竜の天命
 其の参

手桶に水を汲んで戻れば、蔦はあちこちにはたきをかけている所だった。小十郎は草をはんでいるハナの背から箒を取り上げ社に上がると、蔦の落とした埃をそれで集めはじめた。掃除は高いところから、埃を落としたら掃き清める、そして拭き掃除、とキビキビした姉と母の声が聞こえた気がする。小十郎が思わずため息をつくと、蔦が振り返った。
「どうかしました?」
「いや……ガキのころの手伝いを思い出しただけだ。よく本殿の掃除を手伝わされた」
「そうですか。……何か特別なことはありますか?」
「ご神体の扱いには気をつけろよ。はたきはかけるな、失礼に当たる」
「はい」
蔦は短く真面目に答えた。小十郎には兄がいて、実家の神社は兄が継いだ。だからまさか社の掃除を蔦とすることになるとは思いもよらなかった。
乾いた布でご神体を納めているとおぼしき、さらに小さな社を清めた後、拭き掃除にかかる。蔦は手際よく雑巾を絞り、まず足跡を消し去った。
小十郎が雑巾掛けを手伝おうとすれば、
「俵を運んでいただかねばなりませんから、休んでいてください」
という。それに従って入り口にいれば、蔦は端から端までサーッと拭き掃除をしていく。屋敷ではそんな仕事は女中がやってくれるだろうに、妙に動きがよくて小十郎は蔦の行き来する姿を思わず眺めてしまった。やがて蔦が小十郎の足下まで拭き終わって、ふうと息をついて手の甲で汗を拭った。
「こんなものですかねぇ」
「いや、よくやったほうだろ」
拭き終わったままぺたんと座り込む蔦に手を貸して立たせる。それから濡れ縁に連れ出して、自分は米俵を運んだ。蔦はハナと社の間を行き来する夫を頼もしげに眺めていた。
「こんなものか」
米俵をきれいに積んで手をたたくと、蔦がこっくりと頷いた。それから社の扉を閉める。そこで夫婦でふうとため息をついた。それから草履を履きかけたところで、小十郎が気づく。
「待て、足の裏汚れてるんじゃねぇか」
言われた蔦が背中側にひょいと足をあげる。小十郎の指摘の通り、真っ黒に汚れている。
「……、足袋を掃いていなくてよかったです」
言って蔦は手も汚れていることに気づいた。
「小十郎さま、川はどこですか?」
言うと小十郎はひょいと汚れた水の入った手桶を取り上げた。
「小川とはいえ長雨のせいで流れが速くなってる。ちょっと座って待ってろ」
蔦が何か言う前に小十郎は行ってしまった。仕方なく蔦は濡れ縁に座り足をぶらぶらさせた。しばらくして戻ってきた小十郎の手には新しい水を汲んだ手桶があった。手近に来たそれに手を入れて水の中でこすると、汚れは落ちていった。次に足、と思うと小十郎がそれを地面において膝をついた。
「?」
蔦が疑問に思う間に片足が取り上げられ、ちゃぷんと水に浸けられた。蔦は慌てる。
「じ、自分でできますから!」
慌てて引けば足首をとられる。
「じっとしてろ」
そういえばいつだか、火傷をしたときも意外な甲斐甲斐しさを見せた小十郎である。だが今回ばかりは。
「く、くすぐったい、無理です!」
すり、と指の間を擦られ身を捩れば、夫は楽しそうに笑った。
「ほらじっとしてろ。暴れるな」
くつくつ笑う小十郎の肩がよい位置にあったので、ぽかりと叩いてみたがさらに笑われただけだった。両足を洗われて手ぬぐいで水滴を拭き取られる頃には、蔦はくすぐったさのせいですっかり疲れきっていた。小十郎がまた笑う。
「面白いな、おまえ」
「私はさっぱり面白くありません!」
蔦が赤くなって言うと小十郎が頭を撫でてきた。
「さて、ちょっと寄り道して帰るか」
「寄り道、ですか?」
蔦が機嫌をなおして尋ねると小十郎が頷いた。


ハナを引く小十郎に従えば、しばらく道は登りになった。やがて登りきれば、視界が開けて眼下に青々とした景色と――城と町が見えた。
「わあ」
蔦が言って小十郎より前に出る。
「なんて見晴らし。ずっと向こうの山まで見えますよ!」
「少し高い所だからな」
視線の先にある山の稜線は青い。随分先まで見えるのだ、と思う。
「……流された跡が見えるな」
言われて小十郎の言った方を見れば、川が氾濫して泥を残したような跡が見えた。
「政宗さまたちと見つけられた子はあそこのあたりの子でしょうか……」
「わからん。だがすでに立て直しが始まっているとも聞く」
「……たくましいですね」
蔦はいいながら、ふたたび辺りを見回した。無事な田も見え、そこは稲が日光を求めるように青々とした葉を伸ばしているようだ。やがてそこから人家が増えていき、城の周りに群がるようになっていく。屋敷はあのあたりかしら、と目をやった所で小十郎の声が耳に入った。
「俺のやってることは、道楽だと思うか」
さわさわと風が木を撫でる音が聞こえる。その中で小十郎の低い声は良く響いた。

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