Infrared | ナノ

(2/8)

 翌日、私は取り敢えずショップに行ってみることにした。車で送って貰う道中、ウィキペディアで赤外線について調べてみたけれどよく分からなかった。数学と英語はいつもギリギリとアウトのどちらかを彷徨っている私に、ウィキ先生の仰りたいことは一ミリも分からない。取り敢えずショップの人に聞いてみても、原因は分からないと言われてしまった。ただ内部がおかしいかもしれないから、修理をすることをおすすめする。そんな感じのことを適当に相槌を打って聞きながら、私は結局何もせずにショップから出た。……わざわざ教えてくれたメール主さんには悪いけど、完全なる無駄足だった。ため息を付いてケータイをひらくと、すごいタイミングでメールが送信されてきた。みると、昨日の彼だった。一瞬元彼かと思った自分が、たまらなく情けない。


『俺の方は問題なかったようです。そちらはどうですか?』

「……律儀な人だ」


 削除して、はい終わり。それでいいじゃないか。この人は不在着信にもわざわざかけ直して、結果振り込め詐欺のような電話に引っかかってしまうタイプなんだろうか。今日び彼氏彼女だって『別れたい』とメールしてアドレス帳から削除してしまえば相手の了解なく別れれるのに。律儀というか古風な人というか……なんとも微妙な人だ。もしかして、この人は女の子とメールしたいだけのおじさんなんじゃないか。そんな考えが、ふとよぎった。だけど絵文字もないその文面からは誠実さしか読み取れなくて、私は首を振って否定した。そもそも、このメール主が誰かなんて考えなくていいじゃないか。私は彼のことを知る必要はないし、彼について模索する気もない。


『こちらも問題なかったようです。何だったんでしょうね』


 じっくり考えて打った文章は、自分でも驚くくらい誘い受けの言葉だった。自分が読んでも、こいつ返信されたがっているということが見て取れる。寂しい奴だなあと笑ってから、丸の後をすべて消して送信した。私はこの人に何を求めているんだろうか。寂しさを埋める道具にしようとでも思っているんだろうか、気持ち悪い。

 ため息を付いて再び震えた携帯を開く。白と黒だけのメールの文面は、新しい事実を描いていた。


『不思議なこともあるものですね。それでは俺はこれから部活なので失礼します』

「……学生か」


 部活という名称の団体があるのは小学校中学校高校……一部の大学だけだ。いずれにしても学生にはかわりないけれど、年上っぽいから高校生……いや多分大学生なんだろう。一瞬で起こった自信の意識の変化に、私は自分自身に笑ってしまう。学生と知った瞬間、少しだけこの人とメールしてみたくなっただなんて。別れてから節操がなくなる子っているけれど、今の私はまさにそれかも知れない。


 少しだけ笑いながら、『お手間を取らせてすみませんでした。部活頑張ってください。それではさようなら』と早めに打って携帯を閉じた。さようならといったのは、もうメールは送ってこないで欲しいという私の意思の表れだ。別に、もう元彼しか愛さずに生きて行くとかそういう事じゃない。どちらかといえば周りに別れた瞬間に別の男とメールする女と思われたくないだけだ。どこまでも自分本位過ぎていっそ涙が出そうになる。そういや別れてから泣いてなかったから、ちょうどいいのかも知れないけれど。



「優しすぎる懐の大きい彼氏じゃないとやっていけ無いかもなぁ私」


 そんな私の我儘を知ってかしらずか、もう鳴らないと思っていた携帯が低く唸った。誰だろうと思ってみてみると、そこには優し過ぎる文字が踊っていた。『こちらこそ手間をかけさせたようですみませんでした。終わったら、もう一度連絡させてください』……あなたはどこの聖人君主、もしくはどこの電車男のエルメスだと聞きたくなるような律儀さ。いっそ笑ってしまいたいほどの懐の大きさに、うっかり笑ってしまった。





 次のメールは夜遅く、案の定『遅くなってしまってすみません』という切り出され方をしていた。今の時刻は9時20分。送信時刻は9時ぴったりだけど、部活をやるにはあまりにも遅い時間だ。本当に部活をやっていたのか、もしくはメールを忘れていたか。確実に後者だろうと思ったけれど、『部活お疲れ様でした』とねぎらってみた。別に彼が真実を言おうと嘘を言おうと、正直知ったこっちゃ無い。ただの言葉の綾、話題の流れだ。バイトで上がりますと言われたら別にそうは思ってなくても反射的に出るお疲れさまでしたと似ている。でもその後に続く文句が思い浮かばずに、結局その後は何も付けないまま送ってしまった。……そもそも私は彼と話すことなんて無い。彼だって同じはずだ。こんなメールを続ける理由はどこにもない。


「女なら誰でもいい人……とか?」

 呟いた瞬間、それに答えるように携帯が声を上げた。そういえば時間でバイブ設定が切れるようにしてあったと思い出しながら、私は携帯を取り上げ適当なボタンを押す。彼氏の影響がモロに反映された着信音が私を嘲笑うのをやめ、今度は打って変わって静かになった。



『ありがとうございます。実は今家に帰っている最中なんです。雪が降りださなかったら、もっと遅くまでやってしまったかもしれません』
「……雪?」


 驚いてベットから這いでてカーテンを開けてみる。2月だというのにそこには雪がぱらついていて、私は2つの意味でゾッとした。一つは通りで寒いと思ったという意味。もうひとつは、こんな中で部活を今まで続けていたのかという意味だ。


『とても部活熱心なんですね。今見たら、こっちも雪が振ってました。気をつけて帰ってください』

『ありがとうございます。Aさんは今はご自宅ですか?』


 そこまで来て、私は返信を打とうとした手を止める。どうしてこの人は私の名前を知ってるんだろう。驚きすぎて、『名前を教えましたか?』と1分も待たずに送ってしまった。同じくすぐ帰ってきたメールには、『赤外線で送られてきたプロフィールに名前が入っていたので』という相手の苦笑が見えそうな言葉が乗っていた。少し考えれば分かることだっただけに謝罪の言葉を送ると、彼は『いえ、こちらも少し馴れ馴れしかったです。ちなみに俺は、鳳 長太郎と言います』と返事を寄越した。電話だったら分かったのに、私は彼の苗字を読むことが出来なかった。
 仕方なく小学校ぶりに引っ張り出した漢字辞典を引っ張り出して調べたら、どうやらオオトリと読むらしかった。凄い苗字だなあ、というのが最初の感想。てっきりホウっていう中国人さんかと思った。……それにしても、たかがメールで苗字と名前の間にスペースを入れるなんて凄い律儀な人だと思う。この人はきっとA型に違いないと思った。


『少し考えたら分かることをすみません。苗字ですが、読み方はおおとりさんであってますか?』
『はい、合ってます。さっきの件は俺が悪かったです。本当にすみませんでした。そもそもまたメールまでしてしまった事も、今思えば慣れ慣れすぎました』

『メールは今でも少し驚いています。この件は誰が悪いわけではないし、どちらかと言えば私が寝ぼけてアドレスを送ってしまったのが原因なので鳳さんが気になさる必要はないと思います』


 この関係を一瞬で断つような言葉をメールにのせ、罪悪感がこみ上げる前に送った。育ちがいいのか大人なのか、はたまた私を年上だと思ってるのか知らないけれど、私は正直敬語で絵文字の無い文面を考え続けるのに疲れた。一瞬でもこの人に慰めてもらえたらなんて思った自分にも吐き気がするけれど、やっぱり自分にはそういう事は出来ないんだなあと実感させられる。

 あれだけ断続的になっていたケータイが、パタリと動くことをやめた。壊れてしまったような静かさに、私は溜息を隠せなかった。私は電子的な文面に一体何を期待しているんだか。



「ぐあー。次の合コンは参加するかなー」


 合コンといえば大学生だけど、高校にだって合コンはそれなりにある。まあ合コンというよりは、ただの一組のカップルと其々の友達同士で騒ぐなんちゃって合コンなんだけど。メアドを聞かれてメールをして、会うなり写メを交換して盛り上がっては付き合っていく。運命と言うにはあまりに軽い出会いに、私は笑ってしまう。一億分の一の出会いとか待ち受け画像によくあるけれど、あれはそんな大層なものじゃないと私は思う。いや、別に恋愛に悲観的になってるわけじゃないんだけど。


 ブブブ、ブブブ。沈黙を守っていた携帯がなり、既に見慣れてしまったメールアドレスが表示される。どうせもうすぐ消し合うんだからと登録し直さなかったけど、こうやってみてみるとすごい違和感だなあと思った。


『俺も少し驚いています。最初はメールする気なんて無かったのに、知らず知らずのうちに送ってしまっていたんです。迷惑ですか?』


 時間をかけたその文面は、意外なほどにロマンチックな内容だった。鳳くんは、付き合った子に平然と運命だなんだと言ってしまうタイプなんだろうか。狙っているのか狙っていないかはよく分からないけど、これが天然で打ったものなら大したものだと思う。天然たらしっていう不名誉極まりない称号を与えたい。
 ガサガサに乾燥しすぎた私にはあまり響いてこないけど、ささくれ程度の女の子ならころっと行ってしまうに違いない。……鳳くんはまるで保湿クリームのようだ。



『迷惑じゃないですよ。ただ不思議だったんです。私も周りも、きっとそう言うのは消して終わりなような気がしていたので』

『高校の先輩にも今日同じことを言われました。俺が少し変なのかも知れませんね』

「は!?」


 驚きすぎて携帯を取り落とした。高校の先輩ってことは、下手したら彼は私と同年代かもしれないってことじゃないか。文が丁寧だからてっきり大学生かと思った。この文章で同年代なんて、末恐ろしいと言わざるを得ない。いやこの純粋さは、寧ろ大学生じゃ出来ないことなんだろうか。気障なのか天然なのかは知らないけど、このメール主の外見が例えそこそこでもメールや性格で相当もててるだろうなあと何となく思った。


『鳳さんは大学生じゃないんですか?』
『よく間違えられますが、高校一年年です。Aさんも同じですよね?生年月日が載っていたので』


 この人は同じ年と知っていて敬語を使っていたのかとちょっとびっくりした。ビックリしすぎて、同じ年だというのに敬語を外そうかという考えさえ忘れた。


『当たりです。でも一年生でもこんな時間まで部活をやるんですね』
『部活自体は7時に終わりました。でも自主練習とかがあるので、それに参加していたんです』


 そういえばそんな人も居たっけなあと私は文面を見ながら思い出す。私のような文化系には縁のない話だからあまり詳しくはないけれど。部活で有名な私立高校なんかは体育推薦枠があって、そうので入った人は凄い夜遅くまで練習していた気がする。残念ながら私の学校にはそんな設備も名声もないけど、例えば関東、東北とかの括りのトップ高になるとそう言うのは普通らしい。……まあ勿論全員自主練習じゃなくて、向上心の高いレギュラー勢しかやらないらしいんだけど。


『こんな遅くまで自主練って凄いですね。なんだか別世界みたいです』
『Aさんは何かスポーツはやっていないんですか?』

『根っからの文化系なんです。それに私の高校はいい加減で、一応天文部なんですがただお菓子を持ち寄って話すだけだったり』
『とても楽しそうですね。俺はスポーツをやってるけど、そういうのもいいと思います。俺は高等部に行っても、中等部の時とあまり変わらないです』

『でも今の時期からそんなに遅くまで頑張ってるのは凄いですね。私の高校だとレギュラーでも7時には帰りますよ多分』
『中等部最後の全国大会が準優勝だったんで、それが悔しくてずっと頑張ってるんです。今年もでさせてもらったのに、何の役にも立てませんでした』


 ……それは、めちゃめちゃ凄いことなんじゃないか。眠気がバッチリ覚めてしまった目でメールを睨みながら、私は自分自身のメールの相手に一抹の畏怖を覚えた。恐る恐る、疑問符を打ち込んでみる。


『鳳さんは全国大会に出れる高校のレギュラーさんだったんですか?』
『間違ってはいません。けれど正レギュラーと言っても俺なんて本当にまだまだで、部長だった人や先輩に比べたら足元にも及びません』


 全国2位のレギュラー。でもいばることなく終始腰が低い。同年代のはずの私には敬語を外さず、返信にあまり間を開けない律儀さ。そして保湿クリームみたいな(若干の)天然たらし。メールで得た情報を並べていくと、なにやらすごい人が浮かび上がってしまい私は慌てて頭の中の像をかき消した。私の通うさびれた地方の公立高校の先輩でも部長は基本人気なことを考えると、彼はもしかしたら相当な人なのかも知れない。っていうか、めちゃめちゃ凄い人じゃないか。


 あっけに取られたまま『鳳さんってすごいんですね』と返すと、『そんな事ないですよ』とクスリと笑う声が聞こえてきそうな文面がほんの十数秒ほどで帰ってきた。だけどそれは100%謙遜で100%嘘だと分かったから、私真っ白であり続ける返信画面を見つめながら途方にくれるしか無かった。


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