希う | ナノ

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 ここは、どこだろう。柔らかな水の音に目を冷ました私が始めに思ったのは、まるで記憶喪失から始まるゲームの主人公のような言葉だった。



  希う



 遥か高い頭上には青々とした木の葉がさざめき合い、緩やかに私を夢の中から引きずり起こす。
初めに目を覚ましたのは触覚だった。気が付けば体の半分は水に浸かっていて、わずかな水の動きに合わせて自分自身の体もわずかに動いていた。頭は鈍器で殴られたみたいに重く、不思議とこうなった経緯が全く思い出せない。私はどうして水に浸かっているんだろう。おぼろげながら勉強が目的で図書館に向かっていたような記憶はある。けれど何が一体どうなって、こんな水難事故にあって打ち上げられた状況になっているのかは全く理解ができなかった。頭の端に記憶喪失という単語がチラつくのを感じながら上半身を起こしてみる。でもそこに広がる景色には何一つ見覚えはなく、理解不能な状況にオーバーヒートした頭がめまいを起こす。一瞬自分の名前が思い出せなくなるくらいに、私はぐらりと自分の意識を失いかけた。


 見知らぬ場所。生い茂る生き生きとした植物。ひと肌といってもいいほどに暖かい水温。そして着た覚えのないフリルの付いたワンピースという名の白装束。まるで三途の川みたいだと他人事のように思ってみたけれど、それはあまりに洒落にならなくて私は誰が見てるわけでもないのに苦笑してしまった。試しに頬をつねろうとしてみたけれど、つねる手が痛みで上がらなかったので潔く諦めた。

 川の水のなかでクラゲのように揺れる白装束。もとい白いワンピースは、買った覚えも見た記憶もないものだ。私は図書館へ行く途中だったのだから、記憶が正しければかなりラフな格好をしていたはず。間違ってもこんな勝負服のようなものは来ていない。だとすれば、私の服はどこに行ってしまったんだろうか。声になりきらない吐息のようなか細い言葉がこぼれ落ちる。そもそもここは一体どこなんだろう。私の中の疑問は徐々に大きくなって、酸素を作っているはずの木の真ん中にいるのにやけに息苦しかった。


「……帰れるのかな、私」



 やっとの思いで絞り出した言葉は、自分でも笑ってしまうくらい震えていた。そのせいだろうか。吐き出した声は自分の声のはずなのに、その声に違和感を感じる。私はこんな声をしていただろうか。そんな事を考えながら、そっと起こした体を苔の生えた石の上に落とした。

 まるで体育祭の翌日のような体の重さに、眠ってしまいたくなる。体が痛くて立ち上がれない。辛い。ここがどこなのか分からなくて怖い。帰れるか分からなくて怖い。どうにかしないといけないのに、どうにもできないという甘えが先行してしまう。頬に涙が伝うのを感じながら、ヤケ気味に眠ろうとする。眠気はすぐにやってきた。けれどその瞬間、私の頬になにか生暖かいザラザラした感触のモノがふれて完全に眠ってしまうのを阻んでしまう。思わず目を見開いた私の視界に入ってきたのは、赤茶色の体毛だった。



「え、あ……ぅあっ!」


 まるで獣のような少し硬めの毛。大きな耳。エンジンの稼動音のような低い喉の鳴る音。黒い瞳。眠ろうとしていた意識が急浮上して、私は反射的に飛び退いた。一瞬野犬を想像したけれど、そんな生易しいものじゃないことに飛び退いて初めて気づいた。それは犬というよりライオンに近い風貌をしているそれは、小さいゾウを彷彿とさせる大きさだ。小さくうめいた口の端に見える牙は昔図鑑で見たサーベルタイガーを思い起こさせる。怪物、怪獣、妖怪、化け物、いろいろな単語が脳裏によぎったけれど、どの単語でも言い表しがたい生き物だった。


「……」



 声をだそうと思ったけれど、私の口は鯉みたいにパクパクと動くだけでどんな音にもならなかった。怖い。逃げたい。でも逃げれるだろうか?無理だ。自問自答を繰り返し動揺を必死で抑えようとする私の事情を知ってか知らずか、それは私に一歩近づいた。それだけで私は膝が笑って腰が砕け、水の中に激しい音を立てて倒れこんだ。瞬間、耳をふさぎたくなるような大きな獣の遠吠えが響いた。それはまるで私には死刑宣告のように思えてしまった。


「……にたくない」


 死にたくない目の前の生き物に対する恐怖に比例し、普段はあまり感じたことのない生への執着が首をもたげる。私はこんな生き物に食べられるために生きてきたんじゃない。もっと幸せになりたい。今死ぬなんて冗談じゃない。私は動く腕を必死に動かして、少しでもそれとの距離を取ろうとする。けれども悲しいことに、それは怪物が一歩踏み出してしまえば追いついてしまえるような距離にしかならなかった。


「ひっ」


 近づいてくる顔に、私は思わず目をつむってしまう。ザラリとした乾いた舌が頬を撫でて涙を浚っていった。けれどいくら待っても予想した痛みはやって来ない。恐る恐る目を開いてみると、怪物は私の前に犬で言うところのおすわりをして私を見下ろしていた。その顔には人間のような表情はなかったけれど、何となく捕食してくるような野性的な雰囲気は感じなかった。



「――食べないの?」


 恐る恐る聞いてみる。勿論通じるとは思っていなかったし、只の独り言のつもりだった。けれど彼はまるで私の言葉を理解しているように頷き、目を細める。そして敵意がないのを示すかのように、頭を私の頭より低い位置に下ろした。……少なくとも、わたしを食べる様子はないのは分かった。だけど逃すつもりもないらしく、私が必死の思いで立ち上がるとすぐに私にその鼻先を押し付けて制止させた。近づいたそれからはなぜか香水のような香りがして、私の中の疑問をより大きくさせた。もしかして人に飼われている生き物なんだろうか。私が逃げないことを確認するように彼は私に目を向けると、恐る恐るといった風にゆっくりと顔を私の腹あたりにこすりつけた。そんな様子を見てると、ふと不思議な感覚に囚われた。私はこの生物を、見たことがあるような気がしたのだ。


「なんだっけ…なんか昔……絵?…画面?…あ、ゲームだったっけ」


 確かに似たような彼がモノクロ調のドットで描かれていた画面に、こんな生き物がいた気がする。けれどソレはゲームの話で、現実にいる生物を描いたわけじゃない。だから、厳密に言えばこれとゲームの中のキャラクターは違う。けれどこの生き物の姿は、今思い出したばかりのゲームのキャラクターと酷く似通った風体をしていた。――まるで、ゲームの中から出てきてしまったみたいに。


「ういん、でぃ?」


 私はポケモンは最初の物しかやったことがないから同世代の中でも詳しい方じゃない。けれど確か、そんな名前だった気がする。私がそのキャラクターの名前を口にすると、目の前の大きな犬はこっちが驚くほど大げさに顔を上げた。そして少しだけ間をおいた後、白い毛で覆われた頭頂部を強く私の腕と横っ腹の間に割りこむように身を寄せる。これは本当にウインディなんだろうか。まるで、一休さんにある虎が屏風から出てくる要領で出てきてしまったんだろうか。それとも、ミヒャエル・エンデのはてしない物語の主人公ように私が本やゲームの世界に迷い込んでしまったんだろうか。もしくは、全部夢だったとか…いや、ソレはないか。身じろぎするたびに痛む脇腹に表情を歪めながら、私は小さくため息をついた。前者か後者、一体どちらのほうが救いがあるのだろうかと思ったけれど、考えるまでもなく答えは前者だった。



「――本当に、笑えないね」


 私の独り言に、ウインディは擦り寄る行動をやめて私を見据えた。私はその頭を軽く撫でてやると、彼は嬉しそうに目を瞑って私の手を受け入れた。正直、私は昔どんなポケモンを使っていたか覚えていない。けれど確かなのは、私にとってウインディは馴染み深いポケモンではなかった。だからもし私が果てしない物語のバスチアンのように物語に入ったのだとしても、私と彼は初対面だ。こんな風に懐くなんて、何かの間違いとしか思えない。



「君も迷子なの?」

 何の気なしにそう問いかけてみると、彼はソレを否定するように低い声で唸った。そういえば、昔ポケモンのアニメでは普通にポケモンと主人公が会話をしていた気がする。頭いいね。そういって彼の頭を撫でると、彼は少し不安げな表情で辺りをくるくると見回した。ソワソワしていて落ち着かない様子に、私の目は自然と彼から周りに向けられる。不意に、人の声が聞こえたような気がした。彼にもソレが聞こえたんだろう。まるでその声を誘うように短く、断続的に鳴き続けた。声が大きくなった。



「ウインディ!どこにいる!」



 近くから聞こえた男の人の声に振り返ると、そこには明るい髪色をした人が立っていた。随分と遠くから走ってきたんだろう。彼の肩は遠くからでも分かるほど上下していた。大きな生き物をウインディと呼んだ彼は、不思議な事に名前を呼んでいたはずのウインディを見ていなかった。彼のアーモンド形の視線は、痛いほどに私に注がれていた。私はウインディに触れていた手を下ろして、この状況を何と説明したらいいか考える。これはあなたのポケモンですか?そもそもここは何処ですか?あなたは誰ですか?私は…どうしたら帰れますか?様々な疑問がシャボンの泡のように膨れては消えていく。結局私が口に出せたのは、「助けてください」という疑問でも何でもない懇願の言葉だった。


 明るい髪の男の人はためらう様に私とウインディに近づく。「名前」不意に、男の人が私の名前を呼んだ。その瞬間、私は心の底から安堵した。私の名前を知っているってことは、私を救助しに来てくれた救助隊だと思ったからだ。彼の容姿や髪色、それに服装がどんなにその肩書きに似合わなかったとしても、私は彼を信じて疑わなかった。彼が私の両肩を怖いくらいに強く鷲掴みにして、乱暴に唇を重ねられる瞬間までは。


「んっ」


 私の声はいくら伝えようと頑張ってみても、彼の口の中に飲み込まれてしまう。だけど不思議と拒絶はできなかった。その代わりに何でだろう、どうしてだろうという疑問の言葉だけが、私の中で飛び交う。私の中のキャパ数は自分のことで限界を迎えているという事を、私はここで初めて自覚した。私の脳内はすでにオーバーヒート寸前だ。少なくとも見ず知らずの男の人にキスされても、不快に思わないくらいには。


「名前、名前」


 唇が離れ、彼は自分が濡れてしまうことを厭うことなくびしょ濡れの私の体を強く抱きしめた。だから、まるで恋人の名を呼ぶように私の名前を繰り返す彼の顔は見えない。だけど私はなぜだか彼が泣いているように思えた。泣きたいのはこっちだと言いかけたけど、まるでタイミングを測ったようにもう一度だけ彼の唇が私のソレを重なった。けれど今度のキスは短く、口についた私の言葉を食べるとすぐに離れていった。


 顔を離した男の人は、改めて見るととても整った顔立ちをしていた。この顔も、ウインディと同じように見たことがある気がする。…いや、確実に私は彼を見たことがあった。勿論、ポケモンという枠の中での話だけれど。



「……どうなってるんだろ」


 夢であればいいと願うけれど、彼に抱き締められることできしむ体の痛みがより現実的な可能性を握りつぶしてしまう。ただ、だからと言って物語の世界に入り込んでしまうなんて発想を本気で信じているわけじゃない。成人を迎えた女がそれを口にすること自体、かなり重度の病気のように思える。けれどこの状況を説明する言葉がほかに見つけらなくて、私はとりあえず目の前の男性を押し返すところから始めた。押し返された側は動揺したような声をこぼすけれど、その声に答えることはできなかった。悲しくもないのに涙が頬を伝い、水で体温を奪われ冷たくなった頬を気休め程度に温めるだけだ。自力で歩こうとした瞬間私の体は大きく傾き、多分シゲルという名前だった人に支えられた。昔ポケモンアニメで見た気がするだけだから、もしかしたら名前は違うのかもしれないけれど。



「…助けてください」


 絞り出すようにつぶやいた声に、男性はわずかに動きを止める。まるでお化けでも見たように私を見て、一度だけウインディを仰ぎ見るように顔をそむけた。彼らの視線の間に言葉が行き交うのを感じたけれど、ポケモンの言葉も表情もしぐさもよくわからない私には彼らが何を伝えあっているのかわからなかった。

 しばらくして、男性が私を見る。愛おしそうな手つきで触れられ、居心地の悪さに思わず肩が上がった。



「えっと、あの…シゲルさん…でしたっけ。あの、私動けな」
「…あ?」


 先ほどまでの泣きそうな声とは一転し、芯のある声が響く。その声に驚いて言葉を切る私を彼はただでさえ大きな目を更に見開いて凝視した。名前を間違っただろうか。そんなことを考え、ああそうかこの人は私を知り合いと勘違いしているのかという点を思い出す。空気が読めないと友達にからかわれてきたけれど、今のは鈍いにもほどがあった。私はまず助けを求める以前に、彼の誤解を解いておかなければいけなかったのに。
 先ほどキスされたことを思い出し、今更ながらに居心地が悪くなる。彼の視線が痛いほど刺さり、なんだか落ち着かなかった。


「えっと…ごめんなさい。あなたを知ってる…人、と勘違いしちゃったみたいで…」
「……は?」

「あー…つまり…私とあなたは、初対面っていうこ」
「ちょっとまて、名前!」


 突然強い力で両肩をわしづかみにされる。痛みから逃れようと身をよじることさえも許さないほど、彼の力は強かった。芯のあると思った彼のオレンジがかった茶色の瞳は、今では驚きと戸惑いの色をにじませて揺れている。お化けでも見たような顔、という表現が今の彼にはとてもよく似合った。
 私はそんな彼を見て一抹の罪悪感を感じながらも、冷静に彼を見返す。確かに私の記憶の中にある「シゲル」はもっと幼かったし、髪の毛の色ももっと茶色だったように思う。はっきりとシゲルを思い出した今、なぜこの人がポケモンのアニメやゲームに登場したあの人だと思ったのかさえ疑問に思うほどだった。申し訳ないな。彼の悲痛な表情を見てそう思うけれど、唇を奪われたことを考えると差し引きゼロのような気がした。…いや、向こうのほうがきっと悲惨だ。愛しい人だと思ってキスをしたら別人だったなんて、目も当てられない。



「…冗談、だよな」

 尚も認めない彼に、私はあっさり首を横に振ってこたえた。この場での同情は完全に無意味だ。


「冗談じゃないですよ。現に私は、あなたの名前も間違えちゃったわけだし…」
「…知ってる人と間違えたってのは」

「…おとぎ話の登場人物です。あなたの雰囲気が何となくそれに似ていたので、年甲斐もなくそんなことを思っちゃいました」


 首をもたげそうになる罪悪感を抑え込みながら、はっきりと事実だけを彼に伝える。彼はしばらく呆然と私の言葉を聞いていたが、やがて苦しげに眼を細めた。そしてたっぷりと沈黙した彼が息を吐くように呟いたのは、記憶喪失という単語だった。

 いうまでもなく、それは誤解だ。ごく最近に曖昧な所はあるけれど、私の中には今まで生きてきた記憶がはっきりと残されてる。記憶喪失だというのなら、この記憶は一体何だというのか。表情を一転させた私に気付いたように、彼は私を見る。言いたいことがあればハッキリ言えといわれているようだった。言われなくたって、そのつもりだ。



「私は!記憶喪失なんかじゃありません!」

 大きく息を吸い込んで、大きく吐き出す。小さい頃は全力で声を出していたのに、大きくなるにつれて大きな声を出す機会は少なくなってきたように思う。久しぶりすぎてところどころかすれさせながらも、私はなんとか大きな声で彼に伝える。彼は大声を出されるとは思っていなかったのか、思わず後ろに一歩後退するほど驚いていた。突然彼の手から解放された体は、両愛が踏ん張りなんとか同じ姿勢を保つことができた。「…名前?」と、彼が私と同じ名前を呼ぶ。でもよく聞いてみると、それは気にならない程度にだけどイントネーションが違っているような気がした。


「名前、住所、誕生日、今までどう過ごしてきたのかはっきりと覚えてます。…ただ、どうしてここにいるかが分からないだけで、記憶喪失じゃないんです」


 体に走る痛みを押し殺しながら、なんとか最後まで言葉を紡ぐ。彼は私の言葉を黙って聞いていたが、途中何度か口を開き言葉を言いかけるしぐさを見せた。しかしそれは結局言わないことに決めたのか、押し殺すように両手をぎゅうと固く結んでいた。
 そして何かを考えるように目を閉じると、ゆっくりと目を見開く。そこにはもう迷いも戸惑いも全くなく、こちらがたじろいでしまう程威圧感のある瞳だった。



「お前の言い分は分かった。…だけど、納得はできない。現にお前が来ていた服は俺の知る名前のものだし、その首の傷も昔"俺"がつけたものだ」
「…傷?…え?」

「…だけど、今は二人とも混乱してる。だから、とりあえず一旦町に戻ろう。もうすぐ日も暮れるし、何よりお前は見た所立ってるのもやっとだろ。こんな所より、もっと落ち着いてから話したほうがいいと思う」

 彼は冷静にそういうと、ジャケットを脱ぐ。わたしを抱きしめたときに濡れてしまったと思ったジャケットは、素材のおかげで被害はないようだった。濡れたTシャツ一枚になった彼は自然な動作で距離を詰め、私の肩に腕をまわす。生暖かいジャケットが肩にかかり、私はいまさらのように体が冷えてしまっていることに気付いた。それに濡れた白いワンピースからは、あまり見えてほしくないものまで見えてしまっている。


「…あ」
「町までの応急処置だ。悪いが、我慢してくれ」

 彼はそういうと、ウインディと静観していた彼のポケモンを呼ぶ。ウインディは戸惑ったように主を見て、まるで仕える様に頭をわずかに落とした。まるでアニメの中の映像のようで、私にはあまりなじめそうもない光景だった。


「俺の荷物をもって、先に町へ戻っていてくれ。あとレッドにもこのことを伝えてくれ。あいつもまだ探してるだろうからな」
「…レッド?」

「…幼馴染だ」


 彼は苦々しくそういうと、今度はどことなく悲しそうに彼は笑う。命令を受けたウインディはすぐに彼と私に背を向けるが、ふと何かを思い出したように立ち止まる。そして訝る主をよそに、大きな体に似合わない恐る恐るといった様子で私との距離を縮める。
 「ウインディ!」突然厳しくなった主の声を無視し、私の前で制止する。そして彼にしたのと同じように、頭を下げて私の顔に自身の顔を寄せる。抱きしめてくれと言われているように思えて、何となく手を回してみる。ふかふかの体毛の向こう側で、主が驚いたように目を見開いているのが見えた。この子は人見知りだったんだろうか。そんな疑問が首をもたげるが、それが見当違いだと気付いたのは彼が言葉を発した後だった。



「…お前、ウインディに触れるのか…?」

 威圧感さえ感じていた彼の鋭い瞳が、再び戸惑いに揺れる。本当に、喜怒哀楽が激しい人だと見ていて思う。私とそっくりらしい彼の彼女は、きっと一緒にいてすごく楽しかっただろう。なぜだかそんなことを思った。

「触ったら、駄目でしたか…?」
「だってお前……いや、何でもない。…じゃあ、変更だ。ウインディ、こいつを乗せてやってくれ」


 彼がそう口にすると、ウインディは待ってましたとばかりに私から離れ、登りやすいように身をかがめた。手をかけると、ふかふかした毛が私の手を柔らかく包んだ。あったかい。ぎゅうと体を寄せてみると、ウインディはくすぐったそうに身をよじった。
 思えば私は、この子が見つけてくれなかったらここで一晩過ごすことになっていたかもしれない。そう思うとぞっとして、「ありがとう」という言葉がとっさ口から零れ落ちた。いつの間にか後ろに彼の主がいて、私の体を上へと押し上げる。そして私を乗せた後自分もウインディの上へあがると、丁度二輪駆動車の二人乗りをするような体勢になるように私の腹部に手を回した。


「支えてないと、落ちるだろ。その体じゃ」

 聞いてもいないのに言訳するようにそういうと、今度は押し倒すように私の体をウインディの首のあたりに柔らかく押し付ける。そして自身も姿勢を低くすると、「急ぐぞ」と一言口にする。むくり、と起き上ったウインディは静かに木々の間を走り出す。思った以上にすごい揺れに翻弄される私を、抱きしめるように包み込んだ。「なんで」彼が小さくつぶやいた気がしたけれど、空耳のような気もして彼が何を言いかけたのかよくわからなかった。


「…そういえば」

 彼のジャケットと体温に包まれながら、誤魔化すように口を開く。そして私はこんなに良くしてくれる彼に恩にあだで返す真似を平然とするのだった。


「貴方の名前は、なんですか?」


 彼はぎゅうと後ろから抱きしめると「グリーンだよ」と耳元で小さく、まるで泣いているかのように声を震わせながら呟いた。


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