Violinist in Hyrule




この世の全ての事象には、必ず何か因果がある。

あの朝、彼が怒ったから。
あの日、彼女が喜んだから。
あの時、あの人が救われたから。
あの瞬間、誰も何もしなかったから。

それを無しにするなんて大それた事は、偉大なる女神にしか出来ぬ所業だろう。
応報として不幸や災厄にみまわれれば、人々はそこで初めて後悔し、反省し、新たに学ぶ機会を与えられるのだ。

そんな時、皆が口にする願いの言葉。

"もしも"あの朝、怒らなけ"れば"。
"もしも"あの日、悲しんでい"たら"。
"もしも"あの時、あの人が救われなけ"れば"。
"もしも"あの瞬間、誰かが手を差し伸べてい"たら"。

しかし、それらは所詮、子供が信じているおまじないよりも無力な言葉に過ぎない。
変えるべきは悲惨な過去ではなく、残された未来のみ。

過去は不平等で、不条理で、冷酷だ。
そうしてそれ相応かそれ以上の過去の重みを背負い、人々は未来の舵を切らねばならない。
女神だって、どう考えても謳い文句通り世の中へ均一な救いを齎(もたら)しているとは思えない。

しかし、我々には、想像力がある。

"もしも"過去の澱(よど)みに疲れ"たら"。泳ぐ魚が見えるほど、澄んだ清流へと思いを馳せる。
"もしも"誰かが、あまりの濁りに息が詰まっていた"ならば"。同じ試練を我が身に受けた事を思い起こし、共に美しい未来へ踏み出せるよう、導き合うのが人の常だ。





これは、そんな『もしも』や『たら・れば』の物語。





back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -