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 繰り返し確認した腕時計は、六時四十分を示していた。エレベーターホールに立ち、だんだんと近づいてくる数字を見つめていると、不意に背後から肩を叩かれた。

「名字先輩じゃないですか」

 振り返るとインターンの沖田くんが、含みのある笑いを口元に携えて立っていた。思わず顔が引きつりそうになったけど、すんでのところで堪え、微笑みを返す。

「沖田くんもお仕事終わり?お疲れ様!」
「化粧、わざわざ変えてますよねィ」

 目ざとく指摘してきた彼の言葉通りだった。終業と共に女子更衣室へ駆け込み、洗顔してベースメイクからやり直してきたところだった。質問には答えず笑顔のまま黙っていると、彼の視線が私の頭からつま先まですべる。

「服装も随分気合い入ってまさァ。名字先輩は大晦日だからってはしゃぐような歳でもねェだろうし……そういや今日は土方のヤローもやけに張り切って仕事を片付けてたっけなァ」
「沖田くん」

 笑顔は崩さず強い口調で呼ぶ。同時にエレベーターが到着したことを告げるランプが光った。中には珍しく誰もいなかったので、逃げるように駆けた。残念なことに彼の目当ても一緒だったらしく同じように乗り込んできた。扉が閉まり、図らずとも二人きりとなった。一階のボタンを押しながら、横目に睨みつける。

「そーいうのやめてよね」

 豹変した私の態度を見て、ますます沖田くんはおかしそうに歯を見せて笑った。

「そうだった。お二人は付き合ってること内緒にしてるんですっけ?いっけねェ俺としたことが忘れてやした」

 あまりにわざとらしく言うので、深い溜息が出た。

「……そんな意地悪ばっかじゃ彼女もできないよ」
「いますよ」
「え!マジ!?」

 驚きに声を張り上げた時、重力を感じた。途中の階でエレベーターが停止したことに気づき、沖田くんに掴み掛っていた手を離した。同時に扉が開いて何人かの会社員が乗り込んでくる。

「そうだったの、沖田くん。私知らなかったな」
「言ってませんでしたからねェ」
「どんな彼女なの?」
「先輩と違って初心で可愛いヤツですよ」

 同乗している人たちがいるので、この憎たらしい後輩をどつくわけにはいかなかった。会社で作り上げてきた私の印象を崩さないために、苦笑いでかわした。
 大学の後輩にあたる沖田くんは私が猫をかぶっていることを理解しているので、口の端を釣り上げて目を細めた。

「今度、サークルのOB会で遊びに行くから」
「そうですかィ、楽しみに待ってまさァ」
「だからその時に話聞かせてね。今日は急いでるから」

 一階に着く。開くボタンを押して同乗していた人たちを通してから、自分も最後に出る。待ち構えていた沖田くんが、軽く肩を叩いてきた。

「久しぶりのデート、楽しんできてくだせェ」

 全てを分かり切ったような声をかけられ、恥ずかしさがにじんだ。誤魔化すように唇をつきだし軽く睨む。ニヤニヤ笑う沖田くんに背を向け、私は会社を後にした。





 待ち合わせ場所は、会社から少し離れた広場の噴水前だった。クリスマスの立派なイルミネーションはとっくに撤去されていて、街はどこもかしこも新年を迎え入れる準備をしていた。賑やかな人通りがいつもより浮き足立っているのを肌で感じる。
 腕時計を見下ろすと、約束の七時半を過ぎていた。少し遅れている待ち合わせ相手のことを考える。
 私と十四郎は大学のサークルで知り合い、同じ会社の違う部署に就職した同僚だった。大学時代から付き合っているにも関わらず、一部の人間にしか知られていないのは、職場に彼を狙う女性が多く、妙な嫉妬をされたくないという私の希望だった。私たちは二人とも、仕事を中心に考えて生きるタイプの人間なので、面倒事を増やしたくなかったのだ。
 そのおかげで一緒にすごす時間はあまり取れないけれど、こうしてたまに会えるだけで幸せだった。今日は一緒に夕食をとった後、初詣に行き、彼の家に泊まる。お泊りはもう数ヶ月ぶりだったので、緊張さえしていた。今か今かと待ち構えていたら、七時四十五分ぐらいになった時、人混みをかきわけてこちらに走ってくる十四郎の姿が見えた。

「悪い、遅れた」
「ううん、大丈夫!お仕事お疲れ様」
「そっちもな」

 目の前まできた十四郎が、会社で見かける仏頂面ではなく、頬を緩ませている。それがどうしようもなく嬉しくて、私までつられて表情を綻ばせた。
 しかし、途端に彼の顔が真剣なものとなった。鋭い目つきに心臓が一度高く鳴った。伸びてきた手が額に添えられるので、思わず肩を強張らせた。触れた彼の指先がやけに冷たくて、クリスマスプレゼントは手袋を贈ったほうが良かったかも、なんて頭の片隅で考えた。

「おい、名前。ひょっとして調子悪いんじゃねェか?」
「え?そんなことないけど……」
「熱あるだろ」

 そこで初めて、仕事中ずっと寒気がしていたことを思い出すけれど、喉の痛みや鼻水などの症状はないし、問題ないだろうと高をくくる。

「大丈夫だよ。だとしても、たいした事ないって」
「いや、駄目だろ。今日は冷えるし、出歩いたら悪化しちまう」

 ようやく自分の体調が原因でデートがなくなりそうになっていることに気づいた。慌てて「大丈夫だってば!」と主張するが、いたわるように腕を掴まれる。向かう先は駅ではなく、私の家の方向だった。

「最近、名前の企画上手くいってるんだろ?倒れたら迷惑かかるし、お前も悔しいだろ」
「でも、せっかく二人で時間とれたのに……」

 駄々をこねる子供のようだと思ったけれど、その場を動かないよう踏ん張った。彼は足を止めると自分の頬をかく。ちょっとだけ困ったような表情だった。

「あー……。確かにいつも時間取れなくて悪ィけどよ」
「違うよ、それはお互い様だから!」
「……初詣と外食はやめて、俺が名前の家に泊まってもいいか?看病してやるから」

 一瞬にして、自分の家の状況が頭に浮かんだ。必死に首を横に振って否定する。

「私の家、今めっちゃ汚い!!」
「お前の家が片づいてる時なんてあったかよ」
「いやそうだけど!過去最高レベルなの」
「マジかよ……。じゃあなおさら行かなきゃだな」

 呆れ顔の十四郎が、今度は強く肩を抱いた。こうなると抵抗しづらく、私は連れられるがまま歩き出してしまう。仕方なく空いている手で彼のコートの端を握り、「ごめんね」とつぶやいた。応えるように頭を軽く撫でられたので、彼に寄り添い、小さくため息をついた。





 部屋の惨状を見た彼は渋い表情をした。いつもだったら母親の如くすごい勢いで叱りつけてくるのに、私を労わり堪えているようだった。
 けれど、部屋の中央に鎮座するコタツを見て、「どうせここで寝ちまったんだろ?」と指摘した。図星だった私は返す言葉もない。風邪を引いた原因は明らかで、昨夜、帰宅するなりコタツに入ってだらけてしまった自分を呪うしかできなかった。
 十四郎に促され、メイクを落として寝間着になる。ベッドに寝かしつけ、私が大人しく布団をかぶったのを見届けると、彼は台所に立った。積み上げられた洗い物の食器にため息をつくのが聞こえた。

「最近、忙しかったんだもん」
「俺の部屋はどんなに忙しくても綺麗にしてる」
「十四郎は料理そんなにしないじゃん……」
「コンビニ飯にマヨさえかけりゃ十分だからな」

 彼もしっかりしているようでどこか変わっている。でも、私にまで偏った食事を強要してきたことはないので、そこら辺はお互い様ということにして目をつぶっている。
 冷蔵庫を開けた十四郎が、「何もないな」と呟いた。私は明日買ってくるつもりだったことを、言い訳のように説明した。

「じゃあ何か買ってくるから、お前は寝てろ」

 もう一度コートを着直した十四郎が言う。

「……何から何までごめんね」
「やけにしおらしいな。んな気にすることじゃねェって」

 私の頭をぐしゃぐしゃ撫でると、十四郎は出て行った。私は乱れた髪を整えるのも忘れて、最後に見た後姿を何度も脳内で繰り返す。
 妙な寂しさを感じるのは、きっと風邪で気弱になっているせいだろう。迷惑をかけてしまったことに対する申し訳なさや、まともに家事をしていなかった自分への嫌悪感が渦巻き、泣き叫びたい気持ちになった。その衝動を抑えて寝返りをうち、布団をかぶって強く目を閉じた。幸い、具合の悪い体はすぐに眠気を呼び寄せた。
 それからすぐに目が覚めた気がしたのだけれど、部屋に十四郎の気配があったので、しばらく眠り込んでいたらしい。
 顔をあげると、こちらに背を向けてコタツに座る彼が、誰かと電話していた。

「だから……んなの知るかって!会いたいなら会えばいいだろうが。つーか、こっちはヒマじゃねェんだ!……切るぞ!」

 言葉通り通話を止め、テーブルの上に携帯を放った。そこで初めて気づいたのだけれど、置き場がないぐらいに散らかっていたコタツの上がすっかり片づけられていた。それだけじゃない。部屋の床に散らばっていた物も、室内に干していた洗濯物も、あるべき場所へと仕舞い込まれていた。誰がやってくれたかは、瞭然だった。何か書き物をしているらしい背中に呼びかけると、振り返った十四郎が驚きに目を見張った。

「悪ィ、起こしたか」
「ううん。部屋……掃除してくれたんだね。ありがとう」

 ベッドから出て、コタツのはす向かいに入る。彼の手元を覗くと、会社の新年会の参加者リストがあった。そういえば、彼は幹事を任されていた。一番下に書かれた名前を見て、電話の相手を理解する。

「山崎くんだったんだね。電話」
「ん?あァ……。参加か不参加か聞いただけだったのに、何故か愚痴まで聞かされた」
「なんの愚痴?」
「毎年、大晦日も元旦も彼女に会えねェんだと」

 山崎くんも沖田くんと同じで、大学時代のサークルの後輩だった。といっても同時期に所属していたわけではないので、十四郎と私はOB、OGという形になる。
 山崎くんは会社も同じなのでよく話すけれど、その彼女は隣にいる姿を見たことが何度かあるというぐらいだった。人当たりの良さそうな、優しげな雰囲気の子で、彼にはぴったりだと思ったのを覚えている。

「名前、腹減ってないか?粥作ったんだが」

 言われて自分が空腹を感じていることに気づき、壁時計を見たら九時半を回っていて納得した。

「うん。食べる。十四郎は食べたの?」
「あぁ。コンビニ飯だけどな」
「……そっか」

 美味しいと評判のお店で外食するつもりだったのに、私のせいでこんなことになってしまって、罪悪感がふくらんだ。沈んだ私の表情から察したらしく、十四郎が前髪を整えるように頭を撫でてきた。

「今度、俺の家に来た時、何かうまい飯作ってくれよ。マヨネーズはいつもより少なくかけるから」
「うん……ありがと」

 彼の少なめが一般人の異常な量だとは分かっていたけれど、その心遣いが嬉しくて素直にうなずいた。十四郎が炬燵から出て台所に向かうのを見送る。
 近くにあったリモコンを取って何気なくテレビをつける。いくつかチャンネルを回してみるが、特別に興味をひかれる番組はやっていなかった。それでも賑やかさが心地よくて、そのまま適当な放送を流しておいた。
 テーブルにあごを乗せて脱力し、彼が台所から帰るのを大人しく待った。





 食事を終え、テレビを見ながら雑談をしてのんびり過ごした。十一時半を過ぎ、いよいよ新年を意識し始めたころ、十四郎がテレビの電源を落とした。

「病人はさっさと寝ろ」
「え!だってカウントダウン……」
「布団借りるからな」

 コタツを隅に寄せ、来客用の布団を広げる彼に、追いやられるようにベッドへ乗った。

「年が替わったらすぐ寝るよ!」

 私の主張も虚しく、寝る支度を整えた彼に電気を消された。部屋が暗くなって、何も見えなくなる。仕方なく手探りで布団へもぐり、右手をベッドの下に伸ばした。

「十四郎、せめて手つなごう」

 無言で手をとられ、愛しさがこみあげてくる。強く握りしめると、十四郎が思い出したように呟いた。

「そういや飯買いに行った時、雪が降ってきた」
「えっ!全然きづかなかった」
「カーテン閉めきってたからな。冷えるわけだ。おい、寒くねぇか?」
「うん、大丈夫」

 一緒の布団に入りたい、という言葉は飲み込んだ。風邪で寝込んだら仕事が大変なのは彼も同じだ。うつさないように気をつけなければいけない。

「今日はごめんね。せっかくのデートだったのに台無しにしちゃって」
「だから気にすんなって――」

 そこで十四郎が言葉を切って、沈黙が訪れた。空いている方の手で携帯を確認したらしく、ぼんやりとした光が暗闇に浮かび上がる。
 何か言おうと口を開きかけた時、繋がっている手が持ち上がって、彼が起き上がったことを知った。私も一緒に上半身を持ち上げようとしたら、肩を抑えられて止められる。ベッドに体重がかかり、背後でスプリングの軋む音がした。暗がりに慣れた目が彼の姿をとらえる。
 十四郎が左手は繋いだまま、右手で私の側頭部あたりを撫ぜた。何をしようとしているのか気づいて咄嗟によけようとするけど、その前にしっかりと唇が重ねられてしまった。強く、弱く、交互に繰り返して色々な角度で押し当てられる。一瞬、唇に熱い舌が触れたけれど、思い直したように引っ込んでしまった。気づかっているのか、深く入れることはやめたようだ。やがて、ゆっくりと離れた十四郎と、視線が絡む。

「風邪うつっちゃうでしょ、バカ」
「……お前が年の替わる瞬間にこだわってたからだろ」

 彼が落ちていた携帯を拾い、画面に光を灯した。四つのゼロが並ぶのを見て、年越しの瞬間にキスをしたのだと気づいた。

「こうしてたまに過ごせるだけでも、俺は悪くねェと思ってる。名前は違うか?」

 首を何度も横に振って否定すると、彼は満足したようで布団に寝ころんだ。それでも、繋いだ手は離さないでいてくれる。

「分かったらもう気にするのやめろ」
「……うん、そうだね」
「もう寝るぞ」

 口元が締まりなく緩むのを分かっていながら、暗くて見えないのをいいことに、そのままにした。手を握ると返ってくる。指を絡めると、しっかりと組み合わせてくる。体温がまじりあって一つになる心地に、待ち合わせの時の緊張が蘇る。

「十四郎、今年もよろしくお願いします」
「……おう」

 いつもよりそっけない声を聞き、彼が気恥しさを感じているのが分かった。私はますます幸福に胸を満たしながら、来年も再来年も、こうして彼と一緒に過ごせたらいいと願い、気の早い自分をちょっぴり笑った。



宇佐見




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