Violinist in Hyrule




「ごめんなさい、お待たせ。こんなに混んでいるとは思わなくて」
「やあ、僕もついさっき着いたところだよ」

リーバルは努めて平静を装い、人混みから駆けて来た彼女に、たった今 気づいたばかりかのような顔でそう言った。
本当は、そのスミレ色が数十メートル先にちらりと見えた時からずっと気にかけていたのだが、そんな事は絶対に言えない。
故郷より随分と間の抜けた、緩やかな風が吹くこの町で、彼は表情を緩ませる。
晩餐会では凍露の精かと見紛うほど眩い装飾具に身を包んでいたソプラは、今日も小綺麗な銀細工を着けていた。
幾らか落ち着いた雰囲気だとは言え、お洒落に纏められたその格好を見て彼は胸を撫で下ろし、昨夜 大急ぎで旅行鞄の奥底から引っ張り出した、よそ行きのスカーフのよれを正す。
実は、同じ宿に泊まるリトの仲間達が、そんなにめかし込んで可愛い子でも捕まえたのかと聞くから、素直に頷いてやったのに、今日は故郷の風が止むのではなどと不名誉な事を言われたばかりなのだ。
振られても俺達が慰めてやるからなんて、余計なお世話である。
しかし、彼だって、人並みに不安にはなるのだ。

そんな事をつららの先ほども知らぬソプラは、辺りをキョロキョロと見渡していた。
ここ 中央通りは特に沢山の人が集まっていて騒がしい。
学術部門で賞をとった学者達が、広場で研究成果を披露していて、何やらよく分からないからくりを動かしていた。
鼻をくすぐる甘い香りに目を向ければ、糖蜜をかけた果物やナッツに、一口大のカップケーキ、そして祭りでは定番の綿菓子を売る屋台が、ずらりと建ち並んでいる。
それらを物珍しそうに眺める彼女の、屋台の熱気で火照った横顔に、自然と視線が吸い寄せられたが、彼は店主にクレープを頼んで誤魔化した。
ソプラもそれを買ったようで、恐る恐る一口齧り、目を輝かせる。

「美味しい!」
「…クレープを食べたのは初めて?」

小さく何度も頷いて、彼女はクレープの中身を覗き込む。

「ミルクも砂糖も小麦粉も、ゾーラではすごく貴重で、滅多に食べられないものなの。ええと、これは?」
「イチゴだよ。ヘブラ山にもよくあるんだ。うちの村だと、子供のおやつによく出る」
「素敵ね。貴方のはツルギバナナでしょう? 何度か、王宮への献上品に入っているのを見たことがあるの」

あっという間に食べ終えた彼女は、唇に残ったクリームをぺろりと舐めて、幸せそうに目を細めた。
大きな瞳は、とろける蜂蜜色。見ているこちらの心までとろけそうになる。
リーバルはすばやく頭を振り、遠くへ飛びかけた意識を引き戻した。

「あら」
「あ、いや、なんでもな――」「よーう、色男。抜け駆けしやがって」

バサリと後ろから肩を叩かれて、いつもの癖で舌打ちしそうになり、彼は慌てて嘴を固く引き結んだ。
振り向けば予想通り、リトの仲間達が立っている。
わざとらしくウインクなんてしてみせた事からして、おおかた、野次馬をしに来ただけだ。
肘鉄砲でも食らわしてやろうかと彼が思案していると、ソプラが無垢な笑みを浮かべて首を傾げ、こちらを見上げた。
もはや今更渋ったところで仕方がない。この二人のお節介共を、彼女に紹介するしかないだろう。

「ソプラ、こっちの水色のがゲンヤ、黒いのがモーツ。ゲンヤ、モーツ、こちらソプラ。知ってると思うけど、舞踊部門で優勝した子だ」
「水色のと黒いのって、随分とぞんざいな言い方で… お初にお目にかかりますね。私はゲンヤと申します」
「初めまして、ゾーラのお嬢さん。うちのヘソ曲がりが世話になってるみてぇだな」
「こちらこそ、仲良くさせていただいております。初めまして」

彼女は、やわらかなスミレ色のヒレを広げてお辞儀した。

「ゲンヤさんは確か、詩吟部門に出ていらっしゃいましたよね」
「はい。私の詩を聴いてくださったのですか?」
「もちろん! 貴方の詩の素晴らしさについて、昨日 彼ともお話したんです」

そうよねリーバルと、笑顔で同意を求められたら、彼は正直に頷くしかない。
自分が褒めていただなんて、本人には知られたくなかったとしても、だ。
隣でニヤニヤしているモーツを鋭く睨みつけるだけで、彼はなんとか自制した。

「モーツさんは、ええと、何を?」
「俺ぁしがない弓師だよ。美術部門に出品した。けど、結局、俺の最高傑作はこいつが使ってるのを越せなかったってこった」

彼の背負っているオオワシの弓に触れ、モーツは首を振る。
すると、彼女は思い出したように両手を打って、朗らかな声で言った。

「綺麗な彫刻が入った弓を出された方ですね! ああ、見た目の話しか出来なくてごめんなさい。私が勉強不足なばかりに、詳しい事は分からないのですけれど、貴方の弓はとても使いやすくてバランスの良い弓ばかりだって、彼が」
「ほー、そりゃ聞けて良かったぜ。こいつ天邪鬼だからな」
「誰が何だって?」

しかしついに耐えかねて、リーバルは嘴を挟む。
ゲンヤが宥めるように翼を広げるが、当の弓師は素知らぬ顔で空を仰いだ。
ソプラは口を押さえて笑っている。

「で、君達は僕をこき下ろしにきたって訳かい」
「まさか。初弓(はつゆみ)を引く貴方の勇姿を拝みついでに、強いと噂のハイラルの騎士と、規格外の怪力だというゴロンの戦士の献上試合を見に来ただけですよ」

少なくとも私はそのつもりでしたと言って、ゲンヤは人好きのする微笑みを浮かべた。暗に自分を巻き込むなと伝え、ばっさり切り捨てる所が彼らしい。
水色の詩人の言う通り、弓術部門の優勝者であるリーバルは、祭りの最中に弓を引くことが決まっていた。
これはハイリア祭り恒例の行事である。
何でも、太古のハイラルの地に平和をもたらした姫巫女と勇者が、光の弓を使って大厄災にとどめを刺したからだとか、それより更に大昔、黄昏の魔物と戦った姫が使っていたという黄昏の光弓に由来するのだとか、起源は諸説あるようだ。
ともかく彼は大舞台でオオワシの弓を引く。
ハイリア祭りで重要な役職を任されるのも、優勝者の特権であり、義務なのだ。
だからソプラにも特別な役回りがある。彼女は、女神へ奉納する舞の踊り手に選ばれていた。

彼はゲンヤの言葉の中に気になるものを見つけ、一瞬悩んだ。
噂のハイラルの騎士。ゴロンの戦士。その献上試合。
確かに、どんなものか一目見ておきたい。

「ソプラ… あー、君が構わなければ、僕らも献上試合を見に行かない?」

言ってから後悔した。そんなもの興味が無いと、言われるかもしれない。
しかし彼女は、いつもと変わらない快活さで頷いた。

「もちろん! 私もそれを言おうと思ってたの。実は、リンクにも来て欲しいって誘われていたし、試合の後、ミファー様が槍術の演武をなさるから」

一気に肩の力が抜けて、大きく息を吐こうとしたところで、リーバルは動きを止める。
彼女の口から親しげに転がり出た名前に、表情が陰った。

「誰だって?」
「えっと、リンクはハイラルの騎士。ミファー様はゾーラ族の王女殿下よ」
「そのハイリア人とは知り合いなの?」

ソプラは僅かに言い淀んだ。たったそれだけで、彼は低く呻きそうになる。

「どちらかと言えば、幼なじみかしら。十年くらい前に初めて会って、その時は可愛いちっちゃな男の子だったんだけど、この間、里の近くに出たライネルを倒してくれたの。
しかもあの子ったら、気付いたら近衛騎士まで昇格してて、昨日の大会でも優勝してたから驚いちゃった。
…ふふっ、リーバルは今日も知りたがり屋さんね」

雷に打たれたかのような表情をしている彼に気づかず、彼女はくすくす笑った。
居心地悪そうなモーツの漆黒の翼が、視界のすみを掠めていく。
もし何かその軽い嘴を滑らそうものなら、きっとリーバルは黙ってなどいられなかっただろうから、それくらいの反応が丁度良かった。

「もし良かったら紹介するけれど、リンクは人見知りだから… それに、実は、あまり話した事が無いのよね。あの子が来るのって、いつも里が忙しい時期だから」

リトの男達の間に漂う、妙に張り詰めた嫌な空気を、尾ヒレを優雅に揺らめかせて緩ませたソプラに、彼は今度こそ安堵の溜め息を吐く。
気にすることはない。彼女はその何とかという騎士の知人だというだけで、別に飛び抜けて仲が良い訳でも、特別な関係があるのでもないのだ。
…多分。
最後の最後で脳裏をよぎった不安かつ余計な一言を、彼は両翼を振ってかき消す。

「…モーツ、そう言えば貴方、シーカー族の弓に興味があるって、昨日から言ってましたよね。お店がありますよ、ほら、向こうに。と言うことで、一足お先に失礼いたします!」

水色の詩人は笑顔で別れを告げると、何か言いたげな黒を引きずるようにして、人混みに紛れて消えた。
掻き乱すだけ掻き乱して去るとは、さすが良い性格をしている奴らだと、彼は胸中で皮肉る。
しかしそんな彼らにも、無邪気に手を振って見送る彼女はとても可愛らしい。いや待て。そういう話をしている場合ではないのだ。
一人 悶々としていると、翼が控えめに引っ張られて、彼はハッと顔を上げる。

「私達も、自分の出番が始まっちゃう前に、お祭りを全部 見て回らなくちゃ。ね?」

はにかむように微笑んで、ソプラは彼の白い風切羽に、そのしなやかな指をそえた。





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