Infrared | ナノ

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 鳳くんは今は合宿中らしく、メールのやりとりは鳳くんと知り合って初めて途切れることになった。
平日なのに合宿なんて授業が分からなくなるんじゃと思ったけれど、その心配はないらしい。聞くところによるといろいろ凄い部長さんがそのあたりまできっちりカバーしてくれる、と鳳くんが教えてくれた。日程を聞いたらお風呂食事若干のフリー時間以外はほぼテニスか勉強という、私だったら一日だって耐えられない構成でいっそ感動した。ただでさえ高1の2月の時点で数2を平然とやっているらしい高校なのに、そこまで勉強熱心とか恐れ入る。住む世界が違うとは思っていたけれど、ここまで違うとは思わなかった。


 電話の一件以来私だけがよそよそしくなってしまうことが続いていた。それはきっと、この『相手と私は住む世界が違うんだ』っていう思い込みによるものが原因だ。……だけど、どう頑張ってもそう思わないようにすることは出来そうにない。小さい頃からバイオリンやピアノをやっていて、小学校入学時点で受験を経験した人に、私はあったこと無いのだ。まるでテレビに出てくるような、そんなおぼっちゃま振りだ。そもそもバイオリンなんて、一般市民は普通に生活していれば目にする機会も無い。



「……無理、ほんとムリ!」


 天文部の部活動中、誰かがごそっと部室に持ち込んだ少女漫画を閉じながら叫ぶ。私のこの機械な行動なんて慣れたもので、漫画を呼んでいる友達は目もあげずに「どうした」と聞いてくる。その中の一人が「例のメール相手と何かあったんだよきっと。惚気たいなら外に行け」と言い、「春がくる奴はいいなあオイ」と先輩がごちる。「いやー彼氏なんて長く付き合うと面倒なだけっすよ先輩」と、3年付き合って夫婦化している生粋のタカトシファン且つクラスメートの山田がひらひらと手を降った。……本当に、みんな自由すぎる。


「いや、友達なんですけど。……でも、組み合わせ的には本当に漫画みたいな感じでどう接したら分からないっていうか…」
「……いや、ちょっと意味分かんない」

「い、一般人と王子様みたいな?」
「乙ゲーかっ!いや寧ろ花男かっ!」
「消えろリア充」

「山田、この時代今更タカトシは無いわ」
「タカトシ馬鹿にすんな!」
「っていうかお前ツクシをばかにすんなよ!ツクシはAと違って努力の子なんだからな!」


 少女漫画から青年漫画まで幅広い漫画が好きな先輩が、山田の頭を軽く叩く。 さりげなくひどいことを言われた気がしたけれど、そこはさらっと流すことにした。先輩の毒舌は正直今に始まったことじゃないし、多分私のひとり言ぐらいみんな慣れっこなのだ。

 ため息を付いて漫画に手を伸ばそうとすると、ふと山田が「ねえA、購買いこっか」と提案する。先輩はすかさず「私午後ティーのミルクで」といい、ポッケから130円を取り出した。それを拾って部室を出ると、山田は呆れたように肩をすくめた。


「で、何を悩んでるの?」
「……え?」

「色々悩ンデマスって感じがしたから。元彼となにかあった?」
「いや、全然ちっとも無いよ。……なんか、ごめん」

「いやいいよ。あの元彼、今更Aとやり直したいって友達に触れ回ってるみたいだし。もしかしたらなにかあるんじゃないかと思ったんだけど何も無いなら良かった」
「……初耳です」

「じゃあこの情報量、購買の紙パックミルクティーで手を打とうじゃないか」


 いたずらっ子のように笑う山田を見ていると、少しだけ安心した。その笑顔を見ていたら、ふと鳳くんのことを思い出す。お金持ちそうな鳳くんは、紙パックの飲み物を飲んだことがあるんだろうか。いや、無いわけはないと思うんだけど。なんとなく私の想像する鳳くんからは、そんな100円で一喜一憂するような庶民っぽさは感じ無い。……って、私は鳳くんをどんな叶姉妹だと思っているんだろう。



「……身分違いってあるのかな」

 ポツリと呟いた言葉に、山田が振り向きながら首をかしげる。そしてちょっと考えてから「例のメールしてる王子様?」とちょっとおかしそうに聞いた。


「そう。別に好きなわけじゃないんだけど、本当にどう接していいのか……」
「面倒ならやめちゃえばいいじゃん。彼氏できたとか適当に言って」

「……いや、別に悪い人じゃないんだよ?でもなんかお坊ちゃん!っていう感じで、私なんかが話していいのか!っていう恥ずかしさが…」
「好きなんじゃない?それ」

「……友達としては、尊敬してる」
「ふーん」


 自販機の前について、先輩の130円を入れる。午後の紅茶を押すと、すごく大きい音を立てて転がり落ちてきた。


「えっと……オオトリくんだっけ?その人」
「え?うん」

「その人ってこのあたりの高校なの?そんなに悩むんなら一回会ってみればと思ったんだけど」
「えっと……氷帝学園、ってトコらしいよ」

「は」


 中々自販機の口からペットボトルを抜き取れない私を見かね取ってくれた山田の手から、泡だったペットボトルが落ちる。下に落ちたペットボトルは虚しくはね、生き絶えたように横になった。驚いたように私を見てる山田が一瞬怒っているように見えて、少しだけ怖くなった。「知ってるの?」と聞くと、「それってまさか氷の帝国とかいう漢字じゃないよね?……冗談じゃないよね?」と念を押された。びっくりして何度も頷いた私を、今度はかわいそうな物を見るような目で見る。・・・何なんだろう、一体。


「可能性は二つ。一つはそんなのは全部Aの妄想だった。二つ目は誰かに騙されてる」
「……へ?」

「テニスの王子様って知ってる?」
「……少しだけなら見たことあるけど」

「じゃあ後者か。……氷帝学園っていうのはその中にしか出てこない学校だよ。そういえば鳳っていうキャラいたっけな。鳳…ちょうたろうだか何とか。私も彼氏の家で読んだきりだから詳しくはないんだけど」
「……鳳くんと、同じ名前」

「……もう“それ”とメールしないほうがいいんじゃないかな。元彼のイタズラかもしれないし、気持ち悪いし。……せっかく元気になれたのに、残念だけど」


 私は山田の言っていることが上手く理解できなかった。ただ分かるのは、私はどう仕様も無い馬鹿ということだけだ。呆然と使い古されたケータイを見下ろす。今日の夜にメールすると言われ少しだけわくわくしていた気持ちが、目に見えてしぼんでいくのが分かった。そうか、私は騙されたのか。ようやく事実として受け止めることができた現実に、私は何故だか怒ることが出来なかった。


「……エイプリルフールの下準備にしては、やり過ぎだよね。ひっどいなーもう」


 冗談めかして笑おうとしたのに、気づけば視界が大きく歪んでいる。山田がそっと私の肩をたたくと眼の奥がじんと熱くなって、慌てて袖でこするとカーディガンに水玉模様ができた。



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