多田 | ナノ




▼12/04/14 Sat:

 
 ひりひりと突き刺さるような寒さが痛い。息は建物の中だというのに時折白く染まるし、外は猛吹雪のせいか建物自体が地震の様に小刻みに揺れている気もする。
 完全に服装のセレクトを間違ったことを痛感しつつ、私はジョーイさんのくれた毛布にくるまってポケモンセンターのロビーで丸くなっていた。傍らには同じように毛布にくるまったフシギソウが、心配そうに私を見上げてくれる。私はそんなに不安そうな表情をしているのだろうか。いつもの様に「大丈夫だよ」と笑って見せても、フシギソウは葉っぱを強張らせたまま私から目を離そうとはしなかった。


 ここはカントウジョウト地区で年間で一番利用人数が少ないとされるシロガネ山のポケモンセンター。閑散とした狭いロビーには、私とフシギソウのほかに誰もいない。いつもならジョーイさんがいる受付も、今はただ治療中という赤いランプが光っているだけだ。私の視線の先に気づいたフシギソウが、私を安心させるように体を私の方に寄せてくる。励ますように鳴いた声が、静かにロビーの中に響いた。



 私はこのシロガネ山に立入れる程強いポケモントレーナーでもなければ研究員でもない。そんな私がどうしてここに入れるのかと言えば、偏にヨーギラスの治療のためだった。
 恐らく生まれたばかりなんだろう、まだ小さいヨーギラスが家の前に捨てられていたのは一年前の事だった。もともとタマムシで研究者をしている父の研究所にポケモンが捨てられることはたびたびあった。けれどヨーギラスはこれまでのどのポケモンとも違う捨てられ方をしていた。段ボールにも入れられず、置手紙もない。そんな状態で、寒空の下出入り口の先に置き去りにされていた。一見しただけでは捨てられているのか行き倒れているかさえ分からない状況だった。


 それから半年以上、ヨーギラスは研究所で用意した土を食べてある程度元気になりシロガネ山に帰す話が出始めた。けれど私はヨーギラスと仲良くなりすぎてしまい、ヨーギラスは搬送される最中で抜け出してきてしまった。――それだけなら、まだよかった。けれど私はヨーギラスがまたシロガネ山に戻されるのが嫌で、その事実を家族に隠してしまったのだ。


 一番大変なのは餌だった。いい土を大量に手に入れることができず、次第にヨーギラスはそのあたりの土をつまみ食いするようになった。けれど文献には少しぐらいなら食べても大丈夫とあり、私はそれを信じ切ってむしろ当てにするようになっていった。私は一冊の文献の中のたった一節を信じ切って、その危険をろくに調べようともせずに黙認してしまった。――ヨーギラスが倒れるまでの2か月間、ずっと。



「――ごめん、なさい」


 何度目かわからない言葉を呟くと、フシギソウが悲しそうに眉根を寄せた。ぱたぱたとスカートの上に涙が落ちる。後悔は先に立たないというけれど、まったくもってその通りだ。できることなら二か月前の自分を張り倒したかった。食べてのいい土はあくまでトキワの森等の綺麗な土であり、タマムシの汚染された土ではいけないことを叫びたい。ぎゅうと握った拳は、寒さに凍えて白くなっていた。温めるようにフシギソウが頬を寄せてくれるけれど、変温動物の彼では私の温度が移るばかりだった。



「フシ!」
「…大丈夫だよ。というか、私は元々どこも痛くなってないよ」


 そういって笑うと、彼は二本の蔓を伸ばして私の頬をぬぐってくれた。優しい子だなあと、改めて実感する。
 思い起こせば旅に出た時からずっと、私はこの子にばかり頼ってきたような気がする。挫けそうな時は一生懸命励ましてくれて、本当に挫けてしまって家に帰るときは優しく受け止めてくれた。――本当は、もっともっと旅をしたかっただろうに。



「……迷惑かけるね、フシギソウ」


 そういうと、彼はいい加減にしろというように伸ばしていた蔓で軽く頬を叩いた。ペチ、と優しい音がロビーに響く。冷たい空気の中でのそれは意外にも痛かったけれど、彼の優しさがうれしくて私はフシギソウを両手で抱えるように抱きしめた。受付のランプは、まだ消えない。けれどいくらか緊張が和らいだのは、冷たい温度と一緒にフシギソウが吸い取ってくれたからかも知れない。



「――温かいものでも飲む?」


 フシギソウにそう聞くと、何のこと?というように彼は首をかしげる。私は彼を毛布ごと抱え込むと、気合を入れて立ち上がった。此処に座っていて気付いたのだけど、シロガネ山のポケモンセンターのロビーには自販機のようなものが設置されていた。
 フシギソウを抱えながら近くに行くと、ココアかお湯かお茶の三種類のとても小さな物で『ご自由にお飲みください』とシールが貼ってあった。どうやらお金を入れないタイプの物らしい。――さすがポケモンセンターだなあと思いながら、フシギソウ用にお湯を押す。カポンと紙コップが落ちる音がして、自販機独特のお湯を注ぐ音が静かなロビーに響いた。注ぎ終わったのを確認してコップを取ると、そのすぐ前の長椅子に腰掛ける。お湯の温かさを手に感じながら、ゆっくりとフシギソウのペースに合わせてたか向けていく。本当ならお皿に移してあげれればよかったのだけど、緊急搬送だったからそれらの準備をせずに来てしまったからしょうがない。『一週間から一か月はかかる』といった家族の言葉を思い出して、ぎゅうと胸の奥が痛くなった。……一体いつからだろう。悪いことをした時、怒鳴られるよりも静かに受け入れられた方がつらいと知ったのは。



 小さくため息をつくと同時に、バンッと凄い音がロビー内に響いた。思わず取り落しそうになったコップを、フシギソウがすんでの所で噛んで回避してくれた。さすが、私の相棒だと思う。
 恐る恐る音のした方……出入り口の方に顔を向けると、とても小さな隙間から滑り込ませるように男の人が入ってくるのが見えた。信じ固いことに、その人は半袖を着ていた。とてもじゃないけど、吹雪の山に挑む格好じゃない。ということは――遭難者、なのだろうか?


 そう思った瞬間、その男の人と目があってしまった。男の人は今にも倒れてしまいそうなくらい青い顔をしていたのに、私の顔を見るとそれでもとても驚いたように目を見開いた。その眼にびっくりしてしまい、私は思わずフシギソウをどけて自分の毛布を渡そうと彼のもとに駆け寄った。とても寒そうな彼はきょとんとした様子で私を一瞥すると、はは、と疲れたように笑った。


「あれ、僕まだ夢の中なのかな…。一日に二人もシロガネ山でトレーナーに会うなんて」
「……あ、あの!この毛布、よければ使ってください!」

「あー……いいよいいよ。僕はジョーイさんにもら…あれ?いない。って治療中か。あ、でもいいよ、勝手にもらってくるから。あーにしても空調効いてないね、ついでにいじってくるから待ってて。あと、こいつもお願い」


 彼は夢見心地な様子のまま捲し立てるようにいうと、少しぐったりとしたピカチュウを私の腕に押し付けた。その体は随分と冷たい。一瞬怖気のようなものが走ったけれど、ピカチュウの目が僅かに開いてほっとした。――よく見たらすでに治療がしてあるようで、ピカチュウからは軟膏のような独特のにおいがした。「大丈夫?」と聞くと、「ぴかぴ」と小さな声で答えてくれる。それと同時に、ゴオオと空調の音が大きくなった。そして奥から、二枚の毛布にくるまった先ほどの男の子が出てくるのが見えた。――どうやら彼は遭難者でもなんでもなく、むしろこのポケモンセンターの常連らしい。



「ありがとう。これ、お礼に貸してあげるよ。まだ温かくはならないだろうから」


 彼はそういうと、緑色のマフラーを差し出す。彼の首にはすでに白色のマフラーがかかっていたため、私は遠慮なくそれを借りることにした。柔らかい毛糸で編まれたそれは、とても暖かかった。

 ピカチュウを彼に渡すと、「大人しくしてたか」と彼はぎこちなく笑った。いくらか顔色は良くなったようだけど、それでもとても寒そうにがちがちと歯を鳴らしていた。「何か飲みますか?」と聞いてみると、彼は「じゃあ、ココアにしようかな」と表情を和らげる。私はココアを持ちに踵を返すと、警戒態勢でこちらを見ていたフシギソウと目があった。……忘れていた。



「うわあ、ごめんフシギソウ!慌てちゃって……さっき、お湯掛からなかった?」


 慌てて駆け寄ると掛かってないよとばかりにコップを持ち上げて見せる。…やっぱり、私のフシギソウはトレーナーの私よりも随分と頼もしい。よかったと彼の頭を撫でてから、ココアのボタンを押して彼を抱きしめる。葉っぱがいくらか強張っているのは、突然の来訪者に驚いたからだろうか。私にすり寄って甘えていても、耳だけはぴくぴくと動かして警戒を解こうとはしなかった。

 男の人は遠くでピカチュウといくらか話した後、ゆっくりと歩いてきて私の横にピカチュウを下した。そして出来上がったココアを自分で受け取ると、「寒かったー」とのんきにコップを口に付けた。正直雪山をあんな軽装で歩くなんて、寒いというレベルじゃないような気がする。最も、同じように服の選択を間違った私が言えることではないけれど。


「いやあ、本当にまいったよ。上着が飛ばされて拾いに行こうとしたらいきなりバトルを申し込まれてさ。でもすっごい強い奴で、昔に戻ったみたいに熱くなっちゃったよ」

「……だ、大丈夫なんですか?」

「勿論。昔は半袖で旅に出て真冬を乗り切ったから、ある程度は平気なんだ」


 な、ピカチュウ?彼はそういって笑い合うと、一気に熱いはずのココアを飲みほした。そしてピカチュウを抱きしめたまま眉間に皺が寄るくらい強く目をつむった。眠るんだろうか。そう思いながら、彼を覗き込む。赤い帽子に癖のある栗色の髪。どこかで見た事あるような気がしたけれど、うまく思い出せない。でもきっとシロガネ山にバトルをしにしているという事は、そうとう実力のあるトレーナーなんだろう。――ああそういえば昔、旅をすることに挫けて家に帰る道中テレビでやっていた気がする。私と同じ年のチャンピオンが一日に二人も誕生したって。そのうちの一人は、ここ一年くらい前にトキワシティのジムリーダーになったと聞いている。名前は確かグリーンさんだ。じゃあもう一人のチャンピオンの名前はなんだっただろう。確か、同じような色の名前の…。


「……あか」
「え?」

「あ、すみません。昔あなたをテレビで見たような気がして。もしかしてレッドさん、ですか?」
「あー……うん。そうだよ。よくわかったね。随分昔なのに」

「……あのチャンピオン戦、何度も特集で放送されてたんです。最後はカメックスとリザードンで、とても不利な状況なのに勝ってて」
「懐かしいな。…ああそういえば、最近テレビみた?新しいチャンピオンが誕生したんだね」

「あー…っと…。すみません、最近は見てないんです」


 言葉を濁した私に、彼は「そっか」というだけで特に追及はしてこなかった。受付の上の『治療中』のランプは、未だに煌々と光り続けている。その光がまるで今会話を楽しんでいた自分を責めているように思えて、私はとっさにうつむいてしまった。

 最近テレビを見なかったのは、ヨーギラスにつきっきりだったからだ。チャンピオンの事なんて、少しも知らなかった。家族も私が旅を中断してからというもの、そういう話を私にしなくなった。強くなれないというただそれだけの理由であきらめた私に、呆れているのかもしれない。


 口をつぐんだ私を彼はしばらく見ていたようだったけれど、しばらくして彼の視線は私から外れた。そしてピカチュウをそのままに立ち上がると、再び自販機の前に立った。ピ、という軽い音とともにお湯がコップに注がれる音がする。彼はそそぎ終わったそれを取ると、再び私の横に座った。そしてコップを、私の方に置いた。


「あったまるよ」


 彼はそういうと静かにピカチュウを膝の上に乗せる。ピカチュウはいくらか元気になった様子で、もうぱっちりと黒い瞳をのぞかせていた。それを見たフシギソウが、強張ったように葉を固くする。――きっとこのピカチュウは凄い強いんだろうなと、心の端で思った。
 旅に出てから間もなく、私は自分の無力さをひしひしと思い知った。そんな自信がなく消極的になっていた私を守ってくれたのは、やっぱりフシギソウだった。私を守るために人一倍周囲に警戒し、強い相手がいると回避しようと教えてくれたり戦ってくれた。いわばこれは、私が身に着けさせてしまった彼の癖だった。……本当に、私は何をやってるんだと思う。


 トレーナーとしても弱くって、研究者としても最低で。私は一体どうしたらいいんだろう。そんなことを考えていると、不意に目の前に甘いにおいが広がった。目を開けてみると、ココアが眼前に差し出されていた。思わず両手で包み込むと、暖かい蔓が掌に当たる。見かねたフシギソウが、差し出してくれたらしい。


「……ありがとう」


 そう小さく呟いて、コップに口をつける。久しぶりに飲むココアは思ったよりも甘く感じた。持ってきてくれたレッドさんにもお礼を言わなきゃと思うのだけど、唇が震えてうまく言葉にすることができなかった。空調は大分きいてきていて、もう寒くはないはずなのに。

 体を震わせる私の背に、何か温かい――まるで手のようなものが当たったような気がした。その瞬間治療中のランプが、小さく音を立てて消える。そしてカラカラとキャスターを響かせながら、酸素マスクをつけたヨーギラスとわずかに微笑んだジョーイさんが扉の向こうから顔をのぞかせた。


(多分続く)
フシギソウ可愛いよね、フシギソウ!151の中で一番です。でもライチュウもジュゴンもヤドランもゲンガーも可愛いし迷っちゃいますよね。まあみんな可愛いが真理ってことで!

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