竜の天命
 其の四

「道楽……ですか?」
蔦が解らずに問うと、景色を眺めたまま小十郎は言った。
「今日の事もそうだが、畑もだ。俺のやっているのは百姓がやってるような生き死にに直結するようなもんじゃねえ。それだって昔は、ちょっとは腹の足しになればいい、と思ってやっていた。だが、もうその必要もなくなったし、今では人に任せている部分も多い」
蔦はじいっと小十郎の顔を見つめた。口さがない人が小十郎のことを――ひいてはそれをやりたいようにやらせている蔦をも――批判するのは聞いたことがある。おそらく、それらは夫の耳にも入ったのだろう、と思う。
「大水の件もそうだ。政宗さまは池の水があふれるのを見てすぐに思い至られたが、俺はそうじゃなかった。道楽、真似ごと、と言われても仕方ねぇな」
「……」
蔦は再び景色を見た。眼下を行く川がみえる。ここは高い場所なのだ、と改めて思い、一度蒼穹を見上げた。抜けるように青い。蔦はふたたび、地の方へと視線を戻した。
「それは……小十郎さまがお仕えしているのは政宗さまで、政宗さまがお仕えしているのが、天だから、では」
「……政宗さまがお仕えしている……?」
蔦が不思議なことを言うので、小十郎が首をかしげた。独眼竜は誰の支配下にもないはずだ。少なくともこの奥州では。あるとすれば、お上――京の帝ぐらいだろうが、蔦が言うのとは違う気がする。
「人と言うのは、天の采配で生まれると聞きます。政宗さまは人のもとに仕えるようにお生まれになりませんでしたが、天には仕えているのではないでしょうか――天は民を統べる者をお決めになる。政宗さまは奥州をお纏めになられた。だから政宗さまには天を通して民が見えたのではないでしょうか」
「……」
「小十郎さまは、政宗さまにお仕えになるように天がお決めになりました。だから民の事より、政宗さまのことがよく見えるのではありませんか。こたびの事は――その違いではないでしょうか」
自分でも考えがまとまらないのか、つかえつかえ蔦は言った。小十郎はしばし妻の横顔を見つめ、苦笑した。
「面白いことを考えるな――唐の帝のようだ」
「不敬でしょうか」
「いや、わかりやすい。――だかあまり言い触れるな」
こちらを向いて不安げにする妻に笑いかけて小十郎は言った。
「仕える先が違う、か。なるほど」
「それと、道楽、というのですけれど」
蔦はまっすぐに夫を見て言った。
「私は、違うと思います。小十郎さまは、お鈴ちゃんのおじい様たちに、御足をお与えになっているでしょう?」
「ああ――心ばかりだが」
御足、とは銭のことである。小十郎が直接手を入れている畑は小作人に貸し出しているわけではない。その類の土地は別にある。あくまで小十郎が直接手を入れている畑は、小十郎のものだ――老爺たちには請うて来てもらっているだけに過ぎない。だから、心ばかりの銭を支払っている。その他に蔦が時折差し入れをしているのも知っている。
「百姓にとっても、御足というのは必要なものですが、なかなかそれを直接得る機会がないと聞きます。市に出ても物が売れるとは限りませんし、工芸品ならまだしも作物ではとっておくにも限界があります」
「……」
「だから、皆さまにとって定期的に入る我が家からの御足、というのは大変助かるものだ、……と私は思います。……それに」
「それに?」
促せば、蔦は少し困ったような顔をした。
「片倉さまに目をかけていただいているとわかると問屋が買いたたかない、とお鈴ちゃんの父上や集落の皆さまが言っておりました」
「……成程な」
小十郎は苦く笑った。
蔦はよく老爺たちの所へ出掛けて行く。それが励ましの差し入れや礼の心付けのためだけではないと気付いたのはいつのことだったか。蔦は小十郎が手を借りる集落の人々をよく観察していたのだ。
蔦は町育ちだが、父親の職のせいか妙な所で勘がよく、よく気付く。それと父親から何か聞いているのだろうか、百姓たちの性質も理解しているようだった。横並びにならなければ、弾かれる。出る杭は打たれる――いわゆる村八分という厄介な性質だ。蔦は一度、小十郎が特定の一家を贔屓することに忠告してきたことがある。
――畑を少し広げて、人を雇うのを少し増やしましょう。それに、季節ごとに家々から人手を借りる順序を決めてもらって、持ち回りにしてもらいましょう。
幸い、小十郎が人手を借りている集落はそれほど大きくなく、また隣の集落とも離れていたため蔦の提案は上手くいった。集落にまんべんなく「片倉様の御好意」がいきわたるようになったのだ。それからまた、借りる人手もその家々の主力の若い力ではなく、年寄りを中心にした。
どうしてそんなに気を回すのか、と一度蔦に聞いたことがある。すると蔦は少し遠くを見て言った。
「人の嫉妬というものほど怖いものはございません。私は百姓ではありませんが、女ではありますから、それをよく知っております」
集落内の対立は、やがてそれを引き起こした片倉に向けられるかもしれません。そうなれば一大事――そういう蔦の表情に、小十郎はふと義父の顔を見た気がした。
問屋が買いたたかなくなった、というのも「片倉様」のおかげなのだ。それがどこかに偏れば、恐ろしいことになったかもしれない――小十郎はそれに気付いてまた苦笑した。
「つまり、俺の“道楽”は確かに役立っている、とお前はいうんだな」
「はい。それに、もっと身近なところでは政宗さまや愛姫さまに喜んでいただいているでしょう?」
「違いねぇな」
小十郎は言って蔦に手を伸ばした。
「お前は俺の目の届かない所にいつも気づくな」
すると蔦は頬に添えられた夫の手に触れ、言った。
「それもまた天命の違いかと。私には戦の事や、城中の事はわかりません。政や諸国の事情はもっとわかりません。それは小十郎さまの天命なのです。政宗さまの右目である天命と同じに」
「天命、か」
「はい。私の天命は、小十郎さまがご自分の天命を心置きなく果たされるように妻としての務めを果たすこと――そうだと思っております」
「随分控えめな天命だな。――いや、お前以外には勤まらねぇか」
蔦があまり騒がないので、自分の妻であることの労苦を控えめと見積もった己に小十郎は苦笑した。蔦以外に誰がこの主馬鹿に連れ添ってくれるというのだ――しかも、自分は過去に通常であれば離縁では済まされないことをした。それなのに隣にいてくれている。
ざぁっと風が木々を揺らす音がした。長雨の季節は抜けたのだ。蔦がつられるように空を見上げた。空の風の流れは地上よりも早いのだろうか。雲があっという間に駆けていく。
「雲が行きますね」
「ああ」
しばらく風に吹かれていると、忘れられていたハナがモーウ、と鳴いた。
「……帰るか」
「はい」
小十郎が牛の手綱をひいて方向転換するのと、そちらにいた第三の人物が声をかけてくるのはほぼ同時だった。
「おめえさんたち、何してるだか?」

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