名前変換小説 | ナノ

警告:男主+死ネタ含








『今日からお前は私のポケモンだ。もう誰にもゲットさせないし、実験もさせないし、見世物にもさせない。お前に広い世界を見せてやろう、約束だ』



 私の長年続いた眠るだけの生活に突如終止符を打ったそいつは、ワガママにも似た無邪気さを子供のように相手に押し付ける奴だった。
当時実験室の水槽の中で強制に眠らせられていた。……あの日の……あの時のことは、60年経った今でも不思議とよく憶えている。突然の爆音がしたかと思うと、産湯のように気持よかった水が全身から剥がれ落ちた。寒さの中に投げ出された私は、とても不快な気分になった。――なぜ、起こしたのかと。

 私は、眠っていたかったのだ。私と同じように生み出された前の被験体、ナンバー01は逃げ出したらしいが、私は戦いがあまり好きではないし得意でもない。暖かな場所で、安全であるのなら一生水槽の中にいてもいいと思った。――しかし、その願いは顔や名前すら知らぬたった一人の子どもの手によって壊される。私は、怒った。怒り狂う中でなんども奴に問うた。なぜ私を出したのかと。暖かさが約束された水槽から、寒く冷たい外の世界へ連れだしたのかと。


 奴は、不思議そうに首を捻った。そんな事を問われるなど考えもしなかったとでも言うように、自分の正義が唯一絶対の意見だとでも言うように。――そしてその子供は少しだけ考えた末、一言だけ言葉を口にした。「私は君が気に入ったんだ。文句があるなら、バトルで勝ってから言え」と、赤と白で区切られたボールを私の方に向けながら。



「……来ていたのか、ミュウツー」


 見下ろしていた布団の山が少しだけ動き、寝起き特有のくぐもった声が響く。――あれから60年、随分と変わり果ててしまったと思う。張りのあった肌はシワで爛れ、生気と活気にあふれた声もこの有様だ。老いというのはなんと悲しい物なのだろうかと、柄にもなく悲観してしまう。でもこれはポケモンだからではない。ポケモンにも老いはある上、人間のそれよりも命の長さは短い。こんなことを思うのは、私自身が作られた異形の者だからだろう。老いもなければ成長もなく、まるで置物のようにそのままの姿を保ち続ける作られた存在。そんな私からしたら、どちらの命もとても儚い物のように思えた。自分にも命というものが存在しているのだろうかと、時折不安になる程に。


「ずいぶんと調子が良さそうだな、苗字」

 肩を竦めながら冗談めかしてそう言うと、苗字は弱々しい笑い声を零した。――その昔、奴の笑い声があまりにも煩すぎて喧嘩になった事が酷く懐かしい。これも、老いのせいなのだろうか。それとも別の要因なのだろうか。そう疑問に思っては見たが、病気というものに掛かりようもない私では答えのでない問いだった。



「ハハ、お陰様でなあ。……ああ、もう夕暮れか。部屋が少し暗いな。待ってろ、今明かりをつける」
「……暗いから、来てやったんだ。光は寒いのと同じぐらい嫌いだからな」

「ハハ、そうだったなあ……。懐かしい。お前と旅をしたのが、酷く昔に思えるよ」
「実際昔なんだ、この愚か者。60年だぞ」

「そうだなあ……もう、60年も経つのか。お前の姿は、あの時と少しも変わっていないから、自分もあの頃に帰ったような気分になる」



 苗字は弱々しい笑みをこぼすと、焦点が定まっていないような虚ろな目をこちらに向けた。濁ったようなその眼の色は、数十年前のそれとは似ても似つかない程色あせている。私は、昔のあの目が好きだった。バトルで負けても尚暴れる私に臆することなく100個近くのモンスターボールを投げ続けた、あの目。結局100回近くもボールに入れられあがき続けた私は、日頃の水槽生活が祟り持久戦で子供に負けてしまった。――まぬけな話だが、あの時のあの強引さがなければここ60年の楽しかった記憶が全てなくなっていたというのも怖い話だと思う。あのまま水槽に入り続けていたら、私は水になって溶けていたかもしれないと思う事がある。あの生ぬるい水溶液に、生活に、幸せも苦痛も思考能力も全部全部奪われる想像をして、背筋が凍る。



「……馬鹿者が」
「ハハ、お前を逃がしたこと、まだ根に持ってんのか。……お前は、もっと世界の広さを見るべきだとあの時言っただろう」

「だから馬鹿者だと言っている。私はよくも悪くも特別な存在だ。自分の身の置き方くらい、自分で決める」
「相変わらず頑固な奴だ」

「お互い様だろう。この頑固者が」


 吐き捨てるようにそう言うと、苗字は笑って昔やっていたように私の頭に手を伸ばした。しかし寝た状態の苗字では頭まで届かず、ぐらりと揺れる。落ちていく指先が、咄嗟に差し出した3本しか無い私の手の中に落ちた。冷たい、という抗議の声がしたが、私は何も言わなかった。代わりに、冷たい自身を更に押し付ける。私らしくないその行動に、苗字は小さく笑った。



「旅をしたいなあ。お前に、広い世界を見せてやりたい」
「カントージョウトホウエンシンオウ。これ以上何処に行くつもりだ」

「なんでも、イッシュって地方に行く定期便がアサギとクチバにできるそうだ。……どんな土地なんだろうなあ、イッシュ」
「……」

「……なんたって10年間水槽の中しか知らなかったんだ。10年分だぞ、10年分。……私が、取り返してやりたかったなあ」
「……私はもう、子供ではない。イッシュぐらい私がひとりで見てこよう。そして悔しがるお前の横で、土産話をたっぷり24時間不眠不休で聞かせてやる」

「…………ハハ、そりゃ楽しそうだ」


 濁った目をまぶたの中にしまうと、苗字はゆっくりと呼吸をした。握られた手の先の力が、少しだけ弱くなる。


「…………そうか、お前はもう、子供じゃないもんなあ」
「…ああ」

「……俺は少し、年をとり過ぎた」
「何をいっている、まだ70だろ。昔お前が生きると言っていた1000歳の10分の1も終わっては居ないぞ」

「……ハハ、無理を言ってくれるな……ミュウツー」
「…眠たいのなら、すこしだけ眠れ。疲れただろう。……安心しろ。形式上はもうお前の手持ちではないが、私はお前から離れることはない」

「すまな、い……あり、が、とう……あい、ぼう」


 ゆっくりとそう言うと、苗字は静かに呼吸をしながら眠りについた。もう先は長くない。おそらく――あと、数刻だってもたないだろう。


「……起きたら、イッシュへ行こう。私とお前、先に大地へと還った仲間達と共に。……しかし、私はお前ほど鬼じゃないからな。今は好きなだけ、眠るといい」


 そう言いながら開けられたふすまの向こうを仰ぐと、桜の花びらと太陽の光に輝き青々とした草花が目に入る。先ほど『夕方』と苗字が言った『春の正午』はなんと暖かいものなのか。暖かなそれはかつて入っていたあの生ぬるい水槽を髣髴とさせ、少しだけ可笑しさを覚えた。なんと皮肉な陽気だと、いっそ笑いたくなる。


「――今度は、私がこのぬるま湯から起こす番か。……なあ苗字、そういうことだろう?」


 そう思いながら記憶の端に残る苗字の活気あふれる笑みをつくろうとしたが、唇がやけに震えてうまく笑うことができなかった。私がそっと何時かのようにその手を握ると、冷えきった手が僅かに握り返したような気がした。

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