番外編 | ナノ

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Merry Merry

(4/8)

 柱時計の秒針が時を刻む音の回数だけ不安が募る。時刻はもう3時近くだというのに、いつも私を悩ませる眠気は何時まで経ってもやってこない。まるで雲雀さんとの電話によってイタリアまで飛んでいってしまったみたいだと思った。リビングのソファに横になる。耳に残る通話口を指の腹で押し隠したような擦れる音。その隙間を縫うように響いた銃声。草壁さんの動揺した声。それら全てが嫌な方向に結びつき、都合のいい私の脳はそれ以上考えることを拒否した。ソファーに沈んだ体がやけに冷たく感じる。刃物を差し向けられたわけでもないのに震えが止まらない。そんな私の様子を見て、目の前のローテーブルにちょこんと乗ったヒバードが首を傾げた。「ヒバリ、ヒバリ」閑散とした家主不在の部屋に、彼の名前だけが虚しく響く。



 ひゅるり。鍵をかけた窓の僅かな隙間に冷たい12月の風が行き場を求めて体当たりをする。外は風が強いのか、さっきから風の音がやけにうるさい。手で耳を強く覆っても、体をめぐる血の音が響くばかりで無音とは程遠かった。

 この私のいる世界は確かに『家庭教師ヒットマンREBORN』の世界ではあるけれど、作者が書き集英社が出版している原作の中ではない。私がこの世界へトリップした時点で、この世界はとうに原作という道から外れてしまっている。つまり原作では有り得ないボンゴレの壊滅も主要キャラの死もありえてしまう世界なのだ。物語の中では象をも殺す毒に耐えた雲雀恭弥だって、今では一発の銃弾だろうと死んでしまう可能性がある。私はその事実が今どうしようもなく怖かった。



 この6年間で雲雀恭弥に対する認識が変わってきているのは自覚していた。好きな漫画の主要キャラクターから恐怖の対象へ。恐怖の対象から怖い同棲相手へ。同棲相手から限りなく家族に近い何かへ。始めは"漫画の登場人物"として見た上での感情に過ぎなかった。けれどいつの間にか、一人の人間として意識するようになってしまった。

 鼻と口を抑えられているのではと錯覚させるほどに息苦しい胸を抑える。まるで私が雲雀さんのことが好きみたいだと、嘲るように自重する。そんなの嫌だ。私の中にいまだ潜む6年前の私が、耳と目を塞ぎうずくまりながら怯るように小さな悲鳴を上げた。



 彼はそれというきっかけもなく少しずつ変わってきたような気がする。この部屋しかなかった彼の背中ごしの景色が、昔とは比べ物にならないほどに広がった。機嫌のいい日は他愛もない話をするようになった。暴力以外の目的で触れられることも多くなった。些細な事で心を一喜一憂する日々の中で、私はもっと優しくされたいとおもってしまったのだ。

 皮肉なことに、そんな私を正気に戻す唯一の方法は雲雀恭弥から行われる暴力だった。ここ最近は特に、彼の暴力に依存している気がする。今だってそうだ。これ以上期待しないように、これ以上感情が進まないように止めて欲しい。けれど今私の目の前に在るのは彼の家と鳥だけ。私の感情を止めてくれる人は、海を渡った向こう側だ。ゴム人間の拳だって届かない。



「……早く帰ってこないかなあ」


 思わずこぼれ落ちた感情に目を見張る。違う。会いたいんじゃなく、正気にさせて欲しいんだととっさに自分に言い訳をしたが、それだけじゃ無い事はもう明白だった。怖い。自分の中の声がハッキリと聞こえた。刃物を向けられたわけでもなければ命の危機を感じたわけでもない。ただ彼に好意を抱くということが、私にとってはどうしようもなく怖かった。好きじゃなかったから耐えられた軽い暴力や暴言でさえ辛くなったら、きっと私は今よりもっと苦しくなるだろう。その時私は、どうなってしまうんだろう。



「ヒバリ、コワイ?」


 主人の名前を連呼していたヒバードが取り落とした思いを拾い上げた。最後、僅かに上げられた語尾に胸が痛くなる。まるで私の迷いを見透かしているみたいだと思った。雲雀さんが怖い。洗脳のように私の体の芯に染み付いた恐怖は中々消えてはくれない。けれど私はそれと同じくらい、もしくはそれ以上に私は雲雀さんのことを大切な存在として認識してしまっていることも事実だ。とりあえず家族という型にはめ込んだその感情は、まるでケーキのように熱を持てば持つほど膨らんでいくようだった。溢れでてしまったら、多分もう自分自身をごまかせない。

 普段のお礼と銘打って編んだマフラーの網目に、私は一体いくつの期待を織り込んでしまったのだろうか。自分を誤魔化すようにホットミルクを飲み下す。そういえばあの脱走事件から6年、何度もホットミルクを作ってきたけれどあの時雲雀さんが作ってくれた味は6年たった今でも再現することができない。砂糖を入れただけのホットミルクは、只々舌の上をざらつかせた。


「コワイ?コワイ?」

 同じ言葉ばかりを何度も反芻するヒバードの背を指先でなぞる。ヒバードはくすぐったそうに一度だけ身震いすると、机の上から私の指先に飛び乗った。指先をひたすら突付く彼は、相変わらず慰めてくれているのかからかっているのかわからない。恐らく後者なんだろう。「逃げていい?」と試しに聞くと、「ニゲロ!」と笑うようにさえずった。


 雲雀恭弥から逃げる。言葉で言うのは簡単だけれど、その難しさは始めの2年で身にしみた。正直に言うと、逃げ出すことはそれほど難しくない。難しいのは逃げ切ることだ。今までの逃亡期間の最長時間は最初に逃げたあの3日。白蘭の対決を機に原作のREBORNと完全に決別してからは、基本的にその日の内に連れ戻されている。最初の逃亡劇以外は雲雀恭弥から自立をしようとしてやっていたのに、雲雀恭弥はそれをよしとしなかった。動物扱いが終わった今彼が私に何を求めてこの家においておきたいのかは分からない。分からないが、3年目の時に彼が望む間はここにいようと決めた。それ以来彼の許可無くこの家を出たことはない。2年の間、ただの一度も。


「…散歩にでも行こうかなぁ」


 ぼんやりとした呟きをリビングのカメラが拾っていないことを願う。例え拾っていたとしても財団が一大事の今団員も私に構う余裕はないだろう。雲雀恭弥が撃たれた。その事実を思い出して唇を噛み締める。ワンテンポ遅れて痛み出す胸が切なさに悲鳴を上げた。散歩に行こう。ふわふわとした呟きはため息と一緒にはっきりした意志に変わる。 十中八九雲雀さんに殴られるだろう。

 けれどその雲雀さんはイタリアだ。殴られるとしたら相当先の話だし、もしかしたら怒りが生きる意思を強めてくれるかもしれない。そんな言い訳を呟きながら、私はコートを掴んで何重にもかけた鍵に手を掛ける。全て内側から開けれるようになっているこれは、私が脱走しなくなってから取り付けられたものだ。信用を裏切るような罪悪感に一瞬手が止まったけれど、両手で最後のロックを開ける。想像していたより冷たい空気が暖かさになれた頬を諌めた。その冷たさは雲雀恭弥を連想させて、少しだけ笑ってしまった。



「…行ってきます」


 とばっちりを食いたくないのだろう。中に留まるヒバードに声をかけ、私は扉を締める。ガチャリとドアが閉まった音がし、ピと小さく機械音がなる。瞬間、自分の失態に気づいて「あ」と声が漏れた。

 ここの鍵は夜の12時以降は一つだけオートロックが作動するようになっている。それを解除するキーは雲雀恭弥が持っており、午後10時以降家を出てはいけない私が持つことは許されていない。つまり私は、自分自身を閉めだしてしまったのだ。



「……これは本格的に、5年前の感じかな…」


 どこか客観的にそう呟く。あまり実感が無いのは家にいたくないからだろうか。雲雀さんがイタリアに居るせいだろうか。冷たい扉に一度触れてから、無理やり小さく笑った。少しだけ交流があるとはいえ、こんな時間にボンゴレメンバーの家に行くのは迷惑につながる。だから最低でも今日だけは、どこかで過ごさないといけない。時計を見ると、時刻は午前3時を回っている。後4時間暇をつぶせばいいのか。そう思えば何だか気が楽になって、私は扉から手を離した。行ってきます。伝わるはずもない相手に届くようにと、小さく小さく呟いた。



「さてと…どこに行こうかなぁ」


 ドアに背を向けて歩き出す。こんな堂々とした脱走なんてしたことがなくて、こんな状況だというのにどうしても笑ってしまう。懐かしいついでに、いっそ並盛神社に行こう。未来編で自分の基地が地下にあると知って即計画された風紀財団本部の真上にある並盛神社。財団の人間に保護してもらえたらそれはそれでいいし、そうなれば雲雀さんの状況も分かるだろう。

 外に出た瞬間冷静になった頭に息をつきつつ、小脇に抱えたままのマフラーを首に巻いた。温かい。一昨年に風邪を引いた時に雲雀さんが私に文字通り投げ与えたものだけど、手触りも良くてとても上質なものだ。とてもじゃないけれど私の編んだマフラーじゃ太刀打ち出来ない。…受け取ってもらえるだろうか。そんな事を考えかけて、すぐにその思いを振り払った。雲雀さんのことを考えてしまうのなら、散歩に出てきた理由もなくなってしまう。



 商店街につくと、そこはクリスマスの飾りで溢れかえっていた。クリスマスイヴだからなんだろう。午前三時だというのに商店街の電飾には明かりが灯り、ちらほら老若男女のカップルがベンチに座って話している。私はマフラーで顔を隠して商店街を早足で駆け抜ける。私は雲雀恭弥と一緒にこの商店街を何度も往復する中で、割と有名人になってしまっていた。顔も名前を知られている相手に、クリスマスイヴに一人で逃げている姿はあまり見られたくないのだ。

 商店街を抜けた住宅街の真ん中。そこにぽつりと残された森と林の中間のような木々達の中にある並盛神社。私にとっては雲雀恭弥に初めて助けられた場所であると同時に、初めて意思に基づいて彼に捕らえられた場所でもある。そもそも神社は雲雀恭弥だけではなく私にとっても因縁深い場所だ。あの日神社に行かなければ私は雲雀恭弥に惑わされることも命の危機に何度も怯ることもなかった。今頃は社会人になって適当な場所へ就職していたんだろうか。院生にでもなって学生生活を引き延ばしていたんだろうか。分からない。分からないけれど、少なくとも私は家族と一緒に居て、悩みながら平凡と呼ばれる日常の中を生きていたんだろう。ため息は白く染まって、クリスマスイヴの夜空に溶けていった。



「…懐かしい」


 鳥居をくぐって階段に足をかける。勇治さんに追われた際にここをノンストップで駆け上がった時の光景が脳裏によぎる。あれから五年、体の衰えを感じざるを得ない。この五年間ほぼ家の中で過ごしてきたんだから当たり前だ。私の体力はきっと朝の散歩を欠かさない壮年期の人たちのそれにも劣るんだろう。朝のジョギングをしていたあの頃が懐かしくて、私は思わず言葉にしていた。遠い昔のよう、というよりもほんとうに遠い昔と思える時まで来てしまった。この世界に来た時の私は帰ることしか考えていなかったのに、今ではその時間は一週間に考えるか考えないかになってきているから不思議だ。

 時間が解決してくれるよ、と昔誰かがいった。当時は気休めだと思っていた言葉だけど、それは悲しいくらいに真実なのだと今になって改めて思う。確かに時間は悲しみを多少なりとも癒してくれる。でも時間は物や人を選んではくれない。忘れたい悲しい出来事も覚えておきたい大切な思い出も風化させ、過去という二文字で括ってしまう。
 時々考えてしまう。私のとって元の世界はもはや過去の出来事なんだろうか。それとも、帰りたい今の願望なんだろうか。



「……分からないなあ、ほんと」


 肩をわざとらしくすくめて、最後の一段を登る。息切れを整えてから辺りを見回す。並盛神社は6年前に見た雰囲気と何一つ変わっていない。しいて変わった所を挙げるなら、境内の下に入れないように編みで工夫されているところだろうか。苦笑しながらも境内の階段に座る。遠い昔の記憶であんまり覚えていないけれど、確か10年後の原作世界ではここが財団本部の入り口になっていたはずだ。最も、同じ仕様だったとしても炎を出すことができない私がどうこうできるわけはないのだけど。


「…寒いなぁ」


 今日何度目かのため息をついて、空を見上げる。6年前の私はこの空を見て自由を実感したのに、今の私はそれを感じることができない。むしろどこへ行っても雲雀さんのことを考えてしまうという現実に、息苦しささえ感じていた。
 私はこの6年間ずっと雲雀恭弥という人間の背中越しに世界を見てきた。そんな私が例えこっそり抜けだそうとしたって、その存在からは決して逃げ切ることができない。それこそ、誰かに連れ去られて匿われない限りは。



「…誰か私をさらってくれないかなぁ」


 このまま雲雀恭弥の存在を膨らませるより、いっそ誰かの手を借りて彼の前から消えたほうがいいのかもしれない。冗談半分でそう呟くと、枯れ葉を踏む音が静かな神社にやけに大きく響いた。思わず私の足元を見たけれど、境内の階段は綺麗に掃除がされていて枯葉一枚落ちていない。嫌な予感に鳥肌が立つ。瞬間的に、ここで性的な暴力をされかけた五年前を思い出す。あの時偶然にも助けてくれた雲雀恭弥は居ない。財団の人、と思いかけて慌てて否定をする。財団の人間ならすぐに声をかけてくるはずだ。機動力のない私にバレたところで、男の足なら一瞬で追いつけるのだから。



 恐る恐る足元に向けていた視線を上げる。暗くてよく見えないけれど、人の気配を感じるような気はする。私が気づいたことに相手も気づいたらしい。その相手は聞き覚えのある声で笑い、一瞬で私の目の前に現れた。息を呑む私に有無を言わせないように顔を近づけ、冷たく凍えた人差し指を私の唇に宛てる。見覚えがありすぎる顔に反応が困り、私は彼の指図通り声を出さずに彼を見返すに留めた。彼は私の反応に満足そうに笑うと、空いている片手で横髪を耳にかけた。

 存在感のあるイヤリングは一瞬で濁った色を見せ、辺りをふわりとした膜のようなもので包み込む。私はそこで初めてそれが彼の新しいボンゴレリングの形状だということを知った。雲雀さんはいつからだったかリングではなくブレスレッドをはめるようになったけれど、一人ひとり形状が違うものらしい。未だ私の首にかかっている半分になったボンゴレリングの面影は見当たらなかった。


私は不敵に笑うその人の名前を小さく呼ぶ。彼は怪しげな笑みを深くして、イアリング以上に存在感のある笑い声を零した。


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