番外編 | ナノ

変換 目次 戻る

Merry Merry

(13/17)

「ん…ぁ…あ…れ……?」

いつの間にか、寝てしまっていたらしい私は、抱きしめ続けていたクッションを離しつつ、ある違和感に気づく。
まず、音。
私以外居るはずもない部屋の中で、ガスの音と、何だか沸騰するような音。そして、作っておいたデミグラスソースの匂い。
次に、重み。
なにもかけずに寝ていたはずなのに、いつの間にか私の体には黒いスーツの上着が掛けられていた。
ふわりと漂う覚えのありすぎる匂いに、私の空ろだった意識は次第に鮮明になる。
ソファーで寝てしまったせいか、体が軋むように痛む。それでも何とか体をおこすと、いつの間にか人の気配が直ぐ傍まできていた。


「起きたの」

「雲雀…さ…?」


顔を向けると、ワイシャツ姿の雲雀さんが、お盆を片手にいつもと変わらない様子で私を見下ろしていた。
…ああ、帰ってきたんだと私はぼんやり思いながら時計を見ると、時刻は2時になる少し前。
「お仕事、お疲れ様です…」といつもの癖で呟くと、彼は和すかに表情を緩めたが、何も言わない。
何かあったのだろうか。そう考えようとしたその刹那……私は、あることを思い出して、思わず大きな声を上げてしまう。

「何?」と訝しげに表情をゆがめる彼に構う余裕なんて、無かった。
あのマフラー、投げたまま放置して寝ちゃった…!と私ははじかれたように足元を覗くけど、いくら見ても、そこには何も無い。
慌てて投げたほうも見るけど、そこにはマフラーもほつれた毛糸も、何処にもなかった。紙袋さえ、なくなっている。
ごみ箱も念のために見たけれど、そこには機能のごみしか入っていなくて、私は狐につままれたような気分に陥った。
……夢、だった?
私は呆然と辺りを見回すけど、やはり黒い塊は何処にも落ちていない。
……部屋に、置いたままだったのかな…。いやでも、確かに私、あれを投げたような…。


「どうしたの?」

途方にくれたように立ち尽くす私に、雲雀さんはお盆に載せた煮込みハンバーグをテーブルにおきながら、静かに問う。
私はマフラーという単語を口にしようとして……やめてしまう。
きっと彼の性格なら、見つけたらきっと私が目を覚ました瞬間にからかって来るに違いない。
若しくは、このタイミングで「これのこと?」と嬉々として差し出してくるか。……たぶん、後者なんだろうけれど。


「なんでも……無い、です」

釈然としないま彼に返すと、彼は「そう」とだけ呟いて、ソファーに腰掛ける。
来なよ。と、彼の言葉に誘われるように向かい側に座ると、彼は不機嫌そうに「こっちに、だよ」という。
何だか、全部全部夢だったんじゃないのかとすら思える事態に私の頭は付いていかず、言われるがままに私は彼の横に座る。

彼は座った私を引き寄せる。
無抵抗の私は重力に従って彼の膝の上に頭をぶつけ、そこでようやく我に帰った。
気が付けば、膝枕状態。しかも過去に何度か経験のあるものとは違い、私が上に乗っている状態。
飛び起きようとした私を彼はやんわりと片手だけで抑えると、私の髪をいじりだす。…なんか、様子が変だ。いつもなら、こんなことしないのに。


「…あの、雲雀…さん?」

「遅くなって、悪かったね」


彼は横向きだった私を仰向けにひっくり返すと、彼は表情を変えずにそう呟く。
その表情は本当にいつものままの雲雀さんで、その感情はいまいち読み取れない。多分、言葉以上の感情なんて無いのだろう。
雲雀さんとこんな風に同じく浮かんでゆっくりするのなんて久しぶりで、私はあんなに泣いてたくせに、知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「お仕事、ご苦労様です」と私はもう一度、今度は彼を見上げながら心からそう言うと、彼は私の頬に手を置いた。
左手で頭を、右手で頬を撫でる彼は「イタリア基地に侵入者が来てね、そっちにいっていたんだ」とポツリと零すように呟く。
私は思わず、目を見開いた。

イタリア。……以前彼に一度だけ連れて行かれたことがあったけど、片道だけでも半日くらい掛かった気がする。
行って帰るだけでも一日掛かるのに、そこで仕事して帰ってくるとなると……かなり、疲れているはずだ。
飛行機なんて煩い中で寝れない彼のことだ。多分、少しだって眠っていないんだろう。そう思ったら何だか少し、申し訳なかった。


「無理に、帰ってこなくて、良かったんですよ…?」

彼の努力は嬉しいけれど。待ちぼうけ中はかなり悲しかったけど。でも、それで体調でも崩したら、元も子もない。
私自身の悲しみなんていくらでも癒えるし、もうこうしているだけで「まあいいや」って流せる程度のものでしかない。
だけど、彼の疲れは違う。
月のスケジュールがかなり念入りに決められ、普通の日でも仕事のために深夜までずっと働いている。休まる暇なんて、あんまりない。
私は彼を見上げると、彼は僅かに表情を緩めたて、黙らせるように私の下唇を親指で撫でた。


「でも、君は待ってたんでしょ?」


彼はそう言うと、私の唇から指を離す。
彼の体温が私の唇に残って、僅かに私の体温は上がる。何だか恥ずかしくて、私は思わず顔を背けた。
待っていたんでしょ?といわれると、何だか今更に自分の女々しさに気づいて、どうしようもなく恥ずかしくなる。
これじゃあ私が彼のことが好きみたいじゃないか。そんなんじゃないのに、違うのに。彼の帰りを今か今かと食べずに待っているなんて。

スキとか嫌いとか、私が彼に対して抱いているのはそう言う感情じゃない。
家族に対する安心感とか、たぶんそんなようなものだと自覚している。大体今更彼がスキだなんて、余りにも笑えないじゃないか。
6年前は恐怖の対象でしかなかった彼が、今は家族のような存在になっている。それだけで良かった。それだけしか、要らない。


「……ねえ、名前」

名前を呼ばれて、私は「なんですか、」と声だけで返す。
髪と頬をもてあそぶ指が離れて、胸の前に組んでいた私の両手に絡む。
本当に、今日の雲雀さんはどこかおかしい。様子なのか、態度なのか。とにかく、全部が変だった。
昔に比べてあからさまに多くなった、こういうスキンシップだけど。いつもは“からかう”っていう感じであって、こんな目的のなさそうなのはなかったのに。


「あ、の……雲雀さ、」

「君は僕のこと、家族と思っているのかい?」


言おうとした唇を再び指で塞がれて、彼は静かに声を紡ぐ。
ソレは昨日……正確に言えば一昨日の、自分が最後にした問いの続きだということに気づいて、目を見開く。
そういえばあの時、雲雀さんは答えてくれなかったっけ。と思ったが、直ぐにトンファーを思い出して、彼の部屋に戻しておいたことを伝える。
彼は私の声に興味がなさそうに「ああ」と生返事を返すと、私を仰向けにひっくり返して、動けないように両手で固定された。
年頃の女性として、寝転がってる状態で男の人に見下ろされるというのはなんとも恥ずかしくて。
少し暴れてみるけれど、彼は離す気がないのか、少しも力を緩めてくれなかった。「答えなよ」と、強い語調で、彼は言う。

私が頷いてみせると、彼はそう、と呟いて、何か考えるように目を伏せた。
たっぷりとした沈黙の後、彼はようやく目を見開く。何だか少し寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか?
一瞬で、よく見えなかったけれど。



「それは、どんな感じだい?」

「……え?」

「生憎僕にはそんな家族なんていうものは居なくてね。君が感じるカゾクアイとやらが、僕には分からないんだ。だから、教えてよ。その、カゾクアイとやらを」



彼はそう言うと、私から手を離して、私の体を起こす。
雲雀さんの温かい体から離れた瞬間、なんだか妙なことを思った自分を、慌ててかき消した。少し寒いな、なんて、冗談にもならない。
私は自分自身に感じた寒気を誤魔化すために、ソファーの上で三角座りをする。
いざこうなると、何処見ながら話していいのか分からなくて、私は膝を見つめながら、小さく息を吸った。


「…あったかくて、安心します。普段一緒にいることが当たり前で…いざ離れると、寂しくなる、そんな感じ…だと、思いますが」


私がそう言うと、不意に肩に重みを感じる。
黒い散切りにされた柔らかい髪が首をくすぐって、私の心音を僅かに早める。
「確かに暖かいね」と耳元で言われてしまい、私は恥ずかしさの余り思わず言葉を失う。
急激な彼の変化についていけず、私は思わず体を硬直させる。
何を考えているのか全く分からない彼は、からかっているのか真剣なのか、よく分からない口調で言葉を紡ぐ。
私はその問いに対する答えを持ち合わせていない。…いや、ソレは、嘘だ。言いたくない、それだけ。
だって、そうでしょう。
こんなの、この世界に来る前に望んだことで、今の私にとっては、余りにも遅く、余りにも、今更過ぎる。


「そのカゾクアイとやらは、こんなことをするのかい?」


しないよと答えたくても、次に来るだろう「じゃあこれは何?」という言葉が、怖くて、私は口を噤むしかなかった。





(だってそんな関係になったら)

(望まないものが、きてしまう)

戻る?進む
目次

--------
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -