名前変換小説 | ナノ

 悪だ悪だというけれど、結局のところどっちが悪だか分かったもんじゃない。
そんなことを思いながらたった一人の少年に荒らされ、けちらされた元仕事場を私はただただ静観する。仲間は既に撤退した後で、ここにはもう私を除いて誰もいない。私は波乗りを使った奥で作業をしていたチームだったから、この騒ぎには撤退命令が出るまで全く気づかなかった。というか、誰しも予想していなかっただろう。まさか自分たちでも「うげー」って思っている仕事をそれでも頑張っている最中、正論だけを振りかざして来る奴が居るなんて。ましてや、ムカつくぐらい寒い聖夜にだ。



「……寒いなあ。しょっぱいなぁ」
「驚きましたね。まだ撤退しない馬鹿がいたとは」


 ふと独り言をこぼすと、聞き覚えのある声が洞窟内に響く。振り向くと、予想通り私の直属ではないもののかなり偉い地位に経つ幹部様がいた。この任務の責任者だった彼がこの場にいる事自体は何もおかしくはない。けれど、この人は撤退したはずだ。どうして戻ってきたのだろう。微妙な感情を隠すように膝をついて、ついでに頭も下げる。目上には逆らうものじゃないというのは、ロケット団でもある両親からのしつけだ。
 何をしているのかと問われ、私は素直に落とした尻尾の回収に来たことを告げる。これはロケット団復活の大事な資金だ。サカキ様が帰ってきた時に、新しい基地をつくるための軍資金。悪にだって……いや、悪にこそお金は必要だった。ポケモンを使って金儲け!なんて言ってはいるけれど、結局そのお金は組織のために使われるんだから私たちには一円の得にもならない。私たちのような下っ端は、今日のご飯にありつくために仕事をするのだ。ヤドンの尻尾だって、その一環。これ一本で1日のご飯をまかなえるんだから、オイシイ話だ。


 そんなことを言って、彼の顔を一瞬だけ盗み見る。彼は苦虫でも噛み潰したような表情を浮かべていた。睨まれた気がして慌てて頭を下げると、彼は小さくため息をついた。わざとらしい咳払いが静かな洞窟内にこだました。


「……ああ、思い出した。あなたは確かあの博士の子供でしたか」


 たっぷりと沈黙した後、彼は煮え切らないような声音でひとり言ともとれる言葉を零す。そう、彼の言うとおり私の両親はロケット団専属の研究員だ。ちなみに私の本来の上司も、その人達である。……それがどうしてこんな任務に当てられていたのかといえば、ただ単に私が馬鹿だからという一言に尽きる。私は両親のどっちの頭も受け継がなかった。聞く話によれば、やたら正義を振りかざし猪突猛進にポケモンバトルに明け暮れていたらしい父方の祖父に似たのだという。迷惑な話だと私は思う。両親がロケット団の時点で一つの未来しか用意されていないというのに、悪とは正反対な人に似るなど嫌がらせに近い。私という存在は遺伝子レベルで使い物にならないといった実の父を思い出し、少しだけ胸が痛くなった。


「この度は同じ部隊でありながら応援に駆けつけることが出来ず、申し訳有りませんでした」
「……あなたが駆けつけたとて、結果は同じでした」

「存じております。けれど、少しでもランス様のお役に立ちたかったのです」
「この部隊に入り初日だったお前に、期待などしていません。思い上がるのも大概になさい」


 その言葉に、私は彼の他人と自分への厳しさを見た気がした。一見部下に対しての厳しい言葉でしかないように聞こえるが、彼自身に対するの自己評価にも聞こえる。私(下っ端)に何も期待していなかったということは、つまり彼はこの失態は自分のせいだと言っているのと同じことだ。
7年前……まだサカキ様がいた頃に一度だけ彼にあっているのだけど、その時の彼も今と同じ様に自分にも他人にも厳しい人だった。悪が嫌だと思っていた私に『弱い奴だ』とはっきりと言い切ったのは、両親と彼だけだ。……勿論そんな些末な出来事、彼はとっくに忘れてしまっているだろうけれど。


 申し訳ありません。再三謝罪の言葉を重ね続ける私に、彼は小さく舌打ちした。苛立ったようなその音に、冷え切った洞窟内の空気が震える。あまりの緊迫感に、体に冷たいものが走る。彼の足の向こうで水の中から顔を出している尻尾を切られたヤドンだけが、この空気の中で平気そうな顔をし続けていた。


「あなたは」


 膝をついていない方のつま先に、彼の足が乗る。力を込められたその先に痛みが走り、私は咄嗟に唇の内側をかみしめた。彼は上司だ。たとえ同じ年齢といえど、その差はかなり大きい。痛いなどと気軽に言って良い間柄でもなければ、不快感を安易に滲ませていい相手でもない。痛みに耐えていると分かる顔さえご法度だと教わってきている。


「謝れば何でも済むと思っているのですか」
「いえ、そんな事はありません」

「では口を慎みなさい。過ぎたことを何度も謝られるのは不快です」
「はい」


 乗せられていた足が退けられ、代わりに白い手袋をしたきれいな手がそこに乗せられた。持ち主の性格を表すような一点の汚れもない手袋が少しだけ汚れる。驚いて身を引いた私に彼は何の色も宿していない一瞥をくれる。何も語らないその目は、まるで全ての感情を無理やり押し込んでいるかのように何も映していなかった。その中でただただ義務的に、私が彼の瞳に写っている。



「何故しょっぱいんですか」

 その瞳のまま、彼は淡々とした事務的な口調で聞く。あまりに淡々としたその言葉に、私は一瞬自分に向けられた言葉だと理解することが出来なかった。


「はっ……何がでしょうか」
「先ほど、あなたが言っていたことです。しょっぱいと言っていたでしょう」


 聞いていた、というよりも覚えていたんだ。驚くと同時に、私は少しだけ“微妙な気持ち”になる。何故ならそのしょっぱいと口にしたのは、任務失敗直後にしては不謹慎すぎる言葉だだったからだ。だって今日が聖夜で外が恋人同士の温かいムードで溢れているからといって、それが私たちロケット団に何の関係があるというのだ。サカキ様がご不在のロケット団に休みはない、行事もない。ただひたすらサカキ様の復活のために一秒すら惜しみ邁進するだけの組織。それが、私たち下っ端に許された生活。

 だから、いいのだ。例え今日がクリスマスだとしても、『弱いヤツ』と吐き捨てた少年に今までずっと憧れを抱いていようとも。たとえその気持が恋愛感情に変わっていたとしても、それは組織には何も関わりのない事なのだから。


 『悪』に感情は必要ない。むごいという感情も、ひどいという感情も。……それこそ憧憬から逸脱した好きだという恋愛感情は、毛ほども必要ない。悪に有るのは、資金集めや勢力拡大等の日頃の努力のみだ。……幹部様だって、それは変わらない。私だけが辛いわけではない、みんなそうなのだ。愛する存在が居たとしても、それは組織の前では邪魔なものでしか無い。つまりこの感情は無意味だった。


「……今日は冷えます。私の任務はこれで終わりですが、ランス様も早くアジトにお戻りください」
「答えないとは生意気ですねぇ」

「……失礼します」


 彼の質問には一切答えずに、私は彼に深く一礼した後ヤドンの尻尾が入った袋を抱えて出口へと急ぐ。私の足音に別の足音が重なるのが分かり、私は自然に彼の後ろに回った。ボディガードの任務でもない私が彼の前を歩くなんて言語道断だ。
 一方前を歩く彼は、やはり何の感情も宿していないような声で「そういえば今夜はクリスマスですね」と口ずさむ。井戸の底から見上げた星空は驚くほど遠く、綺麗に見えて、自分達がどれほど薄汚れた存在であるか思い知らされているような気がした。



 縄ばしごを前に足がすくんだ私を、彼は黙って一瞥する。驚いたことに、彼もまた空を見上げるだけで梯子を登ろうとしなかった。クリスマスですね。冷静な彼の声が、同じ言葉を繰り返す。

「何をやってるんだろう」思わず付いてでた言葉を、彼は咎めない。それどころかまるで慰めるように、とっくに忘れたはずの私の名前を7年ぶりに口にした。
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