Infrared | ナノ

(6/8)

 私はその日から、鳳くんのメールを返さなくなった。
鳳くん(いや、本当は鳳くんじゃないんだけど)は返信しない私にめげずに毎日メールをしてきたけれど、残念ながら知らない顔をして返事することが出来なかった。合宿中の思い出話からなにか気に触ることをしたのかといったメールまで、実に8通のメールを無視している。いい加減受信拒否設定にしろと山田が怒ってきたけれど、私は流石にそこまではできなかった。……エイプリルフールに嘘だと言われたら、その時は拒否しようと思っているけど。けれどそれまでは信じていたいという気持ちを、私はどうしても断ち切れないのだ。……今思えば、私は鳳くんのことが好きだったのかも知れない。架空の人物に本気で惚れるなんて、笑ってしまうけれど。



 あれから私は山田の制止を押し切って、天文部の友人にテニスの王子様の全巻を借りて全て読んでみた。私が好きになった鳳くんは主要なキャラとは言いがたい位置だったけど、見せ場もあったし本当にカッコイイ人だった。身分違いというのもある意味納得がいった。……でも白い髪というイメージだけはなくて、そこだけは本当にびっくりしたけれど。


 初めてまともに読んだテニスの王子様は、格闘スポーツ漫画というのがぴったりな感じだった。ボールが割れたり人が吹っ飛んだり、私の予想をいろんな意味で裏切り続けてほんとうに楽しい漫画だと思った。一番好きなキャラは……迷うけれど、やっぱり鳳くんかも知れないなあと思う。メールの件をナシにしても、ああやって尊敬する人に全力でついて行ったり一球一球に本気で当たる姿は本当にカッコイイと思う。私は自分で思っている以上に、強かな性格なのかもしれない。



 ブブブというバイブ音で目が覚めた。時間を見ると12時半で、私は驚きのあまり飛び起きた。……何時もだってこんなには寝ないのに、今日は寝坊してしまったらしい。恐る恐る携帯を開いて確認すると、そこには新着メッセージが一件入っていた。受信トレイにはメールの送信者の名前は無かったけれど、そのアドレスは見覚えがありすぎて分かりたくなくても分かってしまう。……これじゃあアドレス帳を消した意味が無いじゃないかとごちながら、取り敢えず開いてみた。


『今日、午後の試合もあるんだ。もしAさんがよければ来てくれると嬉しいな』


 試合。何のことだと一瞬思ったけれど、すぐに合宿前に言っていた『都内でやる小さな大会』を思い出した。
この人はどこまで私をばかにするんだろうと思う反面、本当は全部本当じゃないかという捨てきれない思いが首をもたげる。でも、嘘にきまっていた。山田に言われてから、私はウィキペディアやグーグル、ヤフーを使って本当に氷帝学園が無いのか調べに調べまくったのだ。その結果、当たり前のようにそんなモノは存在しなかった。だから返信もしないし、信じれない。だけど諦め切るには、少し足りなかった。



「今からいっても、試合には間に合う……かな。準備しよっと」


 行ってみるだけ。そこに行って、本当か嘘か見極めたいだけだ。もし嘘だとしても、こんなメールを送った本人が私をばかにするためにそこにいるかも知れない。……どっちになったとしても、部屋の中でうじうじ泣いている今よりかはずっといいはずだ。

 さっさと化粧をして適当な服に着替え、履き潰した運動靴を引っ掛けて家を出る。何時もなら絶対に出ない恰好だけど、今日という日にこれ以上に合う恰好はないと思った。あんまり気合入れたら嘘だったときに馬鹿みたいだし、もし仮に本当だったとしてもこんなにメールを無視し続けた私が彼に会えるわけない。



 鳳くんが教えてくれた行き方をなぞって行くと、本当に会場があった。会場自体の名前はちょっとだけ違うけど、大体聞いていたのと同じ感じだった。時刻は2時。もう試合は終わってるかも知れないと思いながら来てみたけれど、心配することはなかったらしい。そこには、人が居なかった。……いや、人はいたけれど、スタッフさんという人がいるだけだった。それはどうみても大会をやっているという雰囲気じゃなくて、私はため息を付いてUターンした。中からはアップテンポなBGMが聞こえて、まるで笑われてるみたいだと少しだけ思った。


「宍戸さん風に言うと、激ダサって奴か!」


 自分の馬鹿さかげんも、ここまで来ればいっそ清々しい笑いが込み上げてくる。…でも此処に来たなんて山田に言ったら彼氏とセットでぶっ叩かれるに違いない。どうして彼氏もかというと、山田が彼氏に『アリエナイ話』として話してしまったらしい。一途で優しい彼氏さんは山田以上にお怒りらしく、大して面識のない私に「相談あれば乗るからな!」と熱く語ってくれた。いつも冷静な山田とは正反対な彼氏に、思わず笑ってしまったのは内緒だ。




「……にしても、交通費ほんともったいない。こんなならCDでも買えばよかった」


 口ではそう言ってみるけれど、実際ここに来てよかったと思った。ここまで来れば、さすがの私もメールしていた『鳳長太郎』が架空のものだったということに気づける。もうなく必要もないし、うだうだ考える必要もない。さくっと着信拒否と受信拒否設定にして、サクッと忘れるだけだ。思い切れば、私だって割り切ることができる。元彼しかり、オオトリチョウタロウしかり。



 家に帰るまで待てない。どうせなら今拒否ってしまおう。私は握り締めていた携帯を開いて、ウェブを開く。この一々ウェブを開かないと受信拒否できない仕様、ほんとうに何とかして欲しい。迷惑メールとか余り来ないから、昨日やり方を確認するときに随分と時間がかかってしまった。

 拒否設定の場所に、オオトリチョウタロウのメールアドレスをコピーして貼り付ける。まだオオトリチョウタロウ君の事を人だと思っていた時に、このメールアドレスの意味を調べたことがある。もう忘れてしまったけど、ショパンの何かの曲らしい。ショパンはノクターンしか知らないから、本当にすぐ忘れてしまった。
そんな事を思いながら一瞬も躊躇うことなくスクロールして、決定ボタンに手をかける。しかしその瞬間、ウェブの画面は消えた。その代わりにブーブーと着信用のバイブが、右手を振動させた。番号は知らない人からだったけれど、取り敢えず受話器をとった。その直後、取らなきゃよかったと本気で後悔することになった。



「Aさん?」

 それはオオトリチョウタロウくんかっこ仮の声だった。私はウェブの中で鳳くんのことを調べて回った際、彼の声を耳にする機会があったけどこの電話の声ととても似ていた。貴方は鳳くんの声優さんなんですかと思ったけど、声優さんはそんなに暇じゃないことを山田彼氏に熱く語られたので却下した。頭の中でそんな事を考えながら、私は思わず笑ってしまう。拒否する直前で電話なんて、なんてドラマチックなんだ!と不謹慎だけどちょっとだけワクワクした。まるで漫画の主人公みたいだ。……いや、「鳳長太郎」君は漫画の登場人物だけど。


「……久しぶり」
「よかった、通じた。……本当は少し怖かったんだ。もう通じないんじゃないかって」


 オオトリチョウタロウ(仮)君の言葉に、私は内心笑っていた。いや、たった今拒否しようと思ったんだよとは言えなかったけど、あまりのタイミングに可笑しさをこらえ切れなかった。もう漫画のキャラだって知っているんだよと教えてあげようと思ったけど、ふとその奥の音が気になって思わず口をつぐんだ。――電話の奥のオオトリ(仮)君の息が、とても荒かったのだ。まるでさっきまで激しい運動をしていたとでも言うように、苦しそうに喘いでいる。そしてその後ろで「なにやってんだ長太郎!」とこれもまたどこかで聞いたことのあるような声が聞こえたきがした。



「……オオトリ君?」
「あ、ごめ……。今、試合が終わったばっかりなんだ。ちょっと待って。……宍戸さん、すみませんが先に行ってください!跡部さんには後で謝りに行きます!」
「そんなの許されるわけねーだろ!お前は50人を押しのけたレギュラーなんだ、その自覚を忘れんな!」


「っ、オオトリ君。後でいい、後でいいから取り敢えず切るね!」
「あ、Aさ」


 訳が分からなくなって、私は電話を切る。心臓がドキドキうるさくて、私は知らず知らずのうちにUターンをしてテニス場に向かっていた。もしかしたら、とかひょっとして、とか切り捨てたはずの期待感が顔を出す。会場内に入っていくと、そこにはどこかの学校が練習しているのかパンパンというボールの音が聞こえた。どこだろう。当たりをキョロキョロしていると、人の良さそうなスタッフさんに「どうかしましたか?」と心配するように声をかけられた。…私はそんなに、情けない顔をしてるんだろうか。


「……あの、ここって今日、試合をしてますか?」

 私の問い掛けに、スタッフさんはちょっと驚いたような顔をした。それは『今更きたの?』という表情ではない事に気づいて、私の中の温度がさあっと下がる。冷静になった私とは反対にちょっと動揺したスタッフさんは、考えるように眉間にシワを寄せた。


「たしかそんな予定は……いえ、少々お時間いただけますか?調べてきますので」
「……お願いします」


 何が何だか分からなくなって呆然としている私は、フラフラになりながらスタッフさんの後ろを付いて行く。受付のようなところに行くと、苦笑交じりの営業スマイルで「そちらでお待ちください」とソファーを薦められた。私はそこに腰掛けて、頭を抱えた。本当に、何なんだろうこの状況。


 さっきの電話の後ろに聞こえた声は確かに『宍戸亮』の声だったしオオトリさん(仮)も『鳳長太郎』の声だったと思う。しかもあの切羽詰った感じや本気で怒っている感じは、どう考えたって演技に思えない。何がどうなっているんだろう。私のメールをしている鳳長太郎くんは、一体誰なんだろう。


「大変お待たせしました。本日の試合の件ですが、行われていませんでした。……隣町のテニススクールでは本日個人の大会が行われているのですが、そちらではないでしょうか?」


 どうやら、わざわざ調べてきてくれたらしい。スタッフのお姉さんが差し出したチラシをもらうと、そこにはオオトリ(仮)君がメールしてきた会場とは似ても似つかない名前が印刷されていた。……どう考えたってコレと間違えたなんてことはない。つまり……どういうことなんだろう。


「……あ、ほんとだ。こっちと間違えちゃったみたいです。調べて頂いてありがとうございました!」
「こちらこそ、遅くなってしまい申し訳有りませんでした。そのチラシは、どうぞお持ち帰りください」


 チラシを受け取りながら、深々と優しいスタッフさんに頭を下げて立ち上がる。恥ずかしいなあと思いつつ、ちょっとだけ溜息を付いた。結局私は、騙されたことになるんだろうか。なんとも言えないけれど。

 携帯をひらくと、知らない間に3回不在着信が溜まっていた。私は履歴から鳳くんの番号を呼び出して、耳に当てる。わからないなら聞けばいいじゃないか。それで嘘とわかればもう悩む必要もないんだから。
3回目のコールで、電子音が切れる。すぐに焦ったようなオオトリ(仮)君の声が聞こえて、苦笑してしまった。


「ごめんね、バイブで気づかなかったんだ。もういいの?」
「もう解散したから、大丈夫だよ。Aさん、今どこにいるの?話したいことがいっぱいあるんだ」

「うん。私も、いっぱいあるよ。今はオオトリ君に教えてもらった会場にいるよ」
「えっ本当に!?来てくれたんだ」

「う……うん」


 その嬉しそうに弾んだ調子に、私は思わず面食らう。やった引っかかった!って言いたいんだろうか。……そうだとしたら、オオトリ君の正体はかなり性格悪いんじゃないだろうか。


「あのさ、オオトリく」
「ちょっと静かにしてみて。……今、フロント近くにいる?同じ曲が聞こえる」

「え?」


 驚いて耳を済ませてみると、確かに両方の耳から同じ曲が聞こえた。だけどオオトリくんの方の周りはとても賑やかで、私の周りには人っ子一人いない静かな空間が広がっていた。それはオオトリくんも思ったのか、「……Aさん、本当にフロント前にいるの?」と少しだけ焦ったような声が聞こえる。だけど私はその答えを知らなくて、答えることが出来なかった。


「Aさん?」
「………オオトリくん、私、今フロントの人に今日ここでは試合はないって言われたんだけど」



 「え……そんなはずは」そうオオトリ君が言いかけた瞬間ピンポンパンポンという軽快な曲が両方の耳に響く。驚いて声も出せなくなった私と『鳳』君を置いてけぼりにしたその放送は、同じ名前の迷子のお知らせをするとそれぞれ少しだけ違う名前のテニス場の名前を告げた。



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