Infrared | ナノ

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 これがもしエイプリルフールのための下準備だったら、もうそれはプロの犯行だと思う。本職の詐欺師、若しくは仁王さんに違いない。そんな事を半ば本気で考えている私は、どこをどう見ても混乱していた。


 だけど同じ状況下に置かれている電話相手も、相当動揺しているらしい。「え、え?」と訳がわからないといった風に疑問符を並べ続けていた。聞きたいのはこちらの方だと思いながら、私は取り敢えず『オオトリ君詐欺師説』を言う事にした。言ってから本人に言うべきじゃなかったと後悔したけれど、鳳くんは怒りも笑いもしなかった。ただ呆然と私の話を聞いて、ポツリと「そんな漫画、聞いたこともないよ」と呟く。驚くことに、鳳くんはテニスプレイヤーでありながらテニスの王子様を知らないらしい。いやたしかにバスケやってる人が全員スラムダンクを読んでいるわけじゃないけど、名前すら知らないのは少しおかしい。テニスの王子様は今でも根強い人気があるし、いくらお坊ちゃま育ちとはいえ名前くらい知ってても可笑しくはない……と、思う。

 そもそも、声も似ててテニスをやってる鳳くんと同じ名前の人が居れば全国に散らばるテニプリファンが黙っちゃいないと思うのだ。ネット内でまことしやかに語られる伝説によると手塚という苗字なだけで男女関係なくメガネを掛けさせられたりということが実際に行われてるらしい。……言い方は失礼だけどこんな格好の素材、そんな人達が見逃すとは到底思えない。



「あの、ほんとうにエイプリルフールとかいいんでもうネタばれしてください。いくらなんでもやり過ぎだよ」
「俺には……Aさんが嘘を付いているとしか思えないよ」

「それこそこっちの台詞です!……よ」
「……取り敢えず、一回切るね。ここの風景をとって送るから、Aさんも送って」

「りょ、了解しました」



 真剣味を帯びたその声に戸惑いつつ、一旦電源ボタンを押す。そしてカメラを起動すると、フロント周辺を撮った。すれ違った男性スタッフさんがちょっと迷惑そうな表情をしたのをサクっと無視して、私は送信履歴に未だ残り続けていた鳳くんのアドレスに送る。送信完了したとたん受信し始め、連打して画像を開いてみるとそこには私と送った奴と同じ様な風景が映っていた。ただ違うのは、人の多さだけだ。さっき親切にしてくれた女性スタッフさんも写ってるし、迷惑顔でこちらを見た男性スタッフさんもいる。フロントの上にはちょっと見にくいけど今日の日にちが書いてあって、それは間違い無く今日のものだった。


「……頭こんがらがりそう」


 まさか私は幽霊とでもメールしているんだろうか。着信専用のバイブ音がして、私は取り敢えずそれに出る。訳がわからないと思っているのは私だけじゃないらしく、彼は電話が通じるなり「ごめん、少し時間をくれないかな」と疲れたような声を零した。それはまるでケンカしたカップルのような切り出し方だったけど、突っ込む余裕も気力もなかった。


「ちょっと違うかもしれないけど……なんか、ファンタジーな小説の中にでも放り込まれたみたいな気分になってきた」
「俺も同じ気分だよ。でも、たしかに最初から変だと思ってたんだ。どうして宍戸先輩以外誰も居なかったはずの電車内で、君のアドレスが送信されてきたんだろうって」

「……そういえば」
「少し確かめたいことがあるんだ。でも今日の夜に絶対電話するから、できれば出てほしい」

「分か……わかり、ました。『鳳』君の電話、待ってます」
「…せっかく来てくれたのに、こんな事になって本当にごめん。じゃあまたね」


 ブッという音がして、通話が切れる。確かめたいことって一体なんだろう。テニスの王子様でも検索するんだろうか。……ひょっとしたら鳳くんがまだ嘘を付いている可能性も……いや、流石にもう無いか。ため息をついて携帯に視線を落とす。あせりと緊張のせいで出た脂汗と手汗でべとべとになった黒い画面がそこにはあって、強がりをかねて苦笑して見せた。ああもう疲れた、何も考えたくない。その携帯を拭かないままポケットに放り込んで、私は何の収穫もないまま思い気持ちだけを引きずって帰路についた。



* * *


 その夜、宣言どおり鳳君から電話がかかってきた。私は緊張しながらその携帯を見つめる。4コールするのを確認してからゆっくりと携帯を開き、通話ボタンを押す。気分はかなり重くて、できることなら出たくないという気持ちでいっぱいだった。……けれどやっぱり出てしまうのは、私の中でやっぱり鳳君を信じたいっていう気持ちがあるんだろう。こんなの山田なんかに知れたらえらく怒られそうだと思いながらも取った電話向うの彼は、昼と同じ硬い声をしていた。


「Aさん、今大丈夫?」
「……うん、平気です」

「家に帰って色々調べてみたんだ。分かったこととか色々あるから長くなるけど……その、信じられないかもしれないけど最後まで聞いてほしい」
「……うん」

 私の相槌を聞くと、彼は安心したようにため息をついた。笑っているのかと思うくらい柔らかいその響きに、私の心臓が跳ね上がる。……何を考えているんだろうと自分自身を叱咤して、誤魔化すようにパソコンの電源を入れてもしもの為にメモ帳を開く。――『好きなんじゃない、それ』そういった山田の言葉が、脳裏に焼きついてはなれない。



「まずはテニスの王子様っていう漫画のことなんだけど、インターネットで検索をかけてみても一件もヒットしなかったんだ」
「……一件も?」

「そう、一件も。何なら今開いてるから、その写真を添付してメールで送るよ。Aさんの携帯は、話しながらメール画面を開ける?」
「えっと……あ、うん。スピーカーにするから声が遠くなっちゃいますけど……あ、届いた」


 通話画面が消えてメール画面になると、鳳君の名前が表示されていた。それを開いてみると、確かに“テニスの王子様”の検索結果の画像が添付されていた。"テニスの王子様"に一致するウェブページは見つかりませんでした。という文字の存在感に、思わず胸が苦しくなる。空いた片手で自分も同じように検索してみようと思うのに、マウスを持つ手が震えてできなかった。


「うそ……」
「Aさん」

「そ、そんなの変です!だって……テニスの王子様って根強い人気があって、氷帝の跡部さんとか今もバレンタインだとチョコが編集部に届くって、漫画で」
「俺の知っている跡部さんも、毎年たくさんのチョコを貰ってるんだ。……生憎、編集部っていうのはよく分からないけれど」

「……偶然、ですよね?」
「偶然……って言いたいけれど、そうとも言い切れないみたいなんだ」


 彼はそういって言葉を切ると、小さく息をついた。まるで何か言うことを迷っているというようなため息のつき方に、思わず「どうしたんですか?」と追求してしまう。彼は言いにくそうにあー…と声を伸ばしていたけれど、意を決したように私の名前を呼んで、「今日、文面がないメールは届いた?」と突拍子もない言葉をぶつけた。


「文面がないメール、ですか?」
「そう。今日先輩の携帯やパソコンのメールアドレスを使って君にメールを送ってみたんだ。全部で20通くらいかな」

「……え?でもそんなメール、一通も来て無」
「そう、届かなかったんだ。アドレス帳から直接コピーしたアドレスを使っても、俺の携帯以外から送ったものは全部送れなかった」

「それって、どういう」
「俺にも、よく分からないんだ。君にこの電話を掛ける前も、家の電話から掛けてみたけど『この番号は使われていません』って掛からなかった。……こんなこと初めてで、正直頭がついていかない」


 泣いているんだろうか。彼は最後に震えた声でそう搾り出すと、小さく何かをつぶやいた。その呟きは声としてしっかりと私の耳に届いたのに、私はそれにうまく反応することができない。迷った末に何とか「私にも分からないです」と呟いてみたけれど、その声は彼同様震えてしまい上手に鳳君に伝わったのかすら怪しいものになっていた。



 それから、どれくらいの時間がたったんだろうか。お互い鼻をすする音だけが受話器から聞こえる中、どちらからとも分からず気がつけば私と彼との通話は終了していた。私は彼が小さく呟いた言葉を思い出しながら、苦しくなる胸を誤魔化すようにベッドに寝転がる。


『せっかく大切な人ができたと思ったのに』

 その言葉を聴いた時に一瞬『私もだよ』と言い掛けた自分にため息をつきながら、私は使い古した携帯を頭上にぶら下げる。……もし仮に、この携帯が水没したら私と鳳君の関係は終わってしまうんだろうか。そう考えると少しだけ怖くなって、私はその携帯をそっと胸に押し付けて瞼を強く閉じた。

 その翌日、早く目覚めてしまった私は付けっぱなしだったパソコンでテニスの王子様を検索してみたり鳳君宛にメールをしてみた。けれど55万件ヒットしてしまったり、鳳君のアドレスをいったんパソコンに送信してそれを貼り付けたはずのメールが帰ってきてしまったりで結果は散々だった。そして混乱した私は人生で初めて仮病を使い、不登校児さながら『腹痛』程度で学校を休んでしまった。


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