいね。よく周りを見て…よくそれに助けられたね、私」

 独り言のようにそういうと、彼は褒められたと感じたように表情をほころばせた。一瞬子供っぽくなった表情に、私は苦笑してしまう。レントラーはいつもこんな風に笑っていたんだ。ポケモンの姿ではわからなかった彼の幼さに、何となく可愛いという感情が生まれた。

 ポケモンだった時の彼はいつも周囲にアンテナを張り、私が気付くよりも早く野生ポケモンの位置を把握し教えてくれた。野生ポケモンのレベルが高いと判断するや否や、私を背中に乗せて一緒に逃げてくれた。泣いている時は慰めてくれた。…思えばあの時から、彼の中で私がポケモントレーナーではなくなっていたんだと思う。――じゃあ私は彼にとって、いったいどんな存在なんだろう?そんなことを考えていると、視界が陰った。


 心配するような唸り声。自身の鼻先を私の鼻先にくっつけて、わずかに顔をずらす。不意に唇に息がかかり、私はそこでようやくこの異常な事態を把握することができた。しかし私が何かを言うより先に、彼の大きな口が食べるように私の口にかぶりつく。キスというにはあまりにも捕食的なイメージが強いそれにうまく反応できないでいると、彼はすぐに私の口を離す。それは親犬がわが子にする上下関係の確認…口を咥えるという行為に似ていて、私はほぼ無意識に彼の口元を手で覆った。



「…えっと…レントラー…あの、あのね、人間同士では、こういう事はしないんだよ」

 動揺を隠そうとしても声が震えうまくいかない。ファーストキスという単語が脳裏をよぎりつつ説明するけれど、私の言葉に納得がいかない彼は抗議するように語気を強める。「なんでだよ、なんで駄目なんだよ」彼の仕草や声音が脳内で勝手に言葉に変換される。けれど私はそれ以上の言葉が思い浮かばなくて、焦りだけが募っていく。


「人間だとキスって言って、大切な人にするものなんだよ。…えっと、勿論レントラーは大切なんだけど、そういう意味じゃなくて…」
「キスが、なんだって?」


 くぐもったような寝起きの声が急にレントラーの背後から響き、すぐそばを頑として離れなかった彼の体が後ろに引っ張られた。今起きたばかりという風体のデンジさんと目があい、バツの悪さからとっさに目をそらしてしまう。不可抗力だったとはいえ、私はまたポケモントレーナー失格な対応をしてしまったという負い目が、彼を見ることを拒否をする。彼はそんな私にあきれたようにため息をつくと、「おい、名前を困らすな」とレントラーの肩をたたいた。

 諦念めいたデンジさんとは対照的に、レントラーが何かを訴えるようにデンジさんを見るように私を促す。デンジさんについて何か言いたいことがあることは分かる。けれど細かい事情までは分かるはずもなく、私はレントラーをなだめることしかできない。伝わらないことが分かったのかレントラーは訴えるのをやめ、軽快するように唸って怒りの矛を収めた。


 人になっても私はレントラーの気持ちをくむことができてない。情けない主人だなあとため息をつきたくなるけれど、そもそも主人としても認識されてないからそれすらもできない。でもすべて自分のまいた種だ。もう遅かったとしても、自分の後始末くらい自分でしなければいけない。それが責任だった。


 レントラーに手を伸ばし、手のひらで両ほほを覆う。抱きしめてくれるのだと期待した大きな両手が私をつかみにかかったけれど、私はその手を握らず彼の顔をわずかに下げる。驚いたような黄色い双眼と目があった。今更だね、ごめんね。心の中だけで呟いて、彼の顔を私の顔の位置よりも下に引っ張った。いわゆる犬のしつけによくみられる格好だ。手の中の彼が、嫌がるようにうめくのを感じた。



「レントラー、ごめんね。私全然、トレーナーじゃなかったね」

 嫌がって私の手からのばれようとする彼の動きが止まる。大きな耳が緊張するように立ち、上目づかいで警戒するような視線を私に向ける。レントラーは何も言わない。デンジさんも何も言わない。静かなキッチンに、私だけが口を開いて声を発していた。


「私ね、今更トレーナーぶるつもりはないの。だから元に戻りたいか戻りたくないかは、レントラーが決めて欲しい。…でもね、私は」

 彼に伝わるようにゆっくりとそういうと、彼は驚いたように限界まで目を見開く。大きな三白眼が、まるで迷子になった子犬のように不安で揺れた。デンジさんの視線が突き刺さるのを感じる。だけど私は止まれないし、止まらなかった。

 けじめという言葉は本当に難しいと思う。ポケモントレーナーとしてだけ考えたら、私は今すぐこの不安そうな頭を地面にねじ伏せて一から主従関係を築くべきだと思う。…だけど、私とレントラーはすでに長い時を経てできたパートナーという関係がある。だから現実的に考えたら不甲斐ない私を守るために身についてしまった癖、性分、気質、関係、思考、願望。それらすべてをこちら側の主張だけで否定するのはあまりにも身勝手な行為だ。だから私は覚悟しなければいけない。例えレントラーという家族が失われたとしても、私の招いた結果であれば受け止めなければならない。それが、私ができる唯一のけじめのつけ方だった。


「私は、元に戻るっていう選択肢があってもいいと思う。…だから、探しに行こう。すぐに戻らなくてもいい。そのままでもいい。周りがだめって言ったって、私は味方するよ」
「おい、名前…」

「……でも、私は知りたい。どうしてレントラーが人間になったのか。なりたかったのか。だから、探しに行こう?」


 デンジさんの言葉を無視して続けると、レントラーはわずかに目を細めて私の手を冷静にふり払った。そもそも、2メートル近くある巨体の彼が私の手を振りほどけないはずない。もともと振りほどく気がなかったレントラーが私の手を振りほどいた意味を測り兼ねていると、彼は私を促すように手で押した。

 ああそうか。私は彼の意図をようやく理解して、デンジさんを振り返る。デンジさんは少し戸惑ったような困った表な表情で、私とレントラーを見比べた。「結論は出たのか?」金髪をかきながら、バツが悪そうに彼は目をそらした。



「レントラーと一緒に、原因を調べてきます」
「宛てはあるのか?」

「とりあえずリッシ湖に戻ってみようと思います。…ミュウの事もあるし、手がかりがあるかもしれないから」
「ミュウっていうのは、あのピンクの生き物の事か?」


 訝しげなデンジさんの目に気圧されるように頷く。彼はもうすでに知っている。私がこの世界の人間じゃないことも、ポケモンの知識をどうやって身に着けたかという事も。勿論彼が完全に信じてくれていると思っていなかったけど、受け入れてはくれているとは感じていた。その私の勘を証明するように、彼は「ミュウか…聞いたことがないな」と真剣に向き合ってくれている。私だったらどうだろうか。不意にそんな疑問が浮かんだ。人の現実離れした話を、手放しで信じることができるのだろうか?レントラーでさえ信じ切れなかった私が、こんな風に優しい人に慣れるんだろうか。


「よし。じゃあこうしよう。俺は今日はジムに行くが、ナナカマド博士にそのミュウとやらのポケモンを知っているか聞いておくよ」
「…え?」

「ジムっていったって常に挑戦者がいるわけじゃないことは知ってるだろ。俺にできることはそれぐらいしか今は思いつかないが…何か分かったら連絡をして来いよ!いいな!」


 デンジさんはそういって私の頭を押さえつける。もう何も隠すな。そう言われているような気がして、私の心は重くなる。結局彼はトレーナーとして正しくあろうとしなかった私を諌めようとはしなかった。それどころか隠しごとをし続けた私を責めようとせず、ただ次に何をしたらいいかを一緒に考えてくれる始末だ。人がいいにもほどがある。

 この人は本当に電気みたいな人なんだなあ。ぎゅうと抱きしめられて強く感じる。暗い夜道を月よりも明るく照らしてくれる、夜の太陽みたいな人だ。



「じゃあ、いってきます」

 私は彼の背中に手を回す。後ろのレントラーが急かすように服を引っ張ったけれど、それ以上は強く引き離そうとはしなかった。





 デンジさんの洋服を借りて、レントラーと家を出る。獣のままの足は靴に入らなかったため、布を裂いてヒモで足首を縛っただけの簡易的な靴になってしまった。大きな体はローブで隠れるものの、垂れた尻尾は歩いて布が揺れるたびに裾からのぞいてしまう。だけどズボンの中にしまうのはかたくなに嫌がるので、これだけはどうにもならなかった。

 大きすぎる彼は人目を引くのか、行き交う人の視線がレントラーと私を見比べるように揺れる。私はばれないかという不安がついて回るけれど、デンジさんいわく『ばれる心配はまず無い』らしかった。普通に考えて、ポケモンが人になるわけがない。つまりレントラーに近いものを身に着けていたとしても、いわゆるコスプレをしている人と認識されるらしい。


 人の視線から逃れるようにリッシ湖の入り口にたどり着くと、そこにはあまり見慣れないポケモンが看板に寄り添う様に佇んでこちらを見上げていた。目が合うと少し驚いたように身を引き、逃げるように湖の方へと体を引きずっていく。レントラーが警戒するように唸り声をあげる頃には、ずるりと水の中に引き込まれるように落ちていった。

 この世界に来てから最初のうちはナギサ周辺に住んでいたしデンジさんにリッシ湖に連れてきてもらったこともかなりある。けれどメタモンを見たのは、今日が初めてだった。旅をしている間に生態系が変わったんだろうか。そんなことを考えていると、リッシ湖の対岸にもメタモンの群れを見つけた。大量発生。その言葉が脳裏によぎる。


 水面に近づくと、小さなメタモンが警戒しながらこちらの出方をうかがっていた。先ほどのメタモンなんだろう。少しだけ怯えた様子をしたその子は、ゆっくりと差し出した指をただただ見つめるばかりだった。


「……飼われてたってわけでもなさそう。昨日は気づかなかったけど、こんなにメタモンがいたんだ。レントラーは気づいてた?」

 そうレントラーに聞いてみるけれど、レントラーは眉根を寄せるだけで何も言わない。この状況を怪訝に思っているという事は、昨日の時点ではレントラーは気づいていなかったという事になる。人になったレントラーならまだしも、ポケモンのレントラーは透視能力がある。水の中のポケモンも察知できる能力があるのに、この数のメタモンに気付かないことはあり得ない。という事は、この現象は昨日今日で発生したものだという事になる。でもそんなにすぐに生態系が変わることなんてあり得るんだろうか。


 シンオウリーグに挑戦する時にもらったポケモン図鑑を開いてみるけれど、変身すること以外の事はあまり載っていない。偶然か。そう思っていると、不意に私の体が傾く。少しずつ近づいてきた居た小さなメタモンは、びくりと体を震わせて再び私のそばを離れていった。

 
 獣のような唸り声が大きくなって、大きな二本の腕がぎゅうと私の体を締め付ける。デンジさんと対峙している時とは違う、本能的な警戒色をにじませた唸り声に我に返る。レントラーの腕の向こうにはいつの間にか一人の男の人が立っていた。私と同じ年、もしくは少し下くらいだろうか。赤い帽子をわずかに傾けてこちらをうかがう彼は、デンジさんと似たような雰囲気を持った人だった。レントラーのこの状況を察するに、彼は相当強いポケモンなんだろう。彼の傍らに静かに降り立ったムクホークは、わずかに警戒の意思を見せるように目を細めていた。


「……ムクホーク。今日はバトルしに来たんじゃないよ。相手を怯えさせたら駄目じゃないか」


 彼は一言そういうと、ムクホークはだって…と不満を言うように僅かに抗議したけれど、すぐにあきらめたようにため息をついた。そして羽を大きく広げて飛び立つと、リッシ湖を数度旋回したのちに何かを伝えるように小さく鳴いた。「うん、やっぱりそうか。ありがとう」まるムクホークが何を言っているかわかったようにその男性は呟くと、今度はこちらに向きなおった。


「ねえ君、このあたりに住んでるの?最近ここで、変わったポケモンを見なかった?」
「変わったポケモン…?」

 彼の意図がつかめず、思わず聞き返す。彼は一瞬口ごもり、言いにくそうに必死に言葉を選んだ。


「えっとね…体が薄桃色で、尻尾があって…他には…」
「…ミュウの、事ですか?」

 要領を得ない彼の物言いに思わずミュウという言葉がついて出る。彼は私の言葉に驚いたように目を見開き、同時に警戒したような色をにじませる。ミュウはシンオウ地方では…いや、この世界にとってはなじみのない名前なのだろう。ムクホークが彼を守るように大きな羽音を立てる。リッシ湖の木々や草花がざわめく。バチリと音を立てて、私とレントラーの間に強い静電気のようなものが走った。


「…ミュウを見たの?ここで?」
「えっと…」

「大事なことなんだ。正直に話してほしい」
「……昨日、見ました」


 だんだんときつくなる視線に促されるように本当のことを言ってしまう。この人が誰なのかわからない以上迂闊なことはいうべきではないのは分かってる。私は会ってはいないけど、ロケット団のような悪い組織だったらと考えたら今の私の発言は完全に失言だ。…けれどなんとなく、この人はそういう人ではないような気がする。悪い人と言い人の区別がつくわけじゃないし自分の勘ばかりを信じるのは危険なことだけれど。それでもなんとなく、デンジさんのようなトレーナーに悪い人はいないような気がしてしまうのだ。

 始めは私はデンジさんのようなトレーナーになる事をを意識はしていなかった。けれどいつからだろうか。憧憬、畏敬、尊敬。そんな言葉が当てはまるほどに私はデンジというジムリーダーに影響を受けている。ああいう強さが欲しい。そう感じるような絶対的な存在。きっと目の前の人物もそうなんだろう。伝説のポケモンを見た。にわかには信じがたい私の言葉に動じず、「やっぱりか」と小さく息をこぼした。


「メタモンが大量発生してるからまさかとは思っていたけど。…見たかったな、この目で」

 息をついて、考えるように目を閉じる。しかし堪え切れなくなったという様に、口だけはしっかりとほほ笑んでいた。…いたずらが成功した子供みたいだ。先ほどのおとなっぽい表情とは違う表情に、私はそれから目をそらすことができなくなっていた。クツクツと笑う彼は目じりにたまった涙をぬぐうと、水面をのぞき込む。背後で、レントラーがうなり声を上げた。


「しっかし本当に博士の言ったとおりだ。ミュウが現れた水場にはメタモンが大量発生する。……生態系が崩れるけど、それも必然ってことなのかな。…ほら、おいで」

 水面に手を伸ばした彼の手に、まるでじゃれあう様に先ほどの小さいメタモンが絡みつく。そこにはさっきの不安の色はなく、まるで長旅をして信頼関係を築いてきたようなそんな安心感さえ感じた。
 その人はしばらくメタモンをたわむれた後、私の方に向き直る。彼は私とレントラーを見比べて、少し驚いたように目を見開く。しかしそれは一瞬で、すぐに笑顔の奥に隠れてしまった。

「驚かせて本当にごめん。僕はコウキ。今はナナカマド博士とオーキド博士の下で伝説のポケモンの研究をしてるんだ」

 
 唐突に名乗った彼はムクホークを手早くしまうと、レントラーをしっかり見据える。信じられないことだけど、私はコウキという名前を知っていた。もちろん顔は知らないけれど、このシンオウ地方ではコウキという名前はあまりにも有名だった。そのトレーナーとしての活躍たるや、シンオウ地方の新生児の男の子の名前で上位に食い込むほどの知名度だ。もちろん同姓同名もありうるけど、こんなにレントラーが警戒するコウキは、恐らく一人しかいない。


『コウキがこのジムにきてから、挑戦者が増えてなあ!しかもレベルが高いんだよ!』

 ポケギアを通したデンジさんの興奮した声が脳裏をよぎる。多分私はこの人を知っている。恐らくこの人は、私が強いと思っているデンジさんより…いや、シンオウ一強い人だ。


「…チャンピオン、さん…?」

 驚いて声も出せなくなった私に彼は強さなど感じさせない柔らかい笑みを向けた。





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