希う | ナノ

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 太陽が落ち始め青い空が赤らみ始める。穏やかな風は暖かいはずなのに、何故だか背筋が凍るように冷たく感じた。私の眼前にいるレッドさんとグリーンさんはお互いの言葉が信じられない様に目を見開き、口を閉ざしている。だけど両者の表情は、同じ驚いた顔をしているようで少しだけ違う事に私は気づいてしまった。

 グリーンさんはただただ驚いているように見えるけれど、レッドさんは拳を握り何かを押し殺しているようにしている。この指輪の事を詳しく知っているのは、状況的に見てもレッドさんだと私は直感で判断する。「どういうことですか」という問いの言葉が、この張りつめた空気におびえるように震えた。どうしてグリーンさんとレッドさん、そして名前さんの関係はこんなにも食い違ってしまうんだろう。うまくいきそうでうまくいかない。まるで神様に邪魔でもされているように、彼らはすれ違っている。それが何とも歯がゆくて、なんだか切なく思えた。


 苦虫を噛み潰したような両者は、遠慮しあう様に口を開いては閉口を繰り返す。その駆け引きに最初に降りたのは、グリーンさんだった。


「俺は、レッドからもらったと聞いてる」
「…名前がそういったの?」

「…いや、ガキの頃大事そうにレッドの家から持ってきたところを見つけたからな、そう聞いたんだよ。そうしたら頷いた」
「……あの、バカ」


 レッドさんが俯いて、珍しく悪態をつく。「違うのかよ」とグリーンさんは少し苛立ちをにじませながらレッドさんの言い分を促す。レッドさんは離すことをためらう様に口ごもったまま、真実を語ろうとしない。きっと彼の中で、グリーンさんが勘違いしているのは想定外だったんだろう。僅かに動揺した指先が、考えをまとめるようにあごの下をつまんだ。



「…これは、グリーンから指輪をもらったお返しにって、僕の家で作っていた物だよ。ほら、真ん中の大きなビーズが緑色だろ。お前をイメージして作ったんだって、嬉しそうにしてたんだけど」


 まさか渡してなかったなんて。最後の言葉はほぼ呟きのような声で、強い風が吹いたらかき消されてしまいそうなほど弱弱しかった。レッドさんの言葉を聞いて、ふとアルバムにあった一枚の写真を思い出す。真ん中に赤い大きなビーズが入ったおもちゃの指輪。それを嬉しそうに、左手の薬指にはめて珍しく満面の笑みを浮かべた名前さん。

 あのおもちゃの指輪がグリーンさんからのプレゼントなら、つまりあの時点では彼女はグリーンさんのことが好きだという事になる。…いや、多分彼女はレッドさんが言う様に、ずっとグリーンさんのことが好きなんだろう。だからお礼にとビーズで同じような指輪を作った。彼の名前と同じ、緑色のビーズを入れて。でもそれを渡したい本人に、予想外のタイミングで見つかってしまった。…私なら焦って、多分嘘をついてしまうだろう。ましてや快活で気の強そうな子供のころのグリーンさんに嫉妬の混じった声で「それレッドからもらったのか?」なんて強い口調で言われたら…。気の弱い彼女は頷いてしまう事も、あるのかもしれない。それはとても愚かなことだけれど、彼女の気持ちもわからなくはなかった。



「……本当に、バカですね。名前さんは」


 思わずついて出た言葉に薄い笑みで返したのはレッドさんだった。すべてを知らない、けれどその一端は察したであろうグリーンさんは、呆然と私を見つめていた。私は自身の推測の全てを二人に話すと、グリーンさんはとうとう座り込んでしまった。頭上を、烏ではなくオニドリルが鳴きながら飛び、夕焼けが深くなったことを知らせる。ああやっぱりここは私の知っている場所じゃないんだ。煮え切らない名前のせいでこんな目にあっているかと思うと、私は苛立ちさえ感じ最後の語調は自分でもわかるほどきついものに変化していた。

 レッドさんは何も言わない。彼もきっとビーズの指輪を渡してなかったのを知らなかった…いや、この様子だと「渡した」と言われていたんだろう。名前という人は、本当に嘘つきでずるい人だ。心の底から、私はそう思った。


「…もちろん私の推測です。それにこれだと、矛盾点も出てきてしまうんです」
「……矛盾点?」

「はい、グリーンさん。これだと、彼女がどうして死を選んだのか、説明がつかないんです」
「…確かに。グリーンと結婚するのは名前の夢だったんだ。…喧嘩があったって、死ぬ理由にはならない」

「……もっと他に、理由があると思うんです。名前さんを追い詰めるだけの、何かが」


 何年も何年も好きだった人と結ばれる…そんな幸せをかき消すほどの事とはどんなことだろう。無い知恵を必死に振り絞ってみたところで、そんな経験のない私には見当もつかなかった。私よりも早く成人し、大人の考えを持つ彼らを理解しきるのはとても難しい。私にできることは、彼らの話を聞いて自分なりに繋げて考えてみる、ただそれだけだった。

 まるでパズルのピースを探るように、今までの話を思い返してみる。彼女は自分に酷いコンプレックスを抱えていた。二人より劣っている自分。追いつきたいのに追いつけない。だから死んで、突き放したのだろうか。好きだと言ってくれる想い人を、高々コンプレックス程度の理由で放り投げてしまったんだろうか。――私ならそんなことはしない。でも彼女なら?分からないことだらけで、頭が痛い。分かりたくない気持ちばかりで、胸が痛い。



 クシュン、とくしゃみが沈黙しきった場に新しい風を入れる。グリーンさんは私の肩をやさしく抱いて、引き寄せた。それはきっと名前さんへしたいことなんだろう。「なんで」感情を押し殺した震えた声が、私の冷え切った頭皮にかかり温める。

「どうして"お前"は、いつもいつも…肝心なことだけを言わないんだ」

 聞き手がいないその言葉はただただ空しく、彼女自身がいない空っぽの体に落とされる。私が受け取っていい言葉じゃないから、口を開くこともできなかった。グリーンさんの肩をレッドさんが叩く。グリーンさんはふと我に返ったように私を突き放すと、「悪い」と呟いて踵を返した。お前なんか見たくない。そう言われているような気がして、なんだかひどく寂しくなった。――何で、私が寂しいんだろう。どうして私が寂しくならなければいけない?……これはきっと、私じゃない。この体の持ち主の感情だ。そう考えると居てもたってもいられなかった。


「悪いがレッド、今日はそいつをお前の家に泊めてくれないか。俺はちょっと、考え事をしたい」
「…ああ、分かった」


 レッドさんは短く言うと、私の手をつかんだ。だけど私はとっさに、その手を振りほどく。驚いたようなレッドさんの表情が、帽子の下から覗いていた。私はその表情を睨むと、グリーンさんの背中に力いっぱい怒鳴りつけた。


「グリーンさん!」


 驚いたようにグリーンさんが"私"を見る。レッドさんも同じような目で私を見ていた。それはお化けでも見るように、わずかに怯えの入ったような目だった。誰だお前は。改めてそう問いかけている二人の目が、私を更に苛立たせた。

 グリーンさんはどうして一人で考えようとするのだろう。今も、名前さんがレッドさんを好きだと勘違いしている時も。一人で考えて出る答えじゃないのに、気持ちばかりが内にこもって体裁を取り繕い、肝心なことを言おうとしない。それじゃあ名前さんと一緒だ。都合の悪いものから目を背け、気持ちに整理をつけると偽って胸の奥に閉じ込める。その行為に、いったいどんな意味があるというのだろう。少なくとも私と名前さんの命がかかっているこの状況で逃げないでほしい。戦ってほしい。名前さんのためだけでいいから。


 もちろん自分の気持ちを伝えなかった名前さんが一番悪い。でも勘違いをし譲れない癖に譲るふりをして彼女とレッドさんに判断を委ねきっていた彼もまたずるいのだと、背を向けた彼にはっきりと思ってしまった。


「…私はグリーンさんの家に帰ります。少なくともこの体は名前さんのなんだから、家に帰らないと、名前さんがかわいそうです。そうでしょ、グリーンさん」


 強い口調でそういうと、グリーンさんは眉根を寄せた。呆然とした表情から一転、沸々と彼が苛立っている様子が表情だけで十分に分かった。レッドさんは「おいグリーン」と慌ててなだめるように声をかけたがもう遅い。グリーンさんは無言のまま私の前で足を止める。そしてゆっくりと手を伸ばすと、私の首筋に触れた。傷跡をなぞるその手は冷え切っていてひどく冷たい。苛立った表情はいつの間にかくしゃりと歪んでいる。今にも泣き出しそうなグリーンさんの涙腺が決壊したのは、口を開くのと同時だった。


「……どうしてお前は、あいつとそんなにも違うんだよ」


 その声は本当に弱弱しく、アルバムで見た小さいグリーンさんからは想像もつかないような姿だった。
彼は私の首から手を放すと、今度は手を握る。抱き寄せる。そして唇が軽く触れ合うだけのキスをした。


「この感覚は一緒なのにな。…名前だって信じたかったのに、どうしてくれるんだ」

 涙をにじませながら彼はそういって私の手をやんわりと掴んだ。グリーンさんはもしかしたら、こんな風に名前さんに否定をしてほしかったのかもしれないと何となく思った。レッドさんじゃないよ、あなたが好きなんだよと、名前さんがはっきりと伝えていれば、こんな事態にはならなかったんだろう。ただそれだけの食い違いでこんなにも悲劇に変わってしまうなんて、現実はとても残酷だ。



「レッド悪い。やっぱりこいつは連れて帰るわ」
「…ああ、僕も悪かった。止めなければいけないのは僕だったのにね。ありがとう、苗字」

 レッドさんはそういうと、モンスターボールを放った。眩しい光と共に出てきたのは、彼の相棒でもあるリザードンだ。リザードンは状況を理解しているのか、私と目をあわせても何も言わなかった。ただ主の命のまま、姿勢を低くしてレッドさんが上るのを待っていた。

「…苗字とはこんな形じゃなくて、もっと前に知り合いたかったな」

 レッドさんはそれだけ言い残すと、リザードンを促す。大きな羽ばたく音と共に急上昇した彼は、息つく間もなく早々とこの場から姿を消した。残ったのは、私とグリーンさんだけだ。彼は私の手をつかんだまま、レッドさんの消えた方角をぼんやりと見つめていた。「怖かったんだろうな」とぽつりとこぼしたのは、グリーンさんだった。


「俺も名前も、多分あいつも。…レッドじゃないが、お前がお前としてこの町にいてくれたら、こんなことにはならなかったんだろうなと思うよ」
「……甘えないでください。その性格がこんな事態を生み出してるんでしょう?」

「…ハハっ、それもそうだ」


 彼は力なく笑うと、私の手を軽く握る。手の向こうにある彼の二本の足はしっかりと地面に立っていて、先ほどまでの弱弱しさはもうそこには感じなかった。彼の本当の姿は、きっと芯がとても強い人なんだろう。彼女の気持ちを知った今、彼の芯はしっかりと彼を支えているように感じた。

 彼は空を仰いていた目をまっすぐに私に向ける。その瞬間、「全国で一番強いトレーナー」だと言ったレッドさんの言葉が脳裏をよぎった。睨まれているわけでもなければ見下されているわけでもない。にも拘らず、彼を強い人だと感じさせる何かがその瞳にはっきりと表れていた。


「こんな状況だしお前には悪いが、感謝してるよ。多分お前が来なければ、俺たちはずっと今までのままだった」
「…じゃあ、後は元に戻るだけですね。私も名前さんも元通りになって、みんなハッピーエンドです」

「そうだな。……まだ、間に合うよな」


 彼はそういうと、子供のような無邪気な表情で笑った。それは彼女のアルバムで見た、昔のグリーンさんと同じ笑顔だった。その笑顔に動揺したからだが、鼓動を早め顔を熱くさせる。きっと名前さんはこんな風に笑うグリーンさんが好きだったんだろう。必死に彼女の想いを宥めすかしながら、「勿論ですよ!戻ってくれなきゃ、私が困ります」と笑って見せた。


 どちらからというわけでもなく、自然に手が離れる。この瞬間に、私は名前ではない別人であることが証明されたように感じた。願いでも表面上でもなく、私は彼の中で苗字として存在している。その事実に安堵した自分が、自然と笑みを作った。



「さて、そろそろ日が沈むし帰るか。あぁ、そういえばお前の家っていう選択肢もあったな」
「えっ?私に家があるんですか?」

「一緒に住む前に名前が一人で住んでいた家だ。昔は家族で住んでいたん、事故以来はずっと一人だったな」
「…ずっと、一人」

「汚くはないと思うが…どうする?昨日はいやいや泊まってただろ、お前」
「あれ、ばれてました?」

「じゃなかったら家の中でウインディを出しておかねぇだろ」


 彼はそういうと、昨日同様ウインディを取り出した。昨日今日ととても濃い一日だったからだろうか。ウインディが酷くなつかしく感じてしまう。「昨日はありがとう」と頭をなでると、ウインディは大きな顔を私の頬に摺り寄せた。そして私の手を鼻先で押し上げ、背中へと送る。乗れと言っているんだろう。言葉はないのに本当に人間みたいで、動物にはなかったその姿に何だか複雑な気持ちにさせられた。



「で、どうする?俺としてはこのまま帰ってもいいんだけど」
「…あんなこと言った手前あれですが、やっぱり私の家が見てみたいです。手がかりとかあるかもしれないし」

「分かった。じゃあウインディ、行くぞ」


 主であるグリーンさんが促し、ウインディが身をかがめる。私はなんとか一人でよじ登って、先に上ったグリーンさんの背中の布を握った。まるで中学生が怯えながら二人乗りをしているようなそんな風に見えて、何だかとてもおかしかった。
 私が捕まったのを確認し、ウインディが走り出す。昨日はそんな余裕はなかったけれど、一定の速度で襲う浮遊感と振動が何だか猫バスに乗っているみたいで、僅かに高揚するのが分かった。現実から目を背けてこの世界を楽しもうとする自分を叱咤し、ふと浮かんだ疑問をそのままグリーンさんの背中にぶつける。ほとんど八つ当たりだった。


「そういえば、名前さんの家はどうして汚くないんですか?以前から同棲してたんですよね?」
「あー…まあそう思うよな。あいつ、少なくとも三日に一度は掃除しに帰ってたんだよ。家族との思い出の家だからって」

「…それは、一人で?」
「ああ。まあ俺もレッドも日中は割と忙しくしてるときが多いしな。多い時は毎日だったから手伝おうとしたんだが、いつも自分がやるって聞かないんだっ!だから、家自体には俺も入ったことが無…」


 
 風の音にかき消されないようにか語調を強めて話すグリーンさんの言葉を聞きながら、楽しい気持ちが一気に冷めていくのが分かった。それは気分が萎えたというわけでは無く、ただ単に彼の言葉が確信を付いているように思えてなからなかったからだ。それは話していて彼も感じたんだろう。「あ?でも…」と後ろからでもわかるように考え込んでいた。

 家というのは、人が住んで初めて命を持つと聞いたことがある。普通に考えたら使わないほうが綺麗のままでいられるが、家は廃墟になった時点で驚くほど老朽化していくらしい。だから掃除に行く気持ちは分かる。…けれど、毎日掃除をするくらいなら、グリーンさんとそこに住んでしまえばよかった。でもそれをせず、なおかつ掃除を手伝うといった大好きな人を家に入れようとしない。私ならどんな理由でそんなことをするだろうか。散らかっているから?大切な家族だけとの思い出だから?それとも…


「見られたくないものがあるから」


 私の言葉に、グリーンさんが振り返る。彼も同じことを思ってたんだろう。私を見て小さく頷くと、ウインディに「急げ」と短く命令した。ぐんと早くなりバランスが取れなくなった私は、死に物狂いでグリーンさんの背中に捕まる。何だか安心感を感じるのは、名前さんの体だからだろうか。


「なあ!苗字!今日は俺が、お前の家に泊まっていいか?!」


 強い風の音と共にグリーンさんの言葉が私の顔にぶつかり、すぐに後ろへと流れて行ってしまう。私は彼に必死でしがみつきながら、昔の名前さんと同じように彼の言葉に肯定するしかなかった。





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