竜の天命
 其の壱

「小十郎さま、ご自分で行かれるのですか?」
倉の前に荷運びの牛を連れてこさせ、下男に俵を三つ積むように言いつけていた小十郎に蔦が声をかけた。
小十郎は野良着姿だ。縁側を下りて近づいてきた蔦に、牛がモウと鳴いた。
「あらハナ。お前がお仕事するの?」
小十郎が馬と共に飼育している牛のうち、ハナはもっとも大人しく賢い。女の蔦でも馬鹿にせず、畑仕事の合間に左衛門を乗せても嫌がらない。蔦もそれをよく知っているので、撫でてと顔を突き出してきたハナの鼻筋を優しく撫でてやった。
「誰かに任せてもいいのだろうが、俺が言い出したことだしな。それに皆には庭の手入れを優先してもらいたい」
小十郎が言うと、下男が申し訳なさそうに頭を下げた。
「俺一人でも大丈夫なようにハナにしたんだ」
牛というのは馬とは異なり、力が強く気性が荒い上、雌も雄も角がある。だがハナは幾分歳をとっているので、男一人でも御しやすいのだ。それを言外に告げると蔦はそうですか、と言った。
「俵はお米だけですか?」
「粟や稗も考えたが、田の神の社に置くのでな。それではケチくさい」
そうですか、と蔦が笑う。それから蔦は頬に手を当てて考え込む仕草をした。
「私もご一緒していいですか?」
「……、別に構わないが。面白くはないぞ?」
小十郎が不思議そうに言うと、蔦は笑った。
「ちょっと遠くに行ってみたいだけです。それと、ちょっと気になることが」
「気になる? なんだ?」
「それは追々。では着替えて参りますね」
蔦はそう言って元来たように戻っていく。ハナが名残惜しそうにモウ、と鳴くので小十郎は妻の代わりに角の間を撫でてやった。蔦が戻ってくる前に下男が俵をハナに積み終わった。
「旦那さま、おひとりで運べますか?」
「一つずつ運べばなんとかなるだろう。これでもお前よりは若いんだ」
「まあ、旦那さまは鍛えていらっしゃるから大丈夫かとは思いますが、腰にはお気をつけて」
「肝に銘じておく」
下男の忠告を胸に刻む。それにしても蔦が戻ってこない。
……しばらくして戻って来た野良着姿の蔦には、左衛門が取り付いていた。
「さえもんもいくー!」
「まあ、だめよ。左衛門」
息子は半ば意固地になって母にくっついている。小十郎はため息をついて縁側に歩み寄った。
「ほら、父上がおいでですよ」
蔦が言うと左衛門が母にひっついたまま小十郎へと目を向けた。小十郎は息子の目線に屈み込む。
「母が困っているぞ、左衛門」
「さえもんもいく! ハナにのる!」
左衛門は母にしていた主張にさらに付け加えて父に言った。小十郎はポンと息子の頭に手を乗せた。
「ハナはお仕事に行くんだ。遊びに行くんじゃねぇ」
「……」
すると左衛門は見事に頬を膨らませた。小十郎がその顔に思わず笑ってしまうと左衛門はさらに頬を膨らませた。その様子に小十郎はまじめな顔になる。
「よし、左衛門。お前は武士の子だな、お役目を申しつけるぞ」
小十郎がまじめな口調で言うと、左衛門ははじかれたように母から離れ、その場に直立して見せた。武士の子、というのは左衛門にとっては不思議な呪文だった。蔦がかけた呪文である。それを言うと、左衛門は大抵のことをやってのけたりするのだ。
「はい、さえもんはぶしのこです!」
「そうか。では、父と母が留守の間、屋敷をきちんと守るんだ」
すると、いくら呪文があったとはいえさすがに左衛門もやはり留守番をさせられると気づいて意気消沈したようだった。小十郎は縁側の少し離れたところで寝ていた猫のトラを拾い上げて、左衛門に抱かせた。突然人形のようにぶらんと垂れ下がる形にされたトラは目をパチクリさせている。
「トラと一緒の大事なお役目だぞ。大きな鼠が出たらちゃんとトラに退治させるんだ。じゃないと夕餉に出るもの全部かじられるかもしれんぞ」
小十郎が至極まじめな顔つきと口調で言うと、左衛門は戦慄したようにふるえた。夕餉が鼠に盗られる所を想像したに違いない。それからトラをしっかりと抱え直し、意を決したように言った。
「はい、さえもん、おつとめがんばります! さえもんはぶしのこです!」
小十郎が笑って頭を撫でれば、トラがなんだかわからない、とばかりににゃあと鳴いた。蔦はそれを見て楽しそうに微笑んだ。


ハナを連れて裏庭を出ようとすれば、蔦がちょっとお待ちください、という。見れば蔦はいつの間にか箒とはたきを手にしていて、それから裏庭の向こうから手桶を持ってきた。のぞき込めばそこには雑巾がいくつか放り込んである。
「……、なんだそりゃ」
小十郎が聞いても蔦は笑うだけだ。
「まあ、とりあえず箒はハナに任せろ」
「そうですね」
ハナは文句も言わず、箒を乗せられるままになった。

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