竜の天命
 其の五

小十郎がハナの動きを止め、蔦とともに対峙したのは――いつぞやいつきと名乗り、赤子をひきとった少女だった。
「ひゃー立派な牛だなぁ! ……あ、おっちゃん、この間の青いお侍と一緒にいた人でねーか」
「……おっちゃん?! 青いお侍?!」
いつきの言葉に驚愕の声をあげたのは蔦だった。小十郎は蔦をちらとみる。
「俺は確かにおっちゃんだろうが……、小娘、あの方はなぁ」
小十郎が言いかけた所で、いつきがまた声をあげた。
「ひゃー、べっぴんさんだな!」
「え?」
突然言われた蔦が戸惑いを見せた。だがいつきはにこにこと話しかけてくる。
「ねえちゃん、どっかの娘さんだか? おっちゃんとお忍びでどっか行くのか?」
「ねえちゃん……?」
蔦が自分を指さしながら首をかしげた。小十郎はため息をつく。
「……これは俺の女房だ」
するといつきは目を丸くした。それからぴょんとその場でとび跳ねて見せる。
「えー! おっちゃんもう後妻さん貰う歳なのか!」
いつきの言葉に小十郎はさすがに憮然とした。蔦はやや面喰っている。
「俺の女房は後にも先にもコイツだけだ。……それと子持ちとはいえ俺は一応まだ三十路まえだ」
「子持ち?! ねえちゃん子どもいるだか?!」
「え、ええ。いますよ。みっつになる子が」
蔦が指で左衛門の歳を示して言うと、いつきがほーっと声をあげた。
「それにしてはねえちゃん、綺麗だなー。ふつう、子ども産んだら女はあっというまにおばちゃんになっちゃうんだ。やっぱお侍のお嫁さんは違うなー」
蔦はその言葉に苦笑した。
「そうですね、田畑に出ることも普通ありませんし、何かあれば家の者が子どもを見てくれますから、皆様よりはずっと楽です。そのせいかもしれません」
蔦も、結局は百姓ではない。小十郎の畑を手伝うとは言え日がな一日陽にさらされるわけではないし、左衛門をめのとや女中に預けることもある。手ずから子どもを育てる層とは違うのだ。だから蔦の肌は百姓のおかみさんたちよりずっと白いし、腕も体も華奢だ。いつきが「違う」と言ったことはその点からきているのだ。
蔦が言い終えると、とと、といつきが歩み寄ってきた。それから蔦を見上げる。
「それもそだな。でもやっぱり、おらたちの村にこんなべっぴんさんはいねぇだ」
蔦はまた苦笑する。
「城下に来れば、私程度の者はたくさんおりますよ」
するとふるふるといつきは首を振った。そして蔦の手を優しくとる。
「うーんと、そういうこともあるけど、ねえちゃんはとっても優しい顔してるし、働き者って感じだし……、おらはそれが一番のべっぴんさんの条件だと思うんだ。ほら、手も働き者の手だべ!」
いつきは蔦の手をとったまま小十郎を見上げた。
「水を使ってる手だべ! 糠床も自分でかき回してる感じがする。それから子どももよく抱っこしてるんでねぇべか? おらたちのところの庄屋の嫁さんなんかより、ずーっと働き者の手をしてる!」
確かに蔦は小十郎がとってきた野菜をつけてある糠床は人には任せず、自分で毎日手入れをしている。畑に出れば少しだけだが草をとり石を掘り出す。左衛門には常に優しく手が差し出される。それが蔦の手だった。
いつきの評に、めずらしく小十郎が穏やかに微笑んだ。蔦がその表情に驚いていると、いつきがにんまりと笑って
「あたったべ!」
と嬉しそうに言った。それから蔦の手を優しく放して少女はいう。
「働き者で綺麗な嫁さんなんて、おっちゃん幸せ者だなぁ。女の人が、綺麗でいるのはうんと大変なことなんだ」
「大変?」
小十郎が眉を寄せたのに、いつきは首をかしげた。
「あれ、おっちゃん寝る前嫁さんの事見てないだか? 夜、女の人は髪をすいたり、肌にいろいろ塗ったり、手も荒れねぇようにしたり……ともかく、大変なんだべ」
「そう、だった、のか」
小十郎は思わず蔦の方を見やった。蔦の方が自分より遅く床に着くのは当たり前のことなので気にも留めていなかった。翌日の細々とした準備をしたあと、そんなことまでしているのか。
蔦はそんな夫に苦笑するばかりだ。
「たいしたことはしておりませんよ」
「おっちゃんちょっと感謝が足りねぇぞ!」
いつきが腰に手を添えて強くいうと、蔦がさすがに「私の旦那さまですよ」と苦笑交じりにたしなめた。
「そっか、ごめん」
蔦は笑っていつきの髪を撫でた。いつきはくすぐったそうにする。それから蔦は、ふと、つ、と視線をもと来た社の方にやった。
「そういえば……、先ほどお社の前を通ったら、何か中にいるようでしたけど、大丈夫でしょうか」
「なん……!」
いつきが驚いた顔をした。小十郎は眉根を寄せて蔦を見る。蔦は小十郎には知らん顔でいつきに言う。
「ちょっと見に行った方がいいかもしれませんね」
「そっか、この前のお侍の件もあるしな! 行ってくる! ねーちゃんたちありがとな!」
いつきは元気に駆けてく。蔦がそれに手を振った。それから小十郎に向き直る。
「だって、早く気付いてもらった方がいいでしょう?」
「まあ、確かにな」
「いい子ですねぇ、明るくて」
そう言って蔦はいつきの行った方向を見ながら笑う。
「それに、べっぴんさんなんて言われたのは初めてです。――やっぱり嬉しいものですね」
くすくす笑う蔦の頬が僅かに染まっている。蔦の容姿は、政宗がかつて「中の上」と評したようにどちらかといえばよくある顔立ち――あるいは、みる人によってはよく見えるくらいである。政宗の妻愛姫のように異次元の高嶺の花ではなく、そっと手を伸ばせば届きそうな花――それが蔦だった。だから働き者、と褒められることはあっても外見は褒められることは少ないのだろう。
小十郎はそんな蔦に歩み寄り、ひょいと抱き上げた。
「わ」
「疲れただろ」
そう言って、ハナの背に乗せてやる。ハナは米俵三つよりずっと軽い蔦に文句はないようだった。
いつも小十郎を見上げるばかりの蔦が、小十郎を見下ろす珍しい形になる。
「乗ってろ」
「でも」
「いいから」
言って小十郎はハナの手綱をひいて歩き始めた。蔦からは小十郎の背中しか見えない。とっこ、とっことあるくハナは社とは逆方向の来る時来た道を歩いていく。
蔦は髪を押さえていた手拭いをとり、結っていた髪を解いて頭を振った。ふと小十郎が振り返った。蔦の長い黒髪が揺れて風に流される。蔦は思わず髪を抑えた。艶やかな髪に陽光が光のさざ波を作る。流された髪は、さらにその陽光をまき散らす。香るような景色だった。それを肩越しに眺めた後、ふいと小十郎はまた前を向いた。小十郎は蔦が自分にしか見せない表情やしぐさを知っている。それを知っていれば「中の上」なものか――と思う。だが他の男に知らせて回る気はさらさらない。
「――俺はお前の事、三国一だと思っている」
「え?」
「働き者とか、嫁としてだけじゃなく、――そう思っている。お前はいい女だ」
小十郎は蔦に背中を向けたまま言う。蔦はハナに揺られながら、しばし首をかしげ――やがて小十郎の言いたいことに気付いてふんわりと笑った。
「私も、小十郎さまのことを三国一の男前だと思っておりますよ」
その言葉に小十郎が歩みをとめた。ハナが先に行きかけ、止まる。それからモーウと不思議そうにないた。そこは蔦の位置から小十郎を覗きこめる所だった。
「――小十郎さま?」
見れば、わずかに夫の耳が赤い。夫はこちらを見ないので、妻の頬と耳が自分と同じく赤いことには気づかなかった。
「――そうか」
言って再び歩き出した小十郎に蔦を乗せたハナがついていく。
「ええ」
蔦は笑って言った。


屋敷に戻れば、トラを抱えた左衛門に迎えられた。
きちんとおつとめしました! という息子に夫婦は笑って頭を撫でてやった。左衛門は得意になる。途中で買った団子と玩具を「褒美をとらす」と言って渡せば左衛門は喜んだ。
それは長雨が抜けて、風の心地よい日の出来事だった。

(了)

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2010年11月7日初出
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