Monochrome | ナノ

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目を覚ませば真っ白な小さな天井が広がっていた。死の世界の天井は随分と小さいと思ったらなんだか可笑しくて笑えてしまった。


体中に引きつるような痛みを覚え、私はようやくここが死の世界じゃないことを認識する。
重いまぶたを押し上げて、視界に入ったのは天井だけ。何度か体を動かして状況を確認しようとしたものの、体に引き裂かれるような痛みを感じて寝返りすらまともに出来なかった。

ここは何処なんだろう辺りを必死に見回す。と言っても視界の端に意識を集中させるだけしかできなかったけれど。そこは、随分と狭い部屋だった。まるで倉庫みたいな小さな部屋……いや、掛けるところがあるからクローゼットか。話にはよく聞く、ウォークインクローゼットというやつらしい。窓があるらしいそこは遮光性のありそうな白いカーテンが引かれていて、今が昼か夜かもわからない。
とにかく自宅じゃないことは確かだったが、どうして自宅以外の場所に横たわってるのだろう。考えても、あまりに長く眠っていたため、脳がうまく働かない。でも残念なことに、私の脳はすぐにその理由を思い出し状況を何となくだけど把握してしまった。そして漏れ無く思い出したことを後悔した。



 巨大カマを振られ『殺す』と言われただけで記憶が吹っ飛ぶような笹川京子ちゃんになりたい。いっそこんな状況忘れたかった。二度も死にかけて、しかもこの様子だと監禁されかけているなんて状況。忘れてしまったほうがどれだけ楽だろう。


 肌が裂ける様な痛みを感じながら、必死になって体を起こす。驚くことに、私の体の傷は手当てがされていた。一瞬雲雀恭弥がやったのかと思ったけれど、すぐにそんな甘い考えは捨てやった。あんな風に一方的に暴力を仕掛けてきた人間にまだ期待するなんて、私の頭もずいぶんオメデタイらしい。――そんな甘い話、物語でもなければあるはずないのに。



「……い゛っ…」


 這うようにしてドアの前に行くけれど、何かで戸が抑えられているんだろうか。引き戸のそれはどんなに押してもびくともしなかった。……どうやら、逃げられないらしい。諦めて地面に突っ伏しながら、私はうまく回らない頭をフル回転させて考える。

 彼はしきりに「どうやって侵入したのか」を聞いてきた気がする。という事は、私はその理由を知るために生かされているというわけだ。そして治療がしてあるという事は、少なくとも私をすぐに殺すという事はないらしい。……逃げられないという事は絶望的だけど、それならまだ救いはある。とりあえず私は、この訳のわからない中咬み“殺”されずにはすんだ。あの雲雀恭弥を見れば、それだけで十分儲け物のような気がする。でも同時に、とても辛い。早く家に帰りたい。このわけのわからない状況から抜け出して、「こんな夢見ちゃった」と笑い話にしてしまいたい。お母さんの作ってくれた朝ご飯が食べたい。



「……うっ…ぁ…」



 熱い涙が、鼻を伝ってフローリングに落ちる。自分の体内から流れたのに、その涙は凄く厚く感じた。熱でもあるんだろうか。そういえば首や頭が異様に熱い。だけどこんな状況で看病されると思うほど、私も馬鹿じゃない。――ここで死ぬんだろうか。一瞬そう考えて、悔しくてまた涙が出た。


 クローゼットの向こうからは足音が響いている。見張りか、雲雀恭弥か。そんなことを考えていると、野太い声が「ん?」とすぐ扉向こうで響く。風紀委員。一瞬その単語が脳裏をよぎった。ガチャガチャと金属音が響くたびに、クローゼットのドアが揺れる。なるほど、チェーンで固く縛られているのか。閉じ込められている私はやけに冷静になりながら、状況を分析した。救いなことは、ドアの向こうの人が何者か、そしてどんな目的で換金してきたのか大体わかっていることだ。分からなかったら、今頃悲鳴を上げてた。



「なんだ、起きていたのか」



 風紀委員がドアを引き、向こうの明かりが舞い込んでくる。向こうの照明はこの部屋のより白っぽく、それがやけに眩しく感じた。風紀委員はすぐそこに私の頭があるとは思わなかったんだろう。頭をふまれてしまった。向こうも驚いたのか反射的に謝罪の言葉を言いかけた様子だったが、すぐにそれは口ごもって喉の奥へと消えてしまった。当たり前だ。私は彼らにとって『処罰対象』なのだから、謝るのはおかしい。


「おい、起きているのか」

 風紀委員は私の髪をつかむと、乱暴に持ち上げた。泣いているのが予想外だったんだろうか。彼は私の顔を見て、一瞬顔をこわばらせた。よく見てもその人の顔に見覚えはない。というか、私は草壁さん以外の風紀委員を知らないんだから当たり前だ。
 風紀委員は咳払いすると、おとなしくしてろよと私をクローゼットの真ん中に投げ入れた。全身に痛みが走り、私はろくに声を上げることもできずに悶絶する。涙でかすむ風紀委員は、根はいい人なんだろう。少しだけばつの悪そうな顔でこちらを見ていた。そして少し考えるようなそぶりを見せ、私の腕を取りずれた包帯を綺麗に直してくれた。


「痛むのか」

 独り言のような言葉を、風紀委員がふと零す。よく見れば包帯の治し方がとてもきれいで、私はなんとなくこの人が治療してくれたんだと思った。「だい、じょうぶ、です」と痛みを我慢しながらうそぶくと、彼は少しだけ困惑した表情を見せた。そして包帯を直して行き場を失った手を、私の額に寄せた。



「酷い熱だな。いつからだ?」
「……起きたら…熱くて」


 必死に声を絞り出しながら、この人はどうして肝心なことを聞かないんだろうと疑問に思う。この人は、私から情報を引き出すために見張っていたのではないのか。いろいろな疑問が頭をよぎりながらも、彼の強面の中に感じる優しさがとても嬉しかった。彼は私を少しだけ一瞥した後、「待ってろ」とだけ言い残して踵を返す。しかしすぐに毛布を抱えて戻ってきて、一枚をクローゼットの床にひいた。そして何の合図もなく私の体を持ち上げると、その上に置いてくれた。そしてもう一枚の毛布をそっと私に掛ける。「ありがとう」と思わずついて出た言葉に、彼はいまさらのように慌てた。



「委員長の命令だ。お前を死なせてしまっては、意味がないんだ!」
「……でも、ありがとう…」

「お前が何故委員長の家にいたのかは分からない。…が、委員長はひとまず今はお前を殺す気はないとのことだ。安心して休め」
「……はい」

「俺は正直生き残ったお前が信じられない。見た限りじゃどこかの手先というわけでもない。本当に、どうしてあんなところにいたんだ」
「……わたし、は」



 厳しい目を向けてくる彼に、そうたやすく嘘はつけそうにない。けれど本当のことを言ったところで、信じてもらえるとも思えない。……いや、むしろ敵視される危険性もある。分からない。私は彼に、なんて答えるのが正解なのだろう。


 考えあぐねている私は、ふと彼の向こう側にたたずむ人影に気づく。一体いつからそこに居たのだろう。物音ひとつ立てずに、彼は優しい風紀委員の後ろにたたずんでいた。容赦なく振り上げられた腕には、鈍い銀色が光っている。



「あぶな、」
「ぐあぁぁっ」


 知らせようとした言葉がすべて紡がれる前に、一瞬でその銀色は風紀委員の頭に振り下ろされる。風紀委員はわずかに痙攣したのちに、動かなくなった。悶絶どころの騒ぎじゃない。下手をしたら死んでいるかもしれない事実に、私は声にならない悲鳴を上げた。冷たい雲雀恭弥の視線が、私と私の体に掛けられた毛布を往復する。


「僕はそんな命令、した覚えがないよ。君は風紀委員に要らない」

 彼は仲間の筈の風紀委員に容赦なくそう吐き捨てると、初めに風紀委員がした時よりさらに乱暴に私の髪を鷲掴みにされ引き上げられる。動かすだけで痛い体が、それでも立たなければいけない体勢に悲鳴を上げる。いやだ、こわい。先ほど風紀委員にされた時には全く感じなかった恐怖が、体を支配する。逃げなきゃ殺される。頭では殺されないことは分かっているのに、体は死に恐怖するようにガタガタと震えていた。彼はそんな私を見て僅かに目を細める。そしてポケットに片手をやると、見覚えのあるものを取り出した。息が詰まりそうだった。



「これは君のかい」


 彼が手にしていたのは私の携帯だった。けれど白蘭によって着替えさせられた制服のポケットにそんなものを忍ばせた覚えはない。どうして。思わずつぶやいてしまった私に、彼は無機質な笑みを浮かべた。予想があたったというその表情に、私は嫌な予感が走る。もしかしたら今私はものすごい失敗をしてしまったんじゃないか。予感が現実に変わるのを恐れて言い訳を考えようと口を開こうとしたが、鋭い眼窩に言葉が震えた。



「コレ、調べさせてもらったけど、なかなか興味深かったよ」
「それ、は、私のじゃ…」

「苗字 名前。身元を調べたかったけど存在しない会社の機種でわからなかったよ。用心深いんだね、君。メモリに入っている人間には一切通じないみたいだし」
「えっ?……あ」


 通じない。その事実の重さに愕然とした私は、再び同じ失敗を重ねてしまった。けれどもう遅い。口に出してしまった動揺は、今消した所で彼の記憶から消えてくれるわけじゃない。


「……へぇ。ダミーかと思ったけど、その様子じゃあ違うみたいだね。」
「かえ……返して、ください」

「君は自分の立場を分かっていないのかい?」


 一体いつの間に出したのか。彼の手に合った携帯は姿を隠し、銀色が鈍く光っている物が不健康そうなほど白い手に収まっている。危ないと思う暇もなかった。私の頬にめり込んだトンファーは最期まで振り上げられ、私は窓の下まで吹き飛んだ。カーテンがふわりと揺れ、外の夕焼けを少しだけ映しだす。血みたいな色だと思ったのは、頬の痛みのせいだろうか。それとも私の心が、この現実に折れてしまっているからだろうか。血に濡れた空がやけに遠く感じて、涙が溢れでた。



「ガハッ…ゴホッ……」
「どこの手の人間かしらないけれど、並盛の風紀を乱す君は咬み殺す」

「……わた、私は…」
「…まぁその前に、君には聞きたいことがたくさんあるけどね。じゃあまずは手始めに、何が目的か聞こうかな」


 痛みに目が開けられなく、私は彼の言葉をうずくまりながら聞いていた。若干脅しが入っているけれど、言葉自体は至って普通の質疑応答だ。普通に答えてしまえば解放されそうな雰囲気さえ感じる。けれど涙に濡れた視界で彼を見ると、どうしてもその希望は握りつぶされてしまうようだった。

 怖いと思うのに言葉がでない。話してしまえばいいと思うのに私は彼が納得出来るような言葉を知らない。『異次元からあなた達の未来を壊すために送り込まれました』という真実を、彼は真実とは思ってくれるだろうか?答えは希望的観測を考慮しても否だ。運が良ければ殺されて、悪ければ永遠と拷問されるだろう。死んだほうがいいと思えるほどに。


 迫り来る恐怖に涙がでる。失禁してもおかしく無い雰囲気に、私の体はまるで壁に縫いつけられたかのように固まってしまった。逃げたいという気持ちがあるのに、体が追いついていかない。いつの間にか両手に握られたトンファーの片方が振り上げられる。逃げるよりも先に目をつぶった私は、電車が迫り来る中線路で凍りついた猫のように無力だった。


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