希う | ナノ

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 誰かを好きになる夢を見た。それは酷く遠い存在で、走っても走ってもいつまでも距離が縮まらない。あまりにも縮まらないから私は疲れて休もうとするけれど、気が付けばまた彼に向かって走っている。もう足は限界だ。もう動けない、やめてしまいたいと何度思っても私の体は全くいう事を聞いてくれなかった。




 目が覚めると、茶色の瞳と目が合った。身に覚えのないその人を見た瞬間、ああやっぱりあれは夢なんかじゃなかったんだなぁと他人事のように思った。

 目覚め一番目に入った人物は、悪びれもなく「ごめん」とだけ言うと、当たり前のように鏡台の前にある椅子に腰かけた。彼の後ろにある時計は10時を指していた。昨日眠ったのが6時ぐらいだったから16時間も眠ってしまっていたことになる。これじゃあ体が逆に疲れてしまいそうだと思ったけれど、不思議と体が軽い。彼の横でナッシーが座って眠り込んでいた。「今の今まで君に催眠術をかけていたんだよ。そうしないと君が暴れるからってね」淡いベージュが買った茶色の髪の男の人が、肩をすくめながら事もなげにそう言った。あまりに普通にいうものだから、一瞬何を言われたのか理解できなかった。


「え…暴れ!?」
「そうじゃなくても随分とうなされてたからね。僕が催眠術を代るよって言って眠らせた。君にかけ続けなかったのは、君と話がしたかったからだよ、苗字」


 彼はそういうと、表情を隠しがちな赤い帽子を外した。帽子姿ではわからなかった癖のある髪の毛がばねのように飛び跳ね、彼はそれを疎ましく思う様に片手でなでつける。しかしそれは徒労に終わり、「湿気があるといつもこれだ」とぼやきながら私のほうに向きなおった。

 私の苗字を知っているという事はグリーンさんと、そして事情を知っているという事は名前さんとも近い間柄に違いない。とすれば、彼の名前は聞かなくても安易に想像ついた。


「…あなたが、レッドさんですか?」
「そう、あたり。なんだ残念だな、聞かれると思ってなんて答えようか考えていたのに」


 彼は軽い調子でそういうと、改めてレッドだという事を教えてくれた。そしてわずかに真剣みが増した瞳で、「事情はグリーンから聞いたよ」と続ける。そこにはグリーンさんと同じ希薄にも似た威圧感を感じ、思わずたじろいでしまう。けれどグリーンさんにはない強い感情が怖いぐらいにその瞳には表れていて、何となく私はこの人が苦手だと感じた。怖かった。気のせいだとわかっていても、自分の全てを見透かされているような気がしてしまう。


「…話って、なんですか?」

 わずかに警戒を見せた私に、彼は片眉を上げた。「へぇ、グリーンの言う通り別人だね」と呟いてから、「君は何者なの?」と続けた。その瞳は私以上に警戒の色をはらんでいて、下手なことを言えばすぐに実力行使で知っていることを言わせるという気迫さえ感じた。これがグリーンさんを差し置いて好きになる相手なのかと思うと、少ししか接したことのない私はただただ首をひねることしかできなかった。


「私は…」
「僕はチャンピオンになってからずっと名前を見てきたわけじゃない。そもそも10年ぶりにあったのだって最近だ。でもその時は、多重人格じゃなかった」

「…私は彼女の人格の一部じゃないです」
「それもグリーンから聞いた。あいつは半信半疑だったけどね。僕は君の言うことを信じるよ。でもだからこそ知りたい。君が何者なのか」

「…私は、大学生なんです。本当に普通の、一般的な」
「ダイガグセイ?」


 若干イントネーションが違う所を見ると、ここの世界に大学はあまりなじみのない名前なんだろう。「私たちぐらいの年齢の人が通う、より専門的なことを学ぶ学校です」と付け足すと、彼は納得したように「ああ」と呟いた。そして先を促すように目を見るので、それに気圧される様に口を開く。


「で、私は図書館に行こうとしていたはずなんです。勉強をしに。でも気が付いたらトキワの森の泉の中で横たわってて」
「…泉?……もしかして近くに、石碑みたいなものがあるところか」


 彼に言われて、そういえばそんなものもあった気がすることを今更思い出した。「知っているんですか?」と問うと、彼は肯定とも否定ともつかない表情で答えた。私には軽い調子でいろいろなことを聞くのに、そこは答えないのか。違和感を感じつつも「そこでウインディに見つけてもらって、今に至ります」とラストに結びつ行けた。彼はその言葉に眉根を寄せた。そして探るような目つきで、「どうしてウインディって分かった?」と聞く。試すような瞳に、思わず言葉が震えそうになってしまった。


「…それは、私のいた場所にもポケモンはいたんです。…ただ、生き物としては存在していなかったですが」
「空想上のもの、だっけ」

 彼は一体どこまでグリーンさんに聞いているんだろう。まるでその時そばで耳をそばだてていたかのように詳細に事情を把握している彼が、少しだけ怖い。けれど彼の言っていることは事実ばかりなので、黙って肯定した。


「私のいた場所では、ポケモンはゲームのキャラクターにすぎませんでした。だから…グリーンさんが時渡りを調べてくれるって言ってたんですが、正直タイムトラベルというよりは次元トラベルなんじゃないかなって」
「二次元と三次元を旅する…ね。近隣地方はすべて回ったと思うけど、聞いたことないな」

「近隣、地方?」
「そう。ここはカントー地方。そのほかはジョウト、ホウエン、シンオウ。あとイッシュにも行ったかな」


 彼はそういうと、ふと「シンオウの伝説ならそんな話があった気がするな。あとでグリーンに言っておくよ」と続ける。レッドさんは口数こそ多いものの、どこか自己完結をしている部分が多いような気がした。私が彼に言われるまま話しているし有益な情報ももらってはいるけど、さっきから彼がどう思っているかというのが全く分からない。というか、一つの感情しか全く見えないのだ。――名前さんを元に戻したいという強い思い以外、彼の瞳からは感じない。それは心なしかグリーンさんよりも強いような気がして、私はレッドさんは本当は名前さんのことが好きだったんじゃないかとそんなことを思った。

 彼はほしい情報はもう手に入れたといったように立ち上がると、「下でグリーンが待ってるよ。しばらく仕事は休みにしたらしい」と今更のようにつぶやいた。そして私に背を向けると、さっさと階下に降りて行こうとする。


「レッドさんは」

 私は誤魔化すのがあまり上手ではない。空気が読めない事は、自分でも自負しているつもりだ。だけど気になってしまう。彼は名前さんをどう思っていたんだろう。私に呼び止められるとは思っていなかったのか、レッドさんは意外そうに振り返った。触れていたドアノブから手を放し、うかがうように私を見つめる。


「レッドさんは、知っていたんですか?名前さんが、あなたのことが好きだったって」

 私がそういうと、彼は少し驚いたように目を見開いた。「誰に聞いたの」と先ほどの軽い調子からは想像できないような無機質な声を響かせる。口ごもった私に彼はわずかに怒りを帯びたような表情をしたが、思い当たる人物は一人しかいなかったんだろう。「まだそんな誤解をしてたのか。あいつ」を怒気をはっきり含んだ声で呟いた。
 誤解。誤解?思わず目を丸くする私に、レッドさんは苛立ったように近づく。先ほどの物腰の柔らかさとかくらべものにならない乱暴な態度に、私はようやくこの人がグリーンさんより意志が強そうに見えたのかを理解した。グリーンさんは冷静に物事を見るけれど、この人は直情型だ。帽子で表情を隠すけれど、その感情はまるで上空の天気のようにコロコロと変わってしまう。

 怒らせた。と思ったのが遅かった。「いいか」にじり寄られて動くことも忘れた私に、彼は苛立ったように肩をつかんだ。痛い。はっきりと感じた痛みに、表情がゆがんだ。


「名前はグリーンが好きだったんだ。気が遠くなるぐらい長い間思い続けてたんだ。名前が…君がそれを忘れて、どうするんだ」


 彼は突き放すようにそういうと、痛いぐらいに掴んでいた肩を乱暴に離す。突き飛ばされるようにバランスを崩した私は、派手な音を立てて手を壁についてしまった。レッドさんはわずかに駆け寄ろうとしたけれど、すぐに思い直したように背を向ける。階下から、「おい、なにやってんだ」とグリーンさんの声が聞こえた。レッドさんはドアのほうを一瞥すると、迷うことなくベランダに出て腰についたモンスターボールを放る。出てきたのは私の記憶上にもはっきりと残っているゲームで最初のポケモン、リザードンだった。

 本物だ。思わずつぶやいた私に、彼は目を細めた。「君は…本当に別人なんだね」彼は押し殺すようにそういうと、すぐにリザードンに飛び乗って大きく羽ばたかせた。強風が部屋の中に舞い込み、棚の上に置かれたものや本を倒す。派手な音を立てた瞬間、あわただしくドアが開いた。


「おいお前ら!……あ?なんだこの状況」


 あっけにとられたままの私と目が合い、彼はわずかに気の抜けた表情になる。わずかに荒らされた部屋、遠くに見えるリザードン。きっと事情は理解したのだろう。「レッドの奴…ベランダからリザードンで移動すんなって何回言えばわかるんだよ」とため息をついた。どうやら彼は常習犯らしい。床に落ちたものを拾い上げ、棚の上にまとめておく。「怪我はなかったか?」というグリーンさんの言葉に、私はあわてて頷いた。怪我はしていない。けれどなぜだかわからないけど胸騒ぎがした。レッドさんが言った誤解という言葉。もしグリーンさんが本当にそれを誤解していたのなら、きっと名前さんは悲しかったはずだ。きっと、逃げ出したいと思うくらい。

 もしかしたら原因はこれなんじゃないか。この問題を解決したら、私は元の体に戻れるんじゃないか。そう思った瞬間、「ねぇグリーンさん」という言葉が出ていた。私もどちらかといえば直情型だ。思ったことは空気をお読まずに行動してしまう。グリーンさんは不思議そうに私を見た。しかしその表情は、私の一言で大きく歪む。



「名前さんが好きなのって、本当にレッドさんだったんですか?本当は、グリーンさんだったんじゃないんですか?」


 そこまで言ってグリーンさんの表情が歪んで、私は初めてひどいことを言ったと実感した。彼は誤解しているにしても真実を言っているにしても、酷く悩んでいたはずだ。少なくとも結婚を考えるまでの人に辛く当たってしまうくらいには。どうして私はいらない事ばかりいつも言ってしまうんだろう。自責の念に駆られる私に、彼は小さくため息をついた。そして鏡台の椅子より近い、私がいまだ座っているベットに腰かける。その表情は暗く、どことなく諦念感を漂わせていた。


「レッドになに言われたのか?」
「…え、あの……はい」

「やっぱりな。あいつは誤解してんだよ。あいつ以外の周りはなんとなく気づいてるってのにな。…あいつはひどく寂しかったんだと思う。俺はそれを分かってたのに、どうしても手放してやることができなかった。…ほんとに酷い奴だよ、俺は」


 彼はそういってため息をつく。まるでレッドさんに名前を奪ってほしかったと思っていたような雰囲気さえ感じ取れ、私は返す言葉が思いつかなかった。誤解、とグリーンさんは言った。しかしそれが誤解なのだとレッドさんも言う。二人の誤解は尾をかみ合った蛇のようにぐるぐるとまわって、いつまでも答えを導き出してはくれない。彼女は、名前さんは一体だれが好きだったんだろう。誰が好きで、何が辛くて、泉の中に身を投げてしまったんだろう。
 私がどうして彼女の体にとりついてしまったのかはわからない。けれどグリーンさんとレッドさんの意見が食い違ってるところと、寂しそうだったという様子を聞く限りでは心のバランスが崩れてしまったんじゃないかと思う。そこの穴を埋めるように私がきた。SFちっくだけど、そう考えるとなぜだかしっくりくるような気がした。つまり、戻る方法はやはり一つなのだ。



「……知りたいです」
「はぁ?」


 ぽつりとつぶやいた私に、彼は訝る表情を浮かべた。


「知りたいです。レッドさんはあなたが誤解してるって言って、グリーンさんはレッドさんを誤解してると思ってる。…本当のことを知れば、私は…元に戻れるかもしれない。確信はないけれど、そんな気がするんです」


 そういうと彼は少し驚いたような顔をしたけれど、すぐにまたあの曖昧な笑みを浮かべた。何かを隠すようなその笑顔は、"私"を知ってから何度か見せている。彼は何か隠しているんだろうか。そんなことを考えながら、彼の言葉を待った。

 「いいんじゃないか」と彼が言ったのはしばらくしてからだった。そしてまっすぐに私に目を向ける。そして、おそらく誰にも話してこなかっただろう言葉を、彼女ではなく"私"にぶつけた。



「…なぁ、苗字。お前は本当に困ったとき誰に頼る?」
「…え?」

「名前は両親がいなかった。だから頼れるのはあいつを引き取ったレッドの母親、レッド、俺しかいなかったんだ。レッドの母親に頼るのは分かる。きっと俺には言いにくい悩みもあっただろうしな」

 彼はそこまで言うと、いったん言葉を切った。彼の中でも整理がついていない感情らしく、時折彼の癖らしい目をつむるしぐさを繰り返す。そして意を決したように再び口を開いたのは、随分と後だった。


「けどあいつが頼ったのは俺でもレッドの母親でも無く、レッドだった。相談するだけならまだいい。けどあいつはこの年になってもレッドの部屋に駆け込んだり、同じ部屋で寝泊まりをしてたんだ。…そこまでされれば、さすがに気づくだろ」


 彼はそういうと、出会って二日目でもう見慣れてしまった困ったような笑みを見せた。対する私は意外にも重い理由に、うまく言葉を発することができなかった。幼馴染だからと言えば聞こえはいいけれど、恋人がほかの男の家に泊まりに行くのは疑うのも無理はない気がする。それに、グリーンさんは名前さんのことを『いつも笑ってばっかりで自分の感情をあまり出さなかった』と言っていた。恋人だったら一番に頼ってほしいだろうに、彼女はそれをしなかった。やむを得ない事情があったのか、それとも本当にレッドさんが好きだったのか。

 けれどレッドさんのあの表情も、嘘をついているようには見えなかった。むしろ真実を知っている分何かをあせっているような、そんな表情にも見えた。…きっと鍵はレッドさんが握っているんだろう。そう思うと、自然に体が動いた。


「…レッドさんにもっと話が聞きたいです。ってことで、聞きに行ってきます!」


そういって立ち上がろうとすると、ぐらりと体がよろめいた。すんでのところでベットに手をついて倒れることだけは免れる。気づけば触れるか触れないかというところにグリーンさんの手があって、きっと私が手を出さなくても彼が支えてくれていたんだという事が分かった。

 名前さんは幸せ者だったと私は思う。こんなにも愛されてやさしくされて、正直ちょっとうらやましい。でも思って思われているからこそ辛いこともあるんだろう。心から人を愛したことがあるかと問われれば自信の持てない私には、やっぱりうらやましい悩みだけど。



「あっと…ありがとうございます。寝すぎちゃったみたいですね」
「体が疲れてるんだろう。とにかく今日は休め。どうせリザードンに乗ってったんなら、あいつはしばらく帰ってこないからな」


 彼はそういうと、少しだけ見慣れたあの笑顔じゃない表情を浮かべた。"私"に向けられたわけでもないその笑みに、なぜだか私が動揺してしまった。かっこいいなぁ。できるだけ人ごとに思える様にわざとらしく思った。


「名前も、苗字みたいな行動力があったら少しは違ってたんだろうな」


 彼はそういうと、ふっと私から目をそらす。そして"私"を見ているのが辛いといった表情ですぐに背を向けると、「腹減ってるだろ、降りて来いよ。服は、適当にきてくれていいから」とだけ言って部屋を出て行ってしまった。グリーンさんもレッドさんも、取っ付き難いわけではないけれどそれに似た何かを感じるのは気のせいだろうか。何かを抱えて、何かを隠している。それはきっと、彼女に関する何か特別な思いなんだろう。"私"がおいそれと踏み込んでいい場所ではない、奥深くに根付いた感情。



「…でももう私も当事者だし、踏み込んでいかなくちゃいけないよね」


 多分誰もそれをしてこなかった。だからこんなことになったような気がする。どうして名前さんははっきりと自分の思いを伝えることができなかったんだろう。グリーンさんは自分の思いを伝えていたかもしれないけど、彼女の思いを知ることが怖くて多分聞けなかったんじゃないだろうか。レッドさんはどうして確信をもって名前さんの思いを言えるのに、それをだれにも伝えてこなかったんだろう。彼が一言グリーンさんに伝えれば、安心できたかもしれないのに。


「分からないことだらけだなぁ」


 何の気なしに呟いて、今度はしっかりと両足で踏ん張りながら立ち上がる。くよくよなんてしていたら、私の体がどうなってしまうかわからない。幽体離脱した体がどうなるかなんて今まで気にしたこともなかった。でも植物人間ならいいけど、死んだと思われたら洒落にならないのだ。私にはきっと、一分一秒迷う時間なんてない。


「…情報収集しよう」

 レッドさんには聞けなくても、きっとこの町の人なら名前さんと何らかの接点はあるはずだ。暗い表情をしていたとか笑っていてたとか、些細なことでいい。結論を出すには膨大な過程が必要だ。そう思いながら、私はクローゼットの扉を開ける。グリーンさんがワンピースしかないといったように、確かにクローゼットの中にはかわいらしいフリルの付いたものしかなかった。けどその横にはグリーンさんの服も入っていて、私は迷うことなくそちらに手を伸ばす。僅かに大きいけどきれないことはない着古したパーカーを一枚。そして彼女のほうからは申し訳程度に一枚入っていたパンツを借りる。これならきっと、名前だと思われることはないだろう。そう思い、クローゼットを閉めようとする。

「あれ」

 ふと目についたアルバムには、名前とだけ書かれていた。これは彼女のアルバムなんだろう。私は少し迷いながらそれを手に取ると、何の気なしに開く。まず初めに飛び込んできたのは、私の両親と同じ顔をした…けれどポケモンに囲まれた幸せそうな夫婦の写真だ。寄り添った二人の手には大事そうに赤ちゃんが抱えられている。これが『彼女』か。そう思いながらパラパラとめくる。一人でブロックで遊んでいる写真。おいしそうにケーキを頬ばる写真。クリスマスの写真。そんなものを過ぎた後に、ふと見覚えのあるような男の子二人と映っている写真が目に留まった。何か文字が書いてあるけれど、拙い字はおそらく書いた本人にしかわからない。曖昧な笑みを浮かべてばかりのグリーンさんは、今の姿が想像できないほど勝気で快活な雰囲気をまとっていた。対するレッドさんは、やさし気な笑みを浮かべている。その間に挟まれるように立っている彼女は、恥ずかしがっているのか麦わら帽子に顔を隠してよく表情が読み取れない。ただ飛び出た耳だけが、とても赤く染まっている。


 ぱらぱらとめくっていくたびに、彼女と幼馴染二人が大きくなっていく。重く厚いアルバムの登場人物は、何度めくろうとも両親と幼馴染意外に増えることはない。本当に狭い間で生きてきたんだなぁと思いながらめくっていくと、ふと10歳ごろだろうか。珍しく彼女が満面の笑みを浮かべて一人で映っている写真が目に留まった。幸せそうな笑顔ではにかむ彼女の左手の薬指には、赤いビーズの入ったおもちゃの指輪が光っている。恋なのかわざとなのかわからない位置だけど、彼女の幸せそうな笑みに思わず顔がほころんだ。



「苗字ー!」


 階下からグリーンさんに呼ばれ慌ててクローゼットにアルバムを仕舞い込むと、転ばないように気を付けながら階段を下る。リビングにつくと、そこには申し訳ないほど準備が整った食卓があった。謝ろうとグリーンさんに向きなおると、驚いたような視線と目が合った。きっと名前さんがしたことのない恰好だったんだろう。勝手にパーカーを借りたことを詫びると、彼は我に返り快くOKをくれた。

 彼がコーヒーと紅茶をもって席に着く。「座れよ」と促されて、私も彼に倣って向かいの席に座った。彼は慣れた手つきで私の前に紅茶の入ったマグカップを置くと、いただきますと礼儀正しく手を合わせる。育ちの良さそうな外見に似合う彼の行動に、思わず笑ってしまった。


「ん、何がおかしいんだ?」

 不思議そうな顔をする彼に、私は写真の面影を見つける。子供っぽい表情もするんだなぁと、私は初めて気が付いた。


「いま、少しだけ名前さんのアルバムを見たんです。グリーンさんの雰囲気があまりにも違うから、笑っちゃいました」
「…あー…。あの時は若かったからな」

「だけど名前さんはあまり変わらなかったんですね」
「…まぁな。あいつは内に閉じこもりすぎたんだ。俺とレッドが旅を出てからは、少しずつ行動範囲を広げてたみたいだけどな」

「……名前さんはどんなところに行っていたんですか?」


 さりげなく、本当にさりげなくそう聞くとグリーンさんは私の思惑に気付かず少し考えるそぶりを見せて、「あいつは散歩が好きだったな。川とかマサラの端にある花畑とかにこの時期は行ってた気がする」と答えてくれた。人のいるところにはあまり行っていなかったのか。露骨に残念がる私に、彼はようやく気づいたように表情を落とした。鋭い眼光にくぎを刺されてしまっては、動くこともかなわなかった。


「今日はとりあえず体を休めろって言っただろ。どこへ出かける気だったんだ」
「…あははは…ちょっと日光浴を…?」

「あまりこういうことは言いたくないけどさ」

 彼はため息をついて私を見た。柔らかくなった口調とは裏腹に、彼の視線は私にとどめを刺すかのように尖る。彼はもう、完全に名前さんと私を切り離してみているんだとその瞬間理解した。


「お前の体は他にあるかもしれないが、その体は俺にとってはとても大切な体なんだ。大事にしてくれなければ、困る」


 子供に言い聞かせるようにそういうと、重くなった空気を払しょくするかのようにテレビをつける。天気予報の声がする。私は彼の言葉をかみしめながら、目の前に用意されたトーストをかじった。
 言いたいことは山ほどあるけれど、これを言ってはいけないような気がしてどうしても口を閉じてしまう。私だって命がかかっているんだ。私は別次元から来た人間で、多分幽体離脱みたいなものをしちゃっていると思う。つまり私が体に戻るのが遅れれば、死亡判定をされて燃やされちゃう可能性だってあるのだ。体は休めれば回復する。でも命が一度帰る場所を失ってしまえば、もう元には戻れない。私は死んでしまうのかもしれない。そう思うと、とても怖かった。


 そこまで考えて、私は食べるスピードを速くする。一晩中私に催眠術をかけ続けていたのなら、きっと上のナッシーはまだ寝ているはずだ。早く食べて上に戻って、窓から気づかれないように外に出よう。幸いなことにクローゼットの中に使っていない靴が入っていたことは覚えている。この体を傷つけないように出て戻れば、きっとばれない。

 先ほどのグリーンさんの発言で私は理解した。彼は名前さんが戻る努力はするけれど、私が元の体に戻る努力は多分そこまでしてくれない。名前さんと違って親身に私を助けてくれる人がいないこの場所では、自分の身は自分だけで守らなければいけない。


「明日から情報収集できるように、早く食べて早く寝ますね。ベットをお借りしちゃって、すみません」

 きっと私を名前の一部と考えているグリーンさんは、あっさり引き下がった私になんの疑問も抱かずに安堵した表情を見せた。これが"私"の両親や友達なら、「絶対だよ!」と何度も念押しをするはずだ。私は確かに鈍いし空気が読めないけど、行動力はある。これと決めれば絶対やり通す。これは、大切な"私"の両親から学んだことだ。



 入れてくれた香りのいい紅茶を豪快に飲み干すと、「ごちそうさまでした。明日から片付けするので、今日はお願いしちゃっていいですか?」と聞くと彼は「ああ」と短く答えてくれた。私は二階に上がりナッシーが寝ていることを確認すると、すぐにクローゼットから靴を出した。さすがの彼も、すぐに行動するとは思わないだろう。


 ベランダに出ると、私の住んでいたところとは違う濡れた葉の柔らかいにおいの風が髪をなでる。ああそうか、ここは車もあまり通らない田舎だったのか。ウインディに乗ったことを思い出して、今更のように笑いがこぼれる。ベランダの横には大きな木が合って、乗り移れそうなほど太い幹が都合よくベランダにかかっていた。できるかできないかじゃない、やるんだ。昔見た塾のCMのキャッチフレーズのような言葉を心の中で反芻して、ベランダの手すり部分に足をかける。そしてしっかりと両手で信頼できる幹に捕まると、力強くベランダをけった。


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