多田 | ナノ




▼12/08/05 Sun:

 
 ずるいと文句を垂れそうな口を慌てて噤むと、頭が俺よりも1つ分大きい吉岡はその先を察したように目を細めた。馬鹿にしたようなその視線は、まるで獲物を定めた肉食獣のように鋭く容赦がない。しかし俺はずっと胸の奥で燻っていた思いが、まるで子供の捨て台詞のような言葉だったことに愕然としていた。ずるいってなんだ。ずるいって。思わずファンタジー小説に出てくる自虐的な妖精のように自分の頭を殴りたい。俺は吉岡が只々羨ましかったらしい。中山と幼馴染であるという関係が、中山と唯一名前で呼び合える関係が、俺には喉から手が出るほど欲しかったのだ。



「何だよ。言いたいことがあったら言えよ」


 吉岡が口を開く。その言葉には明らかに敵意が含まれていた。吉岡忠義は幼馴染である中山涼子に好意を持つ男に容赦がない、という噂は聞いていたがまさかここまでとは思わなかった。奴の拳はいつ俺の顔にめり込んでもおかしくはない程に固く握りしめられていた。モデル経験があって普段ちやほやされている俺には、吉岡の拳を避けれるだけのフットワークも瞬発力もない。というか、見た目で取り繕ってはいるが俺は完全なるもやしだ。見た目が悪ければオタクと言われる人種であり、50メートルを8秒すら切れないほどには運動音痴である。つまり、これは完全なる負け戦だった。


 けれど俺は負けるわけには行かないのだと、同じように拳を握る。吉岡は俺の反応が意外だったのか、片眉を上げた。小馬鹿にしたようなその態度に怖気づきそうになるが、ここでヘタれる訳にはいかない。恐怖を呼吸で吐き出すと、190もある吉岡の目を見上げた。



「俺は、中山さんの事が好きだよ」


 その言葉が言い終わるか言い終わらないかの内に、吉岡の「嘘だな」という声がピシャリと俺の言葉に平手打ちをした。吉岡の目は先程より細められており、半身は今にも殴りかかるかのように少しだけ引いていた。



「第一、お前と涼子じゃタイプが違いすぎるだろ。似あうどころか全く合わん気がするが」
「……そんな事は」
「知ってると思うがあいつは真面目だ。からかうならお前と同類の軽い女を探せ」


 取り付く島もないその言葉に、若干のいらだちを感じ始めているのは気のせいじゃない。俺と同類の軽い女って、一体どういうことだ。俺の眼の色が変わったのが分かったんだろう。吉岡はふっと鼻で笑った。それが、俺のいらだちに拍車をかけた。なんだよ、お前だってこのご時世に珍しく婚約者がいるじゃねぇか。思いはそのまま言葉になって、言葉は棘のように鋭く尖り吉岡の表情を一変させる。驚愕という言葉が似合うほどに見開かれた目の奥にはバツの悪そうな色が見え隠れしていた。



「お前、それをどこで…」
「海川めぐみ本人から聞いたよ。婚約してるんだよって」

「チッ…あいつ、余計なことを」
「軽いってなんだよ……寧ろ軽いのは、吉岡だろ!婚約者もいるくせに幼馴染も自分のものみたいにして、それで中山が幸せになれんのかよ!」

「…山中」


 吉岡が俺の苗字を口にする。好きな人の苗字を入れ替えただけの自分の苗字はとても気に入っていたが、それを吉岡に言われるのは何だか癪に障る。何だよ。乱暴に返すと、吉岡は小さくため息を付いた。


「婚約はな、親が勝手に決めたことだ。それも、決まったのは一年前のことだ。そこに俺の気持ちはない」
「……開き直るのかよ」

「お前に何が分かるんだ」


 吉岡の声に、明らかな怒気を帯びた。やばい。そう思うと同時に左頬に鈍い痛みが走る。気がつけば俺の右頬は地面にへばりついていた。殴られた。地面から見上げた吉岡の顔は言葉に含まれた苛立ちとは裏腹に泣きそうな顔をしていた。そしてその奥で、一人の女の子がまるで貼り付けにされたように立ち尽くしている。俺は目を疑った。どうしてここに居るんだ。今は体育の授業中だ。チャイムが鳴ったわけでもない今、真面目な彼女がここにいる理由なんてない。無い――はずなのに。

 しかし吉岡はそのことに気づかない。気が付かないまま、思いを紡ぐ。後ろの女の子は泣いていた。何が悲しいのかポロポロと、ぽろぽろと、只々溢れ出る涙を拭っていた。


「俺は、涼子のことを守る義務がある。婚約者が居たところでそれだけは変わらない。お前みたいな軽い奴に、何が分かる」
「……吉岡は」

 聞いてはいけないことだ。そう思う。後ろで最愛の人が苦しんでいるのだから、俺は真っ先に彼女を慰めてあげるべきだ。けれど建前は湧き上がる興味には勝てなかった。俺は予想できるどの方向に転んでも彼女を傷つけるであろう言葉を、吉岡から引き出そうとしている。



「吉岡は、中山さんのことが好きなのか?」


 吉岡の大きな背中に注がれていた中山さんの丸い目が、ようやく俺の方に向く。「やめて」その瞳が彼女の胸に秘めた言葉を如実に語っていた。だけど俺はやめるつもりはない。吉岡の気持ちを知ることも、中山さんを傷つけることも。そしてこれから先、中山さんに片思いをし続けることも。


「……俺は」

 吉岡が口を開く。中山さんの口がわずかに開いた。吉岡の言葉を止めようとしていることは明らかだった。俺は彼女に止められるのが怖くて、荒々しく「どうなんだよ!」と彼女の言葉を遮った。急かされた吉岡は苦虫を噛み潰したように表情を歪ませた。泣きそうなつり上がった瞳が、何かを押し殺すように固くつむられる。


「俺は、俺には、そう思う資格がねぇんだよ!昔嫌な思いもさせた。婚約者だっている!自分の手で幸せにできねぇなら、せめて嫌な思いをしないように守ってやるしかできねぇんだよ!」
「それは、婚約者に失礼じゃねぇのかよ」

「…海川には話してある。…いいんじゃない?って笑ってたよ。どうせ親が決めた婚約だ。お前らが想像するような思いはねぇんだよ」 
 


 自虐的な色を見せる吉岡に、それは違うと言いかけた言葉を胸の奥に追いやった。
吉岡は勘違いをしているのだ。婚約者の海川めぐみは本当に吉岡のことをすきでいる。「だって許すしか無いじゃん」そう言って泣きながら笑う海川は、表情を歪める今の吉岡やその後ろで声を殺して泣いている中山さんより悲痛な顔をしていた。「言わないって、約束して」そう訴える海川の表情を思い出して、俺は拳に力を込める。


 どうしてこうも少女漫画のように、綺麗にこじれた関係を保っているのだろうか。中山涼子、吉岡忠義、海川めぐみ。誰も幸せにできないこの関係を壊せるのは、部外者しか居ない。けれど今までは部外者は吉川によって排除されてきた。だから誰一人幸せになれていない。海川も、吉岡も……そして、中山さんも。


 嗚咽をこぼした中山さんの声にようやく気づいた吉岡が、振り返ると同時に表情をこわばらせる。俺が立ち上がったことも気づいていないのだろう。吉岡は只々口を開閉し、言葉にならない息を吐き出す。こんなこじれた幼馴染なら、俺はいらない。勿論名前で呼び合える関係は羨ましいと思うが、こんな関係なら俺はいらない。前言撤回だ。もう俺は吉岡をずるいとは思わないし、羨ましいとも思わない。俺は拳を握った。

「涼子、今のは、その」


 ガッという音とともに、言い訳を重ねようとする吉岡の体が少しだけ傾いた。俺のように吹っ飛ばない所を見ると、さすが体育会系だと思う。吉岡は目を白黒させて俺を見ていた。中山さんも、不意の出来事についていけないというようにぼんやりとした目で俺を見る。遠くで終業のチャイムが鳴った。俺はその声に負けないように、今までカラオケでだって出したことのない大声を力の限り絞り出した。


「俺が、中山さんを、幸せにするんだ!」



 だからお前は降板だ。そこまでの息は残念ながら続かなかったが、きょとんとしていた中山さんが「え?」と小さく声を上げる。そこには先程までの暗い表情はなく、目が腫れていること以外はいつも学級委員として明るく振る舞う中山さんだった。そんな中山さんを見て、吉岡は僅かに目を開いた。そしてたっぷり間をおいた後、チャイムが鳴り止むのを待ってため息をつく。今まで口論していたのが恥ずかしくなったのか、バツが悪そうに黒く短い髪をかきむしった。

 「……そのノリが軽いっつってんだよ」いくらか柔らかくなった吉岡の言葉に、中山さんが小さく笑ったのを俺は見逃さなかった。


疲れたのでここで終わる。

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