Violinist in Hyrule




赤黒い泥が、あたり一面に渦巻いている。
悍ましい怨念の金切り声が響いて、耳を塞いでしまいたいのに、身体が言うことを聞かなかった。

「早く逃げろ」
「迷わずにお行き」
「僕らは置いて」
「走り続けて」
「私達が留めます」
「……急いで」

冷たい閃光が、皆の胸を貫く。
六人の鮮血が飛び散り、呆然と立ち尽くす○○へ降りかかった。生温い液体は確かな粘度をもって、彼女の頭から爪先までを、しとどに濡らした。
――こうなるはずではなかった。
戦慄く唇を、ようやく開くも、言葉は紡がれることなく、乾いた声が漏れるだけ。
――こんな結末になるくらいならば、いっそ、私は。



勢いよく開かれた彼女の瞳に、もはや見慣れたハイラル城の自室の、幾何学模様の描かれた天井が映る。
早鐘を打つ心臓と、妙に浅くなった呼吸の音が、煩いほど自分の耳の内側で響いていた。それらが落ち着くまでの間、○○は再び目を瞑る。
酷い夢だ。今までで最低と言っても過言ではない。

隣で眠っている友人が、なにやら寝言を呟くのを聞いて、彼女は ようやく、のそりと上体を起こした。
手元でうねる、美しい黄金色をした 艶やかな長髪は、つい先程 寝返りを打ったゼルダのものだ。その向こうには、穏やかな表情で眠るウルボザの横顔があり、二人とは反対の側に、ウォーターベッドの中で丸くなったミファーがいる。
二人掛けのソファから覗く、白い羽根と緑色の飾りを嵌めた足はリーバルのものだし、床に並べたクッションの上で、リンクも静かに眠っている。その陰から聞こえてくるいびきは、きっとダルケルだ。
皆を起こさぬよう、細心の注意を払って、○○はベッドから降りた。

今夜は、英傑たちのお泊まり会であった。
やりたいと言い出したのは もちろん女性陣だ。
同じハイラル城に泊まるのだから、広い目でみれば、別々の部屋でもお泊まり会と呼べるだろうが、それで彼女達が納得するはずもない。○○の部屋のベッドに、キングサイズのものをくっつけ、更にウォーターベッドも運び込んで、なんとも豪勢なお泊まり会が催された。

寝床の質の違いで分かる通り、残りの男性陣は、このお泊まり会へ急遽 飛び入り参加をしている。夕食後に全員でやったカードゲームが、予想以上の白熱を見せたのが要因だ。日付が変わるまでテーブルを囲んでいた英傑達は、結局そのまま、各自 寝床を確保し就寝に至った。リーバルがソファなのは、直前のゲームで優勝したからである。

お陰で助かったと、○○はすっかり覚醒してしまった頭で思った。すぐそばに、何事もなく眠っている皆がいるなら、あんな夢を見ても、取り乱さなくてすむ。
安堵の息を吐くと同時に、頬をつうと涙が伝った。それは一粒、また一粒と、彼女の薄い寝間着に零れ落ちる。気がつけば、もう止めようがない勢いで溢れ出していた。
○○は慌てて窓際のデスクへ寄り、引き出しからハンカチを出す。染みが出来てしまったら、どうしたか訊かれるに決まっているし、彼女はそれに、正直な答えを返せる気がしないからである。
漏らしかけた嗚咽を必死で飲み込み、出来る限り音を押さえてしゃくりあげた。少し強めに擦ってしまい、ヒリヒリと痛みが走って、彼女は眉間に皺を寄せる。

四英傑と勇者は、その様子を密かに伺っていた。
彼らは歴戦の戦士である。微かな物音や ちょっとした空気の動きで、目が覚めてしまう。
いつもならば、何事もないのを確認して、再び夢の中へ戻っていくのだが、今回ばかりは そうもいかなかった。
それぞれがこの状況に戸惑い、どうすべきか悩んでいる。
戦士ではないゼルダだけが、唯一眠っていて、もう一度 寝返りを打った。

「……○○ちゃん」

ゾーラの英傑が囁きかけると、○○は肩を揺らして振り返る。もう泣いてはいないようだったが、蝋燭一つ分の灯りしかない暗がりでも、無理矢理 表情を和らげようとしているのが見て取れた。
リーバルとリンクは、まだ、薄目を開けてそれを眺めている。だがウルボザとダルケルは、しばらく気にせずにいてやる事に決めた。きっと あの子達だけで解決できると、信じているからである。

「起こしちゃった?」
「ううん。全然だよ」

そう答えると、ミファーはベッドから降りて、○○の隣へ並んで はにかんだ。
今まで寝ていたゼルダも、眠りが浅かったのか、会話を聞いて、目を擦りながら体を起こす。
そして、二人が起きているのを見るなり、彼女もベッドから這い出し、そばへやってきた。

「起きてしまいました」
「私も」
「たまにあるの、嫌だよね」
「ええ。でも今夜は、ちょっとワクワクします」

転がっているクッションを、一つずつ引っ張ってきて、少女達は腰を下ろす。
○○は、自分でも気づかぬうちに混乱していたらしい頭が、ゆっくり落ち着いていくのを感じていた。それは紛れもなく、今 隣で笑いかけてくれている彼女達のお陰である。

「もう少しだけ、くっついても、いいかな。さっきの夢、とっても怖かったから」

もちろん、とミファーの願いを快諾して、三人はお互いの背中に腕を回した。
ひんやりした紅色の肌が肩に触れ、○○は小さく息を吸う。

囁き声での談笑は、いつものそれより格別なものがあって、三人はその雰囲気を楽しんだ。
ゼルダが座り直した時、揺れた髪がミファーの尾ヒレを撫でたのか、彼女は擽ったそうに笑う。つられて、○○も目を細める。
先程の強張った笑みより、数段 穏やかな表情であった。

「は、うぁー… 失礼」
「あぁーあ… ○○の欠伸がうつっちゃった」
「フフッ、ミファーったら、ふぁあ… あら!」

クスクス笑い合って、少女達は一層身を寄せる。なんとも和やかな雰囲気だ。
それを見ていた青年達が、ホッと胸を撫で下ろす気配を感じ、ダルケルは密かに口角を上げる。

「ちょっと、眠くなっちゃいました」
「…そうね。欠伸したから、かな」
「二人ともベッド戻る?」
「いいえ…… まだ… もう少しだけ。せっかく、ですもの……」

○○の左手は、半ば閉じかけた瞼で、睡魔に抵抗するゼルダの髪を 優しく撫で、既に微睡みに落ちたミファーの肩を、右手であやすように叩いた。
と、彼女は おもむろに両腕を伸ばす。デスクへ置いていたバイオリンを取って、リュートのように横抱きした。

パララン、ポロロン、とコードを指ではじいて、彼女はメロディーを小さくハミングする。
ほんの一瞬、傍観に徹していたはずの ウルボザの唇と、ゼルダの指先が震えた。
それは、今は亡きハイラル王妃が、愛唱していた子守唄であった。

「……ゼルダ? ミファー?」

○○の肩に もたれかかり、寝息を立て始めた二人。
彼女は困ったように眉尻を下げて、十秒ほど様子を見ていたが、ついに、素知らぬ顔で寝たふりを続ける仲間達の方を振り返った。

「リンク、ちょっと手伝って」

声がかかるや否や、ぱちっと素早く目を開いて、彼は起き上がった。
○○にちょっと首を傾げてみせてから、ゼルダを軽々と抱きかかえる。

「ん? 別に、起きてるとは思わなかったよ。でも、きっとすぐに起きてくれるだろうなって、思ったから」

彼女をそっと降ろして布団を掛けると、ウォーターベッドのシーツの乱れを直し、ミファーを抱き上げた。手際よくこなす彼に、○○は少し、羨ましそうな表情を浮かべる。
二人を運び終えた彼にお礼を言うと、気にしなくていいと手を振って、ベッドを指差した。

「大丈夫、私も片付けたらすぐ寝る。おやすみ」

頷いたリンクが、きちんと寝床に戻っていくのを確認して、○○は ずるずると壁際へしゃがみ込む。
二人の熱が、ほんのりと残ったクッションを手繰り寄せ、膝の間に顔を埋めた。出来ることなら、ここで眠ってしまいたいと思う。
大概の者が、あんな夢を見たなら、彼らのそばで眠りたいと感じるだろうが、彼女は なんとなく、それはいけないような気がした。

――こんな結末になるくらいならば、いっそ、私は。
あの時、己は 何と願っただろうか。酷く自分勝手な事を考えはしなかったか。仲間達の努力を踏みにじる、愚かで浅はかな思いを、抱いてはいなかったか。

頭に何かを被せられて、○○は跳ね上がるように身体を起こす。
バサリと落ちたブランケットの向こうで、予想外の反応に驚いた様子の、それを投げて寄越した犯人が、妙な体勢で固まっていた。

「埃が舞うから投げちゃあダメだよ、リーバル」
「なんだい、君、まだ起きてたのかい?」

リーバルは つっけんどんに囁き、ソファへ再び寝そべる。

「寝坊しても知らないからね」
「はぁい、パパ」
「娘だろうが息子だろうが、君みたいなのは絶対にお断り。まあ、僕が父親なら、そうは ならないだろうけど」

不機嫌に鼻を鳴らすのに、○○は笑った。
彼らが親になり、祖父母になり、なんなら曾孫の顔を見るまで、この世界が続けば良いと、心の底から思った。

「寝るなら、水を飲んでからにしなよ」

こちらにさっさと背を向けて、片手だけ水差しを示し、リーバルは欠伸混じりに言う。

「喉が渇いたまま眠ると、羽根に… ああ、身体に、良くない」
「はぁい、パパ」
「…誰がだ」

○○は、ガラスのコップに水差しの中身を注いだ。常温のぬるい水が、ひたひた喉を下っていくのは気持ちがいい。
一度注ぎ足してから、大きく呷って、コップを空にした。自分が考えていたより、身体は水分を欲していたようである。

彼女は感謝の気持ちを込めて、くしゃくしゃに丸まっていたブランケットを、リーバルの上で広げた。些か乱暴にやったせいで、顔の方まで覆われてしまったが、これで先程 投げられたのと、おあいこになるだろう。
ぐぅ、とソファから くぐもった非難の声が漏れ、○○は また笑って、今度こそベッドに這い登った。
時待たずして、新たな二つの寝息が、夜に溶け込む。

ようやく白装飾の部屋を訪れた静けさに、残る二人は微笑みを浮かべた。
安らかな表情をして眠る彼らの布団を、ウルボザは優しく掛け直してやり、ちろちろ燃える蝋燭の炎を、ダルケルがそっと吹き消す。



ゆっくりおやすみ、こどもたち。





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