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 周りの音が、やけに遠くに聞こえる。あれほど流れていた涙は、ほどなくして止まった。後から聞けば私は全身びしょ濡れ、顔面蒼白でポケモンセンターに駆け込んでジョーイさんに掴み掛る勢いで助けを求めたらしい。

 「助けてください!」まるで随分と昔流行った小説のように叫んだ私は、それからどうしたのかよく覚えていない。ジョーイさんを湖まで案内してレントラーと一緒に大きなポケモンセンターに向かって、おとなしくロビーで待っていた。立派だったとデンジさんが優しい笑みを浮かべながら頭を撫でてくれた。私はただただ子供のように彼に縋り付きながら、家族の無事をただひたすらと冷たく白い検査室の壁に向かって祈ることしかできなかった。






「色々な検査をしましたが、特に異常はみられませんでした。急に冷たい水に入った事で、一時的に発作のような症状が見られたのかもしれません。ただ熱があるので薬を打って眠っていますが、時期に熱も引いて目を覚ますと思います。……もう、大丈夫ですよ」



 検査中のランプの光が消え、機械的なドアの開閉音が響く。一瞬で我に返った私は、慌ててジョーイさんの元へ駆け寄る。ジョーイさんはバスタオルがかかっているだけで未だ濡れたままの私の肩を優しく抱くと、ゆっくりと聞き取りやすい口調で今のレントラーの様子を伝えてくれた。

 とりあえず今は安静にしていることが必要で、ガラス越しには見れるけれど治療室からは出れないこと。高い熱があるという事。血液検査にちょっと不思議な点があったから、これを機会に調べてみることを勧めるという事。とりあえず命に別状はなくて、回復すれば依然と同じようにバトルや旅ができるという事。



 すべてを聞き終ると、不意に体がぐらついた。ジョーイさんが私の体を支える前に、後ろから大きな手が伸びて私の体を支えてくれた。――デンジさん。何と言ったらいいかわからず名前だけが零れ落ちた私を見て、デンジさんは少しだけ笑った。



「よかったな、名前。レントラーが無事で」
「は……はい。……あの、デンジさん、ほんとうに、あの、ありがとうございました」

「気にするな。俺が好きでやったことだ。そんな事よりお前、いい加減に着替えたらどうだ。無事だってわかったんだし、そのままじゃお前が風邪をひくぞ」
「あ……そう、ですね。でも着替えごと水に落ちたので……その、替えがないんです」

「それぐらい見ればわかる。だから、この着替えセットを持ってきてやったんじゃないか」



 呆れたようにデンジさんは、足元にあった紙袋を私を支えたまま器用に拾うと中を開いて見せた。それは私が旅に出る前にデンジさんの家に置いてきてしまった、元の世界の制服だった。……処分してくれていいといっていたのに律儀にクリーニングまでかかっているそれに、私は思わず苦笑してしまう。「ようやく笑ったな」デンジさんの優しい声に、私は胸が痛くなる。小さいころ、母親に甘えたようにデンジさんに抱きつきたいと思いながら、私はしっかりと二本の足で立ってデンジさんから離れた。


 制服を見て、はっきりと思いだしたことがある。私はもう、これを切れるような子供じゃない。悲しいときに足を竦ませてうずくまっていたら誰かが助けてくれる。そんな風に考えていい子供じゃない。私は彼の差し出した紙袋を受け取って、ぎゅうと抱きしめる。濡れた目を強くぬぐうと、不思議と涙は溢れてこなくなった。



「あの、ジョーイさん。少しでいいので、レントラーの姿を見れませんか?……それと、私もポケモンセンターに泊まりたいんですが……部屋の空きはありますか?」
「今日は人が少ないのでそんな顔をしなくても大丈夫ですよ。面会も勿論構いません。是非声をかけてあげてください」



 ジョーイさんが案内してくれる後をついていきながら、私は心の中で安堵する。今は、少しでもレントラーのそばにいたかった。崖から落ちた時ずっとレントラーが私の傍に居てくれたように、私もレントラーの傍に居たかった。
 私が安心したのが分かったのか、ジョーイさんは小さく微笑んだ。そして、「本当に大切な関係なんですね」と嬉しそうに零した。それを聞いて、横を歩くデンジさんが笑った。――そういえばこの人は、ずっと私の付き添いをしてくれたんだった。……仕事を放棄してまで。それを思い出すと申し訳なくなって、慌ててデンジさんに向き直る。


「あの、デンジさん!もう私もレントラーも大丈夫なので、早く家に帰ってお休みになってください」
「……は?どうした、急に」

「いや、あの……だって今日、午後からのジムをやめてまで付き添ってくださったんですよね……?」
「ああ、そのことか。いや、別にジムは閉めてないぞ。現に俺のところまでたどり着けたトレーナーがいたら、連絡が来る予定だったしな。今日はそれが来なかっただけだ」

「いや、でも明日もジムが」
「残念だが明日は第二土曜でジムの定休日だ。もう忘れたのか?」

「……えっと」
「全く、遠慮するなっていつも言ってるだろう。仮にもあいつ(レントラー)は俺の家族だ。名前があいつを思うように、俺だってあいつのことを心配してるんだぞ」

「……あ、すみません」
「謝るなっての。早くレントラーの顔見て着替えに行くぞ。見張り役がいないと、いつまでも面会室の前に居そうだからな」

「……すみません」
「だからそれは止めろ。名前が寝たら俺だって帰るし、明日だっていつここに来れるかわからないからな」



 彼はそういうと、少し困ったような笑みを浮かべて私を見下ろした。できる限りは協力する。そう言ってくれているようで、私は目頭が熱くなった。彼はレントラーだけではなく、私の事を家族だと思ってくれている。そんなことがわかる優しい調子に、私は知らず知らずのうちに笑顔になっていた。

 レントラーの卵をデンジさんから預かった時、彼は私に聞いた。『名前に大切な家族を託す。この意味が分かるか?』その時の私は意味が分からず、答えを最後まで聞くことはできなかった。でも今なら、その答えはなんとなくわかる気がした。



「ありがとうございます、デンジさん」


 すみませんを感謝の言葉に変えると、今度はデンジさんは嬉しそうに笑ってくれた。その表情を見ていると、初めてレントラーとバトルした時のことを思い出した。
 負けてごめん、私の指示が悪くてごめん、怪我をさせてごめん。そんなことを繰り返していた私は、コリンクをいつも悲しませてしまっていた。でもいつだったか、「ありがとう」と言うととても嬉しそうにしてくれた時があった。結果は同じ惨敗なのに、コリンクは嬉しそうに私にすり寄ってきてくれた。――やっぱり、デンジさんとレントラーは似ているのかもしれない。



「つきましたよ、ここです」


 ジョーイさんが立ち止って、廊下の横のガラスを指す。きれいに磨かれたガラスの向こうには、診察台をいっぱいに使って横たわるレントラーの姿があった。酸素マスクのようなものはしているものの、落ち着いているのかお腹はゆっくりと呼吸に合わせて上下している。レントラーの世話をしているラッキーがこちらに気づいて、大丈夫だよというように軽く手を振ってくれる。私はそれに手を振りかえしながら、小さく息をついた。少しは苦しそうだけど、ジョーイさんの言うとおり大丈夫そうだった。


「レントラー、助けてくれてありがとう。ゆっくり休んで、また一緒に旅をしようね」


 ガラスに手をついてそういうと、レントラーの大きな耳がピクリと反応した。聞こえているんだろうか。目は開けないものの、耳は何かを探しているのかぴくぴくと小刻みに向きを変えてみる。もう一度名前を呼ぶと、少し安心したように耳を寝かせて再び眠ってしまった。


「大丈夫そうだな」デンジさんはそういって、レントラーから私に目を移した。とっとと着替えて来いという視線に、私は後ろ髪をひかれる思いで、レントラーからデンジさんへと向きを変えた。「行くか?」と短く問う彼に頷くと、「また来るからね、レントラー」と最後に声をかけて歩き出す。あまりに歩くペースが遅い私を見かねたのかデンジさんが手を引こうとしてくれたけれど、私はやんわりと断ってぎゅうと紙袋を抱きしめた。





* * *






 ひとりっきりで過ごす夜のポケモンセンターは、想像した以上に寂しかった。
いつもは布団を床に降ろしてレントラーが寄り添うような状態で寝ているため、普通にベットで寝るとやけに部屋が広く感じる。何より二人で寝ることに慣れてしまうと、布団が寒く感じてしょうがなかった。
 風が窓を打つ音や木々が揺れる音なんかがいつもより大きく聞こえるせいでうるさくて眠れない。レントラーの大きな息遣いの音がない分静かなはずなのに。


「……レントラー」


 冗談半分でデンジさんが「俺も泊って行こうか?」と言ってくれたけど、お願いしてみればよかったかなと思う。デンジさんの家に住まわせてもらっていた時は普通だったし、家族が恋しくて涙が止まらない夜は同じ布団で寝ることもあった。――まあでも、そこまで甘えることはできないんだけど。


 野宿用のレントラーのブランケットをリュックから取り出して、それを抱き枕のようにぎゅうと抱きしめる。『本当に友達(レントラー)のことが好きなんだな』と周りの人たちは私とレントラーを見て言ってくれるけれど、私は違うと思う。多分私はレントラーに、依存しているだけなんだと思う。しかも自分でも自覚できるくらい、その依存はもうなくてはならない物になりつつある。どうにかしたいとは思っているけれど、どうにかできるとも思っていなかった。



「……ごめんね、レントラー」



 ぎゅうとブランケットを抱きしめると、不快ではない慣れ親しんだ獣の匂いが広がる。少しだけ安心してしまうどうしようもない自分に辟易しながら、ぎゅうと目を閉じた。外の風が、一層強くなる。ナギサは海に囲まれているため、年中風がとても強い。寂しくなりそうな心を叱咤して、布団を頭までかぶる。と、不意に戸を引っ掻くような音が聞こえた。



「……え?」


 布団から顔を出すと、個室の前の廊下に誰かいるらしくドアに取り付けられた小さなスモークガラスには人影が写っていた。一瞬デンジさんかと思ったけれど、すぐにその思いを消す。いくらデンジさんでも、わざと私を怖がらせて喜ぶようなことはしない。夜に弱いことに知っている彼が、ドアを引っ掻いて怖がらせるなんてことはおそらくしない。……そしたら、だれだろう。


「……だ、誰ですか?」


 布団を頭からかぶった状態で、のそのそとベットから立ち上がる。その途端、ドアノブをひねるようにガシャ、ガシャッという激しい音が暗い部屋の中に大きく響いた。とっさに悲鳴を上げた私に、その音はことさら大きくなる。最悪なことに、今日に限ってドアに鍵をかけるのを忘れてしまったらしい。そういえば、いつもは鍵をかけないとレントラーが教えてくれていた。……本当に、私はレントラーがいないと何にもできないらしい。


 鍵を掛けなくちゃ。そう思いながら、竦みそうになる足を必死に動かしてドアに手を伸ばす。と、その瞬間ガチャとドアが開いてしまった。容赦なく開いたドアに右手首を打ち、思わず悶絶する私の耳に聞こえてきたのは明らかに危険とわかる荒い息遣いだった。驚いてその来訪者の顔を見ようとしたけれど、俯いたことでずれてしまったシーツが邪魔をして相手を見ることができない。


 どうしよう、どうしよう!焦る私をよそに、部屋のドアは空いた時とは裏腹に静かに閉じられた。私のものではない荒い息が、暗い部屋の中に響く。私はどうしたらいいかもわからずに、動きを止めることしかできなかった。



「ググ……ガガァ……」


 人のモノとは思えない、野太い唸り声に体が震える。とっさに右腕に手をやるけれど、お風呂の時にはずしたままのポケギアはベッドの上に置き去りにしたままだった。


「グルルルルル」


 獣のような声が、至近距離で響く。殺されるんだろうか、それとも。嫌な想像が一気に脳裏によぎる私を知ってか知らずか、来訪者は私の体にかかった布団をはぎ取った。
 反射的に目をつむってしまった私の耳元に、荒い息が響く。手なのか毛皮なのか、それとも毛皮の手袋をしているのかよくわからない毛むくじゃらの腕のようなものが、座り込んでしまった私の体を押し倒すように床へ押し付ける。思わず目を開けてしまった私の目に飛び込んだのは――――本でしか見た事のないような、化け物だった。


「ヒッ……」


 あまりの光景を前に、口からはひきつったような『音』が出るだけだった。

 人間と同じなのに、頭から鼻先にまでかけて生えている毛むくじゃらな顔。小ぶりな口の中に不気味に光る、ドラキュラを思わせる不気味な犬歯。頭には暗くてよく見えないがヘッドフォンのようなものをしていて、鼻にはペイントを施している。首から胸あたりにかけて顔と同様毛がびっしりと覆い、胸から下には人間の男性のような裸体。……人と獣の中間のような姿は、一瞬美女と野獣に出てくる野獣を思い起こさせた。しかしあの優しいタッチで描かれた野獣とは違い、野生の匂いをそこかしこに漂わせるソレは恐怖しか感じさせない。あの時のお姫様は、今の私と同じ気持ちだったんだろうか。


何とか声をひねり出そうとするけれど、薄暗い部屋の中で不気味に光る金色の瞳に見下ろされていると呼吸することさえ難しかった。なんなんだ『コレ』はと思う一方で、私は不思議な感覚に捕らわれていた。――まるで、その獣が少しだけ怖がっているような気がした。けれど、そんなこと私には関係ない。私は、私の上にのっているソレが怖くて怖くてしょうがなかった。



「れ・・・ら」


 体が震え、まるで金縛りにでもあったように声が引きつる。涙で滲んだ視界の向こうで獣は小さく鳴いて、その顔を私の頬にこすり合わせる。ひきつったような悲鳴を上げると、私を抑えていた手が離れた。その隙に私はその生き物の下からはい出ると、ベットのポケギアに飛びついた。数回画面を押すだけなのに、指が震えてうまく推せない。何とかデンジさんの番号を出すころには、野獣のようなその男は再び私をベットに押し付けていた。


 呼び出し音が暗い部屋の中に響く。涙でぐしゃぐしゃになった視界では、男がどんな表情で私を見下ろしているのかわからなかった。不意に、男の顔が近づく。暴れようとしたけれど、両手は毛むくじゃらの手のようなもので抑えられているため一切の動きを封じられていた。

 ざらり、と乾いた舌が涙をなめとる。短い悲鳴が、意思とは関係なく零れ落ちた。大きな舌は私の涙をすべて舐めとろうとでもしているように目じりから頬を伝い首筋まで流れる。「ヒィィッ」という情けない声が中途半端に空いた唇から零れ落ちる。怖い、怖い!今まさに目の前にたたずむ大きな恐怖に、私はどうしたらいいかもわからずについには泣きじゃくってしまった。



「グゥゥ」


 男が変な唸り声を上げる。そしてもう一度毛におおわれた顔を摺り寄せると、私の下にあったブランケットを口でくわえ私の頭にかけた。その行為に一瞬でジャブのようなものを感じた。――前にも確か、こんなことがあったような気がする。確かあれは……。



「レ……れん、とら……」



 頭が答えに息つく前に、私の口からは慣れ親しんだ名前が零れ落ちた。何を馬鹿な想像をしているんだろう、そんな訳じゃないじゃないか!震える体にそう言い聞かせながら私はもう一度、今度ははっきりと名前を呼ぶ。それに返事をするように、馬乗りになった男は人ではない――まるでポケモンのような鳴き声を上げた。



 私を抑える手がゆっくりと離れ、私の顔からブランケットが外される。カーテンの隙間から零れ落ちる月明かりに照らされたそれは、最初に見た瞬間よりかは人間らしい顔だちをしているような気がした。ただ顔全体……特に額から鼻にかけての体毛が、野獣のような印象を与えている。鼻すじと目の下には赤いペイントのようなものが施されており、まるであるポケモンを連想されるようないでたちをしていた。


「……なに、これ」


 そういうのが、今の私には精いっぱいだった。裸で私の上にまたがるその男は、私を『いつものように』落ち着かせようと顔を近づける。人間の男から発せられることなど決してない、慣れ親しんだ獣の匂いがとても強くなった。


「……あなた、まさか」



 そうである訳がない。そう思いながらも、口が勝手に言葉を紡ぐ。私はもう彼の正体に気づいているはずなのに、私はそれを認めたくなかった。違う、そんなわけない。脳裏によぎる愛しい家族の姿をその男に重ねながら、思う。まるで瓜二つのその姿は、見れば見るほどレントラーにしか見えなくなっていた。



「れ」

 レントラー。そう呟いた私の言葉は、荒々しくドアを開ける音によってかき消される。気が付けばポケギアから呼び出し音はやんでおり、緑色に光る画面にはツウワチュウと表示されていた。大声で私を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、私の上から男……変わり果てた姿のレントラーがベットの下に吹き飛んだ。強い力で抱き寄せられた先にはもう一人の家族がいて、私は泣きたくなった。



「デンジ、さん……」
「名前……あれ、まさか」



 光の下に晒されたレントラーは、驚いたように目を見開いて私とデンジさんを交互に見ていた。とても寂しそうなその瞳を前に、胸の奥が鈍く痛んだ。




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