番外編 | ナノ

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Merry Merry

(3/8)

 マフラーは苦戦を強いられながらも何とか完成することができた。途中何度も挫けそうになりながら完成までたどり着くことができたのは、偏に勇治さんのおかげだった。残念ながら彼はあの後すぐにまたイタリアへ出張になってしまったためにお礼はできずじまいだったけれど、携帯端末からメールは送っておいた。「お世話になりました。私は元気です。本当にありがとう」どこからどう見ても違和感のない文章だけど、勇治さんならきっとマフラーが完成したことを察してくれるに違いない。本当は画像も付けたかったけれど、雲雀さん直属の財団の人たちがチェックしているのでそれはできなかった。…まあ、見たほうが雲雀さんが帰ってくるのかもしれないが。


 雲雀さんはあの日以来、あまり家には帰ってこなくなった。ただ私が買い物に行っている途中、すれ違いで一回帰ってきたらしい。着替えがなくなったのと引換に「24と25は外出禁止だよ」という走り書きのメモが残されていた。それで私は無事にマフラーを完成させることができたのだけど…もうも長い事一人だと、どうにも落ち着かない。もういつかのように財団の人が食料の買い出しに来ないため、雲雀さんが帰ってこない日は完全に私一人しか居ない。昔は一人だと落ち着いて羽を伸ばせたのに、今では逆なんて昔の自分が聞いたらなんて言うんだろう。そんな事を考えながら夜空を見上げる。12月24日の零時三十五分の空は今にも雪が降り出しそうなほど厚い雲に覆われていた。一般的に言うところのクリスマスイヴ。様々な期待と失望が軽快なクリスマスソングと一緒くたにされて幸せな雰囲気にしてしまう日。……私はその期待と失望のどちらに当たるだろう。何となくそう思う。そんな行事を気にしたのは本当に久しぶりでいっそ笑みがこみ上げてきてしまう。少なくともここに来てからは初めてのことだ。その事実が酷く落ち着かない。


「ごちそうとか作ったら殴られるかなぁ」


 外出禁止というのは数日前から知っていたので買い物自体は昨日のうちに済ませてある。けれど私はどうしても勇治さんが言うような甘い展開を素直に期待できない。寧ろ私には、世間は浮かれているけれど君は群れないでねと言われているように思える。財団の人間である勇治さんと一緒にいるだけでさえあんな調子なのだ。群れるための行事に浮かれようものなら、サンタクロースばりに私の服が赤色に染まってしまうだろう。昔に比べれば優しくされてはいるけれど、それは私が彼の逆鱗に触れないように気を使っているおかげというのもある。だから気に食わない行動を取れば私はあっけなく咬み殺される対象にされてしまうのだ。それはこの一ヶ月で身を持って体感した。



 マフラーが完成してしまったせいで、施錠の二時までの時間を持て余してしまう。どうせなら明日の夕飯の仕込みでもしてしまおうかと玉ねぎを取り出しながら、何の気なしにヒバードを呼ぶ。例えば私がこうやってご飯を作っていれば彼は帰ってくるだろうか?そんな女々しい疑問がシャボン玉のように浮かんでは消えてを繰り返す。私はクリスマスに侵されすぎだ。一人でいる事自体はなんでもないのに、そこにクリスマスと名が付くと酷く惨めに思えた。去年もその前も、クリスマスなんて一人で過ごしても何の感情も抱かなかったのに。
 今年初めて感じるこの寂しさにも似た煮え切らない感情は、雲雀さんが優しくなったからだろうか。それとも甘い言葉に浮かれて雲雀さんにマフラーなんて作ってしまったからだろうか。


「……苦しいなあ」


 つまる所、駄目だ駄目だと思いながらも私はしっかり、そしてちゃっかりと雲雀さんに期待していたらしい。殴る回数が少なくなって、以前だったら許されなかったことが許されるようになった。笑いはしないけれど、目がとても優しくなった。名前を呼ばれたり、触れ合うことが多くなった。恭弥だよ、とまるで自分の名前を主張するように言ったこともあった。私は一人の人間として彼の家に住むようになった。24と25は外出禁止と言われた。私はそれらの理由をご都合主義で解釈して、一人で舞い上がってしまったのだ。いい年して、何をやっているんだか。

 呼び出したまま考え事に勤しむ私にしびれを切らしたようにヒバードが肩をついばむ。軽い痛みに目をやると、心なしかむくれたように見えるヒバードと目があった。無機質な深い黒を映す小型カメラのレンズが、こちらを威圧するように向いていた。



「…あ、そういえばヒバードにクッキー買ってきたんだった」
「ケーキ!ケーキ!」

「違うよ、クッキー。ケーキもあるけど…冷静に考えたら雲雀さんがクリスマスにケーキなんて食べるわけないし、食べちゃおっか」
「クッキー!」


 一応買っておいたケーキは、いつだったかハルちゃんとキョウコちゃんがケーキを何個も買っていたお店のものだ。クリスマスっぽくないチーズケーキを2つ。そしてヒバードが欲しがらないように、鳥用のクッキーも買ってきていた。マフラーの件といい私は本当に浮かれている。実に5年ぶりのクリスマスではあるけれど、私は相手があの雲雀さんだということを完全に失念していた。これはもう、雲雀さんが帰ってくる前に証拠を隠滅するしかない。あとは記録されているカメラ映像を雲雀さんが見ないことを祈るだけだ。



「よしヒバード。紅茶をいれたら競争ね。私とヒバード、先に証拠を隠滅させた方はどっちか」
「ヨーイドン!ヨーイドン!」

「いや、まだだよ。お茶とヒバードの水も用意するから」
「ハヤクシロ!ノロマ!ノロマ!」



 言葉が悪いなあと苦笑しつつも紅茶を入れる。以前草壁さんが外国のものだと買ってきてくれた紅茶はとてもいい香りがした。紅茶の知識に明るくない私はこれが一体何の種類かはわからないけど、おいしいものだということは分かる。それを何年か前に雲雀さんが買ってきてくれた私用のマグカップに入れ、ケーキを持って机に置いて座った。柔らかすぎず硬過ぎない黒いソファーが静かに沈んだ。

 ここの家に、私のものはもう何一つ残されていない。カップも服も髪留めも、全て雲雀恭弥が私に与えてくれたものだ。唯一私のものだった携帯は、白蘭との決戦の中で粉砕してしまいもうここにはない。未練はとうに捨てたつもりだったけれど、自分では絶対に買わない無地の白いマグカップを見ていると何だか考えてしまう。私が独り立ちするといってここを出た所で、雲雀さんの存在を断ち切ることはできない。その事実が、ひどく私を不安にさせる時がある。この五年の生活の中で、漫画のキャラクターでしかなかった雲雀恭弥という存在は確実に私の一部になっていた。もう二度と、私から雲雀恭弥という存在を消すことができないほどに。


 私は雲雀恭弥とこれから先何年も一緒に暮らすことになるのかもしれない。その長い月日の中で、私は今日のように彼に期待する日が何日あるのだろう。期待が報われることはないと知りながら、何度無謀な賭けに出てしまうのだろう。考える。けれど答えは出なかった。



「…これだからクリスマスは嫌だ。考えなくてもいい事を考えちゃう」
「ナミダ!ナミダ!」

「…ごめんヒバード、先食べてて」


 指先をヒバードの足に乗せ、カメラを覆う。どうせ居間には監視カメラが付いているので、1つ隠れたところで財団は気にしないだろう。でも私が泣いていることを捉えれるのはこのカメラだけだ。私は嬉しそうにクッキーを頬張るヒバードに苦笑しながら、潤んだ涙をつめ先で払いのけた。財団の人にはバレたくない。彼らにバレるということは、雲雀さんにバレるということだ。見方によっては恋する女の子のように見える姿を、彼にだけは晒したくない。明確に恋愛感情とどう違うと問われれば、その答えは見つからないからだ。時計の針が一時を告げる。今日もやはり、彼は帰って来なかった。もうこないだろう。私は甘い言葉で期待する思いに蓋をする。やっぱり私の勘違いだったのだ。一人で浮かれてばかみたいだと、さも今は冷静だと自分に言い聞かせるようにわざとらしく詰った。



「…マフラー、やめようかな」

 完成したマフラーは自室の机の上においてある。私が浮かれた何よりの証拠であり、ケーキよりも危険度は上だ。雲雀さんは帰ってこない。携帯端末を使ってメール画面を起動する。私がメールを送れるのは雲雀さんと草壁さん、そして勇治さんだけだ。昔に比べて随分と減った電話帳に苦笑しつつ、ふと受信トレイに1つメールが来ていることに気づいた。勇治さんからだ。それは普段のメールからしたら実に簡素なもので、単語が4つ並べられているだけの短いメールだった。


"イタリア 抗争 雲雀 鎮圧"


 ここに補完するとしたら、『イタリアで抗争が起きた。雲雀さんはその鎮圧に向かっている』という感じだろうか。どちらにしても、今日帰ってこないということは分かったので私は彼に感謝をする。無事でいてください。それだけの思いを画面に打ち込んで、送信ボタンを押した。これは財団のサーバーを利用した機密メールだから、内部には駄々漏れであっても外部に漏れる心配はない。だから彼も私に教えてくれたのだろう。これに対するお咎めが少しでも減ると願いながら、私は携帯端末の側面についた電源ボタンを軽く押す。ケータイとは違いボタンがないこの端末をなんと呼ぶのか私は知らない。ただ指先で画面を操作するこれは私の知る携帯の上位機種なんだろうか。もしそうだとして雲雀さんは何を思ってこれを私に与えたんだろう。疑問は尽きない。そしてその疑問の数だけ期待も尽きなかった。



「……明日、遊びに行っちゃおうかなあ」

 バレたらただでは済まないと知りながら、そんな事を口にしてみる。最後のクッキーを頬張っているヒバードは私を見て首を傾げた。私の話を聞いてくれる人は今、この小さな黄色い鳥しか居ない。その事実が酷く寂しくて、私はクッキーの粉にまみれたヒバードを抱き上げた。嬉しいことに、ヒバードのカメラは超小型で音声を記録することはできない。だから私は思う存分、彼に思いをぶつけることができた。


「寂しいよ、ヒバード。去年まで平気だったのに、どうして寂しいんだろ」


 居間のカメラが拾わない小さな声で弱音を吐きながら、私はヒバードにすがりつく。それと同時に、誰かに抱きつきたい衝動に駆られた。それと同時に脳裏をよぎった黒い背中に私は愕然とした。それだけは冗談でも考えたくないのに、一度思い出した姿はなかなか頭のなかから離れてはくれなかった。


「名前、名前」
「ヒバードは優しいね。大好き。ヒバードが今だけ人ならいいのになあ」

「ヒバードダイスキ!」
「そしたらヒバードに目一杯甘えるのに」


 私がこの世界で甘えれるのはヒバードと勇治さんだけだ。以前草壁さんに山中勇治が好きなのかと言われたことがあった。だけど私はそれは違うとはっきりと答えた。もちろん、私は彼のことが大好きだ。でもそれは、草壁さんの言う好きとは種類が違う。私が彼に依存しているように見えるのは、私の世界には雲雀さん、その部下である草壁さん、そして友達の勇治さんしか居ないからだ。誰に一番心を許せるかなんて、考えるまでもない。

 ダイスキと言う言葉が気に入ったのか、ヒバードはその言葉ばかりを口にする。実際聞いたことがなかったに違いない。パタパタと羽を広げる様子は嬉しがっているようにも面白がっているようにも見えた。雲雀さんには言っちゃだめだよ。そう耳打ちすると、「サミシイ!サミシイ!」と今度は別の言葉を選んだ。ヒバードは賢いなあ。そう思いながら、少し覚めてしまった紅茶をすすった。



「…ねえヒバード。ヒバードは、私の家族だよね」
「カゾク!カゾク!名前!カゾク!」

「…はは、ありがとう」


 柔らかい羽根の中に頬をうずめる。温かな温度に安心しながら視線を外に向けた。いつの間にか降っていた雪が、はらはらとベランダの手すりに降り積もっていた。恋人たちには嬉しいクリスマスイヴだと苦笑しながら、ヒバードを離してベランダへ向かう。外は思ったより冷え込んでいて、部屋着しか着ていない体がブルリと震えた。商店街は道の明かりを残して沈黙していた。明日になればここにいてもクリスマスソングが聞こえるんだろう。ここに雲雀さんがいたら露骨に眉をひそめていたに違いない。


「これで正解だったのかもしれないね」


 雲雀さんがいてくれたらと考える自分を精一杯抑えて、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。だけど言葉にしたところで上手くその気持ちを飲み込む事ができず、今にも帰ってくるんじゃないかと甘い期待をしてしまう。この期待を別の言葉にしたら二文字で足りてしまうけれど、認めてしまえばもう後には戻れないような気がして認めることができない。私は雲雀さんに家族のような感情を持っている。これだけが真実だし、これだけで十分だ。何度も自分にそう言い聞かせる。叶わない希望なんて、持つだけ無駄だ。

 マフラーはお世話になっている雲雀さんへのお礼であり、別にクリスマスに渡す必要もない物だ。仮に受け取ってもらえなくても感謝の気持なので問題はない。苦しくなる理由なんて最初からない。そうなんども何度も、自分に言い聞かせる。


「寒いなあ」


 イブもクリスマス当日も例年にない冷え込みを見せると、天気予報士さんが言っていたのを思い出す。明日も雪が降るんだろうか。もし降ったら、ベランダで小さい雪だるまとうさぎを作ろう。そう思えば明日の楽しみができた気がして、私は一瞬だけクリスマスの存在を忘れることができた。

 中途半端に空いた寝室から二時を告げる鐘がなる。癖で小走りで玄関に向かい、いつもと同じように内側からしっかりと鍵をかける。明日もこうなんだろうか。そう思ったところで、聞きなれない電子音が居間に置き去りにしていた端末から響いた。なんだろう。恐る恐る居間へ戻る。ためらいつつ携帯端末をとると、電話のようなマークと共に雲雀恭弥という文字が表示された。私はそこで初めて、それが今の世代の携帯だということを理解する。電話できるんだと感心しながら、画面表示に従ってスライドしてみると「遅いよ」不機嫌な雲雀さんの声が耳に当てなくても聞こえた。


「あ、あの…こんばんは」
「起きてたんだ」

「え、あ……はい。えっと、今鍵をかけたとこで」
「君は僕がそんな事で電話すると思ってるの」


 彼はそう言うと、呆れたように息をついた。雲雀さんと電話するのは初めてのことで、私は電子に一度変換された彼の声に動揺してしまう。雲雀恭弥はどんな事があっても私に電話をしたことがない。実際この携帯端末をもらったのは随分と昔だけれど、その間に二週間の海外出張とかあったりした。その時でも電話をもらったことはなかったし、それら全ては事後報告だ。私が何かをしでかしてしまったんだろうか。嫌な予感を感じながら、彼の言葉を待つ。だけど彼は口を噤んだまま言葉を続けようとしない。顔が見えないだけでこんなに不安になってしまうものだっただろうか。そんな事を思いながら、私はなんとか言葉を絞り出す。


「ええと、あの…何か御用でしょうか?」
「別に。君が浮かれていないかと思っただけだよ。忘れていないと思うけど、君は今日明日と外出禁止だ」

「……はい」
「何。不満なの」


 聞こえた声が一瞬で尖り、厳しさを増す。遠くはなれていても分かるトンファーの音に反射的に身を固くしてしまった。トンファーの先が届かない場所だと分かっているのに、この癖は消えることはない。「ひっ」という引きつるような音が電話口に届いてしまい、つながった先の彼の機嫌が悪くなる様を耳元に感じる。何かを殴りつける音が、他人ごととは思えなかった。


「不満なのって聞いてるんだけど」
「…ぁっ……えっと…」


 不機嫌な声になると、どうして私はこうも言葉が出ないものなのか。私は只一息で『不満なんて無いです』『頑張ってください』と言えばいいだけだ。けれどそれだけの言葉が出ない。初めての電話だからだろうか。酷く緊張する。


「言いたいことがあるならはっきり言いなよ。君は僕をムカつかせたいの?」
「いえ…あの、不満なんて無くて…じゃなくて、無い、です」

「はっきりしないね。咬み殺してあげようか」
「あの……雲雀さん」


 彼の名前を呼んで、呼吸を整える。頭に血が上って目が回るみたいに頭の中がぐるぐると回った。焦っているんだと気づいたのは、言葉を発した後だった。


「浮かれてたんです、私。だから、あの……ごめんなさい」


 言わなくてもいい事を口走り始めた唇は、下へ下へと押し込めた感情を引きずり上げる。これ以上はマズイ。そう思っていても涙が落ちるように溢れる言葉は止まない。まるで赤い靴を履いてしまった女の子のようだと思った。傷つくと知りながら茨の中へ入ってしまう女の子は、自分で自分を止められない。


「……あの、雲雀さん」
「何」
「私、雲雀さんの家族に」


 なれていますか。そう言う前に銃声が片耳だけに響く。間髪を入れずに息を噛み殺したような音が続き、舌打ちのような音がした。恭弥さんという切羽詰まったような草壁さんの声が響くと同時に、ザザッと電話口を何かで隠すような音がして声が遠くなる。嫌な予感に耳をそばだてると、間をおいて不機嫌そうな雲雀さんの声が耳をくすぐるように響いた。


「急用ができた」
「雲雀さ……今、銃声が」

「君には関係のないことだよ」


 ブッ。突き放すような冷たい声の後には、通話の終了を知らせる機械音しか響かなかった。

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