Violinist in Hyrule




「明日は、雨だね」

知っていて当然の事のように、○○はそう言った。
頭上に広がる、どこまでも青く澄み渡った空には雲ひとつなく、風は穏やか。
リトの戦士リーバルは、愛弓の手入れをしていたのを止め、小馬鹿にしたように鼻で笑う。

「それは、例の、"あーした天気になーぁれ"ってやつかい?」

その言葉には、明らかに嘲りの色があった。
ゲルドの人々は、スナザラシやモルドラジークの様子から、砂嵐を予知する。
シーカーは空模様や木々のざわめきから実りの雨を。ゴロンはデスマウンテンの唸りから噴火を。
そしてもちろん、リトは風の動きと、自らの翼の重みから、嵐を読むのだ。
夜の帰り道、湿度の高さゆえに翼の動きが緩慢なら、明け方には雨が降る。今夜中に吹雪が来るという日には、気を付けろとばかりに風が吹く。
もちろんリト最高の射手であり飛び手である彼は、もうすぐ雨が降ることを、空と風から教えられて知っていた。

だが、ハイリア人にその術はない。だからあんな確率論のような占い遊びに興じられるのだ。
ましてや、この自称"百年後から来た"出処不明の色髪に低い耳を持つ小娘に、そんな高等で繊細な感覚が存在しているとは、どうにも考え難かった。
それも、靴を飛ばす天気占いがこの世界にも存在するのか、などと妙な箇所に感心して、呑気な様子のバイオリン弾きが、である。
今も、つらつらと朗読するようにスケールを弾いては、何かに取り憑かれたかと思わず顔を上げるほどの超絶技巧をこなして、それからまた単調なスケールの朗読に戻ったりしていた。
…こちらの話も聞かずに遊んでいる。
リーバルは咳払いこそしなかったが、それをやや鋭く睨みつけた。

「…うん。やっぱり、もうすぐ雨だ」

やはり、話を聞いていない。
彼は機嫌を損ねて嘴を閉じたが、○○が続けた言葉に眉を上げた。

「今日のバイオリン、雨の日の音がするもの」

そんな様子を知ってか知らずか、彼女はペグ──調弦をするのに必要不可欠な部品らしいが、生憎、リーバルにはよく分からない──をぱきりと鳴らす。
形は全く違うとはいえ、彼女の愛器は彼の愛弓と同じ木製だ。今の音は不味いのではなかろうか。
しかし、○○の顔色は全く変わらず、大して動揺している様子もなく、ただ深く頷いただけだった。

「雨だね」

結局、ついにリーバルが声を上げる。

「だから何だって言うのさ」

○○は笑った。

「弦を緩めなきゃ。そうでしょ?」

彼は思わず翼の中の愛弓を握る。
今、まさにそのために、背から弓を降ろしたところだった。

「湿気に弱くて、雨の日って壊れるのが怖いよね。そのくせ木製ってワガママで、乾燥しすぎもダメ、湿気すぎもダメ。温度も快適に保つのが理想形。嫁の貰い手がいないぞって思うんだけど、よくよく考えると、自分が娶ってるようなもので。それならむしろ可愛がってやらなきゃなぁって思う」

恐ろしいほど共感できて、彼は己の耳を疑った。
オオワシの弓の美しい流線型を、羽先で撫でながらだが、リーバルの研ぎ澄まされた聴覚は今この時だけ同胞として、彼女の声を聴く。

「何よりも大切に思ってるんだけど、使うのが自分なら、必然的に傷をつけてしまうのも自分。存分に使ってあげるために、より良い技術を身に付けたいと努力して、やっと手が届いたと思うと、入り口の門までの道が書いてある標識だったりしてさ。…リーバルはそこんとこどうよ?」

無視しようかとも思ったが、彼女が答えをいつまでも待っているようだったので、仕方なく言葉を返した。

「風の吹き止むことがないように、最後の一矢まで報いることだけが、僕に唯一できることだからね」

おぉ、と彼女が感嘆の声を漏らし、気の抜けた拍手をする。
すると背後からも、ぱらぱら疎らに手を打つのが聞こえ、彼らは振り返った。
凛とした立ち姿に艶めいた笑みを浮かべ、果たしてそこにゲルドの首領がいた。

「恋話かい?」

妙な冗談である。彼はまさかと失笑したが、隣の阿呆は平然と嘘を吐く。

「うんうん。私達、恋バナしてたの」
「してないだろ」
「でも、もし恋人にできるとしたら?」

息が詰まった。
答えるべきか、逡巡した末、

「…そうだね」

一体僕は何を言ってるんだかと、リーバルは頭を振る。
そうして弓を二、三度、軽く引き、調子を確かめだした彼の背中と、へらへら締まりのない笑みを浮かべて空を見上げている○○の肩を、ウルボザは豪快に叩いた。

「若いねぇ」

誤解されているに違いないが、正すのも面倒だった。
リーバルには、それを野放しにしておくくらいの心の広さがあったし、それ以上に、こういう時は、やたら反論せぬ方が楽に済むことを知っている。

バイオリン弾きが、下げていた楽器をもう一度構えて、穏やかな旋律を奏で始めた。
どこか懐かしささえ覚えるそれは、えも言われぬ暖かい気持ちになるのと同時に、胸の奥に小さくも鋭い痛みを残していく。
甘い砂糖菓子に混ざるレモンのようなそれは、リーバルには鬱陶しく思えたが、ゲルドの首領はなんとも幸せそうに聴いていた。
その表情があまりにも優しく柔らかだったから、まだ年若いリトの戦士は呆気にとられて、いつものように軽口を叩こうとしていた嘴をゆっくり閉じる。

三人の間を吹き抜けた風は、湿った匂いがした。





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