番外編 | ナノ

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Merry Merry

(6/8)

 雲雀恭弥は非情な人間だというのが、取り付く島もないほどに殴られた私が彼に抱いた第一印象だ。
私を見た瞬間に振り下ろされたトンファー。見事に吹っ飛び蹲る私にすかさず蹴りを入れ、お風呂の中に落ちれば顔が水面下から抜け出せないよう押さえつけられる。痛む箇所を執拗に押さえ、まるで虫を殺すように悲鳴も嗚咽も淡々と聞き流す。5年たった今でもあの光景だけは鮮明に脳裏によぎり、平穏な生活をおくる私に時折恐怖を与える。それが私がこの5年間ずっと雲雀恭弥の本質だと信じてきた部分だった。


 しかし6年後の雲雀恭弥は以前とは違う反応を見せていた。まず第一に何時まで待っても痛みが来ない。それどころか彼は、まるで指にはめられた指輪のように微動だにしていない。おそるおそる彼の表情を窺うと、彼は右肩をすくめ利き手側のトンファーだけをしまった。そしてようやく私に歩み寄ると、避けれるんじゃないかと思えるほどのスピードで振りかぶった。



「っ」

 右側の二の腕に鈍痛が走り体力の衰えた体が浴室の床にへばり付く。痛い。痛いが、雲雀恭弥の今までの制裁に比べたら全く痛くない部類だ。5分もしたら赤みも消えるだろう二の腕をさすりながら起き上がる。雲雀さんの左手からトンファーは消えていた。これで終わりなわけがないと思っていた分、驚きが大きい。この人は本当に雲雀恭弥なのかと疑いたくなるほどに、今日の雲雀さんは様子がおかしい。


「…雲雀、さん?」
「……とりあえず君には聞きたいことがあるから、起きて」


 彼はそう言うと、乱暴に私の左腕をつかむ。昔の彼なら容赦なく先程トンファーを当てた側を持ったのに。驚きで中々動こうとしない私にしびれを切らしたのか、今度こそ彼は私の両手を掴むと乱暴な足取りで浴室を後にする。ソファーの上に投げられ体が跳ねる。投げられるのが床じゃない事実に私は愕然としかけ、ふと考える。彼が私をある程度安全な場所に投げ捨てるようになったのは今に始まったことじゃない。思い返せば、もう随分前からそうだったような気がする。しかしそれがいつからだったのかは、正確には思い出せない。思い出せるのは、昔はひどかったということだけだ。



「……雲雀さん、私、また…約束を破りました。本当に、ごめんなさい」
「僕がわからないと思ったの?それともわざと?」

「…すみません」
「ふぅん、覚悟があってのことなんだ。どっちにしても、君を咬み殺すことには変わりないけどね」


 彼はそう言うと自然な動作でトンファーを構えた。瞬間的に見を固くした私を一瞥した彼は僅かに目を細めた。私は今にも飛びかかってきそうな痛みに堪える準備をしながら、心のどこかで安心していた。これでやっと正気に戻れる。そんな私に気づかず、彼はゆっくりとトンファーを振り上げる。その瞬間、はだけた胸元から包帯が見えた。


「傷…」


 私の呟きがリビングに響いた瞬間、雲雀さんの手が止まった。左腕に当たる寸前だったそれはまるで迷子にでもなったように立ち尽くし、前にも後ろにも動かない。間近に迫った雲雀さんの体から花火のような匂いがした。それが何を意味するのかは、想像に難しくなかった。耳の少し下の顎のラインに拭き損ねたような血の跡が薄っすら残っている。


「……撃たれたって聞きました」
「君には関係ない」

「…そうですね。でも、無事でよかったです」


 私はそう言い残し目を閉じる。いつでも来いという私なりの意思表示だ。けれど先ほどと同じように、私の望んだ痛みはやってこない。目を開けると、眼前に雲雀恭弥の顔があった。不意打ちを食らって声も出ない私の首に、冷たいトンファーが当てられる。部屋の時計が短く電子音を響かせ、夜の9時を告げた。彼は動かない。彼の後ろに見える窓から明かりが見える。ああそうか、今日はクリスマスイヴだったとそんな事を思い出す。


「苛つくから、黙って」

 沈黙の中には似つかわしくない言葉を彼は平然と吐き捨てる。私は彼の言葉通り呼吸を浅くして待つ。トンファーの腹部分が私の首に徐々に押し当てられる。でもここ数年の間で分かったことだけど、こんな当て方をした時は決まって痛みはこない。そこまで思って、私ははたと気づく。そういえば、私はここ数年本当に気絶するくらい彼に暴力を振るわれていない。殴られる箇所はいつも、あまり痛くない腕だ。



「で、その顔は何?どうして君が霧のリングを持っているの」
「…リボーンさんの、イタズラで」

「へぇ、赤ん坊の遊戯に引っかかるなんて馬鹿なんだね、君。目障りだから早く外しなよ」
「…外れないんです」

「からかってるの?こんなに緩そうなリングが外れないわけ無いでしょ」
「…多分骸さんが、」


 骸。その言葉を口にした瞬間に首に当てられたトンファーが外れた。立ち上がった雲雀恭弥の前で鈍い音を立ててトンファーに棘が生え、真っ直ぐ私に向けられる。刃先が私の腕に食い込む。けれどその切っ先が私の肌を破ることはない。ただ彼の怒りを宿した視線だけが鋭く尖り、私の目に突き刺さる。やっぱり雲雀恭弥だと、その目に恐怖しながらもどこかで安堵していた。小動物が大型の肉食動物を怖がるようなたぐいの恐怖が背筋を駆け抜ける。

 正直なところ、骸さんの名前を出したのはわざとだった。雲雀さんの前では六道骸どころか霧属性の話題さえ出してはいけないということは原作を見ればある程度想像はつく。そもそも6年もの間、雲雀さんと過ごしてきたんだ、そんな手放しのうっかりをする訳がない。…ならなぜ今口にしたかといえば、単に私は彼を試したかったのだ。いくら優しくなったとはいえ、私の予想では骸さんの名前を出せば気絶する一発を瞬間的にもらうと思っていた。けれどいつまでたっても、望んでいた痛みは襲っては来ない。それだけで、私は彼に期待する理由ができてしまう。

 こんな雲雀恭弥は知らない。いや、見て見ぬふりをしていただけなのかもしれない。紙の上の雲雀恭弥を思い出そうとするけれど、6年前に見たきりの漫画は擦り切れてもう覚えてはいなかった。


「へぇ、六道骸に会ったんだ。どこで?」

 目だけで人が殺せるなら、私はこの瞬間だけで両手の指の数以上殺されているだろう。そう思うくらい殺気立った目は、何故だか私の首と目を往復する。


「……並盛神社で」
「へぇ、そうなんだ」

「かっ…ぅっ…」


 不意打ちだった。一瞬で振りかぶられたそれは何の迷いもなく腹部に入る。ようやく与えられた痛みに耐えかね、私の体はソファーからあっけなく落ちる。しかしいつの間にか棘は消えていて、ただ円形状の丸い棒がえぐるように入ってきただけだった。涙目になってうずくまる私に、彼は何の言葉も発しない。これで終わりなんだろうか。涙で歪んだ視界を彼に抜けようとした瞬間、体が浮いた。襟首を捕まれ、襟元が喉に食い込む。苦しさにあえぐ暇もなく、私の体は再びソファーに投げられた。


「これで満足かい?」

 私を正気に戻してほしい。そんな心を見透かしたように言う彼の声音は、酷く落ち着いたものだった。仰ぎ見た彼の目にはもう怒りはない。相変わらず感情を宿すことを拒否しているような無機質な表情で私を見下ろしている。気づけば傷つける気はないとでも言うようにトンファーは袖の中にしまわれていた。袖から見えるブレスレッドに形が変わったボンゴレリングが鈍く光る。

 私はあの元ボンゴレリングを今はなんて呼んでいるかを知らない。それどころか、未来編以降彼に何があったかも分からない。時折雲雀さんがぼろぼろになって帰ってくる事はあるし帰ってこない日も多々あるがその詳細を聞かせてもらえたことは一度もない。未来編以降の戦いで彼がどういう体験をして何を感じてどのように変化したのか、私は塵程も知らない。同じ屋根の下で暮らしていても所詮はその程度だった。きっと彼にとっての私は、その程度の人物なんだろう。わざと卑屈に考え、自分自身の気持ちをごまかす言い訳にする。いい年して、本当に大人気なかった。



「僕が何も知らないとでも思ってるの?だとしたら君は相当の馬鹿だね」
「……監視カメラに映ってましたか」

「財団の上だから苦労はしなかったよ。でもまさかあそこだとは思わなかったけどね」


 彼はそう言うとソファに腰を下ろす。その傍らにいつの間に出てきたのかハリネズミが寄り添うように座る。ロールと言うらしいこのハリネズミが何物なのか私は知らない。以前雲雀さんに聞いた時に「君と同じようなものだよ」としか教えてもらえなかったというのもある。雲雀さんに常に寄り添うロールは、一度雲雀さんがいなくなればヒバードよりも私に甘えてくることが多かった。でも素直な意味での動物ではないようで、時々形が武器のように変化するから恐らく雲雀さんの新しい武器なのだろう。やっぱり私は雲雀さんのことを何一つ知らない。こんな状態で恋愛感情だなんて笑ってしまう。


「…本当にごめんなさい」
「反省しているようには見えないな」


 謝罪の言葉を口にした私に、彼の言葉が容赦なく降り注ぐ。「言いたいことがあるなら早くいいなよ」と間髪入れずに続けられた。彼にも私の動揺が見えるんだろうか。伺いみた彼の目は純粋に苛立ちを滲ませていて、私は言葉を紡ぐのをためらってしまう。

 聞きたいことは山ほどあった。その腕輪とハリネズミはなんなのか。Dなんとかの戦いは何だったのか。今は何と戦っているのか。なぜトンファーで殴る回数が減ったのか。オートロックが付いているなら何故私の手で二時に施錠しなければいけないのか。どうして私に触れることが多くなったのか。そして何より、私をどう思っているのか。


 ダムが決壊したように次々と浮かぶ疑問に目がくらみ、うまく言葉にすることができない。そんな私を見た雲雀恭弥は眉間の皺を深くする。苛立ったような「無いならいい」という言葉で、私の中の疑問が嘘のように引いていった。まるでダムに蓋をしたみたいだと、すでに苛立ちを収めている彼を見て思った。



「…ああそういえば」なんでもないことのように唐突に雲雀恭弥は口を開いた。世間話のような切り口で、静かに言葉を続ける。「家族がって話、何」


 静けさを取り戻したダムが怯るように震える。彼の言うのは昨夜の電話の続きだろうと言うことは簡単に想像できた。つまり、『私は雲雀さんの家族に』の続きだ。まさかそう切り出されると思っていなかっただけに、私は完全に面食らった。銃声に邪魔をされた部分である「家族になれていますか?」という言葉を繋ぐだけなのに言葉がうまく出てきてくれない。そもそもあれは、顔が見えないからこそ言えた言葉だ。こんな雲雀さんの前で堂々と言える言葉ではない。

 言葉に詰まる私に、雲雀恭弥は何を思ったのだろうか。機嫌の悪そうな目を閉じ、彼にしては珍しく深く息を吐いた。


「君は本当に、僕を苛つかせるね」


 彼はそう言うやいなや、私の手首を捻りあげる。近くに来たことさえ分からなかった私は手首に走る鈍い痛みに悶絶する。引いた涙が再び滲もうとするのを、唇を噛んで耐える。しかしそれは雲雀恭弥にとっては不快だったようで表情を厳しいものにしながら、まるで恋人同士がふざけあって触れるような優しさで私の頬に拳を当てた。


「浮かれすぎて約束は破る。僕の嫌いな人間と群れる。言いたそうな顔をしておいて言わない。つけるリングは僕の一番嫌いな霧だ」


 手首をひねる力が強くなる。「うっ」声を漏らした拍子に歯が唇から離れ、堪え切れなくなった涙が頬を伝った。

「大体君が飲まされた薬は、恐らく一時的に炎圧を上げるだけのものだよ。つまりその姿を作り出したのは君自身だ。なのに幻術をとこうともしない」

「…ぃっ…ひば、違っ」
「本当に君はいったい、何がしたいの」


 彼はそう言って手のひねりを弱める。そして唐突に私の袖をまくり、私にもしっかりと見えるよう腕の向きを調節した。「え」と思わず声が漏れる。そこには6年前骸さんに三叉槍で掘られたMの字と、雲雀さんがその上から傷つけた擦り傷が生々しく再現されていた。しかしおかしい、この傷はこの世界でできたものだから、トリップした当初には存在し得ない。でも並盛中のブレザーの制服はここに来た時にしか着ていない。と言うことは、彼の言うとおり本当に私がこの姿を作り出しているんだろうか。

 信じがたい事実に、私は言葉を失う。平穏な日々を暮らせている私が、6年前のつらい日々を送っていた私に戻りたいなんて思うだろうか。そう考えて顔を上げる。雲雀恭弥と視線がぶつかった。「なに」と、ぶっきらぼうな声音で彼は私に問いかけた。


「…あ」


 そこまで来て、私はようやく思い出した。確かに私は6年前の自分を羨んでいる事が2つ在る。一つ目は、家族との幸せな日々の記憶を鮮明に持っている事。そして2つ目は……。そこまで考えて雲雀さんを一瞥する。今度は雲雀さんと視線がぶつかり合うより早く、彼の手が私の首に触れた。白蘭によって付けられた傷を指の腹で一度なぞった彼はようやく私の目を見返す。息がぶつかり合うほど近い距離に、心臓が跳ね上がった。同時に彼の眉間にシワが寄る。自分の姿を見ると、酷く懐かしい自分の高校の制服に変化しているのが目に入った。私はまた過去に戻りたいと思ってしまったらしい。


「…あの、雲雀さん」
「何」

「その…聞きたいことが、あるんです」


 真っ直ぐ彼の目を見ることはできないけれど、なんとか言葉を振り絞る。彼がどんな顔をしているのかは想像に難しくない。十中八九早く言えという顔をしているに決まっている。緊張を解すために小さく息を吐く。緊張の糸が切れた体は力を失い、私は雲雀さんに手首を掴まれているにもかかわらずへたり込んでしまった。彼は私が座り込んだとしても手を離そうとはしない。それは私と彼の関係を体現しているようで、思わず苦笑してしまった。聞きたいことなんてありすぎてキリがない。


「雲雀さんは、どうして私を家に匿ってくれるんですか」


 6年間胸の奥底で眠っていた疑問が目を覚まし、初めて雲雀恭弥に向かって歩き出す。そんな事を聞かれるなんて思ってもいなかったのだろう。雲雀恭弥は面白いほど目を見開き、私が見た中では初めて言葉をつまらせた。そんな彼を見て私は彼の変化を実感した。恐らく彼も私の変化を実感しているのだろう。私の質問が続かないと悟った彼は、静かに答えを放棄した。だけど私はそれを許さない。死にたくはないけれど、痛みなら覚悟のうえだ。


「昔のことだから忘れたよ」
「…じゃあ、どうして今日はあんなに…い、急いで…帰ってきたん、ですか」

「約束を破ったのは君でしょ」


 明らかに不機嫌になる彼に、だんだん言葉が弱くなる。この様子だと後一言で会話が終わってしまう。でもそれじゃあ意味が無い。これを知らなければ、私はずっとこの6年前の姿の幻術に囚われたままなのだ。
 雲雀恭弥の視線を感じないよう目を閉じる。とたんに大きくなる秒針の音。冷蔵庫の稼動音。そしてトンファーを構える音。それらすべてを感じながら、私は言葉が震えないように強く拳を握る。目を開けて見た拳は白くなるほどに力がこもっていた。


「…雲雀さんは、私のこと、その、どう思っているんですか」


 雲雀さんがトンファーを出したまま固まる。きっと先ほど家族の会話を切り出した時の彼が見た私はこんな感じだったんだろう。何を言うんだという驚きとなんだこいつはという露骨な苛立ちが、手に携えたままのトンファーに現れる。そしてワンテンポ遅れ「何を言ってるの」という言葉が後を追うように零れ落ちた。私は今直ぐこの場から逃げ出したいという気持ちを押し殺して、必死に言葉を繋ぐ。一度切れたらもう二度と繋がらないだろうということは私が一番理解していた。


「…私、雲雀さんのこと、もっもっと知り、た」

 まるで恋人への告白の言葉みたいだと気づいたのは、知りたいと言い切る直前だった。動揺で切れた言葉の端は、まるでフードの中に隠れてしまった紐のように存在は感じても見えなくなってしまう。どうしよう。伝わっただろうか。そう思いながら雲雀恭弥を窺い見る。けれど雲雀恭弥は私の腕を掴んだまま、ただ怒りを顔に貼り付けるだけだ。への字に曲がった薄い唇がわずかに開く。吐き出されたのは、短い言葉だった。


「なんで君に話さなきゃいけないの」
「…え?」



 予想を裏切る質問に今度は私のほうが面食らう。動揺が声になって零れ落ち、視線は縫い付けられたみたいに雲雀恭弥から離せない。拒絶される覚悟ができていなかった訳じゃない。けれど「どうして」と言われると言葉に詰まってしまう。私が知りたいから言って欲しいだなんて自惚れもいいところだ。彼の言う通り、彼の考えていることや起こったことを話さないといけない義務はない。けれどそれでも知りたいという欲求を、なんと表現したらいいかわからない。「知りたいから」「気になるから」「大切だから」次々と言葉が浮かんでは消える。

 「好きだから」その言葉が思い浮かんだ瞬間、他の言葉が泡のようにぱちんと消えた。「好きだから知りたい」「好きになってほしいから知ってほしい」確かにありふれた恋愛感情の1つではある。…1つではあるけれど、これだけは認めれない。認めたくはない。



「いけなく…ない、です」


 弱くなった私の声に彼は更に苛立ったようにトンファーを構える。けれどトンファーが向かった先はソファーで私ではなかった。布に吸収されくぐもった衝撃音が静かすぎる部屋に響く。めり込んだトンファーを引き抜くと、そこには円形状の穴が開いていた。一体どれほどの力を込めればソファーが破れるんだろう。青くなった私を他所に、雲雀恭弥はようやく私の手首を離す。そして一言、「君といるとイラつく」と吐き捨てると乱暴に自室に入っていった。取り残された私はどうしたら良いか分からず、ぼんやりとベランダに近づき外を覗く。ここから見える商店街は昨日よりもライトアップされていて、人もたくさんいるようだった。

 いいなぁ。自然に出てきた言葉に驚いて目を見開く。自分からそんな言葉が出るなんて思っても見なかった。私はやっぱり雲雀さんのことを意識しているんだろうか。そこまで考えため息をく。少し浮かれすぎてしまったのかもしれない。でも基本的に必要以外の外出が許されていないこの家で今更24日25日は外出禁止と書く必要があったんだろうか。あれがなければ期待することもなかっただろうに、雲雀さんは本当に変な人だ。小さく悪態をつきながら、冷えきった窓に触れる。



 逃げちゃおうかと何の気なしに思う。家主に嫌われ宣言をされたのなら、どの道出て行かなければいけない。いくら独占欲が強い雲雀さんだって、イラつく対象を追ったりはしないはずだ。幸運なことにまだ私の中の霧の炎は残っている。元々が骸さんの炎だからか、覚悟がない私でも少しだけならリングに炎を灯すことができた。呼吸を整えて心を落ち着ける。この家を出て自立をするイメージを心の中で浮かべて、息を吐く。瞬間、音を立ててリングにハッキリとした炎が灯った。藍色のその炎は風もないのに大きく揺らめき、怪しげに光る。骸さんそっくりだ。僅かに笑みがこぼれたのを自覚し苦笑する。何だ、意外と平気じゃないか。雲雀さんに拒絶されたらどうなるかと思ったけど、私は自分が思う以上に逞しいらしい。とりあえずはこんな事態にしたリボーンさんの所へ行こう。そう思った瞬間に炎の強さが増す。その瞬間、雲雀さんの自室のドアが開いた。



「何をやっているの」


 藍色の炎を見た瞬間露骨に表情を歪めた彼は、苛立ちを隠そうともせずに刺々しい声音を私に向ける。そしてその瞬間、彼の腕にはまったブレスレッドが紫色の炎に包まれる。炎が四散した時にはそこにはブレスレッドはなく、なぜだか長い学ランを身に纏っていた。それを見たロールが雲雀さんの肩に乗り小さく鳴く。雲雀さんはそれに答えるように何かを呟くと、ロールは紫の光に包まれた。何が起こっているのか私は理解できず、ただただ立ち尽くす。気がつけばロールはいなくなり、私の手首には彼の声音のように尖った手錠がはめられていた。私はそこで初めて、私は彼を本気で怒らせてしまったということを理解した。

 彼は二つ目の手錠をどこかから取り出すとくるりと回す。くるり、くるり、くるり。三回まわした所で、私は自体の最悪さを自覚する。一周回るたびに二乗されていく手錠は、いつの間にか彼の手いっぱいに握られている。逃げられる逃げられないの話ではない。生きるか死ぬかの問題だ。


「ねえ、聞いてるんだけど」


 不機嫌に手錠を回す。くるり、くるりと増えていく手錠に悪寒が走る。一秒も無駄にできない。私は早鐘を打つ心臓に手をやる。体が熱い。多分残りの炎は多くないんだろう。炎を使ったことのない私にはどの選択肢が最善かはわからない。恐らく今の私ができることは、自分の衣服や髪型を少しだけ変化させることだけだ。



「今まで、お世話になりました。苛つかせてしまって、本当にごめんなさい」
「へぇ、随分謙虚な遺言だね」

「……まだ死ぬつもりは、無い、です」
「ワオ、君って馬鹿だったんだね。知ってたけど」

「…来ないでください」


 一歩ずつ距離を詰める彼に、私も同じように一歩ずつ後退する。どれだけ考えても答えは1つしか出てこない。多分私ができるのは身を守る防具を想像してベランダから飛び降りることだけだ。できるかどうかはわからないけれど、とにかくやってみるしか無い。彼に目論見がばれないようさも追い詰められたようにベランダに出る。背中が壁にあたった。手首にはまった手錠が強く食い込む。聖なる夜が聞いて呆れるほどの緊迫感に、笑い出してしまいそうだった。

 自分の中で飛び降りる覚悟を決める。その瞬間、もう片方の手首にも手錠の棘が食い込んだ。痛みを堪えてベランダに足をかけると、今度は足にも手錠が食い込んだ。痛みに覚悟が弱くなったのを炎は感じ取ったんだろう。みるみるうちに弱くなっていくそれは、蝋燭の炎のように小さくなった。でももう後には引けない。私はベランダの手摺を思い切り蹴った。……いや、蹴ろうとした。



「球針態」

 彼の言葉が聞こえた瞬間、目の前から景色という景色が消えた。一瞬浮遊感を感じた体はこれ以上落ちることを阻むように広がった闇にぶつかる。崩れ落ちた私の中で、ふと昔見た家庭教師ヒットマンの十数巻目でみた10年後の雲雀恭弥を思い出す。針ネズミのボックス兵器を使う彼は、確か特訓の中で沢田綱吉を球体の中に閉じ込めていた。それが、球針態だ。つまり私は、ボンゴレという一組織のボスでしか突破できない牢獄に閉じ込められてしまったのだ。


「君は本当に僕に勝てると思っていたの?」

 暗闇の中で鈍く光る藍色の炎が、まるで風が吹いたように小さくなりフッと消える。絶望する私にまるで追い討ちをかけるように、雲雀さんの声が球針態の中に反響した。


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