Monochrome | ナノ

(5/6)

 黒い学ランに、風紀の紋章。上の方から短い髪。細くつりあがった目の奥の、少し茶色がかった瞳に灯った、残虐性。
私はこの人間の名前を知っている。いや、紙面上だから人間と言うよりか、人物やキャラクターと言ったほうが正しいのかもしれない。…だけどその人は、私の知っている彼とは随分と違っていて。紙面ではときめかせていた心臓は、今は別の意味で高鳴っている。


 正直に言えば、本当は優しい人だと思っていた。
 風紀を守るためとはいえリング戦では山本武を守っていたし、未来編ではツナの教師もしていた。ヒバードだって懐いていた。聞く話によると21巻以降ハリネズミもペットにするらしい。動物に好かれる=実は優しいとか、思っていたりした。
もっと言えば原作では女の子を襲うシーンだってひとつもない。だから女の子には実は優しいのかな?とか、そんなことを思いながら私は甘い夢世界に浸りきっていた。彼のその性格を、ツンデレという枠に勝手におしこめていた。


つまり私は、彼、雲雀恭弥を完全に侮っていた。



 全身から漂う、剥き出しの苛立ちや殺意。
静止画では分からなかった彼の生きた眼力は、色っぽい展開を期待することも難しい。むしろ恐怖以外の何者も感じさせないほどの威圧感を持っていた。


 ゆっくりとした動作でトンファーを構える彼と対峙して、私は初めて彼の恐怖を知った。
紙面では、何でこんなにかっこいい雲雀恭弥にときめく女子の描写がないのだろうと不思議に思っていた。女子は順応性が高く、かっこよければどれほどの悪だったとしても『自分だけには優しいかもしれない』という馬鹿げた一抹の期待を抱く生物だ。だから、そんな馬鹿な女の描写があってもしかるべき――と思っていたけど、これなら納得だなと他人事の様に思った。


 静かな表情の奥に潜んだ凶暴性は、彼の整った顔を『かっこいいか否か』という以前の問題にしている。
ああこれなら、町の人間だってこんな人が道を通ればあけるだろう。私は初めて、廊下で怯えながら雲雀を避ける女子の気持ちを理解した。


恐怖以外の何者も感じることが出来ずに、私はただ腰を抜かした状態で雲雀恭弥を見上げるしかない。
そんな彼は私をゴミでも見るような目つきで見下ろし、眉根を寄せる。そして一瞬の躊躇(チュウチョ)も無く、再びトンファーを振り上げた。


一瞬だった。
腹部に鋭い衝撃は走り、私の口からは「カハッ」という言葉にならない音と赤い筋の混じった唾液が零れ落ちる。
鋭い痛みが引くと、今度はズンとした鈍い痛みに変わり、私はあまりの苦痛にその場にのたうち回る。床にこすりつけた額を必死に上に向けると、彼は、雲雀恭弥は酷く汚い、まるでゴミでも見るような瞳で、私を見下ろしていた。


「聞いてるんだけど。君はどうしてここにいるんだい。どうやって侵入したの」


 彼の白い靴下が、うずくまった私の首の後ろに当たったかと思うと、グッと彼の体重がかかった。
頬を痛いくらいに風呂場の床にこすりつけながら、私は何とか声を出そうと必死に息を吐く。しかし、言葉の出し方を忘れてしまったように、私の口からは息の詰まったような、変な音しか出なかった。そこでようやく、私は彼に『喉』を踏まれていることを自覚した。答えさせる気がないのか、その力は加減というものを知らない。

 彼の足が少しずれた瞬間、鈍い痛みが瞬時に鋭い痛みに入れ替わる。不幸なことに彼が踏んだ場所は、先ほど銃弾が掠めた場所だった。それに気づいているのかいないのか、彼はそこだけを親指の爪先を立て執拗に押さえつけた。


痛い。痛い。いたい!
あまりの痛みに涙がにじみ、床に押さえつけられて声が出ない唇から声にならない悲鳴が漏れる。もしこれが夢だとしたら、とてもリアルな痛みだ。……いや、もう痛みを痛みと感じている以上、どうやら夢ではなさそうなんだけど。


…でもじゃあ一体、これは何だというんだ。

私は夢小説の主人公みたいに、「リボーンの世界にトリップしちゃったんだ!」とは思うことはできなかった。
そんなのは所詮、物語だからこそいえるセリフだ。物語の中だからこそ、切り離された家族を思う心だとか痛みだとか苦しみだとかは描写されない。というか、そんなものはそもそも必要ないのだ。そんなものグダグダ描写したところで、読者が待つ恋愛的な展開にはならないのだから。

だけど三次元の私は違う。苦しいのは嫌だし、慣れた部屋で休みたい。なれた家族と暮らしたい。高校にも通いたい。それがなくなるなんて嫌だと思う。シチュエーションを楽しんでいるだけで、物語に本当に入ってしまう事なんてリアルの私は塵ほども望んでない。つまり私は、この状況を信じたくないのだ。



 …だけど。
漫画と同じようなアニメ顔の姿のまま、彼は私の前にいて、私を無表情のまま足蹴にしている。しかもアニメ版の声優さんの声のまま、「ねえ聞いてるの?」と、繰り返している。――この説明は、一体誰がしてくれるんだろう。
まだ、リアル三次元者のような写実的な姿だったらコスプレなんだと言い聞かせることができた。けれど彼は私の期待を裏切り、本当にアニメや漫画の顔のまま立っていた。さっきまで対峙していた白蘭とは違う、二次元特有の体や骨格のラインは誤魔化しようがない。


 彼は、疑問形式で言葉を発する割りに私に答えさせる気がないのか、足を首裏から離すと、今度は腹部を力いっぱい蹴り上げた。
ここは二次元なのか、夢なのか。そう考えていた私の思考は一気に真っ白になり、後に広がる痛みにより現実に引き戻される。グンとうずくまっていた体は持ち上がって真後ろに吹っ飛ぶと、お湯の入った浴槽の中へとダイブした。



急なことに受身さえ取れず、私は呼吸さえままならずにお湯の中に頭から突っ込んでしまう。足と頭を浴槽の端に強くぶつけ、その衝撃で鼻と口にお湯が入ってきた。肌で感じるより熱く感じる液体に、思わず水の中で噎せてしまった。結果、私は空気をすべて失った。
 苦しさに喘ぎながら、私は必死に水面から顔を出そうとする。ゴボ、ゴボ。耳からは、水の中特有のボーっというくぐもった音が頭の中に響き、腹部と首の痛みがお湯の熱で強くなったような気がした。


 一瞬だけ顔を出せたけど、すぐに頭部分を何かにわしづかみにされ、一気に浴槽の床に後頭部を押し付けられる。苦しさに涙が出たような気がした。だけど水の中では自分が泣いているかなんて分からず、私は痛みと苦しさに必死に抵抗する。
数秒だったのか、数十秒たっていたのか。苦しさは次第にピークを通り越し、私を押さえつけていた手を必死にどけようとした腕に力が入らなくなる。目を開けると、不鮮明にぼやけた視界の中で、黒い髪と白い肌が揺らいでいた。苦しさはとっくにピークを越えていた。死にたくない、死にたくない。無我夢中で生にしがみつこうとする私に飽きたのか、ふいに頭部の圧迫感はやんだ。胸をつかまれ、一気に私の体は上昇する。


「フハッ……ゲホッ、ゲホッ…ぅぁ…ゲホッ」

急激な酸素に、私の肺は限界だと言うようにずきり、と痛み出す。
涙なのか、お風呂のお湯なのか。よく分からない生暖かい雫が頬を伝い、私の視界を更に歪ませてしまう。歪んだ視界で必死に『彼』の位置を確認しようと必死に目を開ける。けれど酸欠のためか白ずんだ私の意識では、黒いものを彼と断定するまでに酷く時間がかかってしまった。結果、私は次の一手に反応することさえできなかった。


 バキッという音がするとともに、頬に衝撃が走る。衝撃は一瞬で痛みへと変わり、痛みは一秒で恐怖へと変化した。


「答えないなんて、いい度胸だね。…まあいいけど。君はどうせ、咬み殺すから」


 彼は私の首根っこを鷲づかんで引き寄せると、酷く歪んだ表情でそう、微笑む。
ああ、彼がかっこいいなんて誰が言い出したのだろうか。彼が女の子に優しいなんて、どうして思ったのだろう。彼は私の体を壁にたたきつけるように、振り払う。私の力の入らない体はいともあっさりと壁にぶつかって、私の口からは再び、血の混じった唾液が零れ落ちた。
逃げよう。そう思って腕に力を入れて、壁に背を預けた状態で何とか上体を起こす。かすかに見える視界の中で、彼は少し驚いた表情を浮かべていた。

「ワオ。女の癖に、根性あるんだ。じゃあもっと、ぐちゃぐちゃにしてあげるよ。形も残らないくらいにね」


ワオ、ぐちゃぐちゃ、咬み殺す。

私は彼の言葉を反芻させるたびに、なんだか可笑しくなる。
夢小説におけるグチャグチャや咬み殺す、というのは、『恋愛の中のお仕置き的意味』、もしくは『卑猥的意味でR指定が施されるような意味』でしかない。しかし、今彼が使っているのは本当に『肉片にするぞ』という意味でしかなくて、私の脳内で描いていた夢と現実の差異にいっそ可笑しさすら覚えた。

振り上げたトンファーは、確実に私を殺しにかかってくるだろう。
ああ、死ぬんだろうか。あの白蘭と名乗った男に殺された雀のように。いともあっさりと、何の抵抗も出来ずに。私は震える指をきゅっと握って、迫りくる恐怖と痛みに、耐える準備をする。お母さんごめん。私のために作ってくれた朝食…ホットケーキは無駄になっちゃいそうだ。



「死になよ」


 彼がそういった瞬間、私は頬に引きつったような感覚を感じた。可笑しい。今一瞬、自分が笑ったような気がした。
しかし、ソレが何かと気づく前に、私の頬には円形状のトンファーの先っぽがめり込み、私はあまりの激痛に、視界が黒く覆われる。完全に黒に染まるその刹那、雲雀恭弥の驚いたような表情が、見えたような気がした。あるいは、気のせいだったかもしれないが。
私はゆっくりと落ちていく黒に身をゆだねながら、お母さんの作ってくれるホットケーキの匂いがしたような気がして、思わず涙があふれた。


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