Violinist in Hyrule




厄災復活の兆(きざ)しなど微塵も無く、そもそも、あの不吉な予言さえもされることない、この世界のハイラルは平和だった。

ハイラル王国の広大な領地の南西部に位置する、平原はずれの馬宿。
いつもなら城下町を出入りする旅人や行商人が、数名宿泊していく程度の馬宿が、本日、近年稀に見る賑わいを見せていた。
今日から開かれる、武術・芸術・学術のトップを決めるハイリア三術大会が、近くの闘技場も会場の一つに用いて開かれるからだ。

ハイリア三術大会というのは、しばらく治安が良い年が続き経済も安定した時期になると、きまって歴代のハイラル王が主催してきた、とても権威ある大会である。
ルールは単純かつ明快。
武術は剣術・大剣術・槍術・弓術、
芸術は音楽・舞踊・作詩・美術、
学術は生物・歴史・発明、そしてその他分野での発見と活用に部門が別れる。
エントリーできるのは、ハイラル人、シーカー族、ゴロン族、ゾーラ族、ゲルド族、そしてリト族の六民族から選ばれた、各部門、種族ごとに一名のみ。
つまり、一部門につき六人で、たった一つの優勝の座を争う。
部門は全部で十二個。大会参加者だけで、実に七十二人もの大人数である。
更に、各地から集まった観衆や作業員がプラスされるのだから、これがどれだけ大規模な事業であるか分かるだろう。
各部門で特に秀でていると認められた者は、大会最終日、国王から直々に表彰された後、この国の六部族の長と他の優勝者との、会食の機会を得られる。
更に、次の日に開かれるハイリア祭りでは、大々的に自身の成果を発表する事ができた。
参加者は皆、部族の誇りを胸に競うのである。





「それでは………始め!!」

高らかな角笛の音が鳴り響き、冷静な表情を崩さないハイラルの騎士の剣と、それを睨みながら間合いをはかるゲルドの民のナイフが閃く。
ソプラは、乾燥したハイラルの闘技場の中でも柔らかく広がっている自慢のヒレで、口元を覆った。
同じ部門の武術でも、種族によって武器の細かい種類や形、型や姿勢が異なったりと、色々な文化が関係していて、学ぶことは多くとても興味深い。
が、こういった対戦試合というのは、やはり彼女の性に合わなかった。
ソプラとて一応 槍を嗜んではいるが、それは己の舞(まい)への糧として、だ。
特にゾーラの姫君ミファーへ捧げた光鱗の槍の舞は、姫の得意とする槍術の動きが多く取り入れられていて、槍を知らぬ者ではとても踊れない。
彼女の槍は、外敵と戦うためのものではないのだ。

ドレファン王とミファー王女、そして幼いシド王子の御前でそれを舞った ただ一人の踊り子である彼女は、三術大会芸術舞踊部門に、ゾーラ族代表でエントリーしていた。
他部門に出るゾーラ族の有名人と言えば、剣術部門には兵士長セゴンが、美術部門はモルデンの美しい夜行石の彫刻が、歴史部門では石碑調査の第一人者ロスーリが選ばれている。
そして、槍術部門参戦者は誰あろう、ミファー王女その人だ。随分と豪華なメンバー構成である。

ソプラは、ゲルドの民が がくりと膝をつくのを見届けて、闘技場を後にした。
故郷であるゾーラの里の急流と比べれば、笑ってしまいそうな程に穏やかなヒメガミ川の水面が、日差しを浴びて輝いている。
空も晴れていて、今日は本当に良いお日柄だ。
彼女は一つ息を吐いて、アクオ湖に飛び込んだ。
このままヒメガミ川を上り、カロク橋でやっている弓術部門の試合を軽く見てから、城下町の宿屋へ戻るつもりだった。
舞踊部門の本番は、三日後の午前中。
大会期間の前半に集中して試合がある武術系の部門と違って、開催日から何日か暇があるのはありがたい。



終焉の谷近くへ集まった観衆に、彼女は混じった。
試合の様子がよく見える崖の上は、審査員や、早めに来ていた人々で既に埋まっているのである。
上で目を凝らす者、下からそれを見上げる者。全ての視線の先にあるのは、切り立つ崖をくり抜いて作ったかのような、グスタフ山と西ハイラル平原を繋ぐ名もない天然の橋だった。
ちょうど一人 試験を終えたようで、カロク橋の方ではゴロン族の射手が、リトの若者と場所を交代していた。

他の武術系部門の試合は対戦式だが、弓術は異なる。
今回、射手は遠距離で時間内になるべく多くの的を狙う、非常に高度な技量を試されるようだった。
制限時間は十五分。的は全部で二十枚で、矢数は百本。
名無しの橋にその内の十枚が並び、残り十枚はグスタフ山に、女神ハイリアが手を滑らせて落としてしまったかのような設置で、位置も角度も不規則だ。
矢が的に当たれば得点となり、それが中心に近いほど高得点となる。

カロク橋の隅で望遠鏡を構えていたシーカー族が、赤い旗を上げた。
ゴロンの射手に射られた的の回収と交換が終わり、次にその旗を下ろした瞬間から、時間計測を開始するという合図である。
リト族の射手が、弓の調子を確かめるように二、三度弦をはじいた。
ゾーラ族はあまり弓術が盛んではない。兵士の訓練は、水中戦を想定して行うからだ。
兵士でさえないゾーラのソプラには、彼の弓が一体どんなものなのか、一片の泡ほどの想像もつかなかったのだが、何だか少し重そうな見た目だとは思う。

パサリ、と旗が振り下ろされた。
動きとしては ただ腕を上げ下げしただけだというのに、先刻まで穏やかに談笑していた観客の間の空気までもが一気に張り詰め、皆 固唾を飲んで射手の一挙一動を見守った。
そんな中でも、あのリトの青年は落ち着き払っていた。
周囲を見直して、いくつかランダムに場所を変えられた的の配置を確認する。
そして、なんと、弓を"背負い直した"。

会場の全員が理解不能の行為に呆然としたその時、軽く跪いた彼の足元から、突如、ぶわりと風が巻き起こる。
何の前触れもない、上昇気流。
彼がリトの誇りとも言える大きな藍色の翼を輝かせ、旋風(つむじかぜ)にのって舞い上がった姿に、一同は再び、呆けた。

「綺麗…」

彼女が、口を塞ぐのも忘れて漏らした言葉。
まさしくその通りだった。

『射る矢 細を穿ち 天翔ける姿 疾風のごとし』…

青年はたった今見せつけたばかりの、自身の"ショー"に対する会場の反応を、吟味するかのようにゆっくり羽ばたいた。
かと思えば、刹那、迸(ほとばし)る滝の流れのように乱れ射つ。中空で弓を構えたのが、誰にも視認できないほどの速さだった。
放たれた矢は勢いのまま、ほとんど全ての的の中心部を穿った。
それは、まるでゾーラ川に落ちた木の葉がその場に留まる間よりも短い時間で 彼という神秘的な存在にあてられてしまった観衆の様子を、そのまま表しているかのようだった。

彼女は、得点計測が始まるや否や息を吹き返してどよめきだす観衆から離れ、ヒメガミ川に潜った。
他の選手など見なくても分かる。優勝は彼以外ありえない。
大きな泡をかぷりと吐き出し、強く水を蹴った。
リトの青年の、ほんの一度(ひとたび)見ただけで目に焼き付いてしまう、優雅な飛び姿。
あんなふうに踊りたいと、彼女は頬を上気させ、切に願う。

胸が騒ぐ。
じっとしてはいられない。
踊りたい。今すぐにでも。一刻も早く。

あの"ショー"に、ソプラは狂い焦がれた。

もちろんソプラは、彼のように風を自在に操る事はおろか 空を翔(かけ)ることさえできないし、振り付けに『飛ぶ』なんて無茶なものを入れようともしていない。
ただ、彼が作り出した、あの甘美な一時。
せめて同じだけの麗しさをもって、舞いたい。
どうやったら、あんなに他人を惹きつける事ができるのか。あの飛び方は、なぜあそこまで美しく見えるのだろう。
宿屋の主人が心配して声を掛けにくるまで、窓から虫の声が響く夜空を眺めながら、彼女は真剣に考えた。

舞踊部門の本番まで、残り二日である。





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