Monochrome | ナノ

(2/6)

 朝の5時半。いつも寒々しく感じる早朝の空気が、今日はやけに心地よく感じた。外に出ると空はまだ深い藍色をしていた。近所の家の人たちもまだ起きていないようで、犬の鳴き声さえしない。そこへ私はスッピンジャージというあまりにラフすぎる格好で突入する。本当に今日はジョギング日和だ。


 この早朝ジョギングは私の日課の一つだった。
受験勉強で凝り固まった体を動かすためと、同じ理由でたるんだ体を引き締めるため。そんな理由で始めたランニングだけど、完全おひとり様だから最初は随分辛かった。私の近所にはあまりいないけど、ランニングコースには仲のいい老夫婦ばかりの散歩コースがあるのだ。そこを単身で乗り込んでいくのは、最初はだいぶ勇気がいった。まあ今では早起きする近所のおじいちゃんやおばあちゃんと顔見知りになり、「名前ちゃんはいつも偉いねえ」と声をかけられるため、恥ずかしさも感じなくなってしまったけれど。

片道4キロのおなじ町内の神社まで行って、そこで少し休憩して歩いて帰ってくる。これが私の定番メニューだ。最初は時間内に神社までいけずに引き返していたけど。今ではもう少し量を増やしてもいいかな、と思えるようになってきた。これは大きな進歩だ。昔の私なら、トラック一周程度でバテバテになってしまっていたから。


「はぁ、ついた…」


 神社の最後の一段を登りきる。 息を整えながらポケットに入れてきた100円を自販機に転がし、いつもの様に神社に何故かある自販機で水を買う。水ぐらい持ってきてもいいけど、走っていると邪魔だからここで買うようにしている。私は取り出し口から水の入ったペットボトルを引き抜くと、いつもの様にいつもの休憩場所へと向かった。

 小さい林の部分の先にある小さな高台になっている場所。其れが今一番の私の好きな場所だ。
町を一望できるその場所は、私の知るこの町の隠れ絶景スポットの一つで、日の出が出るまでここにいるようにしている。そんなに広くない町だけど、ここから見る日の出は本当に綺麗だと思う。一日をがんばろう、と思えるくらいに。

私はいつもの木の幹に背中を預けて、水を半分ほど飲み干した。日の出までにはまだもうすこし時間があるから、もう少し休憩できるかな。そう思いながら、少し疲れた両足を揉みほぐす。しばらくすると、ふと後ろに人の気配を感じた気がした。


 ここに人がくると言うのはよくあることで、ご年配の夫婦なんかが朝一番にこの神社に来てお参りをするなんて日常茶飯事だ。特に気にすることも無い。だけど私は、何故だかそこで振り向いてしまった。何も考えずに、何も思わずに。


そして私は――思わず目を見張った。



 振り向いた先の林には、誰かが迷った風にキョロキョロとあたりを見回していた。別にその行動自体はおかしくはない。おかしいのは、その人の風貌だった。予想していたよりも若い男の人で、外人だという事。そして奇抜すぎる恰好。そのどちらもがこの神社にはミスマッチで、私は思わず小さな声を上げてしまった。


 青みがかった白い髪は、ウニのとげのように外へとつんと向いていて、まるで近くに寄ろうとする人間全てを威嚇しているような雰囲気。身長は遠くてわからないけれど、見た感じではとても高そうだった。すらりと伸びた足が、モデルの人のようにきれいだ。
そこまでならただの綺麗な人だった。けれど彼の着ている白い、なんともいえないような洋服が彼の雰囲気を台無しにしていた。良くも悪くも、漫画でありそうな衣装。かっこいいから様にはなっているけれど、神社を背景にしているとやっぱり浮いて見えた。



 私の声に気づいたように彼はゆっくりとこちらを見る。微笑まれてしまい、私は思わず引きつったような笑みを返してしまった。
横向きでは分からなかった顔立ちのよさは、微笑むとまるで狐のような細い綺麗さを持っていた。遠くからでも分かる透き通るような白い肌に青い瞳。イギリス系というんだろうか。まるでサッカーの観戦者のように左目の下に三つ爪のペインティングをしていて、其れが綺麗な容姿の中で凄く目立っていた。

いつまでも視線を逸らさない彼に、私は適当に会釈をかえす。すると彼は親しげな笑みを浮かべてこちらに一歩、踏み出したはじめた。



 よく見れば彼は大きすぎるボストンバックを抱えていた。どう見ても観光者だ。嫌な予感に冷汗が流れる。観光者が地元民に話しかける内容は大体が道案内だという事を私は知っている。けれど私には、残念ながら道案内できるほどの英語力はない。英語担当を泣かせるくらいだから、その実力は折り紙つきだ。


 絶対に無理だ。自分の実力を把握しているからこそ、困っている彼を放置して逃げ出したい衝動に駆られる。そもそも英語云々より地理に疎いため、日本語だって地元をうまく説明できない。そんな私が英語で道案内なんて無理に決まっている。……逃げてもいいだろうか。そう思って立ち止った瞬間、彼はまるで私の思いを読んだかのように軽快なステップで私との距離を一気につめた。さすがモデル体型。モデルのような長い脚にかけたら、こんな距離数秒と掛らなかった。
 彼は私の前で足を止めると、私と視線を合わすようにしゃがんだ。そして明らかに動揺している私に彼はにこりと微笑んでみせる。


「こんにちわ、名前ちゃん」


「あいぐぎゃ…い゛?」

 その外国人さんの口から出てきたのは、予想外の日本語だった。驚きすぎて用意していた私は英語を理解できませんよという言葉を舌ごと噛んでしまった。悶絶する私に彼は静かに含み笑いをこぼした。穴があったら入りたいぐらい恥ずかしい。だから私は気付けなかった。初対面の筈の彼が、私の名前を口にしたことに。



 彼は「どうかしたの?お化けでも見たような顔して。あと舌大丈夫?」と軽い調子で笑って見せた。
私はそれに「だ、大丈夫です」なんて答えながらも違和感を感じていた。何となく、彼の声に聞き覚えがあるような気がしていたからだ。柔らかい、其れで居てどこか威圧感のある声。ドラマだったか、映画だったか。よく思い出せない。



 私は近づいてきた彼をよくよく見ると、徐々にその違和感に気づいていく。
身の丈にあった細身の白い服。肩口にはなにやら硬そうな金属製の物があしらわせていて、なんだか重そうな印象を与える。そんな洋服というよりはどちらかというと衣装に近いその服にどことなく見覚えがある。しかも彼の髪型と頬のペインティングにも見覚えがある気がした。


 黙って違和感の原因を探る私に気づいたのか、彼はにこりと笑いながら「分からないかなあ」と飄々と言ってのける。
分からないも何も初対面じゃないですか!と思わず口走りそうになって、止めた。なんとなく、細められた瞳から鋭い恐怖を感じさせる何かを感じた気がした。だけどそれは一瞬で、瞬き一つ分の時間で消えてしまったけれど。
私が「どこかでお会いしましたか?」とやんわりと彼に言うと、彼は「やだなあ、未来では愛し合う仲なのに」となにやら不穏なことを笑顔で口にしだした。その瞬間、ゾクッと体に鳥肌が立つのを感じた。やだ何この人。新手のナンパ?それとも電波?


 若干逃げ腰になった私に、彼は右手を差し出す。
そこには一つの指輪がはめられていた。そこで私はようやく、彼が「どういった人であるか」というのを理解した。その指輪は、間違いなく私が今密かにハマっている漫画にでてくる敵役の物だ。彼は「わかった?」と嬉しそうに笑うから、私は呆然としたまま頷いてみせる。彼は、少し嬉しそうだった。


「というわけでさ、僕らの仲間になってよ、名前ちゃん」

 その言葉に少し違和感を感じたけれど、明確にどこが変なのか分からない。彼は本当は知るはずの無い名前を2回も口にしているのだけど、あまりに自然に呼ぶために、其れに気付くことができなかったのだ
私はとりあえず彼を見ると、震えそうになる心を必死に牽制する。声を震わせたら負けだと思った。できるだけ毅然とした態度に見えるようにぴんと背筋を伸ばすと、彼の藍色の瞳をまっすぐに見つめ返す。心なしか、少しだけ彼が動揺したように見えた。けれど、屈するわけにはいかなかった。私は、彼らの人種になるのはもう卒業したからだ。



「えっと…すみません!私、コスプレには興味ないんですっ!」


 言い切った!となんともいえない達成感を感じながら、心の中でガッツポーズする。
昔から街頭のビラを受け取ってしまうタイプなのだけど、今私はここで変われたらしい。これでこの人どこかいってくれるぞ!と意気込みながら前を見ると、彼はなんともいえない表情を浮かべていた。そしてきょとんとした表情で、「なんのこと?」…と、私の勇気をぶち壊しにする一言をいとも簡単に言ってのけた。


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