番外編 | ナノ

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Merry Merry

(8/8)


 雀の声で目を開ける。部屋はまだ薄暗く、完全に夜が明けきっていないことを告げていた。目が覚めてみれば、昨日のことが夢の出来事でもあるように感じて仕方がなかった。あまりのことで驚きすぎて気づかなかったけれど、あの雲雀さんが私にプレゼントを用意してくれたという事実は今も胸元で光っている指輪が証明している。あのレプリカのボンゴレリングを、大事にしていなかったといえば嘘になる。汚れたら磨き、大事に服の中にしまって移動した。『首輪』だと以前ディーノさんに言われたあのレプリカは、ごく自然に私の体の一部になっていた。

 考えてみればふた月前に雲雀さんに言われたことがある。「それがそんなに大事なのか」私はその質問になんて答えたかは覚えていないけれど、もしかしたらその答えがこの指輪なのかもしれないと思った。
 新しいボンゴレギアの形をしたこの指輪は、以前のものとは違い刺が付いているため少しだけ鎖骨を圧迫する。この痛みにも、こうやって私に優しくしてくれる雲雀さんにもすぐに慣れてしまうんだろうか。新しい指輪を指でいじりながら、顔を上げる。相変わらず私のベットを占領している雲雀さんは、真上ではなく私の方を向き、珍しいことに片手をベットから落としていた。まるで手を伸ばしているようにも見えるその姿に、少しだけ息が詰まる。彼のことが好きだと自覚してしまった手前、これを家族愛で片付けることができなかった。



 起きてしまうかもしれないと思いながらも、彼の手に自分の手を近づける。あと一センチ前に出せば指先が触れ合ってしまう位置だった。心なしか触れてもいない彼の体温が指と指に走る静電気のように伝ってくるような気がした。――思えば、彼から手を掴むことはあっても私から彼の手を掴んだことは一度もない。いつだって雲雀さんが私の手首を掴み、強引さを感じる手つきで触れてきただけだ。…触れてもいいだろうか。そんなことを思いながら、私は少しだけ手を動かす。12月下旬の冷たい空気にさらされ続けた彼の手は冷たく凍え、まるで氷に触れているような錯覚に陥った。


 ぱちりと、予想していたとおり彼のまぶたは開き、彼の三白眼は迷うことなく私を捉える。不機嫌そうに眉間に皺を寄せると、大きなあくびを一つして「何」と低く短い声で自身の機嫌が悪いことを露わにした。だけどトンファーが飛んでこないことを思えば、今の不機嫌さなんてどうってことはない。「寒くないですか?」と問うと、「別に」と呟き視線を更に下に落とした。私の指が彼の手のひらに触れている。以前ならこんな大胆なことできなかったのに、私の中で何かが吹っ切れてしまったみたいに彼の視線を受けても私の手は動く気配を見せない。もしかしたらあのレプリカの指輪には、私の恐怖心がたくさん入っていたのかもしれない。もしそうならこの指輪には何が入っているんだろう。考えようとしたけれど甘い答えしか出てこなくて、思わず笑ってしまった。思えば雲雀さんの前でこんなに自然に笑えたことがあっただろうか。彼の手がわずかに動いて、私の手に覆いかぶさる。わずかに紫色の炎が彼の手にちらつき、私の中へと流れていく。彼の手は冷たいのに、なんだかとても暖かかった。雲雀さんは相変わらず何を考えているかわからない目をしたまま、私を見る。伸ばしていない片手がネックレスに触れているのを見た彼は、見逃してしまいそうな位僅かに目尻を下げた。


「嬉しそうだね」

 一瞬自分の声かと思ったそれは、雲雀さんの声だった。うっかり思ったことを行ってしまったかと思ったので、心のなかでホッと息をつく。

「はい。本当に有難うございます。大事にしますね」
「…そんなのが嬉しいの、理解できない」

 彼はそう言うと、体を起こしてベットから降りた。そしてベットと私の間に腰を下ろす。慌てて私も起き上がって、彼の前に座る。動いた時に一度離れた手は自然とまた同じように触れ合っている。恋人みたいだと思ったけれど、よくわからなかった。期待する思いと、失望したくない防衛心が胸の中で交錯する。勝ったのは防衛心だった。声をかける際に恭弥さんと呼んでみようと思ったけどなんとなくまだ早いような気がして、結局慣れ親しんだ名前が口をついて出た。


「雲雀さん、ご飯作りましょうか?」
「まだいらない」

「…えっと、暖房いれますね」


 手を離したいことを悟られ無いよう注意を払いながら、自然な動作で彼の手を離す。机の上に置かれたリモコンの横には、黒いマフラーが彼の脱ぎ捨てたスーツと一緒に置かれていた。こんなものを作っておいて、すきじゃないなんてよく自分にも言えたものだ。苦笑しながら暖房のスイッチをいれると、静音とはいえ明け方の静かな部屋には大きすぎる稼動音が部屋の中に響いた。後ろで彼が立つ音がし、振り返ると部屋から出て行くところだった。良かった、と思う反面少し残念がってしまうのは、この新しい指輪のせいだろうか。好意か厚意かで贈られたこのボンゴレリングは首輪の役割を成さず、ただのアクセサリーになってしまったみたいだった。



「さて、コーヒーでも淹れようかな」

 一度大きく伸びをすると、彼と同じように部屋を出ようとドアノブに手をかける。だけど「くぴぃ」という声で、はっと私は我に返った。いつの間にかロールが私のベットの上で大あくびをしていたのだ。いつの間に出したんだろう。不思議に思いつつ置いていくなと必死に声でアピールする彼を両手で救い上げるようにして持つと、彼は嬉しそうに鳴き頬を私の手に擦り寄せた。
 顔の前に持ってきて改めてよく見ると、ロールは照れるようにもぞりと動いた。ハリネズミの飼育は少しずつ広まってきているとは聞いてたけど、やっぱり可愛いなあと思う。ただこの子は普通のハリネズミではないけれど。


 ロールは私の頬に自分の口を寄せ、ぺろりと舐める。そして少しだけ前に来て、今度は口元に自分の口を寄せた。飼い主に似ず、ずいぶん人なつっこい子らしい。「ロールには水を用意するね」というと、嬉しそうに小さく声を上げた。ソレを見ていたようにヒバードが私の肩に乗る。


「ミズ!ミズ!」
「あーヒバードもね!もちろん忘れてないよ!」

「ウワキ、ウワキ!」
「どこでそんな言葉を…。ちょっと待って、痛っ、やめてってば」


 肩で大暴れするヒバードを他所に、ベッタリと甘えるロール。どちらも本当の飼い主には似てないなあと思いながら、部屋を出た。それと同時に、雲雀さんも自室から出てきた。そのまま寝たため皺になったズボンとワイシャツから珍しくパーカーに着替えた彼は、寝起きのボサボサ頭のまま不思議そうにこちらを見た。


「…あっと…コーヒー淹れようかと思って」


 思わず言い訳をした私を他所に、彼は「ああ」とだけ呟くと再び私の部屋に入っていく。もともと私の部屋に戻る予定だったから、そこから出てきた私にあんな不思議そうな顔をしたのか。自分の中で彼の行動を反芻しつつ、急いでコーヒーと水の入ったお皿を2つ用意し自室へ急ぐ。キッチンとは違ってずいぶんと暖かくなった自室のベットの横では、雲雀さんが本を読んでいた。ローテーブルの上にコーヒーを載せて、彼のそばに寄せる。ロールとヒバード用の水は床の防水シートをしき、その上においた。ロールは飼い主に似てとても静かに水を飲む。対するヒバードははじめから飲む気はなかったようで、水の中に体を浸して遊び始めてしまった。…カメラを外し忘れたけど、大丈夫だろうか。

 雲雀さんは私が準備をし終わったのを確認すると、開いていた本を閉じて机においた。そしてコーヒーを一口飲むと、小さく息をついた。まだ眠たいのか涙目になった目をこすり、小さくあくびをする。そして忌々しげに自分でつけたはずの電気をにらみ、眩しそうに目を細めた。


「…えっと、電気の光量落とします…ね?」

 あまりにも不機嫌そうな顔にとっさに手が動いた私より早く、彼が電気のリモコンを奪い取る。そして一番の大きなボタンを押した瞬間、部屋の中が突然暗くなった。明るい電気で目が慣れているため何も見えず、「雲雀さん…?」と問いかけるものの彼の返事はない。動くような気配のあと、シャッとカーテンを開ける音がし、僅かに部屋に明け方の薄明かりが注ぎ込んだ。

 青色にもなりきれていない、藍色の空に雲雀さんの顔が照らされる。相変わらず何を考えているのかわからないその表情からは、寝る気はないという彼の意思だけは汲み取ることができた。――じゃあなぜ暗くしたんだろう。彼の真意が読めないまま、私はただ必死の彼の考えていることを考える。彼はそんな私を意に介さず、私の横に座った。


「雪が降ってるね」

 突然すぎる展開と話題についていけず、私は始め彼が何を言っているかよくわからなかった。

「えっと…あ、そうですね。確かホワイトクリスマスになるって、ニュースで言ってました」
「へぇ、興味あるの」

「え?…あ、いや、たまたま商店街で見たんです。今日は取り締まりに行くんですか?」
「行かないよ。煩わしいし。今日はここで仕事する」


 彼はそう言って私の方に向き直った。「君も外出禁止だよ」と改めて私に釘を刺し、机に突っ伏す。そんなに眠いなら眠ればいいのにと思いつつ、砂糖とミルクをたっぷり入れたカフェオレを啜る。4年ぶりに見たパーカー姿はとても新鮮で、なんだか4年前の雲雀恭弥に恐怖を抱いていた時を思い出してしまう。昨夜、昔の姿になった私を見た雲雀さんもこんな気分だったんだろうか。目をつぶった雲雀さんはいつになく子供っぽく、だけど当時の残虐さをまるで感じない無防備差で私の前に突っ伏している。トリップした時からこの雲雀さんだったらどんなに良かっただろう。そんなことを考えながら、彼を呆然と覗きこむ。「ん」と身動ぎした彼のパーカーから、包帯が見えた。

 骸さんは私のことを、「唯一目に見える雲雀恭弥の弱点」だと言った。昨夜は買いかぶり過ぎだと思ったけれど、こうして見てると私は雲雀さんの足を引っ張っているように見えてならなかった。昨日私が直ぐに電話を切っていれば…いや、そもそも私がいなければ、こんな怪我はしなかっただろう。彼は銃弾すら、その人間離れした身体能力で防ぎきってしまえるのだから。


 ごめんなさい。心で思ったはずの言葉は、なぜだか部屋に響いていた。雲雀さんは寝ていなかったらしく、釣り上がった目を開き私を見た。そして音もなく体を上げると、わずかに私との距離を詰める。「何が」と至近距離で問われた息が私の口元をくすぐる。鼻先はぶつかる寸前で、口元も何かの表紙でぶつかってしまいそうなほど近かった。当然頭なんて回るはずもなく、何が彼の聞いた「なに」なのかわからなくなってしまった。そんな私に彼は苛立ったように目を細める。近すぎて見えないけれど、きっと眉間にしわを寄せているに違いない。


「…ひば、ひばりさん…?」
「君は本当に僕を苛つかせるのが得意だね。君といると、ムカついてムカついてしょうがない」


 そんなことを言いながら、彼は一向に顔を離そうとはしない。それどころか、彼が動いた瞬間に鼻先がぶつかった。思わず身を引いた私を追うように彼のが身を乗り出す。まるで逃げ場のない岩場に追い詰めた肉食獣と、追い詰められた草食獣のような構図だった。

 心臓がいい意味でも悪い意味でも跳ね上がる。逃げようとした私を、彼の両腕と背後にいたロールが止める。逃げ場はない。あんなに大きいと感じていたエアコンの稼動音が私の中から消失し、彼の温かい息がわずかに潜められたのを感じた。私が堪え切れず目をつむってしまうのと同時に、「苛つく」という呟きが聞こえた気がした。



 薄皮一枚分唇が触れ合うと同時に、部屋中に大きな銃声が響いた。雲雀さんはものすごい速さで部屋に落ちたままのトンファーを握って窓に対峙する。部屋の温度が一気に下がり、彼の紫色の炎がトンファーに燃え移った。窓にはいつから見ていたのか、見覚えのあるカメレオンと、見覚えのある姿より格段に大きくなったヒットマンがカエルの服を着て窓に張り付いていた。彼がこの部屋に訪れた時はたいていろくなことが起きない。雲雀さんの炎圧があがり、コーヒーカップが倒れて床を汚す。ああ、掃除が大変そうだなあと人事のように考えつつ出口付近へと逃げる。その途端ドアがガラリと開き、楽しそうな子供の声が薄暗い部屋に飛び込んだ。


「カオスだな。いい年した男女がクリスマスにその程度なんて情けないぞ、雲雀。それじゃあ京子を誘えないダメツナと一緒じゃねえか」
「へぇ…聖夜に自殺なんて変わってるね。望み通り咬み殺してあげる」

「女に手を出せねぇ青臭いガキにやられるほど腕は衰えてねぇつもりだがな。まあクリスマス会の余興にはなるか」
「残念だね、せっかくのクリスマス会とやらは君の葬式に変更だ」

「怪我をしてるんだってな。じゃあハンデで利き手…いや、両手は無しにしてやるぞ」
「噛み殺す」


 いうが早いか、二人は窓から外に飛び出していく。早速窓の外で銃弾と爆発音が響くのを聞きながら、荒れ果てた部屋の中でため息を付いた。ヒバードは雲雀さんの後をついていき、ロールは主人の怒りにはお構いなしで私の足に擦り寄る。そういえばロールをおいて行ってしまったけど大丈夫なんだろうか。そう思いつつ、コーヒーカップを片付けようと手を伸ばすと、こんこんと控えめなノックが窓から響いた。顔を上げて、息を飲む。「やあ」と遠慮がちにかけられた声は、私が最後に聞いた声よりいくらか低くなっている。顔にはまだあどけなさは残っているものの、どこか威厳すら感じるその出で立ち。中学生よりわずかに伸びた髪は、額に灯るオレンジの炎で揺れていた。


「沢田…さん?」
「えっと…その、ごめん…ね?邪魔しちゃったみたいで」


 彼は申し訳無さそうに頭を下げ、靴を脱いで部屋に入ってきてくれた。あまりにも申し訳無さそうな表情に、自分と雲雀さんがどういう状態だったか思い出しいまさらのように恥ずかしくなってしまった。焦る私に、彼は和やかに笑う。相変わらず温和な雰囲気に、私は少しだけ安心してしまう。クピイと不服そうにロールが声を上げ、鼻を突き上げる。抱っこを求めているように思え両手で救い上げると、安心したように顎を私の手につけて目を閉じた。その姿に、澤田さんはこらえきれなくなったように吹き出した。


「くっ…ははは!話には聞いてたけど、やっぱりロールは君になついてるんだね」
「え?えっと…やっぱりって…?」

 想像通りというような口ぶりに、私はひどく動揺してしまう。初めてあった時から6年近く経ち、少し大人になった沢田さんは思ったよりもずっとかっこよく、明るい雰囲気を持っている。それは普段寡黙で冷徹な雲雀さんと過ごしているせいか、彼の言動一つ一つが眩しかった。笑顔の彼に見入っていると、突然手の中にいたロールが丸くなる。こちらに抗議するように半分だけ顔を出し睨んでいる姿は、どこか雲雀さんを彷彿とさせた。


「ああ、怒っちゃったね。でもごめん、おかしくてつい…くくくっ」
「えっと…?ごめんなさい、よく意味がわからなくて」

「いや、雲雀さんは本当に君のこと好きなんだなあって思っただけだよ」
「えっ…あ、痛!」


 思いもよらない言葉に、私はつい手に力が入り、丸まって針を立てて怒っているハリネズミを握ってしまう。慌てて針を立てるのをやめたロールは、赤くなった手をペロペロと心配そうに舐めた。「ありがとう」と涙目になりながら言うと、ロールは少しだけ笑った。どうしてロールがなついていることが雲雀さんに関係有るのかが理解できない。むしろこの子はもともと雲雀さんと性格も気質も似ていない。だから雲雀さんとは関係ない。

 慌てすぎて早口で説明する私を、沢田さんは少し困ったような顔で見つめていた。私の言葉を相槌を打って聞いたあと、わずかに考えて、すごく言いにくそうに「あのさ」と首を傾げた。


「名前さんは、雲雀さんが君のことを好きだと困る?」


 沢田さんは少しだけ真剣に、でもやっぱり優しそうな顔で首を傾げる。私は、すぐに答えることができなかった。
彼が用意したのは単純明快な二択の質問だ。YESかNOで答えればいいだけの質問なのに、答えがすぐに出てこない。というか本当につい数時間前に、ようやく自分の気持を見つめることができたばっかりなのだ。彼の気持ちや、彼とどうにかなりたいなんて思いもしなかった。あるのはただ、これからも一緒に暮らしていくんだろうなあという漠然とした未来。…まあその未来も、冷静に考えればおかしいのだけれど。


 答えに困る私に、沢田さんは慌てて手を降った。そして体裁の悪さを隠すように苦笑する。「ごめん!えっと…答えにくかったら答えなくていいんだよ」といい、下に落ちたコーヒーカップを拾い上げた。それをテーブルの上に戻すと、私の手の中で安心しきっているロールに目を移す。そして徐ろに目を瞑ると、オレンジの炎が指輪に灯った。


 一瞬、部屋の空気が変わる。獣の声に視線を落とすと、そこには小さなライオンが沢田さんの後ろに隠れながら興味深げに私の方を見ていた。少し、ランボさんに似ているのかもしれないそれは、雲雀さんにとってのロールのようなものなんだろう。「おはよう、はじめまして」と挨拶をすると、怯えるようにぴゃっと変な声を上げて隠れてしまった。…何なんだろうとおもって沢田さんを見ると、ただ苦笑している。「俺も変わらないなあ」とまるで自分を見るようにライオンを見ていた。


「普通の動物なら、動物本来の性格や個性もあると思う。でもナッツ…っと、このライオンやロールは少しだけ違うんだよ」
「えっと…武器になるってことですよね?」

「そう、あまり意識したことはないけれど、元々は科学者の手によって生まれた動物型の兵器なんだ」
「えっと…それが、どうしたんですか?」

「いや、単純な話。この動物たちは持ち主の炎の性質や感情を読み取ってそれを自分に反映しちゃうんだよ。俺は今名前さんと普通に話してるように見えるけど、内心は緊張してるんだ。だからナッツがこうやって緊張しちゃうんだよ」



 彼はそう言いながら、足の裏に隠れたナッツと呼ばれたライオンを撫でる。彼は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らすと、私の方を見て力強く鳴いた。もちろん、遠くからだけれど。
 
 私は、彼の言葉を自分の中で反芻させていた。つまりナッツをロールに、沢田さんを雲雀さんに当てはめて考えればいいのに、うまく当てはめることができない。第一、今雲雀さんは怒っているはずなのに、どうして手の中のロールは安心しきっているんだろう。私の表情に気づいたのか、沢田さんは苦笑した。


「まあ、信じがたいよね。なにせあの雲雀さんだし。でもこの話は本当だよ。ほら、現に今ロールは君の中で安心してるだろ」
「え…?でもいま雲雀さんって怒ってるんじゃ…」

「はは、あれはリボーンに対してだよ。多分、早く君のところに帰ってそうしたいんじゃ…あ、ごめん!もう行くね!」


 彼の柔和な笑顔が一瞬で崩壊して、慌てた動作で部屋の窓に足をかける。そしてまばたき1つ分の時間でナッツが炎になり、彼の両手にまとわりついた。そして何がなんだか分からないまま、文字通り飛ぶように帰ってしまった。彼の姿が見えなくなった瞬間、ガチャリと玄関の方のドアが開く。慌てて廊下に出ると、そこにはずいぶんとやられた雲雀さんがいた。服は破れ、胸に巻かれた包帯には血が付いている。思わず駆け寄ると、「騒ぎすぎ」と制されてしまった。よりあえず消毒と草壁さんに連絡を、と思ったところで彼に腕を掴まれる。そのまま座った彼に引きずられるように、私もへたり込んでしまった。


「手当も連絡もしなくていい。これは僕の血じゃないから」
「えっ!?…えっと…」

「いいって言ってるでしょ。咬み殺されたいの?」

 彼はそう言うと、すんと鼻を動かして眉根を寄せた。そしてまるで見ていたかのように「誰かいた?」と不機嫌そうに問う。…もしかしなくても、沢田さんのことを言っているんだろう。そう言えばあんなに慌てて帰ったのは、雲雀さんが帰ってくるのを察したからかもしれない。――超直感。彼は家庭教師ヒットマンREBORN!の主人公で私はその世界にいるのに、ずいぶんと久しぶりに聞いた気がした。やっぱボスはすごいんだなあと思ったところで、トンファーが顔面ギリギリをかすめた。


「大空の炎…沢田綱吉がきたの?」
「えっ…なっ、なんで…分かったんですか?」

「君の体は炎がないから、近くにいる属性の炎に影響されやすいんだよ。そんなことも知らないなんて、本当に馬鹿だね」
「……ごめんなさい」

「ほんとに、苛つく。いっその事消えてくれないかな、君」


 あまりの言葉に俯いた私の顔を、彼の手が上に持ち上げる。そして首筋をなぞって、ボンゴレギアのリングに触れる。どう見ても消えて欲しい相手への手つきではなく、私の脳裏には沢田さんの言った好きというに文字がちらついた。彼に恋愛感情なんてあるはずがないじゃないかと、6年前の私が自制する。だけどだからといってこの状況をどう判断していいかわからない。彼の指先が、リングに紫の炎を灯す。薄暗い玄関でわずかに灯る紫色の光がなんだか良くない空気を醸し出していて、一刻もはやく逃げたい衝動に駆られた。だけど彼は離すつもりはないらしく、リングごと私を引き寄せた。ひょっとしたらリボーンさんに邪魔をされた続きなんだろうかと思うと同時に、彼の顔がわずかに近づいた。



「あ…えっと…消えた方がいい…ですか?」


 沈黙に耐えられずに冗談交じりでそう言ってみると、彼は小さく「外出禁止だよ」と身も蓋もない返答を寄越した。この状況でまさかそんな冷静に返されるとは思わず、続きの言葉が出ない私を彼は引き寄せる。もう言い逃れをすることも部屋の外に逃げることもできない。来客だって流石にもうこないだろう。リビングで6時を告げる電子音がなる。彼はリビングの方を横目でちらりと見ると、小さく息をついた。まるで自重でもするかのような溜息に普段なら驚くはずなのに、この状況じゃあちっとも頭に入ってこなかった。
「そういえば言ってなかったね」と彼は小さく呟くと、私の鼻先を通りすぎて、耳元に口を寄せた。


「メリークリスマス。もう二度とやらないけどね」


 彼はそう言うと、私のリングから手を離す。拘束されてもいないのに動くことができない私を覆うように彼の両手が伸びる。抱きしめるというよりも締めあげるに近い、不器用な力加減。骸さんとは違う、まるで一度も人を抱きしめたことがないような手つきがなんだか可笑しくて、なんだかいつもより雲雀さんが小さく見えた。彼の変化に戸惑いながら、久しぶりすぎてぎこちなくなった動作で彼の背中に手を回す。彼はハリネズミのように体を丸くし、私の首に顔をうずめた。彼の短く切った髪の毛が、耳や首筋に貼りのように刺さる。ハリネズミみたいだと言ったら、彼はきっと怒るだろう。


「メリークリスマス…恭弥さん」


 普段より小さく見える彼に一矢報いようと首をもたげた悪戯心が、ごく自然に彼の名前を引き出した。そんな私に、雲雀恭弥は怒らない。まるで手負いの獣のように力のぬけた声で、「ほんと、消えればいいのに」と全く逃す気がない力加減のまま呟いた。





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