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 沈黙が痛い。まるで張りつめた糸が暗いままの部屋に張り巡らされているような、そんな緊張感に包まれていた。
月明かりに照らされたレントラーは一瞬驚いたような顔をしたが、密着している私とデンジさんに気付き普段と同じように喉を鳴らす。「……なんだよ、これ」再び呟かれたデンジさんの声は、耳のいいレントラーには届いていないようだった。


「……レントラー…だよね?」


 恐る恐るそう聞いてみると、彼は何をあたりまえなことを言うんだという様に訝しげな顔をする。おかしいことに、彼の姿は時々蜃気楼のように時折かすんで見える事があった。そしてその瞬間、少しずつだけど彼の姿は人間に近くなっていくような気がした。デンジさんもその変化に気付いたんだろう。「…名前、あれは」と確信をついたような言葉をこぼした。


「グルルル…がっ……がぁっ…」

 きっと何かを言おうとしているのだろう。詰まったような息を吐く彼は、まるで人間の真似事でもしているように何か言葉を言いたそうにしていた。しかしうまくいかないのか、くぐもった音しか出てこない。やがて彼はあきらめたように肩を落とすと、一瞬の跳躍で私とデンジさんの間に入り再び私を床に押し付けた。レントラーの時だったら何とも思わなかったそれは、裸の犬男という肩書に翻弄され不快なものになってしまう。悲鳴が出るより先に、部屋の中に明るい光が広がった。「電気ショック」容赦のないデンジさんの声が、レントラーの声の合間から滑り込んできた。



「ぐあぁっ」


 派手な音を立ててレントラーに当たる。ポケモンの姿とは違い電気が効いてしまうのか、レントラーは苦悶の表情を浮かべて私から飛びのいた。私のレントラーとは違って少し高い獣の声が、まるで何かを責めるようにレントラーに降りかかる。デンジサンのレントラーは戸惑っているようにも怒っているようにも見えたけれど、ポケモンの言葉を理解できない私は彼らが何を言い合っているのかわからなかった。


「名前、立つんだ」

 呆けたように立っていると、デンジさんが抱きしめるようにして私を立たせる。そして床に落ちたままだったシーツを拾い上げ、くるむようにして抱きしめる。それに気づいたようにレントラーがこちらを睨むけれど、デンジさんのレントラーが立ちはだかり彼は私に近づくことさえできなかった。「レントラー、よく聞け」澄んだデンジさんの声だけが、静かな室内に響いた。



「お前に何があったかわからないが、今はとにかく落ち着くけ。名前も、だ」
「…で、でも」

「この状況は俺らで理解できるものじゃない。とりあえずすべきことをするんだ。…ライチュウ、でてこい」

 彼は片手で私を抱きしめたまま床にモンスターボールを向ける。眩しい光とともに現れた彼は困ったように私と自分の主を見つめる。そんな彼は「集中治療室に行って、レントラーがいるかどうか確認してきてくれ」と的確な指示を出す。彼は釈然としない表情を浮かべながらも、すぐに踵を返して外へ出て行った。


「レントラー、名前を頼む」

 ライチュウが向かったことを確認した彼はテキパキと自分のレントラーに指示を送ると、今度はベットに置き去りにしたままのレントラー用のブランケットを手に取り、人になってしまった私のレントラーのもとへ向かう。バチッ。人間に近い体になったレントラーから電気が発せられ、一直線にデンジサンに当たる。しかしそれを全く意に介していないように、彼は私にしたようにやさしく体に巻いた。


「落ち着くんだ、レントラー」
 どことなく重みのあるその声に、レントラーは反射的に未だに生えたままのしっぽを垂らす。いつの間にか随分と人間に近い体つきになった彼だけど、不思議なことに足としっぽだけは獣の姿のままだった。獣姿の彼はただデンジさんを凝視し、困ったように私に視線を移す。歩み寄ろうとすると、デンジさんのレントラーの鼻先が私の体をやさしく押し戻した。近づけさせない。金色の双眼が、やさしい動作とは裏腹に鋭くとがって突き刺さった。

 あまりの威圧感に動けなくなった私の足元を、ライチュウが駆け抜ける。彼は一目散に主のところで向かううと、まるでいなかったという様にかぶりを振った。つまり、この獣人男は確実に私と旅をしたレントラーということだ。



「……そうか」絶望する私を見ながら、デンジさんは冷静にそう呟く。こんな異常としか言えない事態に冷静でいられるのは、彼の元々の気質なのか、それともジムリーダーという責任感のある人間だからなのか私にはわからなかった。ただそんな彼がとても頼もしかったし、同時にこの人に頼り切ってはいけないことを痛感する。この人はきっと頼ればすべて請け負ってしまうだろう。彼自身にかできないことはもちろん、私がすべきことまで。

 大きく深呼吸をして、目を開く。怯えている場合じゃない。デンジさんは自分の家族だとはっきりと言い切ったけれど、それは私だって同じことだ。むしろ今のトレーナーは私なんだから、これはきっと私がすべきことだ。


 押し返してくるレントラーの鼻先を手のひらで覆う。私はシンオウ最後のトレーナーバッジを持っていないから、レベルの高いデンジさんのポケモンに指示はできない。ただレントラーの習性だけは熟知しているつもりだ。彼らはオオカミというよりか犬と同じだ。鼻先を覆うことで、一瞬だけでも上下関係を教えることができる。――もっとも本当に教え込むのなら、その鼻先を口で包むんだけれど。



 生態的な習慣なんだろう。一瞬レントラーが身を引いた瞬間に、私は大切な家族に近づく。僅かに怯えたような表情をしたその人は、デンジさんと私を見比べて困ったように小さく唸る。本当はじゃれあいたくて仕方ないんだろう。力なくうなだれた長い尾は、先端だけパタパタと動いていた。
 近づいた私にデンジさんは何も言わない。私は抑止されることなく、彼のすぐ前まで行くことができた。近くで見ると彼は随分と背が高い。デンジさんよりも大きいその身長は、2メートルに届くか届かないかといったところだろうか。獣だった時に壁を頼りに立ち上がった時と同じくらいの身長で、私は改めてこの人が自分の家族であることを認識する。


 思えば、レントラーは壁に前足をかけ立ち上がる練習をしていた時があった。その後の野生とのバトルでは壁なしで立ち上がり自分より大きなポケモンの喉に氷のキバをしていたから、てっきり技の練習だと思っていたけれど。本来はそんな発想はトレーナーがすることであって、ポケモン自身が自分で見つけられることじゃない。だから野生のポケモンよりトレーナーのもとで育てられたポケモンのほうが強いのだけど、彼はどちらかというと人間らしいレントラーだった。感情も人一倍波打ち、人間のように考えたり嫉妬をしたりもした。――もしかしたらこの子は、人間になりたかったんだろうか。そう思いながら私は彼を見上げる。戸惑いに揺れた瞳は、まるで病室で目が覚めた時に初めて見たコリンクの目そのものだった。



「…レントラー、おいで」


 腰にブランケットをまいただけの裸の男は、私の声にゆっくりとしたがう。しかしそれは人が人を抱きしめるという行為ではなく、まるで大きな犬が飼い主にじゃれるように、両肩に手を当て頬を摺り寄せるだけだった。慣れ親しんだ匂いに包まれ、ジワリと涙があふれる。本当はとても怖い。暗闇の中の獣の声の恐怖、訳が分からないものに体と舐められる羞恥心。そんなものがぐるぐると頭の中を回り、すぐにでもこの両手を払いのけてデンジさんの後ろに隠れてしまいたくなる。けれど心とは裏腹に、私の手は彼の背中をなでる。よしよし。これが私とレントラーのスキンシップの方法だ。――もしこれが私の知る動物の犬なのだとしたら、これはあまり飼い主とペットの間ではよくない体勢なのだけど。


「びっくりさせて、ごめんね。私もちょっとびっくりしちゃったの。…大丈夫だから、落ち着こう」


 ゆっくりと自分に言い聞かせるように言うと、レントラーは長い舌を出して私の耳後ろをなめる。不思議なもので、ポケモンだった時に舐められる感覚とずいぶん違うそれは私の中で羞恥心しか生まない。動物の舌はざらざらと乾いている印象だったが、人間になったそれは自身と同じように湿り気を帯びぬるぬると動いて気持ちが悪い。表情を変えた私に気付いたのか、レントラーが私の体から離れる。彼の腕はデンジさんに掴まれていて、私はそこで初めてデンジさんが怒ったような表情を浮かべているのに気付いた。


「待て、レントラー。その体でそういうことをするな。名前が困るだろう」

 彼の声と同時に、彼のレントラーが動き私と彼の間を割るようにその体を滑り込ませる。彼のレントラーは冷ややかな瞳で人間になった同じ種族のそれを見ているような気がした。その視線を受け、レントラーの尾が再びうなだれる。獣の姿だったらきっと抱きしめに行っているのになあと、変なことを考えてしまった。人と獣の姿では、こんなにも印象が違うものなのか。


「とにかく、場所を移動しよう。このレントラーが見つかれば、大ごとになる。つっても、そんな格好じゃあ外に出るわけにも…」
「あ…キッサキに行ったときに買ったローブがあったはず…」

「よし、それでいこう。幸い今は深夜だ。大通りさえ歩かなければ人に気付かれることもないからな」
「…はい。じゃあ私はジョーイさんに事情を話してきますね。…えっと、レントラーが逃げ出したので探してきますって」

「そのほうがいいな。お前とレントラーはこの町ではセットみたいなものだから。居ないといったほうが後々困らないかもしれない」
「…わかりました。…じゃあね、レントラー。先にデンジさんの家で待っててね」


 私は彼にローブを渡すと、大きなリュックを持ち上げる。不思議なもので、ポケモンの姿でいたときは少しでも離れると感じたはずの不安が全くわかなかった。デンジさんがいるという安心感なのか、それとも。
 私とは対照についてきたがるレントラーを無視して、扉を閉める。ポケモンセンターは深夜でも出入りが激しいから、きっと窓を使ってデンジさんの家に行くんだろう。バタンとドアが閉まる音がした瞬間ひざが笑い、自然と体はきれいに磨かれた床に落ちた。先ほどまでは押し殺せた恐怖が、体の震えを酷いものいしていく。


 彼は私の家族だと頭では分かっているつもりだ。だけど表面上で理解したところで、自分自身の恐怖をごまかせるはずもない。男の人に抱きしめられる経験はあってもあんなふうに舐められるだとか押し倒されるだとかそういう経験があまりない私には、今まで通りの彼の行動は刺激が強すぎる。戻ってほしいと思う気持ちが先行するけれど、彼自身が人間になりたがっていた可能性も否定できないしそもそも戻れるものなのかどうかも怪しい。……一体どうしてこんなことになってしまったんだろう。ジワリと浮かんだ涙をふいて、壁を頼りに立ち上がる。とにかく今すべきことをしなければいけない。重いリュックを今度こそ背負う。ずしりと重たいそれは、先ほど感じたレントラーの体重よりか軽く思え、胸が苦しくなった。







 ジョーイさんに事情を話すと、ジュンサーさんへの連絡を勧められたがジムリーダーが動いてくれているからとお断りをした。レントラーの目は透視するといわれている。もし本当に私のレントラーが私を捜し逃げていたとしても、大人数で捜すよりも私一人で捜したほうが見つかりやすい気もするし、気性の荒い彼は追い詰められたときに手荒な行動に出かねないだろう。そのことを説明すると、もともとの気象を知っているジョーイさんは困ったような表情で納得してくれた。「頑張って、気を落とさないでね」と、励ましの言葉を添えて。


 私がデンジさんの家に近づくと、まるで窓から見ていたという様に激しくドアが開く音がして黒いTシャツの男が飛び出してきた。目が合うや否や駆け出してきたそれを受け止める力はもちろん私にはなく、ドンっという激しい衝撃音とともに地面にたたきつけられる。彼は驚いたような表情を見せると、獣のような声を発しながら肩をぐいっと押して私の体を支えようとする。人間の体に慣れていないんだろう。いまだに獣のようなその動きは、二本の手の使い方をまるで理解していないようだった。


「…レン、とら…いいこにしてた?」
「がうっ」

 見様によっては異様な光景に映るなあと感じながら、私は私よりも高い位置にある頭を撫でてみる。黒く硬質な髪の毛は一瞬レントラーを思い出させるが、獣の姿の時と比べたら幾分か柔らかくなっているような気がした。
 彼は私の顔に頬ずりをしようとするが、とっさに出た両手が彼を押しのけていた。目を白黒させる彼に無理やり笑ってみせる。「中にはいろっか」といったとき、レントラーは少しだけ寂しそうに笑った。



「デンジさん、遅くなっちゃってごめんなさい」
「ああまったくだ。お前のレントラーを止めるの、大変だったんだからな」

 冗談めいた調子で言うデンジさんの頬は、引っかかれたような跡や電撃を食らったように黒くなっていて、それが完全な冗談ではないことを知る。いまだに私から離れようとしない彼は、やや恨めし気にデンジさんを睨みつけている。この二人に何があったかは想像に難くなく、私はため息をついてすり寄ってくるレントラーの頭を押しのけた。普段は乗せてもらったりしてどこかしら密着していることが多かったけれど、人間の彼では同じことはできない。…というより、私がしたくないといったほうが正しいのかもしれない。レントラーにとっては私は同じ家族かもしれないけれど、私にとって人になったレントラーは視覚的には他人だ。知らない、見慣れない顔が触れてくるというのは、気持ちのいいものじゃない。



「…がっ、がぁっ!」

 怒ったようにレントラーがうなる。しかし今度は、デンジさんではなく私に向けられた感情だった。
人になったレントラーは声の出し方が分からないのか、苦しそうに声を出す。昔オオカミに育てられた女の子は四足歩行で声を出すこともできなかったと聞いたことがある。身体的には音を出せても、舌や息の使い方は小さいころに知らず知らずに身に着けたもので言葉として出すことは難しいらしい。


「レントラー、人とポケモンはね、しちゃいけないことが違うんだよ」


 尤もらしいことを口にする私は、いったいどんな表情をしているんだろう。レントラーは下唇をかみしめ、私を睨むように見る。プツリ。柔らかい唇が裂け、血がしたたり落ちる。指を伸ばしてそれをぬぐうと、今度は指をなめられた。ルクシオになった時くらいからだろうか、彼は私をことあるごとに舐める癖がある。私のことを家族だと思ってくれているからだと思っていたけど、デンジさんと彼のレントラーを見ているとなんだか違うように思える。――まるで、主従が逆転しているような。思わず一歩引いた私に、レントラーが詰め寄る。怖い。そう思うのと同時に、「はい、ストップ」と後ろからデンジさんが私を守るように腕を回した。


「レントラー、お前はもう寝ろ。体もまだ熱いし息も荒い。そんな状態で名前を守れるとでも思ってるのか」
「……」

「名前と二人で話がしたい。…それくらいいいだろう」


 重々しくデンジさんがそういうと、レントラーはしばらく鋭い瞳でデンジさんを見つめていたがため息をついてくるりと背を向ける。そしてあらかじめ用意されていた布団に横になり、目を閉じる。布団をかけに行こうとした私をデンジさんは片手で制すると、「俺のレントラーに任せろ」と低い声で言って私の腕を引く。どうやらレントラーには聞かせたくない話のようで、彼の足は以前私とデンジさんが眠っていた寝室へと向かう。久しぶりに入った寝室はあの頃と何ら変わりがなくて、むしろ安心してしまうような雰囲気さえあった。まるで実家に帰ってきたような安堵感と懐かしさ。随分と久しいデンジさんの匂いは、視界が真っ黒になると同時に強くなった。


「…無事で、よかった」

 痛いほどの力で締め付けられ、私はようやく彼に抱き締められていると知った。自然と彼の背中に手が回り、彼の優しさに甘えてしまう。「本当に驚いたんだからな、あの着信を聞いて」まるで私を失速させるのが目的かと思うほど強く抱きしめた彼は、私の頭頂部に顔を寄せた。彼の息が、腕が、体が熱い。こんな風に強く抱きしめられたのは、「旅をしたい」といった時以来だと思った。


「…ごめんなさい。デンジさんしか、頼れる人がいなくて」
「そんなこと言ってないだろ。…でも、無事でよかった。全裸の男が名前の上に乘ってるのを見た瞬間、頭が真っ白になっちまったしな」

「……レントラー…元に戻るんでしょうか」


 ぽつりと呟いた私を、彼はやんわりと押し戻す。その表情はいくらか厳しいもので、先ほどまでの優しさとは違う威圧感のようなものをはらんでいた。この表情を私は知っている。ポケモントレーナーの時の顔だ。


「言いにくいが、言わせてもらうぞ。名前、ジムバッチはどうしたんだ」
「…え?」

「あのレントラーの懐き方は異常だ。まあ甘えたがりな性格とか元々の気質もあるけどな、お前とレントラーは普通の関係じゃない。…大体、お前らは対等に見えないんだ。指示をする立場のお前が、下に見える。…一体、いつからなんだ。あいつがお前の持つジムバッチで制御できなくなったのは」


 彼は全てを見透かしたような目で私を見る。彼は、このシンオウ地方におけるジムリーダーの頂点だ。一時は四天王に勧誘されたこともあるほどの実力者は、この状況を私よりも深く理解しているようだった。私は恐る恐るバッチケースを取り出す。4個しか集められていないそれを見た瞬間、デンジさんの表情が曇った。レントラーは元々デンジさんのポケモンで、レントラーのトレーナーとして機能するためにはバッジの数が重要になる。4つは個体差はあるもののレベル50まで。そしてレントラーのレベルは、一年前にパソコンで確認したときにはすでに60近いものになっている。つまり、彼は随分前から私の言うことは聞かないはずのレベルまで到達していたのだ。

 理由は幾つもあったけれど、そのどれもデンジさんには伝えていない。週に何度も通話しても、私はそういうことは一切伝えていなかった。バッジ集めは順調か?そう聞かれた時は、曖昧に笑ってごまかしていただけだったから。


「理由は、なんだ?バッジ集めをしない旅で、ここまでレントラーのレベルが上がるとは思えない」

 厳しい口調の彼は、まるでレントラーの目のようだった。誤魔化せば立ち所にばれてしまう、そんな感覚にさえ襲われる。理由は幾つもあった。けれど一番大きな理由は、多分家族と慕ってくれるデンジさんを裏切るようなものだった。


「…私は、どうしても家族に会いたかったんです」

 ぽつりとこぼれ出た本音に、デンジさんは何も言わなかった。

「勿論、レントラーにとっては私が家族なことも理解してます。そんな彼を置いて自分だけ元の世界に帰りたいだなんて虫がいいことも…分かっていたんです。でも…私は、さよならも言えなかった家族にあと一度だけでもいいから会いたかった。――ナギサを通った理由も、このあたりに時空のゆがみがあるってうわさで聞いたからで」

「もういい、黙れ」


 初めて吐露する嘘偽りのない自分の感情を、大きな腕が覆う様に抱きしめる。本当は叫びたくてたまらなかった弱い感情が、まるで亀裂が入ったダムのように派手な音を立てて崩壊する。もう黙れといわれた口は、もう止まらなかった。ただ唯一残ったひと握りの理性だけが、言葉にすることを拒むように声を震えさせた。



「…本当は、寂しくてしょうがなかったんです。だから私は…レントラーに依存してしまいました。人の言葉や気持ちを理解する彼に、ポケモン以上の役割を期待してしまいました。その結果、彼は私に依存してしまったと思うんです。……私は、デンジさんのいうやさしいポケモントレーナーになりそこなっちゃっ」

「黙れって言ってるだろ」


 彼は私の顔を強く自分の胸に押し付ける。知らない間にたまっていた涙が、彼の服に吸収されていくのを感じた。私はこんなにいいトレーナーを見ながら、どうしてこうも間違ってしまったのか。素直に甘えきることができず小さく縮こまる私を、彼はしばらくの間離してはくれなかった。「探すぞ」彼はしばらく私を抱きしめた後、唐突に耳元に囁いた。


「お前らにとって最善の関係になる方法を、一緒に探す」


 彼はあえて「元に戻る方法」とは言わなかった。彼はきっと私と同じように思っているんだろう。普通自分の体が今までと全く違う形になれば、ポケモンだって驚愕し絶望するはずだ。だけどレントラーは私のところに一目散に戻り、じゃれあおうとした。…まるで、喜びでも伝えようとするように。つまりどんな理由で人間の体になってしまったにしろ、彼は元々この姿を望んでいたんだと思う。そんな彼の感情を無碍にするのは、あまりにも酷だった。


「もし…もし仮に、あいつが人間として生きたいって言ったら」

 デンジさんは私の表情をうかがう様にわずかに体を離す。彼の声が震えているように思えたのは、多分気のせいだろう。


「お前はどうするんだ?」

 その問いの答えを私は持ち合わせておらず、ただただ彼の見透かすような瞳からそらし続けることしかできなかった。


 


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