Infrared | ナノ

(8/8)

 一日頭を冷やしてから言った学校は、やはり何時もと同じ輝きを持って私を迎え入れてくれた。
私が仮病を使ったとも知らない友達は「大丈夫?」や「もう良くなったの?」と心配して、元彼さんも「突然休んでびっくりした」とはにかんだ様な笑みを浮かべていた。その姿の向こう側で浮かない顔をしてこちらに視線を向けている彼の彼女に目をやりながら、ああやっぱりこれが私の高校生活なんだなあと実感する。

 昨日一日休んで、私は強く実感した。こんな非日常な出来事、私の人生にあるはずが無い。……漫画の作者ならともかく、紙上に描かれたキャラクターとメールをするなんて夢物語もいいところだ。大体アドレスが消えればそれで終わってしまうような関係なんて、元彼(あのひと)の時以上に希薄な関係だ。恋愛感情を抱いていたような気がしないことも無いけれど、そんなの恋に恋していただけのこと。それこそキャラ宛にチョコを送っている女の子となんら変わりない感情だ。……と、思う。というか、心の底からそうであってほしいと願うばかりだ。


 山田から電話が掛かってきて全てのことを洗いざらい吐き出さされた挙句、電話で号泣してしまったのが昨日の夜。今日はどんな追及を受けるかと思って身構えてきたのだけど、残念ながら山田は熱でお休みらしい。『なんか知らんけど昨日眠れなかったみたいだよ』と教えてくれた彼氏にお礼を言いつつ、私はごめんなさいメールを彼女に送ってみた。返事は「自分のことを心配しろ」という簡素な文章だけで、こんな状況なのに笑ってしまった。人がいいにも程がある。私も山田の持っている一握りのやさしさを身につけたい。




 一昨日の電話の後から、私と鳳君とのメールのやり取りは再びぷつんと切れてしまった。
元々メールアドレスが分からなくなったらすっぱりと切れてしまう関係だっただけに、鳳君からメールが来ない一日は不安でしょうがなかった。……これを少し前に私が意図的に彼にやってきたことだと考えると、すごく胸が痛くなった。できることなら彼本人の前で土下座をして謝りたい。……できること、ならの話だけど。


 会いたくても絶対に会えない。そんな状況、相手が死ぬ以外絶対に訪れることの無い状況だと思っていた。会いたくても中々会う事ができない、というは割とあるし私もそれなりに経験してきた。けれど相手や自分がメールできる状況で、未来永劫絶対似合うこともできない。そもそも同じ地球の上に立ってるかすらも疑わしい。そんな相手に、どう望んでも土下座なんてすることはできないしじかに顔を合わせて笑いあうことすらできない。……本当に、御伽噺の中に入ってしまったような非現実的な状況に、笑ってしまう。



「……会いたい、かぁ」


 教室の中が各々の会話でざわめく休み時間の中、誰にも聞きとれない程の小さな声でため息をつく。
正直、私は今鳳長太郎と名乗ったメール相手にとっても会いたかった。彼が漫画の登場人物であろうと悪意を持った実際の人間であろうと――いや、もう後者の可能性は私の中では完全に消え去っているんだけど。

 勿論私が彼のことを好きとか嫌いとかそういう理由で会いたい訳じゃない。正直な所、白黒はっきりさせたいだけだ。メールや電話だと嘘をついても分からない。本当に泣いているのか只の鼻炎なのかも分からない。そんな状況で相手を信じたり疑ったりするのに、疲れただけだ。……もちろん、完全に下心が無いかといわれると否定し切れない部分もあるんだけど。



 最初の頃に聞いた誠実な鳳君の声を思い出しながら、ため息をつく。お金持ちっぽく有名人っぽい鳳君とメールなんて身分違いなんじゃないかと思っていた頃が懐かしい。こんなに苦しくなったのは、いつからだろうか。山田が漫画の主人公って教えてくれたときからか。まああの時山田が漫画の登場人物だと教えてくれなくても、遅かれ早かれこういう状況になっていたし、勿論彼女のせいじゃないんだけど。

 そもそも一番悪いのは、最初鳳君からメールが来たときに返信してしまった自分だ。同じ年くらいの男の子と聞いて、下心出してメールしてみようかと思ってしまった自分だ。うっかり恋心にも似た感情を抱いてしまったのも、一から十まで私の自業自得だ。


「……」


 メール画面を起動して、新しいメールを作成する。あて先を慣れた手つきで指定すると、たった一文先ほど口にした一言を打ち込む。こんなの、前の彼氏にも送らなかった文面だと自嘲する。「会いたいです」だなんてそんな直球なことを、思っても相手に伝えようと思ったことなんて一度も無い。送信ボタンを押す指先が、迷うように震える。――もし仮に、鳳君がもうこんな関係に嫌になって私にメールをしないのならこの一文はかなり鬱陶しい物だ。頭を悩ませてしまうかもしれない。

 少しだけ悩んで、少しだけ迷って、私はそのメールを保存して携帯を閉じた。ちょうどチャイムが鳴る。次は数学だ。


 先生が遅刻して慌てて教室に駆け込んでくる数分前、携帯のランプが光る。びっくりして携帯を開くと、そこには「会えないかな」という文面が絵文字も記号もなくぽつりと佇んでいた。



* * *



「そういえば……あの、ごめんなさい。ずっと謝れなくて」
「えっと、何のこと?」

「私、混乱してたとはいえずっと鳳君のメールを無視していたから」
「ああ、そんなのしょうがないよ。俺が君の立場でも、同じことをしたと思うから」


 くすくすとそういって笑う鳳君は、メールし始めたときと同じような優しい声色に戻っていた。お互いがどんな相手とメールをしているかがわかって、もうすぐ2ヶ月くらいになる。2ヶ月もあって、私は今日始めて自分から鳳君へ電話をしたのだけど出たときの鳳君はとてもびっくりしていた。私はそんな様子に少し笑ってしまい、鳳君もつられるように笑ってくれた。――正直、あんなことがあった後とは思えない和やかな雰囲気が受話器の間と間を行きかっていて、思わず全部夢だったような錯覚さえ覚えた。

 私と彼が吹っ切れたのは殆ど同じで、「考えたってしょうがない」という結論からの結果だった。どう考えたってこの携帯以外から彼との通信はできないし、同じURLを送りあっても見れるものは違うもの。――例えば今みたいにお互い東京タワーの下にいたって面と向かって話すことはできないし、相手が本当に『東京タワー』の下にいるのかさえ確認できない。……ちなみにどうして東京タワーを選んだのかといえば、間違いにくいし人も少ないからという理由だけ。彼はわざわざ自主練習を止めてきてくれたみたいだけど、残念ながらテニススクールの時同様彼の姿は私には見えなかった。



 また会えなかったねと笑うと、彼は受話器の向うで残念そうにそうだねと苦笑した。東京タワーは余り来たことがなかったけど、予想してたのよりもずっと来にくかった。次はもっといい場所を考えよう。大真面目にそんな事を言う彼に、私は笑ってしまう。会えるわけが無いじゃないかと思う半面、確かにそうだと大真面目に次の待ち合わせ場所を考えている自分がいる。私はかなりの大馬鹿者らしい。

 山田にはとりあえず信じてみるというと、「騙されたって分かったら言って。一緒に殴りに行ってあげる」と呆れた調子で言われてしまった。勿論、あんたは馬鹿正直に人を信じすぎだという一言も添えて。はたから見たら妄想としか思えないようなこんな出来事を信じてくれている彼女の方が、“馬鹿正直に人を信じすぎる”と思ったけど、とりあえずありがとうと返しておいた。知っていたけれど、やっぱり彼女はとても優しい人だと思う。



「そういえば、来週部活でトーナメント戦をやるんだ」
「トーナメント戦?」

「そう。負けたらレギュラー落ちもあり得る怖い試合」
「え、それってめちゃめちゃ重要な試合じゃ……。電話してる場合じゃないじゃないですか!」

「ははは、大丈夫。今実はテニスバック持ってるし、これが終わったら練習に行くから」
「……凄いなあ。十分鳳君強そうなのに」

「持ってる力を過信して胡坐を欠いてたら強くはなれないからね。……それに、Aさんにかっこ悪い報告はできないし」
「あはは、じゃあかっこいい報告をお待ちしてます。……よし、じゃあ私も天文系の本でも買って研究しよっと」

「あれ、話してるだけの部活じゃなかったっけ?」
「鳳君にかっこ悪い報告なんてできないですから。……なんて、顧問の先生に文化祭の準備に取り掛かれって言われただけだったり」



 携帯を耳に当てながら、私はもと来た道を戻る。受話器の向うでも歩く音が聞こえるから、きっと向うも歩いてるんだろうなってことが分かる。横断歩道の音が、両耳から聞こえた。――奇跡的に、私と彼は同じ方向に歩いているみたいだった。



「次はいつ会えるかな」と、携帯の向うの鳳君はまるで今会えたような口ぶりで話を進める。私はそれに深く突っ込まずに、「鳳君はテニスに集中してください」と冗談めかして笑った。まるで恋人のような会話にくすぐったさを覚えながらも、鳳くんと私はそういうことからは目を逸らして会話を進めていく。

 以前『大切』といった鳳君は私の思い違いでなければ、私のことを思ってくれていると思う。そして彼もまた、私が彼に特別な感情を抱いていることを知っているような節がある。けれどお互い、そこには一切触れようとしない。寧ろ避けているような気もする。――でもそれは、しょうがない事だと思う。こんなに毎日のように長い時間話しているのに電話料金が一切変わらなかったり、そもそもこの携帯以外からだと電話すらできない相手なのだから。お互いそう易々と一線を越えていい間柄じゃない。



「あ、雨が降ってきた」


 鳳くんはそういうと、慌てたようにまた掛けなおすねと言って慌しく通話を切った。どうして急いでいるのかというと、多分携帯が濡れてしまう心配をしたからだ。濡れて壊れてしまえば、もう私と鳳君の関係は終わってしまうから。

 私は携帯を握り締めて空を見上げてみる。空は今にも降り出しそうな曇り空だけど、雨自体は降っていない。――雨はまだ降ってないよ、鳳君。私は伝わるはずも無い言葉を呟いて、ようやく到着したバス停のベンチに座る。私の携帯はこの先どれだけ大切に扱っても、5・6年も持たないと思う。この関係には必ず終わりが来るし、それは数年後でも明日来ても可笑しくは無い不安定なものだ。外壁を交換するだけならOKなのか、どこまでの修理が大丈夫なのかも分からない以上子の携帯をショップに持っていくことが出来ない。多分お互いそれが分かっているから、あのことがあってから2ヶ月もの間こうやって毎日電話をしているんだろう。もし一日でも連絡がなければ、『もう終わった』のだと分かるように。



「……怖いなあ」


 こんな小さいもの、大きく振りかぶって投げればすぐに壊れてしまうだろう。そんなものだけでつながれた関係なんて砂上の楼閣……じゃなくて風前の灯だ。いつ風が吹くのか分からないなか、怯えるようにゆらゆらと震える灯火。きっと今の私は、そんな感じなんだろう。

 鳳君と出会うまでは存在自体知らなかった携帯入れに大事に携帯をしまうと、それをかばんの一番深いところに入れてため息をつく。髪型が崩れるくらい強い風がふわりと右から左に通り抜け、それを合図にバス停の屋根の外では小さな雨粒がコンクリートの上に模様を描き出していた。


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