Infrared | ナノ

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 私は、とにもかくにも眠かった。
理由は幾つかある。ただでさえキツイのに最終日が世界史英語物理ととんでもない組み合わせだったということ。何故か世界史のプリント集がどっかに入って半泣き状態で探していたということ。よりにもよってそんな時に突然付き合ってた人から別れを切り出されたということ。様々なことが重なって、私はだいぶ眠かった。


 テストが終わった帰り際、私は恒例のテスト明けパーティーにも参加せずに温かい電車のふかふかしたソファーの上でゆらゆらとゆられていた。あの場の浮き浮きした雰囲気を、たかが私の失恋程度の悩みでブチ壊しにするのはちょっと気が引けた。自分のテンションをそこまで持っていく自信がなかったというのもある。だるいなあだとか、早く眠りたいなあなんて考えながら私はマフラーの中に鼻先まで埋めていた。



 寝過ごすかも知れないと思いながら少し寝て、目がさめたのは自分の降りる駅のいっこ前だった。後5分くらいの時間がある。眠れなくもないけど、寝たら起きれないような気がする。そんな若干の葛藤の中、私はぼんやりと携帯を開いた。新着メールは当たり前のようにゼロ。受信ボックスには、友だちの名前と元彼になった人の名前がずらりと並んでいた。数が数なだけに、いっこいっこ消すのは正直しんどい。けど名前を見るのもしんどくて、私はアドレス帳から彼の名前を削除した。その際最後のメールにある『好きな奴ができた。どうしたらいい?』というメールは、あえて保護設定にしておいた。なんていうか、実感がわかなかったから。


「……眠」


 忘れてしまいたい。けど忘れてしまいたくない。欲を言えば幸せだった時を忘れて辛さだけを覚えておきたいと思う。後から思い出したときに、ああやっぱりあの人が一番良かっただなんて思わないように。
 ぼんやりする頭で私は電源ボタンを押して、開いたままちょっと眼を閉じる。人差し指が何回かキーを押してしまったような気がして、私はびっくりして飛び起きた。まさか彼に空メ送ってたらと考えると、背筋が凍った。慌ててみた私の目に飛び込んだのは、『赤外線通信』『送信されました』のメッセージ。どうやら私は、自分のプロフィールをどっかの誰かに送ってしまったらしい。


 驚いて周りを見るけれど、不思議なことに真昼のローカル電車に人は居なかった。相手が居ないと通信相手が居ませんって表示されるんじゃなかったっけ。そう思ったところで、最寄り駅にもうすぐ着くというアナウンスが流れた。私はバックを肩にかけて、少し迷ってから携帯を閉じる。まあ誰に送ったところで、なんだコイツと削除されるに決まっている。私はそう結論づけて、くあとあくびを零した。とにかく、眠りたい。嫌なことも考えたくないことも全部忘れて、とにかく眠りたい。電車はスピードを緩やかに落としていき、私はぎゅうとポールに捕まる。ガタン、と電車が揺れた瞬間、ブレザーのポケットに入れた携帯がブブブと低い音を立てて振動したきがした。


* * *


 家に帰って制服を脱ぎ、ベットに横になって携帯をひらくと着信メールが一件あった。知らない人なのかメールアドレスが表示されるだけで誰かは分からない。一瞬元彼を思い出したけれど、メールアドレスは驚くほど簡素ですぐに違うなと思った。それにメールアドレスは英語っぽく、どっかの誰かみたいにローマ字読みじゃなかった。

 誰だろうと思いながらメールをひらくと、今私が思ったままの感情がそこに刻まれていた。『すみません、ボタンを押し間違えてあなたのメールアドレスを受信してしまったようです』ただ少しだけ丁寧語になっているけれど。多分彼も私の名前を見て「誰だろう」と思っただろう事がそこからありありと見て取れた。……別にメールなんてよこさなくても、そのまま消せばよかったのに。億劫な気持ちをそのまま吐き出しながら、私はしぶしぶ返信ボタンを押す。『お返事が遅くなり申し訳有りません。私も間違えて送信してしまったようです。お手数ですが消していただけると嬉しいです』それだけ書いて、見直すことなく送信する。たとえ敬語が間違っていようがどうでもよかった。とにかく眠たかった。




 数分を待たずして、携帯が震える。見ると、さっきの人だった。『分かりました。でも不思議ですね。周りには人は居なかったので、ちょっとだけイタズラかと思いました』……この人は短い要件だけの電話ができない人なんだろうかと思う。分かりましただけで終わればいいのに。徐々に醒めてしまった眠気に溜息をつきながら、私は思わず「電車に乗っていたので、そのせいかもしれません」と返してしまった。送信しましたという文章を見て初めて、私は自分自身が寂しがっていることに気づいた。前々から危ない危ないと思って心構えはバッチリしていたはずなのに、いざ別れてみるとやっぱり私でも寂しいらしい。


 自分自身の身勝手さに辟易しながら、私は携帯を閉じて目を瞑る。何分立ったかはわからないけど、しばらく立ったらまた携帯が振動した。「分かりました」なんて言ったけど、この人は本当にアドレスを消したんだろうか。ちょっと疑わしく思いながらも、私はメールを開く。『俺も電車に乗ってたんです。でも周りには先輩しか居なかったし、赤外線は1メートル以上は届かないはずです。もしかしたら、どちらかの携帯に異常があるのかも知れません』という随分と長いメールが来た。私はそんなメールを読みながら、この人男だったのかと変なポイントにダメージを食らっていた。……いや、別にいいんだけど。



『そういえば私の周りにも誰も居ませんでした。ありがとうございます。明日、ショップに行って聞いてみますね。それではお手間を取らせてすみませんでした』絵文字も何もない文面は、驚くほどに白くて笑ってしまう。あと数回ボタンを押してメールを遡れば、ハートマークやキラキラマークまで出てくるというのにこの温度差はなんだろう。自嘲しながら送信して、私は今度は電源を切って横になる。醒めたと思った眠気は案外すぐ襲ってきた。でも当たり前だ。昨日は寝ていないんだから。そう思いながら、私はそっと眼を閉じる。誰にも邪魔されることなく夢を見ない程の深い眠りは、自分でも驚くくらい気持ちよかった。


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