名前変換小説 | ナノ

「また挑戦しに来てくれたんだね、名前」


 部屋に足を踏み入れた途端、にこりと音がしそうなほど明るい笑顔が私を出迎えた。そしてその子どもっぽい表情に大袈裟ともとれる身ぶり手振りを加えて歓迎してくれる幼馴染みに、私は思わず苦笑する。こんな展開にならないよう予め手にモンスターボールが構えていたのに、幼馴染みである彼は見て見ぬふりを決め込んだらしかった。「嬉しいよ。最近退屈だったから」と純粋に嬉しがっている彼は、私が此処に来るたびに饒舌になっているような気がする。それは彼らしくはあるけれど、シンオウを代表する新チャンピオンとしてはあまり『らしい』姿とは言えなかった。


 本来彼は、シロナさんを破った5年前にチャンピオンになるはずだった。けれどシロナさんが『子供は広い世界を見るべきよ』といい、彼は自由に旅ができた。けれどそれは、オトナになるまでの間だけ。17歳の誕生日を迎えた彼は本人の意志とは関係なく、シンオウ中の人に祝福をされて改めてチャンピオンの座についた。


 四六時中チャンピオンリーグにいるその時間は、自由すぎる彼にとってどんなものなのだろう。猶予期間中そう考えたら居ても立っても居られなくなって、私は5年もの間必死にトレーニングをした。彼が退屈しないように、彼が一人にならないようにとただそれだけを考えていた。
 そんな不純な動機でバッジを8個ゲットした私は、今では四天王を倒すくらいまでには成長できた。けれど、私は何時まで経ってもチャンピオンである彼には勝てない。彼に勝ったら私がそこに居なければいけないことは分かっているつもりだった。それは私の望むことじゃないし、彼の望むことでもないのも分かってた。私と彼は約束していた。最近定期便が開通したイッシュ地方に一緒に行こうという、ささやかな約束だ。だから私は彼には勝たずに、ただ彼が負ける日まで退屈しないようにチャンピオン戦まで勝ち残ればよかった。会えればいい。一緒にいれればそれでいい。始めは本当にそれだけだったはずだ。


 ……それがいつだったからだろうか。私はそれという切っ掛けもなく彼に勝ちたくなってしまった。手を抜いているわけでもなく彼に負けてしまう事実が少しずつ嫌になってきてしまったのかもしれない。一度でもいいから彼に勝ちたい。その一度がどれほど重いものか分かっているけれど、それでも私の気持ちは固まっていった。


「もうバトルするの?」
「……だめかな?」

「だめじゃないけど、僕は嫌だな。ジュンに名前が来るって聞いてから、すっごく楽しみにしてたんだ。それに」


 彼はそこまで言って、言葉を濁す。何度も此処に来たことがある人間なら知っている。ここは勝負するまでは心の準備などで好きに時間を使えるけれど、勝負を始めた瞬間から「待った」は効かなくなるのだ。つまり、即退場しなければいけない。……そもそも手負いのパートナーを放置できるような人間はここには来れないから、そのルールは無意味なんだけど。


「ジュンから連絡行ってたんだね。不意打ちで来て驚かせようかと思ったのに」
「最近名前は連絡くれなかったから」

「ジュンに手伝ってもらって、秘密で特訓してたの」
「うん、知ってるよ」



 彼はそう言って笑うと、子供のような表情のまま静かにモンスターボールを構える。その顔は確かに笑ってるはずなのに、どこか寂しそうにも見えた。
「知ってるよ」と彼は言い聞かせるように繰り返すと、静かにモンスターボールをフィールド中に放る。出てきたのは、彼の相棒であるドダイトスだった。……珍しいな、と私は心の端で思う。弱点が多くスピードも遅いドダイトスは、あまり初手向きではない。――そんな事、彼ほどの人なら分かってるはずだ。現に彼は相棒を最後に繰り出すことが多いのだから。


 私は少しだけ考えて、手にかけていたボールとは別のボールを取り出す。それは彼のドダイトスを倒すためだけに鍛えた氷タイプのポケモン。でもただ弱点のタイプを出すだけじゃ、彼のドダイトスには勝てない。だからこそ私は、ジュンにお願いして育て直すしかなかった。それを育てたいと言ったときのジュンの表情は今でも忘れない。彼が苦虫を噛み潰したような苦い表情で笑ったのを見たのは、後にも先にもあの時だけだ。

私の胸のうちを知ってか知らずか、彼は小さく笑った。それは今まで見てきた子どもっぽい笑みではなく、大人のような表情をしていた。そしてその表情のまま、ゆっくりと私のモンスターボールを指差した。


「本当は、全部知ってたんだ。名前が僕に隠れて特訓していた事。……それと、名前がドダイトスに対抗して氷系のポケモンを育てていることも」
「!」


 読まれている。思わず手をかけていたボールを離した私に、彼はいい判断だねと笑う。彼は強い。強いポケモンを持っているというだけではなく、ポケモントレーナーとしても彼はとても強かった。前は心理戦は得意じゃないといっていたのに、不適に笑う彼はむしろそれを得意としているようにも思える。……コウキは変わった。今のコウキはどこまでも強くて、そして私が知っているどのコウキよりもかっこいい。だからこそ、私は彼を越えたくなる。一度でもいいから、彼に追いついてみたいと思ってしまう。

 彼の思惑を考えながら、彼をじっと見据える。彼は笑っていた。「昔はジュン伝いじゃなくて、名前が全部教えてくれたのに」と寂しげに笑っていた。その笑みは寂しそうではあるけれど、でもどこかこの状況を楽しんでいるようにも感じた。静かな笑みを浮かべた彼は、私からゆっくりと距離をとる。それが合図だとでも言うように、彼のパートナーが大きく吼えた。


「名前が僕に勝ちたいって思ってることはジュンから聞いたよ。……と言うより、怒られたんだ。“お前ら”揃って何やってんだよって。後わざわざ名前への対策のためだけに技構成や戦略を変える必要はないでしょってヒカリさんにも怒られた。けどね、名前」
「……うん」

「君がそう思うように、僕も負けたくないんだ。昔から想い続けてきた幼馴染みになら、尚更」


 歩みを止めた彼のニッコリとした笑みが急に消え、真剣な顔に変わる。チャンピオンが定位置につくと同時に、部屋の側面にある画面に合計12個のモンスターボールが映し出される。まるでハンデだとでもいうように、コウキ側にはドダイトスやムクホークを始めとした 6匹のパーティーが表示されていた。私はそれから目を逸らしながら、最初の一手を考える。コウキはどんな技構成に変えたんだろう。かつての幼馴染みの顔色を見ようと前を見たものの、そこには幼馴染みの姿はどこにもなくただただ『チャンピオン』がいるだけだった。


 想い続けてきたとはっきりいったはずのコウキの顔には、少しも恥じらいもない。対する私も、彼をどう倒すかという事をだけを考えている。今私たちの目の前にいるのは両思いの異性ではなく、一人のトレーナーでしかなかった。好きだからこそ一緒の景色を見たい私。好きだからこそ守る立場で居たいコウキ。そこにはチャンピオンとしての責務も、挑戦者としての緊張感も何もなかった。

 そんな彼と自分に笑みを向けながら、「イッシュへの二人旅の予定は遠のきそうだね」とおどけた調子で肩をすくめて見せた。それは私の中に僅かに残った『幼馴染み』の最後の抵抗だった。けれどその瞬間、けたたましい開始音が二人の間を裂くように鳴り響く。無機質な部屋の真ん中で彼は口の端だけで笑うと、始めようと静かに呟いた。


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