Infrared | ナノ

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『電話していいかな』


 夜11時に来た突然のメールに、私は度肝を抜かれた。前は何の話をしていたっけと思わず送信履歴と受信履歴を確認してしまうほど、それは不思議なタイミングだった。まるで予習をしていない時に突然当てられたように心臓跳ね上がったようなきがする。こんなに緊張したのは、いつが最後だっただろう。


『突然どうしたの?何かあった?』


 取り敢えず当たり障りの無い言葉を送って、ふと相手が自分の番号を知っている事に気づく。確か赤外線でアドレスを送ると一緒に番号も送れるようになっていたはずだ。……そう思うと、私は鳳くんに比べてかなりメール相手の情報を知らないんだなあという事に気付かされる。彼は私の生年月日を知っているのに、私は彼の生年月日を知らない。どこに住んでいるのかもどこの学校に通っているのかも知らない。……まあ学校と住んでる場所は、鳳くんも知らないんだけど。

 少し前、鳳くんは私立の小学校から大学まである全国的にはかなり有名な都内の高校に通っているという事を教えてくれた。聞く話によると、その学校はオハナシの中にしか登場しないような豪華さを誇っているお金持ちしか通えないところらしい。……ここまで知っていてどうして学校名を知らないかというと、単に鳳くんが『知っているだろう?』っていう姿勢を見せ続けて逆に聞き辛くなってしまっただけだ。



 私の衣食住を支えてくれている両親には申し訳ないけれど、私は御世辞にもお金持ちとは言えない一般家庭の子供だ。私立高校を滑り止めとは言え受けるといえば若干難色を示されるくらい。……けれど鳳くんは、そんな経験を全くしてこなかったらしい。というか、かなりのおぼっちゃまらしい。
 だから残念ながら、私は彼の常識を私は存じ上げない。例えばお金持ちの間では超絶有名な高校だろうと、一般人には検索ワードも分からないくらい非現実的なものなのだ。




『なんでもないよ。ただ電話したいって思ったんだ。迷惑かな?』


 帰ってきた返事に、私は思わず溜息を付いた。まただ、彼はどうしてこうも私に一択しか答えれない選択肢を投げてくるんだろう。迷惑かな?なんて言われたら、迷惑じゃないよというしか無いじゃないか。……この人、わざとやってるんだろうか。


『迷惑じゃないよ。でもどうしてかなって思って』

『本当はメールでもいいんだけど、これは電話で伝えたいなって思ったんだ。じゃあ少ししたらこっちから掛けるね』


 電話で伝えたいこと。そのフレーズに一瞬告白かと思った私は、一瞬でその妄想じみた考えを握りつぶした。そんなわけないだろうと声に出して叫んだら、横の部屋の住人に「うるさい!」と怒られた。……家族なのに、冷たい限りである。

 『了解』とだけ打って送信し、深く息を吸った。変な考えがよぎったせいで、胸が変にドキドキしてしまった。そんなわけ無いじゃないかと言っている声は、自分でも笑ってしまうくらい『予防線』っぽくて少し落ち込む。“これは告白じゃないから、たとえ告白じゃなくても自重したり落ち込むことはないんだ”……そんな自分の本音が、ありありと分かってしまったのだ。



 ピリリ、ピリリ。初期データに入っていた着信音が、間抜けな音を立てて私を呼んだ。私は4回くらいコールするのを待ってから、それを手にとって電源ボタンを押す。「もしもし」という声が、まるで自分の声じゃないように聞こえた。



「あ、夜遅くにごめんね。えっと……Aさん?」
「……えっ?あ、うん。………鳳くん、だよね?」

「そうだよ。ハハ、思っていた声と違っていた?」
「いや、違っ……ごめん。ちょっとだけ違っててビックリした」


 ちょっと?いや、実際かなり想像とは違う声をしていた。
私は学校の男の子を見ながら、鳳くんはこんな声なのかなあと何となく予想したことがある。そして実際これっぽいなあなんていうのも何となく自分の中のイメージとして決まっていた。……けれど、それは一ミリもかすっていなかったらしい。

 例えるんなら、雲や綿みたいな感じの声だなあと思った。フワフワしててどんな形にもなれそうな、滑らかで柔らかい声。優しい性格がにじみ出ている居るようなその声は、それこそ役者さんか声優さんを思わせる。普通に喋ったって、ここまで声音に人柄を反映させれない気がする。


「それは残念だな。俺の方は予想通りだったけどね」
「……ご、ごめんなさい」

「あ、でも君は電話だと印象が違うね。もしかして、緊張してる?」
「緊張……というより、なんか住んでる世界の違うっぽい人なんだなあって」


 私の周りで、目の前の人のことを『きみ』と呼ぶ人は居ない。口から吐き出された言葉を文字に置き換えて追えば全然問題ないのに、彼のおぼっちゃま臭を滲ませる声が親しみやすさを完全に破壊していた。別世界の人間だと、ここまで感じる相手に私は会ったことがない。……例えは違うけど、中学の時にクラスの端っこで何時もひとりでいて『私に触ると怪我をするわ』なんて言ってた子くらい話しかけにくい雰囲気がある。


 メールだけだったら知り得なかった彼の一部が見えたような気がして、私は思わず口をつぐんでしまう。そんな私の様子に気づいたのか、彼は「やっぱり突然過ぎたね」と苦笑した。



「じゃあ、やっぱりメールにしようか。実はそんな大したことじゃないんだ」
「え?!……あ、いや!全然いいですから!私のことなんか気にせずどうぞ!」

「はは、凄い緊張してる」
「う゛……本当のこと言うと、あまり男の子と電話するの自体慣れてないんです。だから本当に鳳くんのせいじゃないので、気にしないで下さい」


 それと分かる苦笑をしている鳳くんに少しだけ冷静になった私は、深く息を吸って一気に本音を吐き出した。他人行儀な敬語に自嘲する。お互い敬語が取れてかなり仲良くなったと思っていたけど、それはメールの中の話だ。電話での彼は、もはや私の知らない人だった。


 「こういう微妙な気持ちは紹介から始まって電話をしたことがある人なら全員経験してる」……という事を以前友達が言っていたのを思い出した。クラスメートみたいに実際の顔や声を知ってからのアドレス交換なら、最初から違和感なくこと話せたりメールしたりできる。けれど逆の場合、メール先の相手と実物を結びつけるまでに結構時間がかかるらしい。

 あんたも覚悟しときなさいよ。そう笑っていった友だちの顔を思い出しながら、本当にそのとおりだよ!と溜息をつきたくなった。メールではタメ口になっていたけど、この上品な声にそんな馴れ馴れしい口調をぶつける勇気は残念ながら持ち合わせては居ないのだ。


 そんな私の葛藤を知ってかしらずか、鳳くんはちょっと驚いた様子で「そうなの?」と聞いた。どこに驚いたのかよく分からなかったけれど、とりあえず「そうなんです」と返しておいた。


「じゃあ、俺と同じだ。俺も女の子に電話するの、部活のマネージャーを除いたら初めてだから。緊張してるって余裕見せて笑っていたけど、本当は俺も緊張してるんだ」
「へ。……ん?えっ!?」

「本当だよ。意外だった?」
「意外っていうか、嘘とし……ととと!何でもないです!」

「はは、嘘じゃないよ」
「……失礼ばかり言って、すみません」

「本当にメールと違うんだね。……そうそう、要件なんだけど……再来週の日曜、なにか予定有る?」
「さらいしゅう?」

「そう。小さな大会なんだけど、一般の人も入れる場所で試合をするんだ。……前にテニスの試合観てみたいって言ってたから一応声をかけておこうと思ってね」


 ああ、そんな事も言った気がする。でもそれは言葉の綾というかほとんど呟きみたいなものだったから、本気にしてくれてるなんて思いもしなかった。
スケジュール表をめくって一応再来週を見てみるけど、そこは予想通り何も書かれていない。けれど、ありのままのことを言うのは何だか気が進まない。……例えば私が試合を見に行ったとして、仮に鳳君に会ってしまったとする。その時、初対面なのに友達という厄介なポジションの人にどんな顔したらいいんだろう、どんな話し方をしたらいいんだろう。そんな事を考えると、ひどく落ち着かない。そもそも私は彼の学校さえ知らないのに。そう考えた瞬間、サァっと体温が低くなるのを感じた。来るべき時が来てしまったのだと、今更のように感じた。これで逃げてしまったら、もう二度と彼の学校名は聞けない気がする。私は息を深く吸うと、恥ずかしさに耐えきれず目をつむった。


「ごめんなさい。私……実は、ずっと言えなかったんだけど」
「……どうしたの?」

「……っ、鳳くんの高校の名前、教えて欲しいんです!」


 思い切って言った言葉に、彼は数秒の間を置いてからこらえ切れないといった風に吹き出した。緊張と恥ずかしさで熱くなった顔面を自覚しながら、「わ、笑わないでください!これでも私、自分でも必死に検索したんですよ!」と大きすぎる墓穴を掘ってしまった。案の定笑い出した鳳くんに、私は恥ずかしさのあまり鳳くんが目の前に居ないにもかかわらず再びぎゅうと目を瞑った。穴があったら入りたい。埋まってしまいたい。

 真っ暗な視界の中でそう思っていると、ふと笑い声のさなかに何か聞こえた気がした。え?と聞き直すと、未だに笑いをこぼしている鳳くんが必死に自分の学校名を教えてくれていた。


「ひょ、ひょーていがくえん?」
「そうだよ。氷の帝国って書いて、氷帝学園。俺が居るのは、その高等部なんだ」

「す、すごい名前ですね」
「よく言われるよ。……それにしても、調べてくれたんだね。ごめんね、気づけなくて。もっと早くに言うべきだったかな」
「いや!私があんまり私立高校に詳しくないだけなんで、気にしないで下さい」
「……Aさんと話してると、本当に飽きないな」


 笑いの波を急に抑えた彼は、電話の最初の頃の優しさを持った声でそう呟いた。飽きないとは、どういう事だろう。例えば花より男子的な感じで、自分にない一般市民との違いが見ていて面白いとかそんなようなものなんだろうか。一般市民には分からない笑いのポイントについて行けず静観していると、彼は同じ調子で言葉を続けた。


「最初は別の人に電話しちゃったのかと思ったけど、こうやって長く話せばやっぱりAさんだって分かるよ」
「……ごめんなさい。私はまだ、違和感消えないです」

「ハハハ、じゃあこれからも時々掛けることにするよ。君が迷惑じゃなければね」


 いたずらめいた語尾に、私はやられたなあと溜息をつく。メールだけでも相当な破壊力のあったそれは、イケメンボイスが付くことで言葉じゃ表現できないほどの規模にまでふくれあがっていた。爆弾通り越して、いろいろな意味で核爆弾みたいだと思った。例え思わせぶりな言葉(核爆弾)から奇跡的に生き延びたとしても、後からまた別の形(後遺症)で出てきてしまう気がする。


「迷惑な訳、無いじゃないですか」


 おどけた調子でそう言ってみると、電話の彼は短く笑った。じゃあおやすみ。たったそれだけの声がとても優しく聞こえて、まるで私がかわいいお姫様になったような気分にさせた。彼は核爆弾でも保湿クリームでもないことに、私はそこで初めて気づく。彼は、麻薬だ。後で悲惨になることは分かっているのに、とても気持ちのいい気分にさせてくれるからついつい手をはなしきれない。恋愛に免疫のない私のようなタイプ人が、一番ハマってはいけない人。


 電話を切って、私はごろりとベットに横になる。気がつけば、時刻は12時を超えていた。……電話代、大丈夫だろうか。そんな事を考えながら、欠伸をする。メールが来たら、そのへんのことをきちんと謝っておこう。
襲いかかる眠気に耐え切れず、眼を閉じる。そういえばどっかで氷帝学園って聞いたことがあるなあとぼんやりと思ったけれど結局何処で見たのかは思い出せず、私は鳳くんのメールを無視して結局朝まで寝てしまった。


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